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  反「安全論者」の論理
   02.19.2012



 エコケミストリー研究会という研究会がある。もともとは、研究者個人が会員となる組織であった。現時点では、エコケミストリー研究会のWebSiteによれば、以下のような説明になっている。ちなみに私個人も、会費を払って会員になっている。

 1990年に「化学物質と環境との調和」という目標を掲げ、(社)日本化学会の支援を受けて約200人の研究者を中心に本研究会を発足させました。それ以来、ニュースレターの発行、セミナーやシンポジウムの共催等を行ってきましたが、1996年からは、会員を研究者以外にも広げて募り、独立した非営利団体(NPO)として活動しています。2010年4月現在の会員数は、大学教官、国公立研究所等の研究者、行政官、民間企業人、環境NGO関係者、マスコミ関係者、弁護士、政治家、学生等の幅広い個人会員が約350名、各種産業分野の民間企業、社団・財団、地方自治体、生協等の団体会員が約120となっています。

 年間6回、ニュースレターを発行している。この1月に発行されたNo.111は、「放射線の健康影響を考える」という特集になっており、その目次は以下の通りである。

No.111 (2012. 1) 特集 放射線の健康影響を考える
★放射線基準と健康影響との乖離
   元原子力安全委員会委員
    松原 純子
★放射性物質の健康リスク
   (独)放射線医学総合研究所
   明石真言、高畠貴志、蜂谷みさを
★福島原発事故に伴う低線量被曝リスクをどう捉えるか
   福島大学
   石田 葉月
★子どもたちの被曝をどうとらえ、低減化するか
   NPO法人市民科学研究室
   上田 昌文
★放射性セシウムと学校給食の今後
   京都大学
   林剛平、今中哲二
★脱原発・脱温暖化ロードマップ試案   
   名古屋大学
   
竹内 恒夫

 多様な考え方に基づく主張が含まれているが、なかなか良い特集だったのではないか、と思われる。

 今回は、この特集の中の一つ、福島大学の石田葉月准教授による低線量被曝に関する記述を取り上げたい。ちなみに、石田准教授は葉月という名前からは男女の判定が不能であるが、男性であるようだ。



C先生:最初の松原純子氏は、元原子力完全委員会委員、元横浜市立大教授で、ICRP流の普通の説明。その次の放医研の記事も、普通の記事。その中で、福島大学の石田葉月准教授の記事は、ひときわ目立つ。なぜもっとも目立つのか、その解析を行うというのが、今回の主要な目的としたい。

A君:まず、第一のポイントは、ICRPの放射線管理の考え方する人を「安全論者」(カッコ付き)と命名しているところ。これから感じることは、「安全論者」は原発推進派と同じだという誤解をしているのではないか、ということ。

B君:原発に賛成か反対かということと、放射線のリスクをどのように管理するかということとは、異なった問題であるということを理解していないということではないか。放射線は、原発だけが出している訳ではないのだから、当然別ものなのだが。

A君:それでは当方も同様のカッコ付きの表現をしますか。「危険論者」の主張は、いかに低線量だからといって、安全だという証拠はない。遺伝子修復だって、完全に行われる訳もない。だから危険である。

B君:そもそも、平常時の基準値1mSvを用いるべきであったのに、今回の福島のケースで、なぜ20mSv以下という設定をしたのだ、これがダメだ。20mSvなど、危険な数値に決まっているではないか。

A君:そうですね。確かにリスクがゼロであるということは、もともと科学では証明不可能ですから、その主張をしているのですよね。この考え方に凝り固まっているのが、「危険論者」だということはできそうです。

B君:「危険論者」は、それならどのようなタイプからなるのだろうか。

A君:「危険論者」が必ず反原発を主張しているのか、ということになると、こちらも多種多様なので、なんとも言えないのが現実ですね。

B君:確かにそうだ。反原発を主張するために、「危険論者」になっているタイプも居ることは居る。数は不明。さらには、できるだけ高額な補償金を求めるために、危険であると主張し、場合によっては、風評被害を大きくすることが有効だと考えているタイプも有りうる。

