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   いまさら温暖化懐疑論か!? 04.07.2018
       岡本裕一郎氏の著書

          



 この本を読んでいたのは、丁度、一週間程前。まあエイプリルフールに近い時期でした。週刊東洋経済の3月31日号を買いに本屋に行きまして、ちょっと見回したら目についた本があったもので、中身を確認しないで、買い込みました。
 岡本裕一郎氏の著書で、哲学者が、人工知能、遺伝子工学、フィンテックなどをどのように見ているのか、さらに、宗教的な対立をどう見ているのか、知りたいと思ったからです。その最後に、「環境破壊」という文字があったのですが、記述の中身のチェックをしないで買い込みました。

 このような本です。よく売れているようです。
 「いま世界の哲学者が考えていること」
 著者:岡本裕一郎  発行所:ダイアモンド社
 2016年9月8日 第一刷  2017年6月20日 第七刷
 318ページ、1600円+税

    
C先生:第6章が環境関係だが、これを読むために、この本を買うことは、お金を捨てるようなもの。それ以外の部分を読むために買われた人は、第6章を切り離して、ゴミ箱に入れることをお薦め。なぜなら、この章で最初に引用されている哲学者は、なんと政治学者として紹介されているビョルン・ロンボルグ。1998年に、「環境危機を煽ってはいけない−地球環境のホントの実態」(山形浩生訳)という本を出した有名人。温暖化懐疑論が隆盛になる前。日本における温暖化懐疑論の代表は、武田邦彦著、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」とも言えるが、その発行年月は2007年2月。ロンボルグ氏は、圧倒的な先駆者で、武田邦彦と比較したら、大変失礼と言える大物。

A君:図らずも武田邦彦の著書の先導役になってしまったとも言える本ですね。もっとも、考察のレベルはロンボルグの方が上ですが。その後の研究によって、温暖化の科学が進化し、特に、シェルン・フーバー博士らによる研究成果もあって、武田説を正しいとする理由は消滅しました。しかし、そのとき以来勉強をしていない人は、相変わらず温暖化懐疑論を信じていますが、単に、勉強不足なだけ

B君:どのような現象がいつ頃起きる可能性があるか、まで、解明されてきた。さらに、二酸化炭素の大気中の寿命が、非常に長いことが分かり、一旦、上昇した地球の温度は万年オーダーで下がらないことも分かってきた。

A君:次の氷河期は来ない可能性が高いということになっている。

B君:こんな科学的な情報が、2015年12月のパリ協定の成立に繋がった。地球上で起きる温暖化の影響で最悪のものは、海面上昇。その次が異常気象

A君:世界の金融界は、石炭への投資を引き上げ、とうとう保険業のAXAが、石炭離脱などでCO排出量を減らす企業には、保険料の割引まで始めた。

B君:自社の使うエネルギーを100%再生可能エネルギーにすると宣言するRE100。世界の平均気温の上昇を2度未満に抑えるために、企業が科学的な知見と整合した削減目標を設定するように求めるイニシャティブであるScence Based Taget(SBT)。これらに取り組む企業が日本でも急増していて、SBTは、3月25日現在で、世界362社、日本53社がすでに目標設定を完了するか、目標設定に取り組んでいる。

A君:今の世界的動きは、哲学がどうのこうの言うレベルを遥かに超えている。この動きは、パリ協定の合意(2015年12月)直後に始まり、本日取り上げている書籍の発行日である2016年9月8日時点では、すでに西欧社会での大きな潮流にはなっていた。日本国内には、不思議なことに、いまだに温暖化懐疑論を信じている人がいます。しかし、その時点でも、もしも西欧からきちんとした情報を集めていれば、十二分に分かったはずですが。

B君:日本でも温暖化懐疑論者ではないか、、という人も知っているけれど、先程の話ではないが、今となっては、単なる勉強不足だ。しかし、ロンボルグがまさか勉強不足ということはないだろう。それなら何を主張しているのだろうか、ということで、ロンボルグのWebサイト(http://www.lomborg.com)をチェックしてみた。
 そこの記事を読むと、例えば、
http://www.lomborg.com/press-release-research-reveals-negligible-impact-of-paris-climate-promises
これだと(投稿日不明であるが、内容的には、パリ協定のために各国が提出したINDC=Intended Nationally Determined Contributionの数値を使っているので、多分、2015年9月ぐらいではないだろうか)、次のようなことを主張している。
 「パリ協定の効果の計算は間違っている。あれでは、ほとんど温度が下がらない」。
 「化石燃料に炭素価格を加えて価格を上げることよりも、自然エネルギーを安価にするために投資することが重要。パリ協定の合意程度では、十分な気温の低下は実現できない」。


