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   「企業2020」の世界 01.15.2017
     
パヴァン・スクデフの著書の先進性
               



  副題が、「未来をつくるリーダーシップ」というこの書籍ですが、訳者のあとがきが2013年6月になっているので、日本語版の発刊からすでに、3年半以上が経過しています。しかし、パリ協定が合意されて、かなり世の中が変わり始めたのですが、その変化の方向性は、恐らく、この書籍の執筆時点で著者が指摘している方向とかなり一致したものになりそうです。すなわち、パリ協定の内容にも、この書籍の内容が反映されたと考えるべきなのかもしれない、と思います。
 それだけ先見性が有ったとも言えるのですけれど、場合によると、この考え方が本筋であるからそうなったのであり、短期的な利益を確保するために、企業があらゆる手段をとり、かつ動くという行動は、社会的な存在である企業というものの持つべき本筋から、実は、いささか外れていた(現時点でも日本企業の場合だと、かなり多くの企業が外れている)ということなのかもしれないのです。
 トランプ氏が20日に米大統領に就任しますが、彼の基本的な発想法は、いわば「身内のビジネス最優先主義」であって、このような「本来あるべきビジネス思想」とはかなり食い違う方向性をもっているとも言えます。そのため、一部のビジネス世界では、ベクトルの向きは変わってしまう可能性があるのですが、一方で、米国国内でも、東部と太平洋沿岸では、本筋は本筋としてしっかりと残るだろうと思います。すなわち、2050年といったさらに長期的な未来については、4年後にトランプ米大統領が退任したとき、「その影響は、微々たるものだった」という結論になりそうな気がするのです。
 ということで、書評らしき記事を書いてみたいと思います。

    
C先生:ということで、このパヴァン・スクデフ氏(Pavan Sukhdev)の紹介から行こうか。

A君:今年の旭硝子財団のブループラネット賞の受賞者です。いまや世界的な環境経済学者だと言えそうです。現職は、ドイツ銀行グローバル・マーケティング部門のディレクターで、国籍はインドのようですので、ドイツ銀行のインド支店関係の環境会計プロジェクトを率いていたという方です。

B君:スクデフ氏を有名にしたのは、TEEBと呼ばれている報告書。The Ecomomics of Ecosystem and Biodiversity、の頭文字をとったもので、2007年にドイツ・ポツダムで開催されたG8+5環境大臣会合で、EUとドイツから提唱されたもの。その後、EUとドイツなどの支援によって、ドイツ銀行取締役のスクデフ氏をリーダーとして検討が進められ、2008年5月に、ボンで開催された生物多様性条約の第9回締約国会議=Convention on Biological Diversity, Conference of the Parties (COP9)での閣僚級会合で、第1フェーズの中間報告が発表された。第2フェーズとして、さらに検討が加えられ、名古屋で行われた生物多様性条約のCOP10で、一連の報告書として、公表された。

A君:TEEBの主なメッセージは、
(1)生物多様性というものの価値をすべての行動や意思決定の際に反映すべき
(2)それには、生物多様性の価値を経済的に評価し、可視化することが有効

 そのためのステップとして、
Step1価値の認識。どのようなサービスを生態系から受けているか、重要なもの、持続性への障害、などを整理して共有すること。
Step2:価値の可視化。生態系の変化などを定量化し、可能なものは、経済的な価値評価をして、可視化する。
Step3:具体的な施策などに反映する。持続的に利用するための費用を税金や助成金で賄う仕組みや、消費者が環境に配慮した商品やサービスを利用しやすい環境を整備する。

B君:ということで、第一フェーズとして中間報告が、第二フェーズとして、7冊の様々な読者向けの報告書が、そして、第三フェーズとして、水と湿地、グリーン経済、海洋・海岸と3冊、合計11冊の報告書がまとまっているので、ご関心の向きは参考にされると良いかと思う。翻訳があるものもあり、英文だけのものもありという状況だけれど。
http://www.teebweb.org/

