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     アマルティア・センの思想   07.20.2019
        インドの超エリート学者の夢か

               



 このサイトで、アマルティア・センを取り上げるのは、実は初めてです。その理由はかなり単純で、現時点でも、福祉関係の担当者などにとって、アマルティア・センの思想は貴重品であって、これをベースにものを考えれば間違いはないという状況になっているのでが、環境面も含めて考えたときに、センの主張の延長線上で、何が変化が起きるのだろうか。特に、パリ協定について、なにか思想的に変えるべき部分が出てくるのだろうか、などなどについて、考えが全くまとまらないから、何も書けないのです。
 しかし、一度ぐらいはチャレンジをしておかないと、可能性の一つかニつを見逃す危機に陥る可能性が高いと考えて、今回、はじめて、センの思想について何か書いてみたいと思います。
 最初に、センに対するいくつかの印象だけを述べますと、第一に、とにかく、センは非常に切れる頭脳を持っている。これは確実です。社会が何か決定するときに、センの考え方を入れないと駄目といった状況になったのも、彼の思考力が人並みはずれて優れていたからだと思います。その証拠が次のポイント。
 第二のポイント。ノーベル経済学賞をインド人が取ったのは初めてですが、実は、アジア人として初めての受賞でした。そのぐらいの能力です。
 単に能力があるだけでなく、彼は、超エリートです。何がエリートの証拠か、と言えば、とにかく、その学歴・経歴がすごい。興味がお有りでしたら、ちょっと調べて見て下さい。
 第三のポイントですが、極めて公平な判断をする人だと思います。しかし、その実体は、超ハイソサエティに属している人だと思います。それにもかかわらず、公平性が高い。これが人格のなぜる技なのか。それとも、超ハイソサエティに居る故に、その余裕によって、公平な判断ができるのか、そのあたりは謎です。
 どのぐらいハイソサエティの人なのか、ひとつだけ上げれば、奥様は、現在3人目ですが、Emma Georgina Rothschild。すごい名前でしょう。Rothschild家の人です。奥様の実体もセン同様にすごくて、ハーバード大学の教授で、ケンブリッジ大学の名誉教授でもあります。
 第四のポイント。書いている本の数もすごいです。アマゾンをチェックしてみると、日本語訳になっているものだけでどうも25冊ぐらいはあります。今回は、その中の1冊の著書で、もっとも簡単に読めそうな新書から1冊を選択して、そのご紹介です。


C先生:という訳で本日は、アマルティア・センの著書の一冊のご紹介というか、若干、内容の検討をしてみたい。

A君:それでは、例によって、著書のご紹介から。
人間の安全保障 (集英社新書) 2006/1/17
アマルティア・セン (著), 東郷 えりか (翻訳)
新書: 208ページ
出版社: 集英社 (2006/1/17)
言語: 日本語
ISBN-10: 408720328X
ISBN-13: 978-4087203288

B君:またもや、例によって、アマゾンの書評もちょっと。平均点が、3.8。それほど悪くないけど、絶賛ばかりでもない。

C先生:この本を今回取り上げた最大の理由としては、センの思想の根幹をなすものの一つとして、Capability Approachがあるが、それが、未来世代に対してどのような意味があるか、ということにしたい。色々と理由はあるのだけれど、環境学というものは、「地球の未来を破壊的なものにしない」ということが主たる目的なのだが、その理論の根底にある言葉は、長い間、Sustainablityだった。いわゆる「持続可能性」だ。詳しくは、あとの議論になるが、パリ協定によって、ほぼすべての状況が大幅に変わった現時点で、「地球の未来を破壊的なものにしない」という言葉が何を意味するかが問題となるが、それも大幅に変わったようにも見える。すなわち、Sustainabilityがすべての方向性をしめすマジックワードではなくなったように思うのだ。

