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  アスベスト最終回 03.26.2006
     



 アスベスト新法の救済申請の受付初日の20日、環境省分だけで79件になった。

 これまでも2回に渡ってアスベストを取り上げてきた。史上最悪の労働災害&環境被害とも言えるかもしれない。

 最近になって、「アスベスト禍−国家的不作為のツケ」、集英社新書0324B、ISBN4-08-720324-7という本を読んだ。著者、粟野仁雄氏は、1956年生まれのジャーナリスト。82年に共同通信社に入社したが、2001年に「石をもて追われ」て退社。その後フリーランス。という経歴。

 論調はよくある「国が悪い」タイプなのだが、いまさらこの論調では問題のまともな解決はできない。この問題をどうすべきか。究極の解決法を考えてみたい。答えは、増税による全員負担になる。

 現在、バンコクに滞在中。明朝帰国の予定。


C先生:アスベスト問題は、ある意味で非常に示唆的な問題である。その気になって防止をすれば可能ではあった。しかし、誰も本気になって防止をしようとしなかった。産業界、組合、省庁、国会、自治体、メディア、研究者そして、ごく普通の市民、さらには被害者を含めて、いずれも被害を甘く考えていたのだろうか。それとも、全く別の見方をしていたのか。

A君:粟野氏の論調だと、国=当時の通産省+労働省+厚生省+環境庁などの省庁が諸悪の根源となっていますが、まず、この論調は一般社会に不思議なぐらい素直に受け入れられるのですが、実際のところ行政だけを責めても、何の解決にもならない。行政とは、その時点における国民全体意向、国会などの要請によって行政を行う。行政だけが独立して行政を行うことができる訳ではない。

B君:最近話題のPSE法にしても、経済産業省を攻撃することが非常に激しく行われているが、あの法律に限らないが、法律の立法責任は、誰でもご存知のように国会にある。経済産業省が法案は作るが、その修正を含めて国会に最終的な責任がある。PSE法についても、その成立時に任期があったすべての国会議員は、なんらかの見解を発表すべきなのだ。法の運用については、行政に責任があるのも事実ではあるが。

A君:だからといって、アスベスト問題について、行政的な責任が無かったと言うつもりもないのです。なぜならば、かなり早い段階から、様々な通達が出されていた。もしも、その通達が実際に企業や自治体、他の関係機関によって文字通りに守られていたとするなら、アスベスト禍は、これまで酷い状態にはなっていなかったのではないか。すなわち、行政は通達の実施状況をもっと見極める責任があったのでは。

C先生:以前に書いたアスベストの記事でも指摘したように、
http://www.yasuienv.net/Asbestos2-2005.htm
経済発展の段階、あるいは、命の価値、その時点の価値観などによって、どこまで対策が取られるかが決まる。決して行政だけが独走して対策が取られる訳ではない。したがって、もしもその時点でメディアが十分に機能して通達の実施状況などのフォローが行われていれば、企業、それに作業者や市民レベルの意識が変わって、結果的により厳しい対策が取られていた可能性が高い。あるいは、代替品の開発がより順調に進んでいた可能性も高い。

A君:代替品ですが、日本という国は、消費者の要求あるいは発注者の検収が非常に厳しい国です。特に見かけや傷に関して、ときには厳しすぎる。そのために、吹きつけ作業の出来上がりの外観などを見て、ロックウールにアスベストを添加するといったことが行われた可能性も高いですね。

B君:見かけに余り拘泥しないで、質実剛健という考え方に切り替えないと、日本の将来は無い、ということか。

C先生:この粟野氏の本は、基本的論調が問題であることも事実であるが、青石綿、白石綿をくっきりと分けた議論をやろうとしていないことも問題の一つだ。

A君:クボタが発表したデータというものが、朝日新聞に以前掲載されていまして、青石綿の怖さが一目瞭然なので、示しましょう。

図1 クボタの社内データを朝日新聞が図にしたもの。まず、青石綿と白石綿の使用量


図2 青石綿を10年以上取り扱うと、1/2程度が疾患にかかり、1/4程度が死亡。

B君:確かに。青石綿を使った作業に長期間従事していると、死亡率が1/4ぐらいだから、恐るべき有害性だ。しかし、白石綿だけを取り扱っている場合には、かなり低くなる。統計的には多少苦しいデータではあるが。

