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  2011年から2012年へ
  2011.12.25



 年賀状のデザインと印刷を自分でやるのが、年末の恒例行事。果たして今後何年間続くのか。単純な作業ではあるのだが、まだ、それなりに進化するから不思議。今年は、枠なしで印刷したかったので、最終的な文面作成をすべてPhotoshopで行なって、JPEGファイルを作成し、キャノンのDPPなるソフトで印刷した。これまでのように、Wordで作って印刷するより遥かに良い。

 結局、丸2日間以上の時間を要した。もっとも時間が掛かったのが、昨年の年賀状と住所録のデータの突き合わせであった。その後、今年インドネシアで撮影した写真の整理とフォトブック化を行ったので、この文章を書く時間が不足。フォトブックも、完全自作があたり前ながら一番自由度があって、イライラが少ない。

 ということで、今年最後の記事です。次は年賀状のご挨拶を1月1日にアップ予定。



2011年とはどのような年だったか

 今年の日本の状況を一言で表現すれば、「なにごとにつけても、対応能力をほとんど失っているこの国の状況の中、未曾有の災害が起きた。最悪の政治状況で最悪の災害が来た」年であった。

 2006年ぐらいからの日本の姿は、実にどうしようもない状況であった。毎年、総理大臣が変わる。安倍、福田、麻生、鳩山、管、そして野田。

 関東大震災の後、後藤新平が現在の東京の基本的な姿を決めたと言われているが、実際には、強い反対勢力があって、予算は半分に減り、地主から猛烈な拒否反応であった。それでもなんとかやれたのは、個人の力だったのだろうか。それとも、国民の支持がそれなりに有ったからだったのだろうか。


原発事故とリスク対応

 原発事故にしても、「安全神話」を神話だと思わず、国民全員どころか、当事者である東電の経営者層も信じ込んでいた状況であったと思わえる。「どうせそんなことは起きない」。

 東電のリスク評価のやり方をNHKが放送していたが、非常用電源が故障する確率は1/1000である。2台あれば、その2乗だから、百万分の1である。だから可能性は極めて低い。

 たしかに百万分の1程度の確率ならば、リスクというもののとして、まあ安全といった判断を行うことは多い。しかし、そもそも、2台の非常用電源の故障確率を単純に掛け算をして良いのか。多分、そんなものではない。

 ある家電が壊れると、連鎖的に別の家電が壊れることはよくある。それは、偶然というよりも、家電を買う時期には、いくつかの家電を同時に買うからではないか。

 非常用電源がどのようなものか、いつ更新したのか分からないが、更新時期が同じであれば、故障が連鎖する可能性は非常に高い。

 しかし、非常用電源が運転するとしても、まあ、1時間程度のもので、その間に外部電源が復活するから問題はない、と考えていたのかもしれない。

 確かに、あれほどの地震があり、あれほどの津波が起きる確率はかなり低い。本当に1000年に1度なのかもしれない。

 リスクの計算は、被害の大きさ×確率なので、被害の大きさが今回のケースのように非常に大きい場合には、すなわち、最悪の事態を想定すると被害が極めて大きい場合には、確率が百万分の1でも対応を取らなければならない。これが東電も、また、反原発団体も理解していなかったのかもしれない。


放射線パニック

 話変わって、放射線への恐怖感がこれほど高くなったのは、明らかにコミュニケーションのミスであったろう。誰がその責任者だったのか、と言えばそれは政府である。

 何が間違っていたのか。それは、ICRPがこれまでやってきたことの本当の意味を知っている人を前面に出すべきであったのだが、それができなかった。

 むしろ、政治的な意図があったのかもしれないが、正確なことを知らない人、あるいは、正確なことを知っていても、ICRPという機関の権威を認めることができない立場にいる「放射線防護学」の専門家の意見を取り入れたことが間違いであった。

 一言で言えば、国の方針が定まらなかったからと言える。最近になって、避難地域への居住を認める枠組みを決めたが、その中身は、結局のところ、ICRPの緊急事態への対応と全く同じである。

 要するに、ICRP以外に信用のできる機関は無いのである。それを早く表明すべきであった。

 食品に含まれいる放射線への規制値をどうするか。食品安全委員会が大迷走をした。この機関の迷走の原因も、ICRPを権威として認めなかったからである。しかも、最初から結論があったようで、委員長も制御できなかったのではないか、と推察される。それは、政治的な力が作用していたからだと判断している。

 日本人の特性も、悪い方向に向かう大きな原因になった。それは、「ゼロリスク」以外は認めないという特性である。

 BSEのときにもそうであった。今回もそうだった。カリウム40の放射線への被曝を避けることはできないが、その値がどのぐらいのものであるかを理解している人は何%居たのだろうか。

 もう一つの日本人の共通的理解、「自然は安全」もなんとかして欲しい。児玉龍彦教授は、セシウムが存在していることは自然ではないのだから、レベルが低くても、きちんと除染すべきだと主張していたように思える。

