化学物質と不安 その2   10.10.2010   




 前回の続きである。前回は、内閣府が行った化学物質に関するアンケートを引用して議論を行った。その中で感じたことは、やはり化学物質は不安が問題であって、危険性そのものが問題であるというところに関しては、かなり暴露の制御が効いている。少なくとも日本国内ではかなり達成度が高いと思われる。

 しかし、余り慢心してはいけない。中国ギョウザ事件を教訓とすれば、いつ何時、犯罪行為が行われるかもしれない。オウム真理教のサリンのような大規模テロは別しても、もっと別の種類の小規模な破壊行為が行われたしても不思議ではない。そうなった場合でも、本当に安全が確保できるのか。これは重大な問題である。

 このように考えると、様々なハザードに対して、不安を抱くのは当然だとも言える。

 今回の議論の種は、中谷内先生が発表したそれほど長くはない学術論文である。

「日本人のハザードへの不安とその低減」
Public concern about hazards in Japan and a method for their reduction.
中谷内一也、島田貴仁、日本リスク研究学会誌 20(2):125−133(2010)



C先生:中谷内先生にはこのところお目にかかる機会がないが、リスクの心理学については、日本の先頭を走る研究者だと思う。極めて中立的な立場から、リスクの受容を拡大する方法などの研究を行っておられる。多くの場合、化学物質に関してのみではないが、一般市民のリスク感覚は、「なんとなく」というものが多い。これは必ずしも幸福な状態ではない。また、もっている情報も極端なものである場合も多い。本当に怖いものであれば、怖がるのが当然なのであるが、余りにもリスクが低いものも、怖いとなると、不安が増すばかりである。
 もしも、適切なリスクの受容を可能にするような方法論があれば、小さなリスクにいちいち対応することも無いので、不安が減る。不安によってストレスがあるような状態は、ヒトの免疫システムにとって余り良い状態ではない。ナチュラルキラー細胞の活性度が下がって、それこそ発がんをはじめとする本当の危険に対する防衛能力が落ちてしまう。

A君:共著者は、学生さんではなくて、科学警察研究所犯罪行動科学部に所属されているようです。これはなかなか意見を聴くことができないタイプの人なので、どんな学術的な主張がなされるのか、興味のあるところです。

B君:この論文の序論によれば、問題意識はこんなものだ。
 人々がどのようなことに対して不安を持っているかを解析することもなく、現在を高不安社会だとアプリオリに決めつけて、様々なメディアが議論をしている。それは無意味である。もっと基本に戻って、そもそもどのようなハザードの可能性に対して不安を感じているのか、それを明らかにする必要がある。

A君:それには、ある特定の分野での事象のハザードに対する不安だけを比較するのは無意味で、さまざまな領域のハザードを包括的に取り扱い、それらに対する不安のレベルを実証的に解析することが必要である。

B君:もう一つの意義が、ハザードの大きさと不安の大きさが一致していないという事実で、この両者の不一致が大きいと、社会のリスク管理の効率を落としているという実務的な問題が発生する。

A君:例えば、として挙げられているのが、「リスクの非常に低いBSE感染や内分泌撹乱物質(いわゆる環境ホルモン)、ダイオキシンの対策のために、消費者・国民の不安を背景として、たいへん大きなコストが投入されてきた」。

B君:まあその通り。ダイオキシンに対しては、巨額を投入してゴミ焼却炉を高度化した。

C先生:確かにその通りなのだが、ダイオキシンの発生を抑えるシステムを導入したお陰で、通常は意識されない揮発性を有する重金属類の煙突からの放出量が圧倒的に、場合によっては一万分の一ぐらいまで減った。例えば、鉛、亜鉛、水銀など。これらの古典的な重金属の毒性は、最後の最後まで人類が付き合うことになるリスクで、全くゼロにするのは無意味だし、亜鉛などは人体にとって必須元素でもあるので、どう考えるか難しい部分もあるが、少なくとも水銀への暴露は少ない方が良さそうなので、一つの改善が行われたと理解すべきではないか、と思う。

A君:一方、BSEに巨額の処理費を投じたのは、むしろ米国からの牛肉輸入を抑えるための政治的な対応では無かったかと思われるのですね。国内の畜産業にとってプラスになるという観点から、国民の不安が上手く利用されてしまった。

B君:牛肉はいずれにしても、米国のように大量に食べるのは健康上もよろしくない。国産の牛肉を貴重品として少量食べて、「美味しい」と感動するのがベストの食材のようにも思えるが。

C先生:いろいろな考え方はあり得るが、いずれにしても、ハザードの大きさに対してある種の感覚を持たないと、冷静な判断ができないことは事実。そのために、どのような方策を考えるか。その基礎となるような研究は、余り多くないこともあって、かなり貴重だと考える。

A君:その指摘に答えるのも、もう一つの目的として挙げられていることです。要するに、ハザードに対する不安を多少なりとも解消するような方法論を提案することだとしています。

