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 メディアは「安全」を報道できるか 03.05.2005 03.07追加



 3月2日の午後、化学物質円卓会議が開催された。今回のテーマは、「メディアにおける化学物質問題の取り上げ方について」というものであった。
 小出五郎氏(元NHK論説委員)
 竹居照芳氏(元日本経済新聞論説委員)
 音 好宏氏(上智大学文学部助教授)
 以上の3名からの話題提供があり、極めて活発に議論が行われた。

3月7日に多少追加。なぜならば、Green&Sustainable Chemistry Networkのシンポジウムがあり、読売新聞科学部の北村行孝氏が講演。題目は、「リスクコミュニケーションにおける新聞の役割」であった。


C先生:化学物質円卓会議が何か、については、環境省のHPをまず、ご覧下さい。毎回、かなり多数の傍聴者が来るのが特徴。
正式名称:「化学物質と環境円卓会議」
http://www.env.go.jp/chemi/entaku/

 今回は、第13回で、配布された資料も公開されている。
http://www.env.go.jp/chemi/entaku/kaigi13/shussekisha.html

A君:まず、小出さんの発表から見ましょうか。皆様も、上記URLから、小出さんの配布資料をご覧になりながら、お読み下さい。

B君:A君は、出席したのか。

A君:一応、業務の一部ということで、出席させてもらいました。

C先生:この円卓会議の面白いところは、配布資料がすべて公開されるだけでなく、多少時間は掛かるが、しゃべったことがすべて議事録になって公開されるところ。議事録も、上記URLから見ることが可能だ。

A君:さて、まず、小出さんの発表です。この円卓会議では、だれもが「さん」付けで呼ばれます。社会的なポジションを背負っての発言ではなくて、個人の資格での発言をすることがルールだからでしょう。
 題名は、「リスク・コミュニケーション私見」でした。そして、最初のスライドが、電車乗客への情報伝達10年間の変化ということです。どうも小田急のことのようでしたが。10年前、たまたま雪で停電になって、運休になった。ところが、情報が車掌に伝達されなかったので、乗客にも、車内放送によって情報が伝達されるということは無かった。携帯電話が普及し始めていたため、むしろ、乗客の方が、情報を得ているような感じであった。ところが、これは昨年のことだが、踏切事故で運休になったことがある。このときは、車掌は乗客への情報伝達のキーと位置づけられており、時々刻々変化する状況を伝えていた。不完全な情報が、段々に修正され、見通しに関する情報も伝えられた。

B君:ここまでの話を聞いても、何が言いたいのか不明だな。情報伝達ということについて、社会一般が進歩したことを言いたいのか、それとも、輸送業を代表として取り上げているが、一般に企業というものが、一般市民に対して、情報の伝達が重要であることをより真剣に考え始めているということだろうか。

C先生:このたとえ話の真意については、実は、良く分からなかった。恐らく、こういうことだろう、という想像はした。車掌が情報を修正しながら、伝達するというところに意味を見出したのではないか。自信は無いが。

A君:ということで次に行きます。式が出てきます。
Risk Communication = Facts × Policy × Ethics

Facts:情報の量と質
Policy:法制度、システム、人的構成・・・・
Ethics:E=mc2に倣うならば・・・

  Ethics = matter × choice × common sense

B君:これも難しい。特に、Ethicsがどうして、相対性理論と関係するのか、良く分からない。

C先生:どうも、Ethicsに関して、深い意味があるとも思えなかった。重要なのは、すべてが掛け算であること。すなわち、どの一つの項目が欠落しても、Risk Communicationはゼロになってしまうということのようだった。

B君:common senseは兎に角として、どうしてchoiceがEthicsに入るか、といったことは余り考えなくて良いということですかね。

A君:次のスライドが、そのcommon senseの説明ですね。
化学物質のRisk CommunicationにおけるCommon Senseとは何か。それは、以下のような5項目である。
(1)多種多様である
(2)相乗・複合作用、アレルギー/過敏症など不確実な点が多い
(3)量的質的影響の予測困難、予防原則が重要
(4)専門家・行政に対する信頼度が低い。裏切りの体験・先例がある
(5)消費者、取引先、投資家、従業員・・・利害関係者が多い。