A君:しかし、この手の議論を行うとき、最初に行うべきことは、単語の定義と、議論の枠組みですね。

B君:まあ、その通りなのだけれど、それを厳密にやろうとすると、いくらやっても終わらないのでは。単語の定義は、むしろ、最適な定義を探しながら議論をすることにして、もっとも重要な議論の枠組みをできるだけ狭いものに決めてから、次に、言葉定義をしつつ議論という段階を踏むのが良いのでは。

A君:超現実派的意見。超効率派とも言えるけれど。まあ、仕方ないので、同意。それでも、結果は出ないかもしれないので。

C先生:それでは、少しずつ進める。歴史的な検討からスタートするのが、まあ常識的。今回もそれを採用するが、どこまで戻ればよいか。

B君:パリ協定と言われると、一旦、産業革命前まで戻れになるのだけれど、今回は、Sustainabilityが中心になるとしたら、ブルントラント委員会まで戻れば良いのでは。

A君:まあ、イメージが作りやすいという意味で、そんな気がします。

C先生:それでは、ブルントラント委員会の成果からはじめよう。

A君:ブルントラント委員会のブルントラントは人の名前。グロ・ハーレム・ブルントラントがフルの名前。ノルウェー人。もともと医師で、国連の世界保健機構(WHO)の事務局長。その後、女性としてはじめて、ノルウェーの首相になった。

B君:ブルントラント委員会というのは、1984年から1987年まで、国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」のこと。

A君:その報告書は、”Our Common Future”で、「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」という概念をまとめ、これが国連の「持続可能な開発」の中身になりました。ひょっとすると、現時点でもそうかもしれない。SDGsは、この流れの延長線上にあるように思えるので。

C先生:ブルントラント委員会が開催された最大の理由は、何が重大な問題だったからと言えるのか。その事実から明らかにして欲しい。

B君:それは、色々意見があるかもしれませんが、最大の問題が「化石燃料とその枯渇」だったのは事実なのでは。

A君:間違いないと思います。「将来世代のニーズ」を重視したのですが、それは、将来、重要なものの何かが枯渇して利用できなくなるという可能性が高かったから。その一番手は、やはり、化石燃料、特に、石油。

B君:石油がそのうち無くなるということを最初に指摘したのが、ローマ・クラブの本、「成長の限界」。出版されたのが、1972年。次のような警告が世界的に大々的な影響を与えた。
「現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇(あと20年で石油が枯渇する)や環境の悪化によって、100年以内に人類の成長は限界に達する」。

A君:あと20年とは、1992年を意味するのでしょうね。石油の枯渇については、確かに2006年頃までは騒がれていた。しかし、それがキレイにブッ飛んでしまったのが、シェールオイルとシェールガスのため。

B君:実は、英語版の「成長の限界」では、「もし技術革新が全く無いとすれば」という文章が「現在のままで」の前にあったとのこと。

A君:「技術革新」か。原語はイノベーションなんでしょうね。そういう意味では、シェール(頁岩)を高圧水で、しかも水平に掘る技術はイノベーションだった

B君:そして、パリ協定の根拠となった、IPCCの報告書AR5によれば、石油も当然として、石炭は特に大量に余らせないと、地球の温暖化による過大な影響が地球生態系を破壊することが示された。

A君:再度まとめれば、ブルントラント委員会は、「将来世代は、石油が枯渇して使えなくなるけれど、どうする? 先進国ばかりが石油を使っている状況が、このままで良いの?」、という問を世界全体に広めた。

B君:さらに細かく言えば、ブルントラント委員会の問題意識は、「途上国の成長のために、先進国としては、石油を枯渇させないで、残すべきなのではないか」という問だったとも言える。

A君:しかし、その後の国際会議でもっとも重大なものであった1992年のリオのサミットでも地球環境問題が議論されました。しかし、石油の枯渇に関する文章はリオ宣言の中には含まれていません。

B君:資源の問題というよりも、地球環境問題を総合的に議論したというのが、リオのサミットの実体なので、まあ、当然と言えるのだろう。その当時、資源問題は、地球環境問題との間にまだ若干のギャップがあった。