C先生:そして、この本が書かれた訳だけれど、そのいきさつが謝辞に書かれている。かなり、想像とはかなり違うプロセスで書かれた本であることが分かった。そもそも、この本の執筆を開始したのは、2011年か12年だと思われるけれど、スグデフ氏は、イエール大学の奨学金を受ける学生(この翻訳本によれば)だった。しかし、英文のWikiをチェックしてみると、Dorothy McCluskey Fellowという身分なので、実際には単なる学生ではないだろう(多分、スポンサーの就いた研究員)。その卒業論文(これも翻訳本によればで、実際は違うだろう。博士論文かもしれない)として、この本を書きだした。しかし、金融マンだから、多分、相当に忙しいはずだ。実際、”卒業論文”の下書きにもなったこの本の元原稿は、彼をヘッドとして調査・研究を進めた多くの大学生によって書かれている。謝辞に出てくる10名の学生が、本当の筆者だということになるのかもしれない。
 序文をニコラス・スターン卿が書いていることもある。これは、いずれにしても、有名人の書いた本だということの証明ではある。

A君:中身のご紹介から。例によって、本の概要。
「企業2020」の世界―未来をつくるリーダーシップ
パヴァン・スクデフ (著), 月沢 李歌子 (翻訳)

単行本(ソフトカバー): 396ページ
出版社: 日本経済新聞出版社 (2013/7/23)
ISBN-13: 978-4532605308 \2592

序文 ニコラス・スターン卿による
目次:
はじめに
第1章 企業の法制史
第2章 大いなる連携 1945年から2000年
第3章 「企業1920」
第4章 鏡の国の企業外部性−企業の測定
第5章 外部性を取り組む−市場、賢い規制、企業情報開示を利用する
第6章 広告の説明責任
第7章 金融レバレッジを制限する
第8章 資源への課税−善き者ではなく悪しき者に課税する
第9章 「企業2020」−ビジネスの新しいDNA
第10章 「企業2020」の世界


B君:序文のニコラス・スターン卿の序文が、この本の本質の大部分を的確に表現しているように思う。若干引用すれば、(今後、急速に悪化しつつある地球環境について)「問題の多くは市場の失敗、無責任、近視眼的な行動にある。そうした問題を、健全な政策、集団的行動、結果を見据えた長期的視点に立つ手法、テクノロジー、組織を通して解決できるかどうかは、私たちの手にかかっている。
 「経済的にも、社会的にも、環境的にも持続可能性のあるものにする。この三つを一体にして考えなければ、それぞれが過小評価されてしまうだろう」。

A君:この最後の考え方は、2000年頃に言われ始めた「環境の持続性に関する環境・社会・経済の三位一体思想」ですね。場合によっては、「初代三位一体思想」というべきかもしれないのですが。

B君:環境原理主義的な考え方を徹底的に追及すれば、それは、ヒトなる生物も、他の生物のように、原始社会に戻れという発想になってしまう。経済だけを考えれば、当然、金儲け第一主義に陥って、将来世代との共有財産である環境は軽視される。社会だけを考えれば、色々なケースが考えられるけれど、既得権益重視の社会になる可能性もある。
 日本という国を見てみると、環境原理主義、すなわち、環境のためには、経済的な価値を無視すべきだという主張は、実は、日本にはほとんど無かったのだ。むしろ、日本という国は、経済第一優先主義がまかり通った国で、社会という視点も無かった。水俣などの公害問題は、その証拠。これは、東アジア共通の思想でもあって、発展速度が速すぎると、公害がでるのは中国の例を見ても明らか。

A君:欧米に、環境原理主義者がかなり多数存在していたという理由ですが、それは、今にして思えば、日本のような環境(特に植生)が非常に豊かな多神教の国で、自然崇拝が当たり前になる国と違って、キリスト教国では、ヒトという種は神によって作られたという人類優先主義になりやすい宗教的バックグラウンドをもった国であって、それに対するアンチテーゼとして、原理主義がはびこるという点があるのかもしれません。

B君:人類優先主義だと、目前の利益のために自然が無視されて、経済優先主義になるのは事実。だけど、日本のような多神教の国であるのだから、本来なら、神々が宿る自然を優先する主義になるはずなのに、経済最優先主義になることは、自然をつかさどる八百万の神に対する冒涜にもなるという理解がされるはずなので、そこには、様々な矛盾がある証拠なのかもしれない。日本人としては、まあ、神様は万能で、しかも、よろしくやってくれるので、たまに柏手でも打って、お賽銭でもあげれば被害はでないと思ったのかもしれないけれど。