A君:どうみても、温暖化のメカニズムは、当然、理解している。それよりも、最近のロンボルグの主張である貧困の解消がもっとも重要、という論調ではあるものの、温暖化の抑制の重要性も分かっている

B君:武田邦彦の論調とは全く違う。ロンボルグ流は、科学的ではあるが、使っているデータが違うと主張している。これなら議論ができる。武田流では、もともと人を誤魔化すことが目的の文章なので、何の議論もできない。

C先生:さて、この本だが、第6章の気候変動に関しては、読むに値しないどころか、場合によっては、この本を書き直した方が良いということがわかった。気候変動以外の記述については、どんなものなのだろうか。

A君:こんな文章がp274に書かれています。
 『はたして環境破壊によって、人類は滅亡するのでしょうか』。

 この問題を考えるために、本章では、どうして20世紀後半に「地球環境問題」がクローズアップされるようになったのか、理解することにしましょう。というのも、「地球環境問題」が唱えられるようになったのは、近代社会の変化と密接にかかわっているからです。そして、この変化を捉えることによって、「定番話」とは異なる未来への展望も開かれるのではないでしょうか』。

B君:なるほど、この「定番話」とは何か、を解明し、そして、「定番話とは異なる未来への展望」が分かれば、それはこの本を買った価値があるというものだ。

A君:そして、話は、「生態学的危機の歴史的根源」に移っていくのです。1967年のリン・ホワイト・ジュニアの話から始まり、そのインパクトを、「人間中心主義」が環境破壊の原因であり、キリスト教や科学技術といった西洋の根幹をなすものが、環境破壊の根本的な原因だと断定された、と表現していますね。だから、温暖化は西欧の責任であって、日本の責任ではない、というのでしょうか。

B君:次の人物が、アルド・レオポルドで、1949年に「野生のうたが聞こえる」という書物を出版したけれど、彼はその出版前に死亡した。

A君:レオポルドの主張は、まず、「土地倫理」。人間に対してだけでなく、自然にまで道徳的に配慮するようにと要求したこと。

B君:これは、現時点ではすでに当たり前のことになっている。その理由がこの本には書かれていないけれど、最大の理由は、世界人口だと思われる。この1949年の世界人口は、25億人程度。それから化学肥料の低価格化によって、食糧生産の効率が7倍にもなったお陰で、世界人口は爆発的に増えた。そのため、自然に対してまで道徳的に対応しないと、人類は破滅するという可能性が認識されるようになった。

A君:レオポルドによれば、自然保護者の主張は、AグループとBグループに分けることができて、
 Aグループ:土地を土壌とみなし、商品生産能力が土地の価値だと考える。
 Bグループ:土地を生物相とみなし、その効用は広範囲に及ぶと考える。

B君:ディープ・エコロジーとは、土地の経済的な効用は考えないこと。すなわち、人間中心主義をやめ、生命圏平等主義を主張すること。

A君:ここで第2節に入って、「環境保護は道徳とは関係がない」ことが説明されます。それは、ディープ・エコロジーの反動とも言えて、環境倫理学的な発想を否定することから始まったとされています。

B君:ところがよく見れば、環境的危機は過ぎ去った訳ではなくて、人口の増加と共に、拡大しているように見える。これは事実。この状況で、環境倫理学以外の解を探そうとすると、必然的に「環境プラグマティズム」が出てくる。経済活動と環境保護は両立するか、対立するか、という命題になって、著名なアマルティア・センが引用されてくる。センは、経済と環境を対立的に考えるのではなくて、どうすれば統合できるか、を主張した。

