________________


  CSRとは何か 06.24.2005



 ワシントンから成田に向かう機内での作。

 IBMの環境経営室長である岡本享二さんが書いた「CSR入門」、日経文庫1040 B82、ISBN4-532-11040-8、本体830円、という本がかなり売れているようである。CSRというものの実体が理解されることが、日本社会の持続可能性にとって極めて重要なことであることは、言うまでも無いことである。極めて喜ばしい。しかし、CSRというものには、どうにも多様な理論や歴史的背景があって、単一の定義でカバーできるものでは無さそうである。

 岡本さんの本を紹介しつつ、議論を進めてみたい。


C先生:CSRについて、過去余り記事を書いたことが無い。私自身、CSRについては、かなり特異な見解を持っているつもりではあるのだが、特異すぎるのか、余り評価されない。

A君:岡本さんのその「CSR入門」ですが、アマゾンでの売り上げランキングが、本日現在で、7203位。しかし、CSR関係和書では、売り上げ1位。

B君:CSRというと、Corporate Social Responsibilityの略だが、この本の結論は、どうも、ヒトという生命体個人としての責任と、企業の責任が同じだ、という感じだな。そこに特徴がありそうだ。

A君:やはり、将来動向を読み切らないと、次の方向性が見えてこないという主張のようですね。

C先生:日本の多くの企業では、CSRが重要であるという認識はまだまだ。多少あったとしても、「コンプライアンスが重要だからCSRなんだ」的な反応をする企業上層部が多いのだろう。この本には、そんなことではないのだ、という強いメッセージが含まれている。

A君:少々解説しますか。

目次は大体以下のようになっています。
T.CSRとは何か。
 様々な言葉が説明されている。江戸の「商家の家訓」が含まれているのが面白い。
U.なぜCSRが求められているか
V.世界中で進むCSRの導入
 ヨーロッパ各国、アメリカ、アジア・オセアニアの状況
W.動き出した日本の取り組み
 環境経営学会などを含む
X.日本企業のCSR導入事例
Y.企業におけるCSR組織の策定と展開
Z.21世紀に花開くCSR

A君:それでは、順番に少々

T.CSRとは何か。
 まあ普通の滑り出しで、20世紀型の企業は、財務内容だけで評価されてきた。言わば、投資の対象になるかどうか、ということだった。それが、1990年ぐらいから、財務内容だけではなく、環境的側面、社会的側面も企業価値として考慮すべきだ、という考え方が出てきた。

B君:極めて妥当なのだが。企業の価値としての環境的側面、社会的側面という考え方が、良いのかどうか。

C先生:そこには、かなり異論がありうると思っている。日本社会というものは、かなり特異的であって、いわば宗教的背景で自分の行動を規制するということが無い国である。米国など、あんなに商売優先・儲け優先の国のように見えても、教会などに寄付をする人が極めて多い。株主の行動にしても同様ではないか、と考えられる。日本だと、企業的価値は、未だに財務内容のみ。しかも、株券に投資したときに短期的に儲けが出るか、だけ。

A君:1990年ぐらいから変わり始めたのは、英米だけということですね。

B君:特に英国だろう。米国はいささか怪しい。エンロンとかワールドコムとかいった問題が発生しているし。

C先生:他の国、例えば、ドイツ・スウェーデンなどは、資本主義というよりも、もともと社会民主主義の国だから、考え方はもともとかなり違う。環境と共存することが国の方針になっている。

A君:となると、日本の企業が環境面・社会面に配慮する必要性は無いということですか。

B君:SRI(社会的責任投資)の対象として選ばれたいと思うのならば、配慮した方が良いが。

C先生:日本という国は、もう一つ特別の要素を持った国なのだ。それは、法律というものに対するものの考え方がかなり違うことだ。最近の例では、レジ袋の有料化。これが流通業自らの選択では出来ない。国に対して「お願いだから法律を作ってくれ」、と頼むのだ。こんな国は世界中に無い。