A君:要するに、環境原理主義者が存在していた西欧では、その否定のために、初代三位一体思想ができたとも言えるけれど、日本と一部の西欧でも、経済最優先主義が環境破壊につながるという実例が、しかも、西欧の場合には、自分の国ではなくて、旧植民地である途上国での環境破壊につながるという事実が多数出てきて、そして持続可能性のための三位一体思想ができた、という結論でよろしいかと。

B君:さて、それでは、本文から。はじめにの記述は、BPの元CEOであるトニー・ヘイワード氏の発言、「わたしの人生を取り戻したい」から始まっている。そして、その次の記述が、2011年の5月末に行われた20人を超えるノーベル賞受賞者が世界が直面する問題を考えるためと、2012年の「リオ+20」の会議のためにストックホルムで行った、地球が原告で、人類が被告である「地球裁判」の記述で、この裁判は、無意味だったと一刀両断している。なぜなら、「企業」を証人として召喚しなかったから。すなわち、BPの罪が除外されていたから。

A君:ということで、アダム・スミスの話に戻って歴史の記述が若干あって、今日の企業が作られたのは、西暦の1920年頃であるため、「1920年型企業」と呼ぶべきだという話になります。この種の企業の成功は、(1)需要の創出と拡大、(2)商品イノベーション、(3)低コスト生産、の3つの要素で実現される、と結論しています。BPが成功した企業だとしたら、たしかにそうかも。

B君:さらなる記述で、テクノロジーは進化を続けるので、企業は製品の陳腐化によるコストを補うために、早く売り上げを達成しなければならない、という現状を記述すると同時に、アップルは、製品の陳腐化をマーケティング戦略に組み込んでいるとの記述もある。

A君:しかし、そのアップルも、主力商品であるiPhoneは、現時点ですでにかなり陳腐化していて、未来像が見えにくくなってきていますね。

B君:「1920年型企業」の特徴は4つある。
1)市場での優位性確保のために、規模を追求する。
2)規制上・競争上のためにロビー活動を行う。
3)倫理的な配慮なく過剰な広告活動を行う。
4)株主の投資金を梃子にしたレバレッジによって、積極的な資金の借り入れを行う

と結論している。

A君:まあ、この本が執筆された頃と、ESG投資が主流になりそうな気配が漂っている現在とは、かなり違うかもしれませんね。トランプ氏が大統領になれば、多分、「1920年型企業のトップ」であって、「2020年型企業のトップ」ではないような気がするのですよ。「2020年型企業」は、まだその説明をしていませんが。

B君:この本の主題である「企業2020」とは、この段階では、厳密な定義が出てこない。この後、第一章、第二章が、そして、第三章の「企業1920」が歴史的な記述になって、第四章からが、「企業1920」の過去の悪い歴史を指摘する記述の集大成になっていて、これが「企業2020」の定義がされる第九章への準備になる。

A君:第九章では、新しい企業のDNAとして、以下のようなことが必要であるという趣旨が語られます。これが恐らく、「企業2020」の定義ということだと思います。
1.社会と目標を一致させる。
2.企業を「資本工場」と考える。
3.コミュニティとしての企業の役割を理解する。
4.企業を学びのための機関へと成長させる。

しかし、実は、第4章からの準備段階が具体的で面白いですね。残念ながら、今回は省略ですが。

B君:第4章から第8章までが面白い理由は、様々な「悪しき実例」が出てくるからだろうけれど、その悪さを改善するための提案が第九章のDNA議論。しかし、答はこれだけか、とか、これで必要かつ十分なのか、という疑問が湧いてくるが、それは、上述の4つの事項の必要性を導くロジックが分かりにくいということなのかもしれない。

A君:この提案が2013年だったという時代としての解析をすれば、実は、現在、投資の主流となり始めているESG投資の基本的な発想は、2006年に提案されています。当時の国連の事務総長であったコフィ・アナン氏が提案した国連責任投資原則というものがそれです。

B君:このところ、ESG=Environment、Society & Governance投資が、重要になった理由は、長期間での安定的な成長が重要だという年金関係のファンドが、世界的にみて巨大な投資ファンドになったからが大きな理由だと思うよ。先進的なところとしては、ノルウェーの年金基金やカリフォルニア州職員のための年金基金。そして、日本のGPIFは、年金関係ファインドとしては世界最大なのだけれど、それが国連の責任投資原則=PRI:Principles for Responsible Investmentにサインしたのが、2015年9月16日。これで、日本の風向きもやっと変わり始めた。