A君:単に、被曝量は少なければ少ないほどよい、と単純に考えているタイプ。このタイプが実は非常に多いのかもしれない。政治的な主張は放射線とは無関係の場合が多いように思える。

B君:これは、「いわゆる一般消費者タイプ」とでも呼べるのかもしれない。

A君:さらに、放射線=危険ということに疑問を挟む余裕すら無い人もいる。ある人からの情報だと、東京に住んでいたシングルマザーが、関西に引っ越した。その理由は、東京にいると、どうしても喉が痛くなる。しかも心臓も痛い。関西に引っ越したら、それが治った。東京で痛くなる理由は放射線だ。自分は放射線を感じることができるから。セシウムは心臓の筋肉に溜まるのではないか。

B君:もしそうだとすると、自然放射線とセシウムやヨウ素による放射線を区別して感じることができる人なのだろう。自然放射線のレベルは、花崗岩からなる地形が多いために、一般に関西の方が高いのだが。

A君:多分、セシウム、ヨウ素だけ感じることができるのでしょう。カリウム40には感じない。

B君:そこまで言われると、もう考え方を変えてもらうのは無理かもしれないと思ってしまう。しかし、本当に救いが必要なのは、この人ほど極端ではないにしても、放射線を過度に心配しすぎて、大きなストレスを感じている人々。特に、若い母親。

A君:そのストレスは、「危険論者」の存在によって、増幅される。しかも、「低線量暴露の安全性は科学的に証明されていない」と科学者に言われると、非科学者は信じるしかないと思ってしまう。

B君:しかも、そこに国家陰謀説を絡ませる論調は、現在の政治状況やNHKを含むメディア報道のために、信じられやすくなっている。

C先生:問題点はそこなので、今回の石田准教授のようなタイプの「危険論者」に対して我々として何を言うべきか、というところに焦点を絞ろう。

A君:そのような議論に限れば、結論は比較的簡単なのではないですか。それは、「リスクは比べられる」

B君:その通りかもしれない。確かに「危険論者」は、リスクを比較しようとしない。

A君:生命にとって、しかも日常生活においても、多種多様な、また、大小様々なリスクが存在していて、そのリスクを上手く避けながらなんとか生存しているのが現実。

B君:「上手く避ける」ことが不幸にならずに幸福になることに繋がるので、これがもっとも重要。

A君:「上手」にやる具体策は、リスクの大小や特性を比較して、どの方法を採用したら、リスクをもっとも少なくすることができるかを考えてから行動する。

B君:そのときに、様々な種類のリスクのうち、どれか一つをゼロにすることを目指すのではなく、合計で少なくすることを定量的に考えるのが賢い方法だということになる。

A君:ただ、それを実現するには、多少の知識が必要ではある。

C先生:リスク科学ではエンドポイントというが、あるリスクがあったとして、そのリスクが最終的に何をもたらすか、ということだが、今回の放射線であれば、エンドポイントは「致死性の発がん」。具体的には、白血病、甲状腺がん、固形がんなどなど。本当に致死性かと言われると、現代医学によって治療法が進んでしまったので、なんとも言いがたい部分もあるが。
 無いこととして、被曝の継世代影響はない。 このぐらいの知識は必要かもしれない。

A君:疫学というものは、本当に難しい。しかも、ニセ情報を作るのが簡単で、前回白血病のことを調べていて見つけたこのような記事だって、ちょっと読んだら信じてしまう人は多いでしょう。
http://matome.naver.jp/odai/2130243639475218501

B君:この人だって、誰かの情報をそのままコピーして、記事を作ってしまったのかもしれないし。

A君:作者が本名を明らかにしていないネット記事を信じるのは大変に危険。

B君:今回の福島大の石田准教授は、本名を明らかにしている点で、評価できる。しかし、中身は相当偏っている。

C先生:回り道をしないで、「リスクは比べられる」ということに集中!