A君:ということは、法律的に記述されていないことは、日本の企業はやらない。

B君:特に流通業はやりそうもない。

C先生:ということで、日本では、環境面への配慮、社会面への配慮はいずれも、企業価値の増大という観点ではなくて、防衛的安全弁としてみればよい、と話している。ただし、当面は、という条件付き。

A君:ということは、もしも企業的価値であれば、先駆的に行う企業の評価が高くなるが、防衛的安全弁ならば、そんなに先駆的である必要は無い。最下位にならなければ、といった程度でも良いぐらい。

B君:日本の経営者倫理が落ちたということか。この本に出てくる「江戸商人の家訓」なるものがあるが、これは実に立派なものばかり。

*売りて悦び、買いて悦ぶ(三井殊法)
*三方よし−売り手よし、買い手よし、世間よし(近江商人)
*伝来の家業を守り、決して投機事業を企つるなかれ(伊藤松坂屋)
*先義後利(下村彦右衛門)
*一時の機に投じ、目前の利にはしり、危険の行為あるべからず(住友家)
*徳義は本なり、財は末なり、本末を忘するるなかれ(茂木家)

A君:住友家の家訓など、泣けますね。

B君:なぜ、こんな家訓ができたのだろうか。宗教的な背景が強いとも思えないし。

C先生:岡本さんにでも聞いてみるか。一つ言えそうなことが、当時は、まだ儒教なるものの影響が有ったのではないだろうか。今や儒教は消えたに等しいが。

A君:もう一つは、やはり投機で失敗するという例が多かったのではないでしょうか。となると、哲学的背景ではなく、なんとなく重みを失いかねないですが。

B君:まだ続きがあるので、少々。

*物価の高下にかかわらず善良なる物品を仕入れ、誠実親切を旨とし、利を貪らずして顧客に接すべし。(伊藤松坂屋)
*商品の良否は明らかにこれを顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず(高島屋)
*わが営業は信用を重んじ、確実を旨とし、以って一家の鞏固隆盛を期す(住友家)

A君:確かに、より確実な方法を実施すべきだとして家訓を作ったという可能性がありますね。

B君:一時的に儲けても信用を失うと、大変だということは実感として感じているのだろう。

C先生:現代と江戸時代が大きく異なるのは、当時は実体経済しかない社会だったということだ。現代は、為替取引のようなものがあって、実体経済でない部分での資本の動きが極めて大きい。そのため、倫理観が余り必要ではない、という状況になっている。

A君:お金を商品としている限り、品質もへったくりもないですからね。

B君:例えば、楽天とかライブドアなどにしても、確かに商品は動いているが、それはそれぞれの店の責任であって、彼ら本人が売っているものは、情報という実体の無いもの。ただ、情報といっても、それがどこまで信用できるかどうかという点で、という価値の付加を楽天がどこまで行っているか。

A君:確かに、同じ通販だったら楽天で買おうかという気にはなりますね。

C先生:情報の場合には、同じバーチャルではあっても信用度のようなものが多少あることはある。楽天、ライブドアが失墜するとしたら、その点だろう。誰かが彼らのシステムに侵入して、情報の信頼度を一挙に下げるようなことが起きれば、確実に潰れるだろう。

A君:なぜか、かなり本を無視した議論になっていますが、先に行きますか。

U.なぜCSRが求められているか
B君:前の章ですでに出てくるのだが、この本の最大の特徴は、企業に対して、生物多様性を守る」ことをCSRの最大の課題だ、と説いているところにある。

A君:かなり飛躍した論理なんですが。物質の富、文化的な富、生物多様性の富と三種類の富があるという、エドワード・ウィルソンの理論を紹介し、これらの富を同時に守る活動を企業が自らの規範の中に組み込むことが究極のCSRだとしていますね。

C先生:はっきり言って、これがこの本の最大の特徴であることは、B君の指摘のとおりだと思う。しかし、エドワード・ウィルソンなる人物は、調べてみると、生物学者。環境学者ではない。そこに、論理の飛躍が見えてしまう原因なのではないだろうか。