 要するに、リスクについての対応は、これまでと余り変わらない。すなわち、ダイオキシンのときもそうだった、JCOの臨界事故のときもそうだった、環境ホルモンのときもそうだった。何が真実であるか、という見方でものごとを理解する日本人が余りにも少ないのだろう。

 それほどとも思えない放射線が怖いという人に話を聞いて見ると、「ベクレルとかシーベルトとか言っても分からない。だから怖い」。

 怖いだけなら、特に、問題はない。しかし、怖いために何か対策を講じようとすると、問題が起きる場合もある。無理に対策を講じると、それがストレスになる。ストレスは、精神的なうつ状態を招く重大な原因である。

 福島市のホットスポット対策は全く手付かずらしい。避難地域ではないのに、ドブなどの雨水が流れたところには、非常に高線量の場所が散在しているようだ。これは、まず、なんとかしなければならないことなのだが、どうして動かないのだろうか。

 世田谷区で、非常に高線量な場所が見つかったことは、極めて面白かった。ラジウムは蛍光塗料として、昔から使われている。健康被害もあったようで、腕時計の針や文字盤に蛍光塗料を塗る職人は、放射線の被害を受けたようだ。

 しかし、そのラジウムが地中に埋まっている場所が見つかって、どうもガラス瓶が割れていたらしく、除染が難しいとのこと。昔の作業員だったら、何も考えずに処理するのだろうか、現時点では、原発の作業員であっても、被曝限界が低い。もっとも福島の作業員は、緊急事態対応だから高いのだが。

 放射線については、様々なことがあったが、現在までの情報が正しければ、原発の作業員を除けば、100mSvを超えた被曝を受けた人は居ないようなので、放射線の影響で重大な健康影響が生ずる可能性はほとんどないものと思われる。

 ただし、最初の数日でのヨウ素131への量が分かっていないことは、多少の不安要素ではある。


1000年に1回

 これまで日本ではマグニチュード9という地震は起きないものとされていた。しかし、今回、それが起きてみると、今度は、次の大地震もマグニチュード9だとされる傾向がある。

 これまでよりも高い防潮堤を建設するのも、また、高台に移転をするのも、そのような発想だと思われる。

 このような考え方は、基本的に間違いだと思う。現時点での恐ろしさのために、1000年に1回しかないことに対処するのは、いかに土木工事とは言っても、間違いである。

 防潮堤を作ったとしても、寿命は良くて100年ぐらいなものだろう。やはり、今後100年以内にかなりの確率で想定される津波の高さを対象として選択し、その津波によって、大きな被害がでないことを目的として、次の防潮堤を作るべきである。

 万一、今回のような津波が来てしまったら、どうするのか。それは、人命だけは助かるような様々な工夫をすることだろう。

 避難専用のビルを海岸に建設するぐらいなら、その設計をわずかに変えて、そこに居住すべきではないか。居住者がいれば、食料や飲料水の備蓄もあるだろうから、また、寝具などもあるだろうから、しばらく避難が可能だろう。

 高台移転を推進する理由は、どうみても別のところにあるのではないだろうか。それは、土木作業を増やして、地元の土建屋に落ちる予算を増やすことではないか。

 このような考え方が邪推であると言い切って貰いたい。


自己主張が先にあるエネルギー対策

 反原発という運動を長らくやってきた人にとっては、現時点はこの上ないチャンスである。どう贔屓目に見ても、現時点で、原発の現状維持を目指すのは、相当変わった発想だと思える。

 使用済み核燃料がこれほど厄介だとは思わなかったし、一旦放射性物質を放出してしまうと、その後始末が大変すぎる。

 放射性物質の放出が起きないようなほぼ確実に安全な原発を作ることは不可能ではないと思う。コストが高くなって、誰も作らないかもしれないが。しかし、そのような安全な原発を作ったとしても、使用済み核燃料は出る。

 使用済み核燃料を合理的に処理する方法があるという主張をする人もいるが、どうしても、1000年程度の後始末をする必要があるように思える。

 使用済み核燃料の最終的処理処分の方法論が確立するまで、新規の原発を建造することに合理性を見出すのは難しい。

 しかし、一方で、まだ使える原発を使わないのは勿体無い。古い原発から徐々に運転停止・廃炉とするのが良さそうである。

 原子力燃料の最大メリットは、需要先が限られていることで、そのためにウランの価格高騰は起きにくい。しかも、量的に少ないので、備蓄も簡単である。すなわち、エネルギー安全保障面では有利なエネルギーである。

 1971年から原発の運転が始まって40年。2050年程度に残る原発の台数を数基程度にする対応をとれば、これから排出される使用済み核燃料の量も、これまで溜まっている量と同じ程度ですむのではないか。