 そして、Risk Communicationの目的とは、
「質問に答え、世論の理解と協力を得る」こと。

B君:これが常識か。やはり、我々の常識とは大幅に異なる。多少書き換えてみるか。
(1)確かに多種多様であるが、毒性という観点からみると、かなり整理が可能である。
(2)相乗・複合作用は、確実に存在するとは言えない。むしろ、学者は、このような現象解明にやっきになっているが、なかなか見つからない。勿論、アルコールを飲みつつ薬をのむのは危険だとか、グレープフルーツジュースは薬と同時に飲むべきではない、といったことは機構的にも明らかなものはあるのだが。それに、アレルギー/過敏症は、ヒト側の変化も大きな要因である。
(3)量的(重量ベース)な曝露はこのところ日本では確実に減少しつつある。したがって、多くの場合には、過去に最悪の状況がある。質的な影響とは、恐らく、環境ホルモンのような新規の毒性を言うのだろうが、過去の知識を完全に覆すような新規な発見があるとも言えない。予防原則は、重要ではあるが、万能ではない。予防原則の適用にも、リスクベースの議論が重要である。
(4)アンケートなどを見ると専門家に対する信頼度は、国際機関は特になのだが、必ずしも低くない。ただ、専門家といっても一様ではない。行政に対する信頼度は高いとも言えないが、現在、食品などによるリスクの信頼しうる情報をどこが発信しているか、と言われれば、それは、国なのではないか。国際機関などの情報を上手に勘案して、危険情報が出るようになった。
 裏切り体験・先例があることは事実だが、このところは、むしろ民間企業の不法行為によって、市民が裏切られているケースの方が多いのではないか。
(5)利害関係者が多いのも事実であるが、もしも、万一消費者に被害が出たら、それこそ企業の存続に関わる重要事態なので、消費者の安全が最優先で守られるようになってきた。ただ、すべての民間企業がこのような体質であるとは、まだ言えない。企業の不正が連発。

A君:個人的には、化学物質の常識とは、この5項目だけでは充分ではないと思う。毎回言っていることをまとめると、次の項目を追加するべきなのでは。

(6)物質が毒になるかどうか、それは、摂取量によって決まる。
(7)その意味で、すべての物質は、毒でもあり、無害でもある。だから、安全な物質、危険な物質という二元論での議論は不可能。
(8)全く有害物を摂らないということはありえない。なぜならば、食物はすべからく他の生命であり、他の生命が完全に無害であることはありえないからである。
(9)発がん物質については、ある閾値があるという考え方は取らないのが普通であるが、実体はかならずしもそうではない。
(10)発がん物質は、例えば、女性ホルモンが発がん物質であるように、全く発がん物質に接触しないなどと考えても、それは不可能である。
(11)最大の発がん物質は、ヒトが酸素を呼吸することによって発生する活性酸素である。
(12)発がん物質に接触していても、発がんに至らないのは、傷ついたDNAを修復する能力をもっているからである。
(13)そのような修復能力を始めとして、ヒトの体は、もっとも精緻につくらており、その意味ではもっとも頑丈である。
(14)ただし、乳児は、そのような防御機能が未発達である。


C先生:いや。小出氏のCommon Senseと、A君の言う、「常識」とは意味が違うのではないか。小出氏の(1)から(5)の記述は、実は、小出氏が考える「NHKのような公共放送が化学物質について報道をするときの基本的スタンス」といったようなもの。一般市民社会へのメッセージとして、無難かどうかを判定する基準のようなものであって、英語で言えば、Official Positionといった感じのものなのではないだろうか。要するに、このOfficial Positionに適合した部分だけを報道し、それ以外は報道しないといったものなのではないだろうか。

A君:ということは、先ほど(6)〜(14)に上げたことは、常識という同じ日本語では括られても、英語で言えば、Literacyといった訳語になりますね。

B君:小出氏のCommon Senseが常識であるとしたら、それは報道を出す側の話。A君のLiteracyはその報道を受ける側の話。

A君:受け手だけでなくて、報道を実際に行う側にも、(6)〜(14)のようなLiteracyが無いと、偏った報道になると思うのですよ。

B君:それは我々側の理屈であって、NHKのような報道をする側にとっては、社会の常識と合致した情報だけを流すことが、自己防衛のためにはもっとも有効な方策であることに間違いは無い。

C先生:我々の立場は、「メディアは真実を伝えるべきだ」ということなのだが、公共放送などは、まず、何が真実かは良く分からないと考える。そして、自らの常識に照らして、その範囲内で報道を行う。こんな解釈も可能で、これがその機関のスタンスだということになのだろう。

A君:なるほど。

B君:そのNHKの報道のスタンスというものだが、化学物質関係の場合には、「あまり文句を言われない」ということが判断の基準の一部に組み込まれている。すなわち、「行政と専門家を攻撃しておくのが無難」というスタンスが組み込まれている。

