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 ビスフェノールAの低用量影響 10.11.2008
     



 化学物質の有害性は、しばしば報道されることがあるが、このところ話題になったものと言えば、
(1)メタミドホス(事故米関係)
(2)アフラトキシン(事故米関係)
(3)メラミン(中国の粉乳)
といったものだろうか。

 メタミドホスとアフラトキシンは、農水省が事故米として工業用用途限定で三笠フーズに販売した米が、食用に回っていたというとんでもない事件で再登場したのだが、9月14日にすでに本HPで解説した。

 メラミンは、そのうち話題が無くなれば取り上げるかもしれないが、残留農薬やアフラトキシンのような非意図的なリスクとは性格が異なる。事故米の流通は法律違反であり犯罪であるのだが、汚染そのものの原因は、非意図的である。一方、メラミン事件は中国ギョーザ事件と同じく、完全な犯罪行為である。犯罪行為をいちいこのHPで取り上げることもないような気がしている。

 そして、今回は、ビスフェノールAである。取り上げるのは低用量影響で、そもそも発がんといったようなはっきりした話ではなく、「ラットなどに性周期とか行動異常が出る」、というような判定も難しい不確実性の高い話で、議論がなかなか難しい。

 これから在ブラジル総領事館からの要請で多数ある「日本人移民100周年記念行事」の一環としてブラジルに3泊7日で出かけるので、これも暫定的アップといった方が良いかもしれない。



C先生:ビスフェノールAは、環境ホルモンでは話題の物質であった。1997年、米国のフォン・サール教授が、いわゆる「逆U字特性」と呼ばれる現象を報告して、衝撃を与えた。

A君:通常の毒性とは、化学物質に限りませんが、摂取量が多ければ毒性影響が大きく、少なければ影響は減るというのが常識。ところが、「逆U字特性」とは、ある特定の濃度のところで、影響が極大になるということ。しかも、その特定の濃度が、通常考えられないぐらい低濃度で起きることがあるという発表で、衝撃だった。これまで考えていなかったことなので、安全性評価のやり方を根底から覆す可能性があるものだった。

B君:しかし、現時点では、「逆U字特性」が認知されているとは言い難い。通常の影響がかなり低濃度で起きるかもしれない、という見方、「低用量」という言葉が通常使われて検討が進められている。

A君:日本で問題になったのは、例の1997年から始まった環境ホルモン騒ぎのとき。国のテストでは、2005年に「明らかな内分泌かく乱作用は認められない」との結論だった。

B君:そのときに騒いだお蔭で、日本では、BPAを溶出する問題となるようなポリカーボネート製の哺乳瓶は姿を消して、ガラスあるいはポリフェニルサルフォン製などに切り替わっている。

A君:現時点の毒性発現量は、「体重1kg当たり1日摂取量5〜50mg以下」が普通で、そして、許容量は、その「体重1kg当たり1日で0.05mg」としている。すなわち、100倍の安全係数をかけている。

C先生:そんな状況だったのが、このところ変わり始めた。そのきっかけとなったのが、カナダがポリカーボネート製の哺乳瓶の販売と輸入を禁止したこと。カナダ自らもそう言うように、完全に「予防原則」を適用したものだが、その根拠となったのが、4月に公表された米国国家毒性プログラムの報告だった。
 「2.4〜10μg/kgのビスフェノールAが「人間の乳幼児の神経や行動に影響を及ぼす懸念がある」とした。

B君:日本では、それより1ヵ月前に、妊娠後期から授乳期の母ラットにビスフェノールAを経口で投与したところ、「0.5〜50μg/kg」とこれまでの1000分の1の濃度でも、子に性周期や行動の異常を確認したと発表している。

A君:いずれも、これまで問題にしてきた濃度の1000分の1といった濃度であることが問題。

B君:そして、厚労省は、7月8日に内閣府の食品安全委員会にビスフェノールAの健康影響評価を依頼した。

A君:というのも、ビスフェノールAの摂取は、食品からが多いから。

C先生:食品安全委員会からの答えはまだ出ていない。ちなみに、欧州食品安全機関は、耐用1日摂取量の基準値である0.05mgを見直す必要はないとの結論をすでに出している。

A君:ということで、この時点で何を結論として言うか、極めて難しい状況。要するに、データが十分でない。ここで、「予防原則」を発動するに値するほどの科学的データなのか、それとも、「予防原則」を発動するほどの「科学的蓋然性」もない話なのか、その判断が難しい。