A君:関連する一つの動きが「生態系サービス」という考え方。すなわち、経済的な価値に換算して考えるという考え方。言わば、経済学が環境を包括してしまった。

B君:最近の日本の環境学者(文系が主)の主張を聞くと、センの影響が今でも非常に大きいことに驚くのだ。

A君:環境経済学的な考え方が、特に、文系の環境研究者の主流になったまま、パリ協定時代を迎えた。しかし、気候正義を中心とする新しい考え方には、どうにも馴染めないという感じが継続しているのだろうという視点から観察中ですね。

B君:普通ならば、環境経済一元論ではなくて、多元論を主張するのが当然となる。その一つが、リスク的な考え方。この本が説明に使っているのが、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック。彼は、1986年のチェルノブイリ原発事故の直後に、「危険社会−新しい近代の道」を刊行。1970年ごろから、すくなくともドイツは「リスク社会」に移行したと主張した。

A君:しかし、日本はリスクという概念の普及が非常にお粗末なのですが、リスク論を本当に理解し実践するには、相当に冷静な人間以外、言いかえれば、怖いという感覚を乗り越えて、どのぐらい怖いかを推論することができる人間以外は難しい。

B君:少ないリスクは受け入れるしかないのだけれど、やはり、科学的な真理のようなものをかなり理解していないと、何が少ないリスクなのか、何が大きなリスクなのか、を分かろうと思わない。そして、リスク論を受け入れるには、丸呑み以外の方法が無いという感覚になるだろう。

A君:その通りの歴史ですね。「再構築主義ポスト・モダニズム」を主張したベアード・キャリコットは、「すでに伝統的な近代科学は死んだ。それを基礎とする老朽化した近代の世界観の残骸を一層する。そのため、新物理学と新生物学を採用した世界観を再建する」、と主張。

B君:要するに、今後の科学技術の進化によって、技術の環境への負の影響は抑えることができる、と主張し、終末論を退けた。

A君:著者は、そこで、ロンボルグの主張は、この「ポスト・モダニズム」に則っていると言う訳です。
 ロンボルグによれば、「エネルギーも天然資源も枯渇しそうもない。世界人口の一人あたりの食糧はどんどん増える。飢える人はどんどん減る。地球温暖化は、総合的な影響として、未来にとってそんなにすさまじい問題を引き起こさない。人類は、計測可能な指標のほとんどあらゆる面で、実は、改善を見せている」。

B君:まあ、これは、超楽観主義。現実は、エネルギーは確かに枯渇しない。それは、二酸化炭素の発生量を抑えることが優先されるから。しかし、金属資源は枯渇ではなくて、散乱することによって、使える量がどんどん減少する。これを再度利用可能にするには、エネルギーを大量に使って、エントロピーを買い戻さなかればならない

A君:そのエントロピーという言葉を理解しているかどうか、これが地球の限界をどのぐらい理解できるか、という大きな壁ですね。

B君:まあなあ。エントロピーとは何かを語れる人口は、1%ぐらいなのでは。
 それはそれとして、単位面積あたりの食糧生産が1950年から7倍に増えたのは事実だけれど、それももう限界。空中の窒素を固定しているハーバー・ボッシュ法による窒素肥料が増加の理由であったが、すでに、窒素肥料による土壌の変化は、そろそろ限界に到達している。地球温暖化の影響は、実は、温度の上昇によるものだけなのではない。一旦温度が上がると、気温は万年オーダーで下がらないので、山岳氷河は完全に溶け、グリーンランドの氷も無くなる。さらに海水温度が上がるので膨張する。南極の氷は、大陸の中央部では増加するけれど、周辺部では溶ける。結果的に、来世紀の中頃には、海面が1.5mぐらい上昇すると考えられる。となると、バングラデシュの海岸線は後退して、1700万人が住む場所を失って、環境難民になる。モルディブとかセーシェル、あるいはツバルのようなサンゴ礁国家は、海面下になって、国家が消滅する。

A君:パリ協定は、国連の会議で決定されたのですが、その中で、島嶼諸国や低地の国々に対する配慮によって、2℃を十分に下回る温度上昇に抑えることが正義であるということになった。

B君:これが2015年の12月のこと。この本の著者が注意深くパリ協定の本質を理解しようとしていれば、新しい環境思想がパリ協定でできたことが分かったはずなのだ。しかし、それを最初から理解の外に置いている。自分の主張を維持しようとすると、当然、そういう態度になる。