A君:図解をしつつわかりやすく説明することが重要では。

B君:放射線のリスクなので、やはり平常時と緊急時に分けることは必須。

A君:それ以外に、医療用途の場合も、ということで、これを作りました。


図1 医療用途

A君:PET診断を受けるかどうか。PETの陽電子源はどうも10mSvぐらい摂取するようなので、それを取り上げました。被曝が嫌ならば、避ければよいが、避ければがんの発見が遅れる。ただし、がんを早期発見したからといって、そのメリットが確実に有るわけでもないので、どうするか。

B君:早期発見しなければならないがんとしては、すい臓がんと胃がんぐらいだとすると、それぞれ別の方法があるので、PETだけが良いというものでもない。



図2 平常時

A君:平常時には、意味のない被曝を避けることが目的。管理水準をどの数値に決めるべきなのか、となると、自然放射線あたりが一つの目安になる。日本から、北欧などに引っ越すことを考えると、1mSvぐらいの放射線をどこかで浴びても問題は無いだろうという程度の判断。

B君:この1mSvの解釈が問題で、この数値を越したら危険だということで決まっている訳ではない。危険だということは、100mSv以下では、重大な臨床的な影響はでることはありそうもない、ということで決まっていて、管理用だから、厳しく行こうという安心宣言用の数値になっているものと思う。

A君:一般人の1mSv規準は、0歳から一生の被曝で、相乗モデル、すなわち、放射線を被曝した場合に、一定の倍率で発がんリスクが増大するという仮定を採用したときに、年死亡確率が1万分の1程度というのが推測値になる規制。しかし、1977年規準などと比較すれば、相当安全サイドに振った推測値になっている。それに、この推測の根拠として、これまで何回も説明しているLNT仮説が使われているから、さらに安全サイドの規制値だと考えて良いでしょう。

B君:実際そうだ。これも何回も出している図だが、


1mSvをゼロ歳から毎年被曝したとして、1万分の1のリスクに到達するのは、年齢が67歳になったときぐらいで、50歳では10万分の2ぐらい。40歳だと10万分の1ぐらいで、水道水中のヒ素の発がんリスクと同程度ということになる。ヒ素が多い外国製のミネラルウォータの発がんリスクよりは低いようだ。