A君:もっと連続した理論がありうるということですか。

C先生:そういうことだ。この本は、まだまだ半分程度が残っていて、以下のような内容が書かれている。実務的に有用ではないだろうか。

V.世界中で進むCSRの導入
 ヨーロッパ各国、アメリカ、アジア・オセアニアの状況
W.動き出した日本の取り組み
 環境経営学会などを含む
X.日本企業のCSR導入事例
Y.企業におけるCSR組織の策定と展開
Z.21世紀に花開くCSR

こんな構成になっているのだが、ウィルソンの理論の部分がある意味で、もっとも重要なところなので、そこだけ議論すれば充分だろう。

A君:まあ、そうですね。企業内でCSRを直接担当しているのでなくても、世界中での取り組みや日本企業の導入事例など、色々なデータがあって、有用でしょうが。

C先生:この本が議論しているCSRというものは、個人的には、「企業のサステイナビリティ」とは何かという問題だと理解している。その企業がいかに継続的に持続し、社会的存在であり続けるか、という観点だ。それには、当然、いくつもの考えるべき要素がある。そのうち、もっとも分かりやすいものが、「対象」別の議論だ。いわゆるステークホルダー議論と言われているものに近い。

B君:ステーク(Stake)ホルダーとは、妙な英語で、もともとは、「棒」という意味。競馬のステークスもこれ。その際のステークとは「掛け金」を意味するが。もともと、企業とは株主=ストックホルダーへの利益の還元を第一として行われる経済活動で、それだけでは駄目だということで、ストックとできるだけ似たステークという単語をもってきて、駄ジャレてできたのがステークホルダーという単語。この件、慶応の細田先生からの受け売り。

A君:一般には、利害関係者と訳されるようですが、こなれていませんね。

C先生:当事者ぐらいでよいのでは。企業経営層から見たときに、企業の当事者は誰か、といったぐらいの感覚。

A君:その企業経営層から見たということろが重要ですね。企業経営者はステークホルダーに含まれない。

B君:まさに主体そのもの。

C先生:企業経営者が当事者として誰を考えて、あるいは、何を当事者として考えて経営方針を決めるか。しばらく前なら、株主だけの顔を見て、財務内容だけを考えていた。だから、社員をリストラし、成果主義でギリギリと絞り、残業を強いて、場合によっては過労自殺が出るが、そんなものは意に介さない。しかし、もうそれでは駄目だ。それなら当事者として何を考えなければならないのか。一つは、社員や他の関係企業、さらに社会。これは「ヒト」である。もう一つは、製造業・流通業を考えると、それはどんな製品・商品を提供するかということ。「モノ」である。要するに、「ヒト」軸、「モノ」軸を考えなければならないのだ。

A君:なるほど。「ヒト」vs.「モノ」平面で考える。

B君:こんな形になるかな。直接関係するのは、社員、商品だが、それを支えるものとして、関連企業、原料、地域社会、資源・エネルギー、国際社会、生態系資源などなど。そして、その裏には、地球そのものが存在している。


C先生:そんな感じでよいだろう。岡本さんの論法は、いきなり生物多様性、ここで言えば、生物系資源の話を出して、そこまで考えている日本企業があるか、と啖呵を切った形だろう。しかし、その前には、資源・エネルギー、原料、などなどの要因もあるし、ということになる。

B君:国際社会から見れば、残業続きで過労自殺などを出す企業は、鬼畜の業に見えるだろうから、まだそんなことをやっているか、という啖呵も切って欲しかった。

C先生:昨日、ワシントンのグリーンケミストリーの会議で、サステイナビリティとは何かといった青い議論が行われていた。化学が専門の連中が、いくらそんな議論をしても駄目だから、止めたら、と言いたくなった。もっとも言えなかったが。

