________________


  2007年型消費のビジョン 01.06.2007
     



 今年をどんな年にしたいか、希望は、個人の状況に依存するから、一般的な議論がなされないのはある意味で当然である。
 今年、どのような「生産と消費」社会を目指すのか。これが2002年のヨハネスブルグWSSD以来の先進国の宿題である。しかし、日本では、どのような社会システムを導入すべきか、この議論が十分に行われていないのが現状ではないか。
 答えを出すには、21世紀全体を俯瞰して、様々な可能性を検討をしなければならない。いわゆる持続可能の問題は、依然として大きな問題である。人類にとって、現時点での最大の問題である。
 解の方向性は、技術に50%、社会に50%。すでに技術はかなり存在している。それをどのように社会の中に埋め込むことができるか、ではないか。


C先生:新年を迎えたが、消費に関して、今年をどのような年と位置づけるか、できるだけ大局観に基づいた、しかし、かつ細かい議論をしてみたい。

A君:昨年の最後の方で、軽自動車の環境買い物案内の記事をアップしたら、軽自動車擁護派からブログの方にかなり反論がありましたね。

B君:当HPとしては、「軽自動車だからすなわち環境負荷も低い、という理解は誤解である」、ことを明らかにしたかった。軽量なMT車であれば、確かに環境負荷も低い。チョイ乗りなら、すなわち、年間3000kmとかいった走行距離ならば、軽自動車の軽量なMT車がベストだ。しかし、フル装備の軽のAT車を買うと、1000cc級の普通車よりも環境負荷は確実に大きい。

A君:税金などの考え方もおかしい、ということを議論して欲しかった。普通車の重量税というものは、0.5トンあたり6300円ですので、普通車だとたとえ770kgといった軽量な車でも12600円。ところが、軽自動車だと、920kgと重くても4400円の均一料金。重量税というものが、道路へ与える損傷を補填するために存在しているとするのなら、軽自動車だから、という理由は存在し得ない。完全な重量制にすべき。

C先生:昔は、軽と言えば、軽量なのがあたり前だったのだ。

B君:また自動車税というものが何か。これは、現時点で言えば、社会に対するなんらかの影響を補填するものだとすれば、一つは、サイズ。すなわち、車両の占有面積あたりで決めるべきものかもしれない。もう一つは、環境への影響。現在なら、排出ガスのクリーンさは、他の法律で規制されているので、二酸化炭素排出量に比例するのが順当なところ。

C先生:昔の軽は、環境負荷も低かったのだ。

A君:強制賠償保険料だって、軽が安い。3年もので、普通車が41,820円、軽だと33,500円。他に被害を与えるリスクが保険料に反映されているということならば、普通車よりも重い軽が存在しているとなると、理由も不明になる。やはり車重を基本になるべき。いずれにしても、なんらかの分かりやすい説明がないと、社会システムとして不完全。

B君:これまでなんとなく継続してきた制度が、そろそろ時代に合わなくなった。

C先生:このような状況を解消することが、持続可能な社会に繋がる。それが社会に50%依存するという中身。理由が簡単に理解できるような税制を採用することによって、自然に新しい対応が取られるようになる。

A君:軽の枠組みを支持するとしたら、有り得る反論としては、車重を基準にするのは、軽には不利すぎる。なぜなら、軽自動車はサイズが制限されているので、衝突のマージンをとるために、重さが必要となる。

B君:ぎりぎりまで車室を拡大するからそうなるので、もっと車室を狭くすれば良いだけ。

A君:快適性が犠牲になるが、そもそも快適な軽ということ自体が、自己矛盾

C先生:衝突については、小さな車をより安全に保護するために、今後、できるだけ速やかに、大型車はそれなりの衝突防止装置の装着を義務化する必要があるだろう。トラックは当然としても、車重が1.5トンを超すような車は、乗用車でも義務化が必要なのではないか。