A君:第9章の最初のイントロのところで、スクデフ氏は、かなり苛立ちを隠せない記述をしています。2011年という時代というのも大げさですが、2008年から2012年までの京都議定書の第一約束期間だったのですが、まあ、各国はなんとか辻褄を付けたことは付けたけれど、米国は不参加だし、排出権取引などが当初の想定のようには進展しておらず、失敗だったと評価せざるを得ない。さらに、2007年のリーマンショックによる急激な経済の落ち込みが、やや回復したという時点で、金融系の人々の行動様式の中に、正義は果たしてあるのか、といった疑念が消えていない
 さらに日本について言えば、2011年の東日本大震災。大災害だから当たり前とも言えるけれど、日本人の心理面への影響は極めて大きくて、地球環境など50年先の問題だから自分への影響が少ない。したがって、現時点における重要度は低い、と考える人が大多数になった。この東日本大震災と福島第一原発事故で、日本の環境科学は瀕死の重傷を負って、未だに、その影響から抜け出していない。ということで、日本政府も京都議定書の第二ステップには不参加を表明。そうせざるを得なかったとは思うものの、このような政府の対応が、結果的にですが、市民社会がより短期的な視点で行動をするようになったことは、否定できません。

B君:ということで、スクデフ氏の苛立ちも当然と言える時期だった。どのような記述になっているのか、と言えば、環境経営関係の出版物は、「いかに企業の目的と行動を変えるか」という単一テーマで書かれた著書ばかり。そして、透明性と当事者意識が変われば、企業は変わるという結論ばかりになっているが、これは甘い。なぜなら、単独の問題として取り扱うのでは、本当の解決策は見えてこないからだ。問題の本質は、非常に大きくて、「わたしたちが文明と呼ぶものが存在し続けるかどうか」、ということなのだ、と述べている。

A君:パリ協定での序文は、ほぼ同じ考え方を提示していますね。今世紀中のどこかで、化石燃料文明から離脱し、新しい文明を創造することが必須だということですから。パリ協定にも、この著書のある程度の影響が見られるということで良さそうですね。

B君:スクデフ氏は、株主が一般市民から機関投資家になったために、利益追求の傾向がより強くなったとして、機関投資家を敵視しているけれど、これが、スクデフ氏にとっても予想外のことだったのかもしれないが、国連の責任投資原則を受け入れる機関投資家が増えた。理由は簡単で、年金を預かる巨大な機関投資家が莫大な基金を背景に、下請けの機関投資家に資金の運用を任せるときに、ESG投資を義務化したから。なぜかと言えば、年金を預かる組織にとって重要なことは、安全・確実な基金の活用であって、短期的な利益の獲得ではないから。そのために、この遅れていた日本の金融界も、ESG投資を無視できなくなった。いや、それどころか、ESG投資の実施をすることを表明する以外に方法がなくなった

A君:むしろ、日本の場合だと、一般投資家の意識が、「企業1920」から抜け出せていないような気がしますね。

C先生:文字数的にも、そろそろ終わりか。今の議論を聞いていて、昨年、環境省のさる委員会で思わず次のように言ってしまったことを想い出した。「環境基本計画で経済・市場の方向性を考えている段階では、これほど、ESG投資が普及するとは、とても考えられなかった」。
 経済が変わるには、機関投資家の考え方が非常に重要なのだけれど、それまでの生命保険などの資金を運用している機関投資家と、年金を運用している機関投資家では、根本的に違う発想をするということが、さすがのスクデフ氏でも分からなかったということなのだろう。
 スクデフ氏のように、ドイツ銀行の幹部を務めていても、いや、幹部だったからこそ、機関投資家が考え方を変えるとは思えなかったのだと思う。機関投資家でももっとも規模の大きい年金系の機関投資家が考え方を変えると、その下請けをやる投資会社は、当然、同じ考え方を持たざるを得なくなる。この動きが、パリ協定によって、さらに加速されることは、まず100%間違いのないことだと思う。やっと、スグデフ氏の要望に応えられる状況が見えてきたかもしれないのだ。
 最後に、将来の変化を予測すると、2030年〜40年ぐらいになると、パリ協定が与えた、今世紀における社会変革の方向性への影響は実に大きかったという認識になることは間違いがないことのように思える。