A君:企業を攻撃すると、結構反撃が来るでしょうからね。本来、NHKは、国民の受信料で運営しているのだから、企業の「不法ではないが不合理な行動」を指弾することを自らの判断でもっと行えばよいと思うのですが。

C先生:まあ色々と言いたいことはあるようだが、小出さん個人の考え方かNHKの考え方か、そのは定かではないが、リスク・コミュニケーションの範囲内に、市民のリテラシーを高めるという考え方が無いことが最大の特徴だと言えるだろう。

A君:ということは、いつまでたっても「染み付いた常識」から市民は離脱できない。

B君:それは、メディアの責任ではない。これがNHKの立場なんだ。

C先生:ただ、それでは、いつでも「染み付いた常識」の範囲内でしか報道が出来なくなってしまう。それはそれで困る。そこで、次のスライドの意味が出てくる。

A君:「メディアの特徴」というものですね。
(1)報道は、常に「未完成品」。修正、訂正しつつ発信する。

B君:すべてが分かってから発信するのでは、確かに情報が遅れる。新しい事件も確かに起きる。だから、未完成状態で伝達されることは確かに避けがたい。しかし、しかし、市民社会に「染み付いた常識」があると思えば、それを取り除くこともメディア全体としては、義務なのではないか。

A君:新聞はときどき、そんな特集を組むのですが、テレビでは難しいということでしょうか。

B君:例えば、アンケートを取ると、未だにダイオキシンのリスクが、環境・健康関係で最大の問題であるという結果が得られる。いくらなんでも、現時点でそれは無いだろう。これはテレビが作った思い込みなんだから、テレビが自分自身の責任で解消するということは考えられないのだろうか。

C先生:実は、そんなことを小出さんに質問した。詳しくは、そのうち公開される議事録を参照されたいが、こんな質問をしたつもり。
 市民へのいくつかのアンケートの結果である、「ダイオキシンが最大のリスク」だという認識は、いくらなんでももはや時代錯誤的。これを正す責任はメディアにあるのではないか。

A君:聞いていましたが、回答は、こんなものだったのではないでしょうか。まず、ダイオキシンが最大のリスクであるという感覚は、市民感覚として妥当なものである。最近、ある特定の書店が特定の学者のダイオキシン本を発行し、それがある程度売れているものだから、メディアとしては、ダイオキシンが危険だという指摘がやりにくい状況にある。

B君:渡辺正先生の、「ダイオキシンの終焉」、日本評論社を意味するのだろう。ただ、ダイオキシンについて「染み付いた常識」が健全だという理解は、いかがなものか。

C先生:基本的認識が、相当に違っていることが良く分かった。先ほどのCommon Senseの違いのようだ。

A君:本当に。あの本がそういう見方がされているとは驚きですね。我々も渡辺先生の主張に全面的同意という訳ではないですが、まあ、「染み付いた常識」の修正過程でこんな本が出版されることは大いに意味があるという見解。

C先生:もう一つ質問した。もしも未完成のまま報道が行われるのが仕方が無いことだとしたら、テレビの報道には誤謬があることが当然のことになる。その誤謬を組織的に正すシステムはあるのか。

A君:回答は、そのような組織は無いし、持つべきだとも思えない、というものでした。

B君:その理由は?

A君:確実ではないですが、基本的に個人でモニター的な役割を果たしてくれる人が多いから。

B君:なるほど。いずれにしても、テレビ報道には誤りがつきものである、ということは合意された訳だ。テレビというメディアの持つ報道特性がこんなものだということが市民社会にもっと知られないと。これが先か。今回、円卓会議でこのような議論が行われたことは、意義深い。

C先生:そのような方向性の主張をされたのが、3番目に意見表明をされた上智大学の音さんメディアリテラシーというものを提唱されているようだ。実は、そんな言葉が使われていることを知らなかった。リテラシーという語は自ら多用しているのだが。

A君:メディアリテラシーの定義ですが、「メディアメッセージを批判的・主体的に読み解く能力」。

B君:メディアの特性をもっと学べということになるか。それはある意味正解。

A君:マスメディアだけではなくて、様々なチャネルからの情報がある現代社会では、メディアリテラシーを持つことが一般市民としてのパスポートのようなものだ。これが、音さんの主張。

C先生:それは同意だ。しかし、最近、メディアリテラシーが低下しているのではないか、と思えるのだ。その理由は、新聞を読んでいない人が増えた。情報をテレビのバラエティー番組でしか取らない人が居る。それ以外の情報源は、携帯電話でのクチコミぐらい。自分でインターネットを触るような人はまだ良いのだが。