A君:これまでのブログでの議論を見ると、ある種の既得権が失われる場合には、どんな場合でも、小泉流の表現だけれど、「抵抗勢力」が出てくる。PSEもそうだった。

B君:安倍さんを見ていると、小泉さんという首相は、「靖国」を除けば偉かったような気もする。

C先生:軽自動車の件は、一例に過ぎない。もっと長期的な展望をまず定めてから、現時点に戻るというバックキャスト的なアプローチを取ることが必要なのだ。

A君:バックキャストなる手法をまだ説明をしていないのでは。そのうちにやりましょう。

B君:それでは、やや遠い将来に関する話題から。
 最近、妙な本を読んだら、面白かった。「愉しい非電化 エコライフ&スローライフのための」、藤村靖之著、洋泉社、ISBN4-86248-035-7、¥1600。「電化製品のチグハグ」として、効率が2千万分の1しかない電気掃除機、待機電力、室内照明、などなどの批判が有ってから、非電化冷蔵庫、非電化除湿機、非電化消臭器、非電化換気装置、薪ストーブ、機械式時計、非電化湿度計、非電化洗濯機などの実物が出てくる。
 2300年頃には、こんなものが実用技術になっているのでは、と思わせる力がある本だった。少なくとも、自然エネルギーに依存した社会ができているとしたら、だけど。

A君:2300年ごろ、テロなどの心配が無い形で原子力社会、具体的には、転換炉でしょうか、それとも増殖炉でしょうか、そんな原子力社会とか宇宙発電の時代になっていれば、別の方向性をもつ機器になっている可能性もありますが、その場合でも、その本のような発想でエネルギー効率は大幅に向上しているでしょうね。

C先生:去年の暮れ、第4回大学生環境活動コンテスト(エココン)があって、今回も審査委員長を務めたが、そこに、高校生が一組飛び込んできて、準グランプリをかっさらっていった。色々な知識は大学生よりも豊富のようだったが、残念ながら、¥0がエコだという考え方が基本のように思えた。¥0が究極のエコノミー&エコロジーであることに間違いは無いのだが、現時点で、それを押し付けても、社会が受け入れることは無い。

A君:現状ということだと、温暖化の話にしても、2020年以降の状況を予測しつつ、それ以後に急速に排出量削減が可能になるように、各人の考え方、これをマインド・セットと称していますが、を入れ換える必要がある。

B君:京都議定書は、良い練習問題ではあるのだが、まだまだマインド・セットの切り替えができない人が大部分。特に、日本のトップと言われる人々のマインド・セットがまだまだ相当に古臭い。職業別では、経済人がその代表。

C先生:経済人の特徴は、まず、技術の限界を知らないこと。ニーズがあれば、技術ができると思っている。加えて、市場メカニズムが万能で、いかなる問題でも解決できると思っている。石井先生のブログを参照して欲しい。http://oilpeak.exblog.jp/ 
 我々の主張は、市場メカニズムだけでは解決できない問題がある。エネルギー問題はその最大の例。しかも、唯一の例かもしれない。通常の経済の常識だと、「モノの価格が上がれば、必ず新しい資源が開発される」、ことになっているが、エネルギーの場合のみは、それが成立しない。新規エネルギーの獲得には、カネだけ有っても駄目なのだ。新規にエネルギーを得るには、なんらかの既存のエネルギーが必要なのだ。だから、エネルギーは枯渇するのだ。

B君:技術だけあっても駄目なのがエネルギー問題。水素がその良い例。人口が減って、再生可能エネルギーのみに依存する時代が来れば、水素が部分的に使われるかもしれないが、なんといっても二次エネルギーに過ぎないのだから、エネルギー問題の解決には、基本的に無力。

C先生:水素はエネルギーキャリアーなのだが、これを輸送用エネルギーに使おうとすると、まあ、有り得ない。考えるだけ無駄。

B君:原発のみの時代になった場合にも、水素は、負荷平準化などのために使われる可能性がある。要するに、余剰なエネルギーを蓄えておいて、電力が不足したら、瞬時に対応して発電するような用途。

A君:さて、話を戻して、エネルギー獲得以外のことであれば、市場メカニズムがかなり有効。例えば、二酸化炭素排出量についても、もしも、排出量に上限を設けて、そして隔離処分へ誘導することも不可能ではない。すなわち、市場メカニズムで制御することも可能。
 ところが、エネルギー枯渇問題は、市場メカニズムだけでは解決不能のように思える。

B君:エネルギーというものが、いかに基盤的なものであるかを、現代人は忘れているのだ。例えば、今、手元にエネルギーは皆無だが、100km離れたところに行けば、潤沢なエネルギーが買えるという仮想的状況を考えてみよう。すぐ分かることは、そこに行くにはエネルギーが必要だということ。例え歩いていったとしても、持って帰ることができる量は知れている。やはり、かなりのエネルギー・資源を使ってでも、ある種の装置が必要になる。例えば、タンクローリ。