C先生:繰り返せば、ブルントラント委員会は、化石燃料を、未来世代のために、どのように残すべきか、という問題を提示した。ところが、その後、大きな変化が起きた。もともと「枯渇は石油が枯渇してからの話」と考えられていた石炭と、ガス・オイルといった化石燃料は、シェールガス・シェールオイルのお蔭で、「枯渇するリスクがないとは言えないが、それは相当に先の話」ということが判明してしまった。

A君:一方、規制に関して言えば、京都議定書の合意が、1997年で、第一次の排出削減が実施された。しかし、結果的に、余り効果的な取り組みではなかった。

B君:そのためもあって、その後、温暖化への国際的な取り組みは、かなり弱体化した。その後、様々な科学的な知識が徐々に増え、そのため危機感も高まって、パリ協定に到達ということでよいか。

C先生:それでよい。もし、石炭を含めて、化石燃料を枯渇するまで使ってしまったら、地球の平均気温が6.5℃ぐらいまで上がることが分かった。そこで、パリ協定では、キリスト教徒のマインド、あるいは、一神教徒を標準として考えたのだろうと思うけれど、「気候正義」という言葉を導入して、CO削減のための新しい枠組みが提案され、合意された。このような考え方が、理解しやすいのではないか。

A君:未来の話ですが、2040年台になると、天然ガスでもCCSによる対応が求められることになります。

B君:加えて、もし「温暖化1.5℃以下」を本気でやろうとしたら、2050年過ぎには、Net Zero Emissionが必要となる。

A君:ちょっと長くなりましたが、ということで化石燃料を将来世代に残すという考え方が含まれていたブルントラント委員会の文書と標語「化石燃料の持続可能性」は、パリ協定のお陰で、それほど重要なこととして理解されなくなってしまった。

B君:となると、本日の本題である「アマルティア・センは、人類にとって、何をもっとも重要な課題だと考えたのか」。「それはなぜか」

A君:それには著書と年代を解析しないと。1980年から1995年までで良いですね。年代、書名というリストを作ります。

(1985). Commodities and Capabilities
(1986). The Tanner lectures on human values
(1987). On Ethics and Economics
(1989). Hunger and public action
(1992). Inequality Reexamined
(1993). The Quality of Life

B君:これで結論が出るというものではないけれど、やはり、平等性というものが重要。それは、Capability Approachとも言えるが、「すべての人が能力を十分に発揮できるまでの教育が受けられる状況」にならないと、いくらエネルギーだけを確保しても、人類が本当の知性を発揮できるような状況にはならない。

A君:現時点は、またちょっと変わって、もはや「すべての人が本気になって、地球温暖化対策に取り組まないと、それこそ、気候が確実に変になって、年中、自然災害といった状況」になってしまう。

B君:アマルティア・センが、現時点で、地球温暖化をどのように考えているのかは不明。しかし、被害を最小化するために、人類が何をしなければならないかについては、明確に分かっていると思う。それは、「教育を充実させて、すべての人間のCapabilitiesを高める」こと。

A君:通常の意味でのCapabilitiesに加えて、何かが起きたときにも、速やかに最適な対応ができるというCapabilitiesを準備しておかないと、という気はします。

B君:具体的に何をやるか、となると、それは難しいね。最低限やらなければならないことは、「小学校の教育あたりから、地球温暖化の意味を理解させる」ことが必須なのではないだろうか。

A君:しかし、日本政府は、経済的な発展がもっとも重要という教育を続けたいでしょうね。

B君:どのような教育が、本当の意味で、Capableな人間を育成できるのか、という考え方で、教育システムを再構築すること。これが現時点での日本にとって、もっとも重要なのは確実なのではないか。

A君:日本では、現役の企業人までという範囲内では、温暖化懐疑論が消えた。しかし、世界的には、「トランプ大統領を見るとまだまだとしか言えない」し、日本でも、学校教育にどこまでパリ協定が含まれているのか、という大問題がありますね。