B君:その方法論の骨格は、これまで中谷内先生が著書などで進めてきたやり方。要するに、死亡というエンドポイントを用いて、「リスクのモノサシ」を作るという考え方の延長線上にある。

A君:具体的には、特にデータを示すことはしないで、アンケートと取る際に、死亡者の数がどのぐらいあると思いますかという問を先に考えてもらって、それからハザードの大小を判定してもらうというやり方。

C先生:死亡者をエンドポイントとするやり方については、最初から受け入れない人もいる。それ以外にも重大は被害はあるという考え方のようなのだが、実際のところ、死亡以外の被害を換算して考えるという対処法が普通に取られるので、死亡をエンドポイントとしてはいけないという主張そのものに妥当性があるとは思えないのだ。
 むしろ、このような対応は、日本人特有の感性の問題のように思う。死亡というか、人の命を指標にすること自体、あるいは、金銭による解決を最初から提案するのは、日本人のウエットなメンタリティーに適合しないようなのだ。

A君:死亡者の数について、世の中の人々は知らないですね。中谷内先生も今回提示しているように、実は入浴中の死亡者数は、年間3千人にもなるというのに、だれも入浴そのものを不安の対象にはしません。

B君:もちろん、入浴中の死亡者を減らすために、対策を考えることもなければ、そのリスク削減のために巨額の費用を投入することもなり。

A君:さて、以上がイントロです。これから研究の方法論の解説に行きます。
 研究1と研究2があって、以下のように目的が書かれています。

研究1:「様々なハザードに対する国民の不安を全国調査によって定量的に把握する」。
研究2:「各ハザードによる死亡者数を推定することによって定量的な犠牲者数に沿った不安評価が促され、その結果、さまざまなハザードに対する不安を低下させられるのではないか、との仮説を検証する」。

 それでは、研究1から説明します。

実施方法:事前の調査依頼はがきを送付した上で、個別に出向く、訪問留め置き・訪問回収法で実施。回収率54.2%、有効回答数1192件。回答者の性別、年齢層は比較的平均に分布している。
調査項目:51項目のハザードリスト。
表現が重要なので、以下、リストアップする。

01:アスベスト
02:新たな伝染病(鳥インフルエンザ、新型インフルエンザ)
03:いじめ
04:エイズ
05:家電製品からの出火
06:ガン
07:ダイオキシン
08:たばこによる健康影響
09:テロ
10:脳・心臓疾患
11:ビルの火災
12:異常気象
13:家庭内の化学物質(洗剤や塗料、接着剤など)
14:医療ミス
15:飲酒による健康影響
16:遺伝子組み換え食品
17:外国からのミサイル攻撃
18:環境ホルモン
19:原子力発電所の事故
20:交通事故
21:化学的食品添加物
22:泥棒・空き巣・詐欺などの犯罪
23:紫外線
24:住宅の火災
25:天然食品添加物
26:殺人・暴行・誘拐などの犯罪
27:水難事故(海や川、プールでの事故)
28:戦争
29:台風
30:化学物質による環境汚染(大気、水、土壌などの汚染)
31:地球温暖化
32:地震
33:鉄道事故
34:湯沸かし器中毒事故
35:農薬
36:薬の副作用
37:落雷
38:狂牛病(BSE)
39:子どもが受ける虐待
40:自殺
41:食べ物などをのどにつまらせる
42:食品の偽装表示
43:失業
44:生活習慣病
45:耐震偽装
46:年金問題
47:石油枯渇
48:家庭内不和
49:日常生活での転倒・転落
50:ナノテクノロジー
51:航空機事故


点数:
全く不安でない=0点
非常に不安である=5点
 0〜5の数値を記入してもらう6件法。

結果:図1に示す。
 さらに、因子分析なども行われているが省略。


図1 不安に思う項目

A君:研究1の結果は大体以上ですが、自分で回答をしてみて、比較しますか。

B君:それも面白い。しかし、我々は協議して決めよう。どうも、年齢によって、考え方が違う可能性が高いので、C先生は独自にやってもらおう。

C先生:一応やった。

A君:我々も。結果を表1に示します。



表1 C先生、A君&B君の回答、上記グラフの概略値(目視)、その差、A君B君とC先生の差
    黄色■■はアンケートよりも不安が大きいもの。 ダークピンク■■は不安がないと判断するもの。 水色■■は、年齢に依存しそうだと思えるもの。


C先生:平均値がなんと1.59しかない。どうも不安というものの考え方が一般的な人と大幅に違うようだ。
 中谷内論文のデータよりも不安が大きいものがそれでもあって、それが
▲がん
▲脳・心臓疾患
▲日常生活での転倒
の3項目。これは、自分がそうなりそうということかもしれない。