A君:質問していましたね。

C先生:日本人のメディアリテラシーは向上しているのか、と聞いた。

A君:音さんは、自信を持って「向上している」と答えていましたね。

C先生:それはその道の専門家としては、そう答える以外に無いだろう。メディアリテラシーの定義にもよる。もしも、インターネットの情報は信用できないものが多いといった判断をもっているかどうか。これが、メディアリテラシーの有無の評価指標であるのなら、確かに向上しているといえるだろう。しかし、音さんのような定義、「メディアメッセージを批判的に読み解く能力」をメディアリテラシーというのならば、例えば、科学的な常識がどんどんと増えているような現況では、市民は、もっと科学を勉強しなければならないことになる。そんなことは行われていない。要するに、科学・技術情報が増えているということをベースラインであるとえると、メディアリテラシーは、むしろ低下しているのではないか。

B君:その見方が妥当だ。

C先生:大分長くなったので、本当は2番目に意見表明が行われた、竹居さん分に移ろう。

A君:竹居さんの発表資料には、メディア批判がかなりちりばめられていました。例えば、
◎センセーショナリズムの色彩も
◎相対的な見方の記事よりも、単純化した見方の方が記事は大きくなりやすい
◎訂正記事を載せたがらない
◎読者による評価制度がない

C先生:随分と思い切った発表をして下さった。

B君:確かに。『ダイオキシンのところで、「100%安全」ならいざ知らず、そうでないなら、訂正的な記事は載せたがらないという心情もありうる』。としているが、これは?

A君:ダイオキシンの危険性が、少なくとも「サリンの数倍」ではないことは、分かってきた。しかし、危険性が全く無い訳ではない。となると、これは、毒性があるが、以前報道されていたほど恐れる必要はない、という報道になる。もしも、「ダイオキシンは100%安全」というデータがでたのなら、それは、すべての新聞が大々的に報道するだろうという意味だったと思います。

B君:そんなデータが出ることは有りえない。すべての物質は毒性があって、強いて言えば、心配すべき毒物と、それほど心配しないでも良い毒物があるに過ぎない。どんな物質でも、例え、ビタミンでも「100%安全」などということは無い。ということは、市民社会はいつまでたっても、「染み付いた危険情報」から逃れられない。

A君:その通りですね。ただし、世の中良くできているという部分もあって、市民は「忘却」が得意だから、余り報道されなくなると、ダイオキシンはそんなにも心配しなくて良いのだな、と「染み付いた常識」が訂正される。

C先生:メディアの報道姿勢とそれに対して市民としてできることはこんな状況だ。このことを市民が自ら知ることが、恐らくメディアリテラシー向上の最大の課題。メディアそのものが不要なものではないので、それで市民が不幸だと思わなければ、余り問題はないが、やはりある程度不幸なのではないだろうか。

A君:それには、現状だと市民は自衛するしかない。メディアリテラシーだけではなくて、科学リテラシー・環境リテラシー・健康リテラシーなどを自ら身に着ける以外に方法はない。しかし、それは大変だ。

C先生:そろそろ結論だ。本日の題名、メディアは「安全」を報道できるか、の答えは、ほぼNOであることで確定。となると、将来に向けてなんとかしないと。竹居さんの提案に、「優れた記者を皆で育てて欲しい」というものがあった。これは賛成。今でも多少やっているつもりではあるが、今後、なんとかこの方向に向けて努力してみたい。



3月7日追加。読売新聞科学部の北村行孝氏の発表がGSCNシンポジウムであった。題名は「リスクコミュニケーションにおける新聞の役割」であって、その基本的なトーンは、竹居氏のものとほぼ同一方向であった。印象的な言葉として、「最近、新聞のリスクコミュニケーションは、かなり無用な不安を煽るような方向から変わっている。先日の日本初のvCJD発生の記事についても、不安感が広がらないように、かなりフォローを行った」。

実際その通りだと思う。新聞は、工夫次第で、かなり様々なことができることが実証でき始めているように思える。「キンメダイ風評被害事件」のときにも、新聞はかなり注意深い報道を行っている。http://www.yasuienv.net/KinmeCom.htm

司会をやっていたもので、一つ質問をしてしまった。「確かに、最近変化を感じるが、その変化のきっかけになったものは、何かあるのだろうか」。その回答は、「審議会などの議論がすべて情報公開されてしまう。そのため、情報に対する信頼性が高くなったと同時に、妙なことが書けなくなった」。

情報公開の威力はなかなかなものだ。「キンメダイ風評被害事件」のときも、新聞も録に読んでいないコメンテータの発言が一つの原因だった。もっとも、キンメダイ事件は、徹底的なコミュニケーション方法の検討が始まった、丁度過渡期であったのも事実だが。