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  「市民と科学」を書くために
   03.18.2012



 丸善の出版している定期刊行物に、學鐙というPR誌があることをご存知だろうか。なんと、1897年3月に刊行し、現在にいたるまで発行が継続している我が国最古のPR誌であるとのこと。そして、その刊行の方針は、「広く日本の文化に寄与し、世界の文化受容の窓口となる」ということだそうである。

 今回、この學鐙に「市民と科学」という題名で寄稿をすることになった。この題名では、余りにも範囲が広く、書くことがまとまらない。当然、先方もそれを期待している訳ではなく、環境学の観点、特に、リスクの把握と対応に関する原稿を書くことが妥当だろう。このHPの題名も「市民のための環境学ガイド」となっているが、このHPを書き始めてから、環境リスクを中心とした「市民と科学」に関して、どのような状況であったのか、自分の考え方が変わったことはあったのか、若干、チェックしてみることが必要だと思った。

 単にチェックするだけも可能ではあったのだが、若干の整理も同時にすることにした。1997年6月17日に公開を始めて、その後2002年までの記事は別のサイトにあったのだが、これを現在の時事編の目次からもアクセスを可能になるように改造する作業から始めてみた。全く別のところに存在する2つのWebサイトをまとめて一つにすることは、全く難しい作業ではない。通常のWebPage故のメリットである。いまやジャストシステムが販売しているIBMホームページビルダーのテキストレベルでの編集機能を使って、文字列の検索・置換を、力技によって相当数行なって完成。それでも色々と要修正箇所があったもので、全部で1時間ぐらいは掛かったが。

 新しくなった目次ページをご覧いただきたい。http://www.yasuienv.net/

 これを眺めつつ、15年分のキーワードをまとめてみた。こんな風になった。

1997年
 COP3と京都議定書
 ダイオキシン問題スタート
 リサイクル拡大へ
1998年
 ダイオキシン大暴走
 環境ホルモンも大暴走
 PETのリサイクル
1999年
 ダイオキシン漬けの年
 極限が久米宏「ニュースステーション」
 所沢ダイオキシンで赤ちゃん死亡急増の嘘
 JCOウラン臨界事故
2000年
 リサイクルしてはいけない本
 容器包装リサイクル法完全施行
 電磁波の恐怖
 環境ホルモン
 海洋深層水
2001年
 水道水からボトル水へ
 地球温暖化懐疑論
 マイナスイオン流行
 水にまつわる迷信
 狂牛病
2002年
 CO2削減
 マイナスイオン健在
 電磁波も健在
 京都議定書批准
2003年
 環境ホルモンやっと終焉
 キンメダイとメチル水銀
 マイナスイオン最後の悪あがき
 環境経営的な動き
2004年
 「環境問題の変質」を連載
 鳥インフルエンザ
 BSE全頭検査を巡る議論
 京都議定書ロシア批准で確定
 オール電化・植物樹脂などの環境負荷
 反環境税の提案
2005年
 メディアは安全を報道できるか
 リサイクル国際網
 大型テレビの環境負荷
 水素燃料車など
 とうとう人口減
2006年
 持続可能のセンス
 脱温暖化のアクション
 脱温暖化買い物案内
2007年
 脱温暖化とリサイクル
 2050年の視点
2008年
 温暖化懐疑論
 第一約束期間
 古紙偽装事件
 中国ギョーザ事件
 古米偽装事件
2009年
 新こたつ文明
 新型インフルエンザ
 エコ偽装
 民主党の温暖化対策と国益
2010年
 中長期ロードマップ
 食料自給
 レアアース
 生物多様性
2011年
 東日本大震災
 自然エネルギー議論
 低線量被曝のリスク
2012年
 昨年の継続

 このようにしてリスト化してみると、ダイオキシンのためだろうか、むしろ、1998、1999年ぐらい記事に緊迫感がある。現在よりも環境全般について、社会が信頼をしていないように思える。また、JCOの臨界事故のようなメディアも全く理解していなかったような事故が起きている。

 2000年になってからは、どうも、「リサイクルしてはいけない」、「温暖化論はインチキ」、「海洋深層水」、そして、「マイナスイオン」などとの戦いがスタートしている。この手の著書を連発することによって、10年程度の期間で、立派に財をなした人が出たことは驚くべきことだったように思える。

 ときどき、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザなどがあって、日本人のリスク感が英国あたりと違うことがよく分かる。これほどマスクをしている人間が多いのは日本ぐらいなものである。新型インフルのときの中国の対応も奇妙だったので、アジアに共通のこととも言えるのかもしれないが。