図3 緊急事態期

A君:緊急事態期には、別の考え方が必要になる。例えば、若干の内部被曝もあって、20mSvよりは若干低い放射線量が有りうるという地域ではどうするか。

B君:それこそ、ALARAの原則だ。例えば、15mSvを被曝しそうな地域に居住している場合にどうものごとを考えるべきか。

A君:その地域の留まると被曝量は多い。しかし、避難をすれば、それなりに様々な変化が生じるので、すべてがリスクファクターになりかねない。

B君:慣れない土地での精神的・金銭的な不安によるリスク。経済状況が悪くなれば、貧栄養や不適切な医療、さらには、あまり良くない住環境などなど。

A君:だからALARAの原則に従うことが、結果的に不幸になりにくい。


図4 リスクのものさしが必要

A君:しかし、このような判断を下すためには、リスクのものさしが必要になる。それは定量的にリスクを比較することが可能になることが望ましいから。

B君:となると、バックグラウンドがどのぐらいあるのか。様々な発がん情報。放射線だけでなく、様々な要因によるもの。さらに、それらの要因への暴露の程度など。

A君:このぐらいの判断を余裕をもって行えるぐらいまで、精神的な余裕を持ってもらうことが重要で、それにはやはりしっかりと支えるという考えが必要だと思いますね。

B君:「危険論者」は、自らの主張を優先してしまって、どうにも放射線レベルが高い地域の人々に対してやさしくない。

A君:本当ですね。「リスクは比べられる」ことをしっかり説明することが、心配している母親などに寄り添う姿勢だと思うのです。

C先生:次週の日曜日、福島県伊達市で行われるある会合に出てみることにする。本当は、25日土曜日、26日日曜日とあるのだが、土曜日は、千葉県でリサイクルの話などをやらなければならないもので、日曜日の日帰りになってしまう。その翌日から、久しぶりに米国出張なので、その報告は後日ということになるが、どうも福島大学の教員は、地元の不安解消のために余り効果的な努力をしていないように思う。
 その背後には、こんなこともあった。
 長崎大学の山下俊一氏が3月4月のころに述べたことは、ある種の主張をもっていた人々には受け入れがたいことではあったと思うが、長くチェルノブイリなどを見てきた医学者としての発言だっただけあって、本質を突いていたと思う。
 その山下氏が務めていた福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーの解任を求めた文書を出したのも、福島大学の准教授12名であった。そして、その代表が、今回の話題に取り上げた文書を書いた石田准教授であった。
 http://fukugenken.up.seesaa.net/image/E8A681E69C9BE69BB8ver8.pdf

 この文書を読んでみると、そこには次のように書かれている。

要望1

 次の立場の学識者を放射線健康リスク管理アドバイザーとして招聘して下さい。
(1)被曝量が少なくなればリスクは減るものの、どんな低線量でもリスクはゼロではないとする立場
(2)内部被曝のリスクを重視し、低線量であっても決してリスクは少なくないとする立場


 なぜ、このような立場のアドバイザーが必要であるか、ということの説明は次のようになっている。

説明

 低線量被ばくの健康影響についての様々な見解を県民に示すことは、県民をいたずらに不安にさせるという懸念があるかもしれません。しかしながら、一面的な情報だけを流し、見せかけの「安心」を作り出しても、長い目でみれば、県民の健康を守ることにつながるとは思えません。低線量被ばくの健康影響に関する専門家の見解は定まっていないという事実がある以上、県民ひとりひとりがその事実を受け止め、考え、議論していかなくてはなりません。そのための下地を作ることは、県行政の重要な役割であるはずです。医療現場におけるセカンド・オピニオンの重要性が指摘されているように、様々な立場のリスク管理アドバイザーに意見を求める機会を県民に与えることは、むしろ、県民の健康を守るうえで有効であると考えます。



C先生:低線量被曝の健康影響に関する専門家の見解が定まっていないことは事実だが、現代科学でも、見解が一つに定まっていないことなど多数ある。例えば、最近、余り聞かなくなった気候変動に対する懐疑派の見解は、その人数で言えば、1000名対1名程度の少数派であった。しかし、メディアは、それを1対1であるかの如く取り扱った。

 ダイオキシンが話題になった1998年頃の「猛烈な毒性」についても、事情は同様であった。あの当時、ダイオキシンが猛烈な毒性を持っていると主張した研究者は、かなり多かったと思うが、今、何をしているのだろう。一般市民で、今でも「猛烈な毒性」を持っていると信じている人は何人いるのだろうか。

 低線量被曝についても、ICRPの見解が基本的に正しいと考えている専門家が大部分であり、ECRRなど、最初から政治的意図をもって異なった見解を述べている団体が多少存在しているに過ぎない(日本にもそのような団体があることは否定できないが)。

 そもそも、異なった見解を有する専門家であっても、その全員が100mSv以下の低線量被曝でも健康に重大な影響を与えるという主張をしている訳でもない。なんといってもそのようなデータが無いのだから。

 要望書のような条件を満たす専門家は、あくまで少数派である。このような専門家をアドバイザーとして迎えることによって、「このような事実」、より正確には、「専門家によって意見が違うという事実」だが、これを県民ひとりひとりが、どのように受け止め、どう考え、どう議論するべきだという主張なのだろうか。

 現実的に全く無理な主張をしているのではないだろうか。その答えなしに、このような要望書を書いたことが明らかではないだろうか。

 ひょっとすると、「低線量被曝の健康影響がある」ことを「このような事実」であると、すり替える論理を使っていたのではないだろうか、とも疑われる。

 いずれにしても、この要望書が書かれた時点では、県民を不安にさせることを最初から是認している立場であったようだ。

 それなら現時点では、多少考え方が変わっているのではないか、と思ったが、エコケミストリー研究会のNo.111の記事を読んで、どうやら、「このような事実」の解釈がいよいよ「低線量被曝でも健康影響がある」という理解になったのではないか、と推測させるものであった。