A君:この本の最後の結論は、ロンボルグが立ち上げ、もし500億ドルの費用があったら、何に使うべきか、という問題に取り組んだ、「コペンハーゲン・コンセンサス(2002年)」の紹介になっています。そこでは、「とても良い政策」から「とても悪い政策」まで4段階に分類されていますが、気候変動関係の3項目、最適炭素税、京都議定書、リスク型炭素税が「とても悪い政策」になっています、と紹介。

B君:筆者は、「地球温暖化」の優先順位が最下位であることを強調している。そして、「地球温暖化論の政治性を示唆している」、と結論している。

A君:パリ協定が「気候正義」というものに基いて作られたということをもし知っていたら、筆者は何を書いただろうか。想像すると、戸惑ってしまって、「完全無視」だったのではないか。

B君:読んだとしても理解できなかったのでは。

A君:そして、IPCCのデータがおかしいという主張をクライメートゲート事件や、「ホッケースティック幻想」など、非常に古い情報を取り上げて、「環境問題」を21世紀に問い直す、という威勢の良い記述で、この著書を締めくくっています。これは、完全に、時代遅れ。今頃出す本の記述ではないですね。要するに、パリ協定の世界的な重さを日本からいくら見ても、実は見えないのだということを理解していない。

B君:しかし、すでに紹介しているように、世界の企業は、自社が温暖化対策に真剣に取り組んでいることをRE100(Renewable Energy 100)や、SBT(Science Based Targets)といった枠組みで主張をするのが当然の状況になった。

A君:日本企業も、このところやっとのことで、SBTに登録して目標を定めるところが急増しています。

B君:日本人は、パリ協定のメッセージが何だったのかについては、その本質を理解できないという特性を備えている。それは、「正義」を真正面から議論することができない国だからと言えるけど、これを変えるのは難しい。

A君:「正義」ねえ。まあ、程遠いね。官僚に「忖度」されるようでは、「トップは失格」ということが理解されていないし。

B君:最後の308ページだが、『気候変動の原因につきましても、炭素ガス原因説とは異なる理論が提出されています。そのため、「地球温暖化」に関する従来の説明には、さまざまな疑問点が出てきています。こうした状況を考えると、「温暖化論」だけでなく、「地球環境問題」として今まで作り出された理解の仕方を、もう一度根本から捉え直す時期に来ているのではないでしょうか』、と括られている。

A君:「炭素(?)ガス」ってなんだろう。はっきり言って、この最後の第6章は、すでに亡霊化した温暖化懐疑論を相変わらず主張していて、全く不合格ですね。二酸化炭素原因説以外にも、「ゆらぎ」の原因としては、太陽の活動が大きな影響を与えているのは事実だし、地球上でも、様々な気候現象、例えば、エルニーニョ・ラニーニャによって気温は大きく変動しますから、確かに、温度のゆらぎには、色々な要素はあるのですが、温度が上昇(=絶対値が増加)するのは、話は別であることが理解されていない。二酸化炭素の大気中の寿命がほぼ無限という話も、全く知らないで、本を書いていますね。

C先生:という訳で、結論に行くか。この章の最大の欠陥は、議論の繰り返しになるが、やはりパリ協定の重大さを理解していないこと。確かに、執筆時期が、時の変化を感じるには難しいタイミングであったことはその通りだろうと思う。となると、より本質的な問題は、現時点において、この著者はパリ協定をどう評価しているだろうか、ということなのだけれど、恐らく、この最後の記述から考えて、ロンボルグを余りにも過大評価していて、パリ協定の本質を全く理解しようとはしていないのではないか、と想像してしまうのだ。もし、本気で評価しているとしたら、この本を回収しなければならないことになるし。まあ、良心的に解釈すれば、武田邦彦流の厚顔無恥であるとも思えないのだが、いずれにしても、もし環境問題にもコメントをするのであれば、自然科学の基礎をもっともっと勉強して欲しいと思うところだ。著者の専門が哲学かどうかは無関係に、純粋の文系の学者にとっても、今や、気候変動は、関係する自然科学を一通り完全に理解した上で議論することが必須になった。言いかえれば、そう簡単には議論ができない領域になったと思うのだ。もっとも、理系の学者にとっては、逆に、正義とは何かという気候変動に必須の議論が難しい、という領域になってしまった。