C先生:となると、やはり青石綿を使っているかどうか、これを十分に配慮した対策が必要だと思うのだが、本書では、そこを意図的に区別していない。

A君:建物からのアスベストの除去という話になった場合でも、1975年頃までの鉄骨コンクリート構造の建物を解体する場合には青石綿が使われているだろうから、極めて厳密な注意が必要。白石綿を使ったスレート板も勿論100%安全ではないのだが、この解体とは話が違う。適切に怖がることが必要だ。

B君:どのぐらいの建物があるのか、また、あったのか。それが今後どのような年数を経て解体されるのか。過去、どのような推移で解体されてきたのか、そんなデータが必要。

A君:そんなデータは見たことが無いですね。

C先生:それが、今後、アスベストによってどのぐらいの死者が出るかの推定する場合に、必須のデータであるはず。村山教授(早稲田)の論文を見たわけではないのだが、そのあたりのデータがはっきりすると、将来予測が確実にできるのではないか。

A君:村山教授の推定値は、どうも、青石綿と白石綿の区別をきちんとしていないかもしれません。失礼ながら、原報が手元にないもので、推測ですが。

C先生:話は多少変わるが、粟野氏の論調のもう一つの特徴が、「日本は駄目な国だ。諸外国のアスベストに対する対応は優れている」。しかし実態は様々で、この本が言うほど進んでいる訳ではない。

A君:これもすでにHPに書きましたが、アメリカの解決法は非常にアメリカ的だった。一旦、アスベスト規制法ができたのだが、それが最高裁で違法だという判決がでて、アスベスト使用に対する規制は無くなった。しかし、その後、アスベストを使用した企業に対して、訴訟が相次いで、そして、敗訴して、賠償金を払うことができず、アスベスト産業はつぶれた。結果的に、アスベストは使われなくなった。

B君:粟野氏の本のp145に「日本の規制の遅れが分かる」とあって、その前に、アスベストの全面禁止はアイスランドの83年を皮切りに、多くの国が全面禁止したとある。例えばドイツは93年に全面禁止したと記述されているが、確かに全面禁止なのだが、例外品目多々というのが実態だった。

A君:日本人だと、全面禁止は全面禁止でしかないが、欧州だと、全面禁止、ただし、例外的にこれはしばらくOKという形。いわゆるポジティブリスト化が行われる。粟野氏は、全面禁止は全面禁止だと思っているのでしょう。

B君:今回、日本も全面禁止をすることになったが、やはり欧州型のポジティブリストを書く形となった。

C先生:この形を実はかなり主張した。なぜならば、その理由は、すでに本HPで書いたように、日本社会全体のリスクが完全なる全面禁止では減らないことが明らかだからだ。リスクを総合的に低下させようとすると、やはり、代替品がどうしてもできない場合には、使い続けることになる。

A君:硝酸塩を使った化学プロセスだと、通常の代替材料である炭素繊維素材が酸化してしまって、持たない。リスクの増大を避けるためにも、やはりアスベストをしばらく使わざるを得ない。

B君:日本人の特性として、遵法精神があるのは良いのだが、余りにも世界の標準からみて遵法精神が強すぎるのが、一つの問題。むしろ弊害があって、哲学的な、あるいは、先進的な法体系が提案しにくいのがこの国。何が言いたいのか、と言えば、一旦法律を作ったら、それを変えるのになぜかという理由を求める人が多い。諸外国では、政権が変われば法律が変わるのが当然。しかし、日本では、「行政として考え方が変わった」、という説明を受け入れない人も多い。それも、自民党類似の政権が長く続きすぎたためかもしれない。

C先生:話を元に戻して、経済的発展とアスベスト利用について、神山宣彦東洋大学教授が同様の意見を述べているが、これがこの本の最大かつほぼ唯一の収穫かもしれない。

A君:その本の終盤のp196ページからになりますが、「歴史的に工業化が完了するまで、アスベストは使い続けられる」。「アメリカはまだ禁止していませんし、EUでも本当の全面禁止は2005年から」。「アスベストは、工業化のために必須の材料だと考えられる」。「有害性がはっきりし、被害もでている状況でも、中国、インド、ブラジルでは、アスベストの使用量が増加している」。「開発途上国では、アスベスト補強の水道用セメント管、スレート板などで、安価に都市インフラを整備するなど、生活レベルの向上が、アスベストの危険性よりも先行している」