 使用済み核燃料も、もともと量的にはミニマムであることが原子力のメリットの一つであるので、その量が倍になったところで、それほど大きな不都合はないだろう。

 不都合と言えるのは、取り扱いが難しいこと、余りにも長期間に渡って、面倒を見なければならないことである。

 さて、反原発の主張をする人々は、このような考え方でも受け入れない。すぐに全廃を主張する。しかし、それが何を引き起こすか、それが日本にとってどのような負の側面を持つか、そこを敢えて考えないのだろう。あるいは、負の側面にも期待をしているのかもしれない。

 風力発電にもそのような側面がある。今後、風力発電をできるだけ大量に導入しなければならないのは事実だろう。しかし、それをすぐにやるのか、徐々にやるのか、と言えば、もっともゆらぎが予測しにくい風力は、優先順位として高くなりえないのが、この国の状況である。

 メガソーラーもそのような側面がある。そういえば、ソフトバンクの孫さんは最近おとなしくなってしまったようだ。やはり儲け話だと思ったのではないだろうか。あるいは、極めて単純に、メガソーラーに投資することが、日本全体にも良いことだと思ったのかもしれない。

 最近エネルギー話をしばしばしているが、「××すべし」という主張を聞いたら、その根拠を質問すべし。それでも「××すべし」という主張をしたら、それは偽物の主張である、と判断すべし。

 エネルギーは、どのようなものであってもそれほどの違いは無い。しかし、エネルギーには価値がある。安定なエネルギーの方が不安定なエネルギーよりも価値が高い。人為的に発電量が制御できるエネルギーの方が、お天気まかせのエネルギーよりも価値が高い。

 不安定なエネルギーは、それなら価値がないのか、と言えばそんなことはない。電池の充電ぐらいであれば、不安定なエネルギーでも役に立つ。

 不安定なエネルギー源を実用的に使おうとしたら、時に発電量が余ることもありうる。当初の段階では、電力をお湯にでもして捨てることもないとは言えないだろう。

 しかし、最終的には、水素を発電するなどによって、エネルギーを備蓄し、それを燃料電池で再び電気に変えるといった方法論も考えるに値するだろう。


COP17と温暖化対応

 やはり南アフリカでは無理だったようだ。このような合意困難な状況を打開するには、よほどしっかりした議長が必要だからである。

 それでも、思ったよりは健闘をしたと言えるだろう。2020年以降の枠組みを2015年までに決めること、京都議定書の延長、この2つの合意を取り付けた。

 途中で中国も2020年以降の対応を考えるといった報道もあったが、やはりリップサービスのレベルを越さなかったようだ。

 日本は、京都議定書からの離脱をしたが、2012年までのマイナス6%目標はまだ生きている。原発が使えないとなると、この目標の達成も難しいかもしれない。

 方法は唯一、「省エネ」である。1973年の第一次石油ショックのときと同じように、あらゆる方法で、「省エネ」を実現する技術、ライフスタイルなどを作り上げるのが必要であろう。

 それが電力不足の現在に適合した対応策であろう。当面、天然ガス発電に依存することは仕方がないことではあるが、長期的には、地熱や中小水力のような安定的な発電を可能な限り開発することは、賢い方法のように思える。

 その後の中長期的な電力システムについては、スマートグリッドは一つの方法ではあるが、その中身をもっと広報することが不可欠だろう。「言葉は聞いたことはあるけど、中身は知らない」という日本人を大量につくっても仕方がない。


それでは2012年は?

 以下のようなことが少しでも実現の方向になることが目標だろうか。

 (1)まずは、復興であるが、これも今年の個人的主張の一つであるが、地域の長期的なビジョンは、若者に作ってもらうことが重要である。自分がその場所に住みたいようなビジョンを作ることが、その地域社会が継続するための、最大の条件であるように思える。

 (2)各所のホットスポットの除染は是非とも進めたい。もっとも中間処理施設の場所が無いというのが進まない理由のようなので、それは、国が土地を買い上げるなりなんなりして、用意すべきだろう。

 (3)意志決定が遅すぎるだけでなく、決定の仕方も関心しない。「おじさん」が何でも決めるのではなく、「おじさん」は若者に選択権を与えつつ、「様々な選択肢」を提案するのが役割なのではないか。

 (4)重要法案国民投票法を作ることを目的とした政党が出てこないだろうか。政治家が自分たちの行動を決められない。それを国民投票で決める。これがこの政党の役割である。誰か、意志のある方、そんな方向性を国民の多くは求めていると思うので、誰か、政治家になる意志のある方、よろしくご検討を。

 (5)現代の安全への要求は、ヒトの寿命が有限であることを前提としていない。放射線の影響による発がんのピークは、ICRPによれば、0歳から65歳まで被曝し続けたとしても、80歳である。このような事実をどのように理解するのか。そこには、かなりの人生哲学が必要となる。そろそろ、このような哲学を語る人が出てきても良いと思う。