C先生:日経エコロジーの最新版10月号では、レポートとして、「ビスフェノールAの健康影響を再評価」という記事が出ている。
A君:そこで問題にされているのは、哺乳瓶からのBPAの溶出量が一つ。もうひとつは、妊婦への影響。

B君:そこで紹介されている化学物質評価研究機構の野田修志氏らの実験は、母ラットの胃に、妊娠6日目から分娩後20日目までビスフェノールAを投与する。体重1kgあたり1日摂取量を0.5、5、50μgの3つのケースを試験したが、いずれの子供も生後7ヵ月以降で性周期に異常が現れた。

A君:この実験は、分娩後もビスフェノールAを投与し続けたので、授乳による影響もみていることになる。

B君:もうひとつの実験は、労働安全衛生総合研究所の宮川宗之氏の結果。妊娠6日目から離乳前までのメスラットにビスフェノールAを混ぜた餌を投与し、生まれた子供に13週目から訓練を施したところ、体重1kgあたり25μgのビスフェノールAの投与量から「子供の訓練成績が悪かった」。

A君:要するに、「そのラットは頭が悪い」ということ。この実験でも、妊娠中から授乳期までビスフェノールAを暴露しつづけている。

B君:まだある。京都府立医科大学の伏木信次教授は、子供の大脳新皮質の形成にビスフェノールAが影響するという。妊娠したマウスに体重1kgあたり20μgのビスフェノールAを皮下投与したところ、子供の神経細胞が作られて大脳新皮質まで移動する速度が速くなることが判明。神経細胞を生み出す遺伝子も強く発現していた。この遺伝子は甲状腺ホルモンによる影響を受けることから、「ビスフェノールAが甲状腺ホルモンの作用をかく乱するのではないか」、「発生段階でのビスフェノールAの大脳新皮質への影響は明らか。子供が成熟した後も影響は残る」というのが、伏木教授の考え。

A君:この実験は、妊娠中だけに皮下投与という形でビスフェノールAを暴露していますね。

B君:暴露のやり方も様々、期間も様々、というこの結果をどこまでヒトで同じことが起きると信じるのか、というところか。

C先生:ビスフェノールAという物質は、ヒトではかなり代謝が速い物質だ。体内半減期が5時間ぐらい。ラットでも速いようだが、どうも、ラットの場合だと、代謝物であるグルクロニド抱合体が、腸内でまた分解されて、再度、腸から吸収され血中濃度が高くなる循環現象が起きるようだ。

A君:そのため、体内に残留する時間は、ヒトよりも長いかもしれない。

B君:人にとっての5時間と、ラットなどにとっての5時間は、実は、同じ長さではない。ヒトの妊娠期間は280日だが、マウスは18〜20日。ラットで21〜24日。

A君:となると、マウスやラットの妊娠期間に摂取したビスフェノールAは、比較的長い間、胎児に影響するが、ヒトの場合には、相対的に極めて短時間で代謝してしまうので、影響が少ないということがあり得る。

B君:本当を言えば、胎児の血中濃度がどんな状態なのか、それを計らないとダメなのだろう。

A君:そういうデータもあるようで、大体、母体の1/10ぐらいの濃度で、比較的ゆっくりと分解されていくようだ。

C先生:それに加えて、性周期とか行動異常とか言うことをどうやって評価するのか、という根本的な問題もある。発がんとかいうことであれば、誰が見ても発がんなのだが、行動異常となると、何をもってして異常というか、その判定基準にも不確実性が出てきてしまう。

A君:となると、やはり現段階では、何の結論もでない。予防原則を適用するほどの科学的蓋然性がないとなるのでしょうか。

B君:少なくとも、化学物質に対して非常に慎重なEUが、これまでの基準値でよいという結論を出している。EUは予防原則好きで知られているので、まあ、予防原則だと言って、何か基準を決めれば、予防原則の濫用に当たるとEUは考えているのだろう。

A君:予防原則といっても、なんでも可能性があると誰かが主張すれば、適用するものではなくて、科学的な根拠が必要。

C先生:日経エコロジーの記事でも、食品安全部基準審査課の吉田淳課長補佐が、「緊急性が高いわけではない。人間の健康被害が報告されていないことや、国内の食品容器はビスフェノールAが溶出しにくい対策を既に講じているから」と発言している。