B君:まさにその通り。ここで大きな問題が出てくる。日本のような経験をもった国が、これから中国、インド、ブラジルなどに対して、アスベストを禁止すべきだと言うべきなのか、それとも、やはり各国の状況に任せるべきなのか

C先生:日本としては、一般社会、労働者、メディア、NPOなどへの詳細な情報の伝達まではすべきだが、それまでだろう。それから先は、各国が独自に決めることだ。これが国際的な常識なのだが、皆さんはどう思われるのだろうか。

A君:先進国は、すでに全面禁止ですから、途上国も、実は、政府の役人に限れば情報をよく知っているはずです。しかし、それを発動するかどうか、それは、やはり民意。民意が圧殺されているような国では動かないし、また、生活が優先される経済状況下では、日本でも労働組合がアスベストの使用禁止に反対したように、やはり状況は動かないでしょう。

B君:C先生は神山先生の記述をほぼ唯一の評価に値する記述だとしているが、自分としては、1992年に法案までできて廃案になったアスベスト規制法のところが面白かった。たしかに、この法律ができていれば、阪神淡路大震災の後の解体工事で、アスベスト禍が広がることが防止できた。

A君:関連して、五島正規元衆議院議員(社会党)の回顧談も興味深いです。社会党がアスベスト規制法を国会に出そうとしたにも拘わらず、カンボジアのPKO、竹下元首相への議員辞職勧告などが主要議題になって、議員運営委員会で議員立法が止められて、法案を提出もできなかった。要するに、政治ゲームが庶民の被害よりも優先された

B君:しかも、ニチアス、クボタ、ノザワなどのアスベスト関連企業8社の労働組合が、五島氏のところに法案に反対だと言ってきた。これも法案を進めようとする側の大ブレーキになった、との談話。

A君:94年には、連合もアスベスト規制に反対していますしね。

C先生:国会議員が法律を出すこともできない。行政は、通達を出すのが精一杯。これは、やはりその時点での民意というものがそのレベルだったとしか言いようが無い。1992年と言えば、リオの地球サミットが行われた年でもあって、全地球的には、環境危機が盛んにメディアに取り上げられていた時期だ。まだ、被害が明確に出ていないアスベストに大きな注意を払うことは、メディアのような体質では無理だった。個人的にも、反省が必要なのだが、これほどの大規模な被害になるとは、本当のところ思っていなかった。

A君:当然のことながら、政治家の頭の中には、アスベストのことなど、入っていなかったでしょう。

B君:やはり、誰が有罪だとか、誰は無罪だとか言える問題ではない。国民の民意がそのような方向を選択してしまった。これは、このアスベスト対策を考える上で、非常に重要なポイントだと思う。

C先生:しかし、やはり補償が不十分だという声は多い。だが、現在の国の状況では、予算が足らない。全員に責任がある状態なのだから、全員が責任を取るのがベストの解決法なのではないか。所得税(配当などへの税)、法人税を全面的に見直し、かつ一時的に増税して、補償を十分に行えるようにすることが唯一の答えなのではないか。

A君:まず、国会議員から、そんな提案が出てくることを望みたいですね。

B君:国会議員になると、増税を言わない。選挙民に甘い顔を見せる。選挙民の方も、増税と聞いた瞬間に、拒否する。

A君:所得税では、まず、最高税率を元に戻すことが第一。そして、配当への分離課税を止めて、総合課税のみにする。

B君:所得税の税額は、基本的に、「冷や汗」以外の汗の量を考慮して決めるべきだ。株式市場などで得た「熱い汗をかかない」短期的な利益に対して甘すぎる。

C先生:もう一度繰り返すが、アスベストは、全国民に責任がある問題だ。しかも、現在生存しているすべての日本国民は、程度の差こそあれ、経済的な発展のメリットを享受しているのだ。経済的な発展の過程で、一つの必然として使用されたのがアスベストなのだ。したがって、その解決には、全国民がその責務を追加納税という形で果たすのが、適当だと考える。ついでに、水俣病などのすべての公害病の補償も見直したら良い。耐震偽装に国の税金を使うよりは、ずっとまともな使い方だと思う。