 そして、「市民と科学」という観点からのいくつかのポイントをまとめると、次のようになるだろうか。

(1)ダイオキシン、BSEに代表される小さなリスクを何万倍も過大に評価してしまう市民の存在。この場合、市民は犠牲者である。

(1’)鳥インフルや、新型インフルのように、リスクが未知の場合もあるが、結果的に、例年の通常のインフルエンザが軽視されれば、犠牲者を出す可能性がある。

(2)JCOの場合にもリスクが過大に評価がされたが、風評被害をもたらすことによって、市民は加害者にもなりうる。

(3)マイナスイオン、海洋深層水のように、実態が何かを明らかにしないまま、効用が無いと思われるものを買わされる。厳密には、市民は被害者であるが、一方、娯楽の一種と考えている節もある。

(4)娯楽と考えても、「水への伝言」のように、子どもの教育上の問題に繋がる場合もあり、初等中等教育の教師がしっかりとした見識を持つことが重要。

(5)温暖化懐疑論、リサイクルしてはいけない、の場合のように、基本的には「政府に対する反発を増長すること」と、「著書を売ること」を目的とする著者が跋扈する。この場合、市民はやはり被害者なのであるが、同調者が多いことも事実。

(5’)環境問題と言えども、政治不信を加速し、日本全体の活力の低下に繋がる。

(6)食料自給率は、農水省の見事な戦略によって日本全体が洗脳されたが、実際には、エネルギー自給率の方がより深刻であることが忘れられた。これは、将来のリスクを背負うことになる。

(6’)リスクの大きさの比較ができないと、正しい将来の見通しを得ることができない。それには、かなり冷静になって、スキルを身につけることも市民の責務であろう。

(6”)地球温暖化という言葉に惑わされ、温度上昇が結果であると判断し、本来の気候変動のリスクを見逃すといったこともありうる。これは、情報伝達によって市民がいつのまにか被害者になっていることか。



 東日本大震災は、環境に関する「市民と科学」に関連する状況が上記のような経緯と状態にあった日本を襲った。そして、現時点までの経過と今後の予想を記述してみる。

 記述する項目は、現在もっとも重要と考えている以下の三項目。
(a)放射線に関して
(b)復興に関して
(c)日本のエネルギー供給に関して


(a)福島原発の炉心溶融の結果放出された放射性物質によって多くの市民を放射線恐怖症にした。基本的に、市民から被害者がでたという状況。

(a−1)その根本的原因は、政府が信頼できないことにあった。

(a−2)メディアの報道もかなり恐怖を煽って加害者になった。

(a−3)1990年代後半のダイオキシン騒ぎのときには無かった匿名ネット情報が、何を信じるべきか分からない不安な市民をますます不安にした。匿名ネットは愉快犯である。なんとも言えな不快感がある。

(a−4)反原発を主張する団体が、さらなる恐怖を煽った。これは自己都合優先犯。

(a−5)学者がパフォーマンスを行なって、自己の理論を主張した。学者は正しいことを言うという誤解が、混乱を増大させた。学者はときに罪深い。

(a−6)内部被曝は特別に危険であるという主張をする学者も現れ、さらに混乱を助長した。

(a−7)福島県産の農産物が売れなくなった。風評被害というよりも、確信犯的な不買行動がその理由。不買は消費者の一つの権利なのだろう。絆という言葉が虚しい。

(a−8)津波によって大量に発生したガレキの処理に協力する自治体が極めて少数であった。これは首長がポピュリズムで、その根性が座っていないためだろう。

(a−9)様々な調査によって、福島県での県民の被曝量がそれほど大きくないことが分かってきた。客観的科学的データはやはり重要。

(a−10)1年を経過し、やっと、周りを見回す余裕があると感じる人がでてきた。これは、ダイオキシンのときよりも、若干速いかもしれない。なんといってもダイオキシンの恐怖感を克服するのに、3年間掛かったのだから。

(a−11)ガレキの処理を受け入れる自治体のニュースが報道されるようになり、それが日本全体にとって正しい選択であると思う人が増えてきた。

(a−12)今後を考えると、放射線恐怖症は、ダイオキシンよりも比較的早めに消える可能性がある。その理由は簡単で、これまでHPに書いてきたように、放射線のリスクは分かりやすい。外部被曝も内部被曝も含めて、mSvという量で判断ができるように工夫されている。しかも、ダイオキシンと違って、測定が比較的簡単である。ダイオキシンの測定は、1999年頃だと、1サンプル数10万円であった。数10万円あれば、放射線ならば比較的簡便なものではあるが、測定器が買える。そのため、一旦、放射線のリスクを科学的に理解する気になれば、数値的に理解できる。