B君:欧州食品安全機関が0.05mgという値を見直さないという結論をだしたので、日本の食品安全委員会も、恐らく、0.05mgという値を見直さないだというということか。

C先生:まあ、予断的な表現をするのもよくない。もうちょっと情報を探してみよう。

A君:確かに。ビスフェノールAを実際どのぐらい摂取しているのか、それが重要ですね。もっとも頼りになしろうな、中西準子先生たちによる詳細リスク評価書からはじめるべきですね。

B君:産総研の通称中西センター(CRM)から発行されたリスク評価書は世界的力作だ。英語版も公表されている。日本語版は、丸善から出版されているので有料だが、英語版なら、インターネットで無料で入手可能。当然ながら、ビスフェノールAの本もこのリスク評価書シリーズに含まれいる。

リスク評価書 ビスフェノールAより(産総研リスクセンター) 
http://unit.aist.go.jp/riss/crm/mainmenu/1-10.htm


A君:化学物質の評価を行う際には、(1)有害性評価と(2)暴露評価を行うことになるのですが、この本では、(1)有害性評価に関しては、次のような結論になっています。重要なのは、第二パラグラフです。

(1)有害性評価
 一般毒性については、ラットの体重増加抑制をエンドポイントとして5mg/kg/day。
 生殖発生毒性については、ラットの三世代試験における次世代に対する影響から経口での無作用量を50mg/kg/day

 なお、ビスフェノールAの有害性をヒトに外挿する際に、従来の不確実性に加えて、低用量作用の不確実性を付加する考え方もあるが、ビスフェノールAの低用量での影響に関しては、標準的な試験では陰性であり、また、これらの結果には再現性があるとの立場から、低用量作用の不確実性を考慮する必要はないものと判断した。

B君:要するに、低用量作用で起きる現象は、これがヒトという生物にもそのまま適用できるのかどうか、と言わるとなんとも言い難い。この評価書が書かれた時点では、新しい実験結果はなかったもので、まあ、こんな感じになった。

A君:それはそれとして、暴露がどのぐらいか、そのデータを探します。この本は、暴露評価をかなり厳密にやっているため、「詳細リスク評価」と言えるのですから。

B君:暴露評価だけで75ページから110ページまである。
 食事からの暴露、おもちゃからの暴露、大気、土壌、飲料水、その他。それも、ご丁寧なことには、0〜5ヵ月児、6〜11ヵ月児、1〜6歳児、7〜14歳児、15〜19歳児、20歳以上、しかも男女に分けて暴露が推定されている。

A君:そのデータが次の表1です。


表1: 暴露の推定値。ただし英文版からのコピー。

A君:この数値を見て、すぐ気付くことが、1〜6歳児の暴露量が格段に多いこと。この年齢層に関するデータは、1998年のもの。すなわち、日本で環境ホルモン騒ぎが起き始めたころのもので、まだポリカーボネート製の哺乳瓶が使われていた。

B君:なるほど。ポリカーボネート製哺乳瓶は、その後、日本からは消滅した。

A君:その他の年齢層については、0〜6ヵ月児を含めても、今回のラットでの実験で影響があったとする0.5μg/kg/dayを下回っている。もしも安全係数を取る必要がないのなら、問題にはなりそうもない。

B君:しかし、すでに述べたように、ラットの1日とヒトの1日の意味が違うとしたら、そもそも1日当たりということで比較してよいのか?

A君:これまた難しい問題だ。マウスが一気に餌を食べるとしたら、ビスフェノールAのように、すぐ血中濃度が上がるような物質の場合には、ヒトと同じ暴露量でも最大濃度が違うかもしれない。

B君:しかも、マウスのように、体内循環機構が働くとしたら、なんとも。

C先生:今回の低用量の影響を問題にしてはいるが、実際、いくつかの実験的な事実がでてきたとは言えるものの、だからといって、決定的に状況が変化したという訳でもなさそうだ。マウスとヒトが性周期や行動異常で同じことを起こすか、と言われると、誰もイエスとは言えない。ノーと言いたいところだが、必ずしも自信をもってノーとも言えない。