A君:サステイナビリティなる言葉は定義が多様で、難しいですからね。

C先生:定義などをいくらやっても皆が合意することなどはありえない。そこで、いつも言っているのは、少なくともサステイナビリティを語るときには、主体が何かをまず、言わなければならない。
(1)コーポレート・サステイナビリティ(企業の持続可能性)
(2)エンバイロンメンタル・サステイナビリティ(環境の持続可能性)
(3)ソーシャル・サステイナビリティ(社会の持続可能性)

A君:それに加えて、地球全体でのサステイナビリティのような概念が必要ですね。

B君:グローバルという単語を使うと、違った意味になる。もし使うとしたら、ウム。Planetaryはどうだ。

A君:Theが必要では。

C先生:(4)The Planetary サステイナビリティ(地球の持続可能性)か。
 ただ、地球そのものの持続可能性など、考えても全く意味は無い。いくら人間活動を激しく行ったとしても、困るのは、人類自体であって、地球は何も困らない。だから、本当は、
(4)ヒューマン・サステイナビリティ on The Planetというところが良いように思う。

A君:こんな分類をしてから議論をすれば、なんとなく、議論が少なくともすれ違うことは無い。

B君:CSRとはかなりずれた話題になったようにも思うが、少なくとも、ここでの結論は、CSRとは、上記定義の(1)コーポレート・サステイナビリティを実現するための企業責任を言う、ということで終わりにして良いのではないか。

C先生:それで良い。ヒト軸、モノ軸での全領域をカバーさえしてくれるのならば。

A君:その意味で、岡本さんのこの本は、企業のCSR担当者の視野を広げるという意味から、有用のようですね。

C先生:いささか論理が唐突な部分があるので、分かり難いかもしれないが、意気込みは良しとしたい。ということで岡本さんの本の書評は終わりにして、個人的に考えているCSRというものを最後に議論してもらいたい。実にもっと唐突なのだ。CSRの定義とは何か。それは「アングロサクソン文明からの離脱」である。ある意味で、「日本文明への回帰である」。

A君:江戸の商家訓がCSRに照らして優れたものであるという合意はある訳ですから、ある意味で当然とも言えるのでは。

B君:しかい、この定義もいささか過激というか極端と言うか。

C先生:日本の場合、特にビジネス界の場合には、その視線はいつでも米国にしかない。米国の動向が正しい動向であるという文明論を振りかざしてきた文化人などの影響なのだろう。しかし、米国型、より正確にはアングロサクソン型は、世界的に見ると、少数派でしかないのだ。単に、競争力という面で、アングロサクソン系が強かった。そのために、世界のビジネスがアングロサクソン型に向かった。しかし、現在の米国の態度を見れば分かるように、地球レベルでの持続可能性などを考慮したものではない。

A君:CSRとして、様々なサステイナビリティを考えるように仕向けることで、アングロサクソン型からの距離を取ることを企業に強いる。

B君:アングロサクソン型が競争力がある、というのは現在だけのしかも資本市場と食糧市場ぐらいの話で、過去、日本型が最強だった時代もある。まだ、実体経済の時代だが。また、人件費が高くなった今の日本でも、こと製造業については、日本流心配り型で結構競争力が出せるというのが現時点の理解でよいのではないか。中国のようなコスト削減だけを狙うタイプは、実は、アングロサクソン系に組み込まれてしまっているのだが。

C先生:物量を流して儲けるのではなく、ヨーロッパ流のように、価値の高いものを少量生産して利益をあげる。これだって、立派な非アングロサクソン型だ。最近、フランク・ミューラー・クレイジーアワーという時計が非常に面白い、と思うようになった。あんな変な時計を買う人がいること、さらに、それで商売になっているというこの両面で、高く評価すべきではないか、と思うようになった。

A君:一種のCSR型商品である。

C先生:という訳で、自信をもって非アングロサクソン型の「日本型ビジネス」をやって下さい。株主への短期的利益だけを見るような経営を止めて、すべての関係者を考慮し、可能ならば資源小国である日本の活き方まで考えて。これこそが、実は、CSRへの最大・最良の対応です、と言いたい。ビジネスの価値観にも多様性を持たせることが、結局、地球レベルの持続可能性に繋がると思う。