A君:同様のところまで報告しますが、やはり平均値が相当低くて、1.83しかない。データよりも不安が大きいものが、
▲がん
▲脳・心臓疾患
▲医療ミス
▲飲酒による健康被害
▲泥棒・空き巣・詐欺など
▲子どもの受ける虐待
▲自殺
▲年金問題
以上8項目で、不安が大きい。子どもの虐待と自殺は、身近なところでそんなことが起きるのが嫌だという感覚でしょうか。

C先生:大幅に不安が低いのは、A君達とほとんど同じだ。以下の項目に対しては、「不安はない」のゼロ。
○ダイオキシン
○遺伝子組換え食品
○環境ホルモン
○化学的食品添加物
○湯沸かし器中毒事故
○落雷
○狂牛病(BSE)
○食品の偽装表示
○耐震偽装

A君:食品の偽装表示については、要説明ですか。食品の偽装で主なものは原産地の偽装。これは財産的な損失は招く可能性があっても、健康リスクとは無関係。

B君:耐震偽装も要説明かもしれない。すでに耐震偽装が行われたビルは壊された。これも財産的な損失が大きい。もしも見逃されているものがあっても、マージンがあるので、恐らく大丈夫だと踏んでいる。

A君:天然食品添加物に対して、C先生は不安ゼロではないですね。

B君:アカネのように、天然物の方が新たに禁止になる例が多いからだと思う。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syokuten/040705/index.html

C先生:そんなところだ。ところが全部が全部不安がA君達の評価よりも低い訳ではない。例外がある。それがアスベスト。個人的にアスベストへの暴露は、学生時代から助手時代ぐらいまで相当高かったので、中皮腫と肺がんの可能性は否定できない。A君達は大丈夫だが。

A君:逆に、我々の側が不安が大きいのが、
◆年金問題
◆石油枯渇
◆生活習慣病
◆失業
他にも多少ありますが、これが大きい。

C先生:年金問題ね。当然だろう。石油枯渇は当然の帰結なので、不安に思っても仕方がないというのが個人的な解釈。生活習慣病は、諸君たちの方が確かに問題。失業も同様だ。日本産業の将来は不安だらけだから。


A君:そろそろ研究2に行きますか。
 これは面白い研究だと思います。回答をする前に、それぞれの項目で、それが原因で発生したと思われる死亡者数の推定をおこなってもらう。数値としては、年間に0人、1〜9人、10〜99人、100〜千人未満、千〜1万人、1万〜10万人未満、10万人以上からの選択。

B君:別に正解を与えることはしない。単に、推定を行なってもらう。その結果、項目によっては、優位に不安が低下している。

A君:その結果が図2。


図2 死亡者数を考えてから回答した場合の変化。黒は不安減少。白は不安増加。

A君:不安が低下した順から、
◎アスベスト
◎農薬
◎化学的食品添加物
◎食品偽装表示
◎狂牛病
◎遺伝子組換え
ここまでは、我々が「不安がない」と評価したものと一致している。

B君:要するに、我々はどうも、死亡者のようなものを基準に不安かどうかの判定をしているが、一般市民は必ずしもそうではない、ということを意味するのだろう。

A君:死亡しなければ、回復可能。一方、財産的な損失については、我々も不安が大きい。

B君:どうもそうみたいだ。不安が低下した「家電製品からの出火」については、我々は比較的不安を感じている。

A君:それはC先生の最近の商売からみても当然なのでは。

C先生:さて、そろそろまとめに行こう。今後、リスクコミュニケーションを行う際に、何に重点を置いて行うべきだと思うか。

A君:中谷内先生の論文からも、やはり、リスクの理解には、モノサシが必要だということではないですか。

B君:モノサシとして、どうして死亡者数、もしくは、怪我や疾病もそれに準ずる形で考慮することが妥当なのか。この部分をもっと広める必要がある。

A君:その他に、どうしても存在している思い込みをどうやって解消するかも重要。それは、食品添加物が人工的なものに対して不安が大きい。実際には、天然物の方が不純物量などの内容が未知であることもあって、我々には不安が大きい。

B君:天然物信仰は、これを解消するのは非常に難しいことだ。

C先生:天然物をそのまま使うのであれば、まずまず安全だが、それでも、例外もある。食中毒を起こしている原因に、人工的な要因は極めて少ない。中国ギョウザ事件ばかりを考えてしまうと、「そうではない」と反論したくなるだろうが、実際、食中毒の原因は、微生物が大部分。それ以外に、重症になるのは、以前としてフグ毒、キノコが主なもの。このような事実をもっと伝達することが必要なのではないだろうか。

B君:天然物からある成分を抽出したサプリメントの安全性は、全く保証できない。

A君:どのような事実を伝えるか。それを伝えたときに、どのような不安感い変化が生ずるかといった検討が必要ですね。

C先生:このような論文が出てくると、我々として何を考えて対処すべきかという重大はヒントを提供してくれる。これはありがたいことなので、今後、なんらかの実践に活かしてみたいと思う。