A君:でも、今回のビスフェノールAのケースは、かなり面白いですよね。1998年以降、急激に哺乳瓶の材質が変わった。となると、現在10歳ぐらいのところに境目があって、もしも現時点ですでに影響があるのなら、その10歳を境目にして何かが見えるはず。

B君:疫学調査をやれということか。

A君:動物実験をいくらやっても結論は出ない。いっそ、疫学調査に大々的に予算を割いてみたらどうでしょうね。

C先生:基本的に賛成なのだが、まあ、何もでないだろう。なぜならば、先ほど日経エコロジーの記事で発言している吉田課長補佐の言葉のように、「人間の健康被害が報告されていない」し、何をどうやって調べるべきなのか、それが良く分からない。

A君:しかし、このチャンスを逃すと、未来永劫ビスフェノールAに無駄な研究費が流れるような事態になりそうに思う。

B君:実際のところ、脳の構造に異常があるかどうか、ということで解明ができるのならば、それなりに結果はでそうなのだが、ヒトが対象の場合には何もできない。

A君:どうしても疫学調査を主張してみたい。歴史的な価値があると思いますよ。

C先生:そろそろまとめに入ろう。CRMのリスク評価書には、付録がある。その5として、低用量作用についても取り上げられている。多少古い論文に対してであるが、世界中で低用量作用を否定する論文が多数出たようだ。低用量作用は、学者にとっては非常に面白いターゲットだと思う。複合作用も面白いターゲットだと思うが。学問的な興味で研究して、面白い結果が出て、それが社会にインパクトを与えれば、それで効果2倍だ。だから、一旦このような低用量作用の論文がでれば、その再検証を行う研究が続くことだろう。まあ研究者の自主性に任せて置けば、そのうち、判断ができる状態になるだろう。現状の暴露量を見ると、それでも手遅れにはならない程度の問題のように思えるのだ。

A君:ただし、妊婦であれば、缶詰食品ばかり毎日食べるといったことはやらないことですね。

B君:そのような情報が重要だった。ビスフェノールAの摂取量は、缶詰の内部コーティングフィルムからがもっとも可能性が高い。それでも、最近の日本製のものはまずそれでも大丈夫だろう。しかし、念のため、同じ缶詰、特に外国製の缶詰を毎日食べるなどということは止めるべきだろう。大体、ビスフェノールAだけでなく、栄養バランスを考えても当然のことなのだけど。

A君:最後に復習的なことですが、ビスフェノールAは、ポリカーボネート樹脂、エポキシ樹脂、一部の塩ビ樹脂、などから溶出する可能性があり、缶詰、食器、哺乳瓶、おもちゃなどからの暴露を考える必要がある。大気、水、土壌からの暴露は、まあ、無視しても大丈夫。大人は、大部分を食品から摂取すると考えて大きな間違いはない。
 哺乳瓶も、ポリカーボネート製をどうしても使いたいならそれも一案ですが、一般的にはガラス製に切り替えるのが賢明でしょう。

B君:それに、過去を考えると、日本オリジナルの食品である缶コーヒー、特に、自販機で長時間加熱されていた缶コーヒーには、コーティング膜からビスフェノールAが溶け出していたに違いない。かなりの暴露量があったような気がしてならない。ホット・コールド併用型の自販機は、1973年に開発されているので、こちらも、暴露がもっとも多かったのは1980年以前かもしれない。

C先生:日経エコロジーでは、最後の最後に、吉川泰弘東大農学部教授がこう述べている。「さらなるリスク評価が欠かせない。慎重な立場を採ったカナダの方が賢明かもしれない」。
 カナダの状況をもう少々調査しないと。もしもカナダではポリカーボネート製の哺乳瓶が大部分なら「賢明な予防原則の適用」かもしれないが、日本の今の状況を考えて、カナダと同じ対応、すなわち、ポリカーボネート製の哺乳瓶を禁止することは、必ずしも必要はないと思われる。実質上効果がないのにことさら禁止することは、悪影響だけが残る可能性が高い。
 しかし、ちょっと考えなおせば、逆に、ここでポリカーボネート製哺乳瓶を禁止して、もうこれで安全と宣言して、リスク評価を当分の間やめてしまい、むしろ、疫学調査に予算を付けるという対策の立て方もあるのかもしれない。A君案の推奨になるが。
 いずれにしても、急いで何かをやらなければ、というほどの緊急事態ではない、ということで結論にしよう。しばらく食品安全委員会の評価を待とう。