B君:日本の小学校のカリキュラムに、地球環境問題を入れるのは、文科省がかなり反対するのではないだろうか。「先生の能力が無いし、その能力をこれから付けるのは無理」というロジックで。

A君:まあ、そんなことでしょうね。

B君:一方、パリ協定対応を含めたCapabilityを地球上のすべての人間が備えることが不可欠である。これは、最低限正しいのではないだろうか。

A君:もし、許されるのであれば、別の地球限界、特に、金属資源の枯渇も目前に来ていること、これを追加したい。しかし、実際には、カントリーリスクが本当の問題が大きい。例えば、トヨタのハイブリッド車用のマグネットを作る際に、中国からディスプロシウム(ジスプロシウムという日本語正式名称は、スペル的にありえない)という希土類元素を輸入していたけれど、産地が実質上中国のみという元素だったもので、価格操作が行われた。将来は、地球レベルでの元素の枯渇状況をしっかり把握することも、必要不可欠。

B君:勿論、可能な限り、戦略的に精緻なリサイクルを行うことが、対応策としても必須になることだろう。

C先生:以上で、一つのまとめにはなったようだ。しかし、「パリ協定への対応能力、すなわち、Capabilityをすべての人々が身につけること」は、実際、かなり難しい。しかも、もともとセンが主張しているCapabilityは、その中身を考えると、「貧困を原因とする教育不足をなんとかせよ」、という意味だったと考えるべきなのかもしれないのだ。となると、「十分な教育を受けた人々でも、自分の立場だけを考えて、温暖化懐疑論にトラップされてしまう」という例がいくらでもあったことを考えると、すべての問題が、教育によって解決できるというのは理想論のようにも思える。福音派(地球は6000年前にできた)や、フラット・アーサーズ(地球は平板状だという人々)が未だに米国に存在していることを考えると、何を発言したら良いのか、分からなくなる。

A君:たしかに。気候変動問題を教育システムの再構築によって、すべての人々が理解している状況にすることは、難しい。しかも、すべての人間活動には地球環境へ影響があることを認識することが、今後、人類の一人として最も重要な知性だということは、最低限、正しいだろうと思います。

B君:貧困による教育不足があるために、気候変動問題が理解されないという状況も異常のように思える。実は、我々が生きている地表・海面・大気というものが、実は、それほど安定なものではなくて、意外なぐらい、人間活動によって影響を受けるものであるということを理論的・実践的に再認識することが、すべての原点になりそうだ。

C先生:それもその通り。しかし、それを学習するだけの余裕をすべての人間が持つことは、現時点では「十分なレベルの教育をすべての人に」すら難しいので、ますます難しい。

A君:これからの社会は、恐らく、地球というものの実体について、より深い教育が必要とされるのだと思う。それが、今後、2050年ぐらいまでの人類にとって、もっとも重要な教養である、ということなのかもしれない。

B君:すなわち、これが必要なCapabilityの一部であると言えそうだ。

C先生:そろそろ結論か。「Capabilityは、その時代その時代によって変わる」。しかも、数段のレベルから構成されている。貧困の解消によって問題が解決するレベルのCapabilityは、どちらかと言えば、2000年から始まったMDGsのように、初等教育をすべての人に、といったレベルであったのかもしれない。そして、2015年のSDGsとパリ協定以後からの教育が目指すべきCapabilityとは、「もう一度、もっとも基本に戻って、地球上に住んでいる人類というものが、どのような影響を地球に与えているのか、逆に、地球が変化することが、人類や他の生物にどのような影響を与えるのか、という事実を科学的に理解し、結果として、その回避のための手段を知っているから実行できる」、という高度なCapabilityを身に付けろということなのかもしれない。その先に、気候変動問題の影響を最小化するために、何をすべきが見えるというCapabilityが来るのような気がする。だけど、これが実現した社会が将来の実像になるのなら、かなり、進化しているようにも思える。しかし、そうならないようにも思えるね。