(a−13)今後の科学の役割は、まず、どのようなデータを用いて、放射線リスクが評価されてきたか、その歴史と根拠をできるだけ分かりやすく説明すること。
 特に、重要なことは、低線量暴露の人健康への影響について「分かっていない」という言葉を使わないこと。分かっていないのではなく、これまでいくら努力をしても、余りにも微小な影響であるために見つけることができていない。広島長崎のように、大量の被曝データがあっても分からないほど微小である。
 低線量被曝でも、そのエンドポイントが発がんであることが分かっている。しかも、その影響が出るのは、加齢によって発がん抑制能力が低くなってからである。
 個人的にも、丁寧な説明をすることを心がけたい。


(b)一方、復興は、大幅に遅れている。最大の混乱は、住む場所の選択にあるように見える。この段階での正しい選択は、長期的な見通しをもって、未来に対して責任のある世代が決定権を持つことであるように思える。

(b−1)これに直接関連することは、残念ながら、これまでのHPの記述の中にも出て来なかった。環境科学にとっても、未経験エリアであったということである。

(b−2)しかし、環境問題の最大の問題が持続可能性という問題であることと、この復興をどのような方針で行うべきか、ということは同種の問題であるように思える。すなわち、その地域環境と地球環境を考え、できるだけ持続的な社会を構築することが究極の解であるように思える。

(b−3)持続可能性を考えるとき、もっとも重要なことは人間活動であり、これが維持できない持続可能は無意味である。維持できないケースとして最悪のものが、人間活動がその地域から消滅することである。

(b−4)ヒトの命が有限である以上、その地域社会が継続するということは、ある個人から次世代の個人に対して、有形物(モノ)と大脳の中に存在する無形物が引き継がれることが必要不可欠である。

(b−5)引き継ぎを依頼する個人は、引き継を引き受ける個人がその場で生存する意義を十分に感じられるような配慮を行うことが重要である。

(b−6)引継を受ける個人は、将来、自らも引継を次の世代に依頼することを考慮すれば、次世代にとって快適な環境を維持する責任をもっている。すなわち、個人の嗜好によって、個人の決断を行うことがある程度制限され、次世代を優先するような、すなわち、未来に対する割引率の低い社会を構築することが必要不可欠である。

(b−7)今後の見通しだが、これはなかなか難しい。日本のような人口減少社会では、ある程度の縮減が行われることは必須だからである。場合によれば、ある地域から地域社会が消滅することも有りうる。

(b−8)ということで、科学技術の役割もなかなか難しい。
 人口が減少することによって、一人あたりの自然量が増大することを考慮すれば、その増大する自然を活用できるような社会制度を構築することが不可欠である。
 同時に人工的なインフラなどの量を減少させ、自然に戻すことは必須なので、人工的な構造物の存在する地域の面積をできるだけ縮小し、できるだけメンテナンスなどが不要な構造のものにする必要がある。
 このような持続性のための科学技術的検討を、復興を目指す地域に伝達しなければならない。


(c)日本のエネルギー供給についてのイメージがなかなか共有されない。

(c−1)原発事故に過敏に反応し、どこかのビジネスマンのように、自然エネルギーへの全面転換を声高に述べる人々が出た。

(c−2)極めて長期的に見れば、最終的には太陽エネルギーに由来する自然エネルギーだけが使えるものであるので、正しい選択ではあるのだが、現状では、相当なムダを覚悟しないかぎり、自然エネルギーのゆらぎを克服できない。

(c−3)これまで日本のエネルギー自給率は、水力発電のみ。割合では4%に過ぎなかった。これが50%程度に増大できれば、エネルギーセキュリティー的にみても格段の進化であることを意識すべきである。
 なぜならば、今後、エネルギーの争奪戦は、ますます厳しくなることが予測されるからである。すでに、将来争奪戦の中心的存在になることが確実な隣国中国の行動は、明らかにそれを意識している。中国が日本なみの国家に成長するには、中国が有するエネルギーでは全く足らないからである。

(c−4)この課題に関する科学技術の役割は、破壊的なイノベーションの提案を行うことである。
 すなわち、電力系統をどのように設計するか、これが一つの鍵であるが、これまでの経験に囚われ、なおかつこれまでの利権を維持したいという思いの強い集団が存在しているので、理論的に可能ではあるが、現在存在しているシステムと根底から異なるシステムを提案することが科学技術の役割である。


 という訳で、「市民と科学」を書き始めました。分量は4000字です。學鐙に掲載されましたら、またここでご紹介したいと思います。