A君:スイッチを入れると、エネルギーが流れ出て、なんでもやってくれる現代社会。それに慣れすぎている。

C先生:同じ資源でも、エネルギー資源以外の金属・鉱物資源ならば、エネルギーがある程度使えることが条件ではあるが、市場メカニズムが有効に働くと思って良い。近年のリサイクルはその例で、資源効率を高めるために、エネルギー過剰消費型になっているとも言える。

A君:それにしても、議論が長い。いままでの話を整理すると、2300年には、超省エネと再生可能エネルギー型の社会になる。エネルギー枯渇に対しては、市場メカニズムが旨く機能しない。
 そして、2300年よりも前のエポックが、石炭への依存時代。それには、炭素隔離処分が必要かどうかということ。それが、2050年頃の話題

B君:それは、温暖化がリスクなのか、それとも、エネルギー枯渇の方がより大きなリスクなのか、で決めるべきこと。

C先生:しかし、ヒトなるものの「今」を優先する思想からみて、温暖化が優先される可能性が高い。となると、コスト的に見合う限りにおいて、炭素隔離が行われるものと考えた方が良いだろう。石炭と炭素隔離は一体なのかもしれない。

A君:いずれにしても、2050年あたりまでに、一人当たりのエネルギー使用量を40%程度にすることが目標でしょう。

B君:その前のエポックが、石油のピークアウト。すなわち生産量が減り始めること。恐らく、2030年代。温暖化が深刻だとすると、二酸化炭素排出量を30%カット。エネルギー使用量も20%以上カット。

C先生:30%カットというと大変のように聞こえるかもしれないが、その気になるかどうか。要するにマインド・セットをどう切り替えるかだけの問題。

A君:もちろん、一円でも多くの利益を上げようというマインド・セットを一歩進んだマインド・セットにしないと。

B君:それには、国際的な競争力維持を考えに入れた経済的インセンティブを仕込んだ社会にすることだ。

C先生:もっと手前の話になると、2008年から2012年の京都議定書第一次約束期間が目の前だが、毎度言うように、ここは我慢。すなわち、「排出量取引には手を出さない。CDMにもできるだけ参画しない。水素などの幻想に囚われない。一次エネルギー消費量を極限まで下げるという意図を明確に持つ」、といった考え方で技術開発に取り組んで、2013年以降のために、技術活力を貯めることが重要なのではないか。

A君:加えて、国際対応では、そろそろ2013年以降のいわゆる「ポスト京都」の枠組みを考えなければならない。米国を含めた枠組みを2008年に決めることになるのだろうが、決まらない可能性が50%以上。

B君:ヨーロッパの環境金融マフィアが、折角できた排出量取引市場を手離すわけが無い。この市場にとっては、絶対値による規制が必要なのだから、マフィアの本性をむき出しにしても、ヨーロッパはやる。

A君:米国は、次の政権次第。日本、オーストラリア、カナダが問題になりそう。

B君:安倍首相の環境の方針が良く見えない。

C先生:さらなる問題は、中国、インド、ブラジルなどにどのような枠組みに入ってもらえるか。排出量の上限を決める絶対値規制を強制することは無理。となると、なんらかの効率指標には参加してもらうことができるか。例えば、CO2排出量あたりのGDPの達成値を決めるようにすれば、省エネにも繋がるので、経済的効果も上がるはず。

A君:国際的な枠組みがどうなるか、予断は許さない状況。

B君:日本として諸外国にどのような要求をだしていくのか、その方針が決まっていないのがまず問題。

C先生:その通り。日本国内での合意が無いのがまず問題。先日、某家電関係者に聞いた話なのだが、ある審議会で家電製品がいかに進歩したかを報告し、省エネには、今や機器の交換が必要という話をしたら、どうやら審議会の委員から大ブーイングを受けたらしい。合意形成がいかに困難か。

A君:意外ですね。最近、無駄な電気は消しましょう的な対応でできること、例えば、待機電力の削減などはかなり終わっていて、消費者も、自宅の屋根には太陽電池、給湯ならエコキュート、車ならハイブリッド、といった方向になってきたのに。

B君:大ブーイングというが、どんな主張なんだろうか。

C先生:どうやら、これまでの既存の機器を改造して省エネ対応できるようにしないと、「もったいない」ということのようだ。

A君:それができれば苦労はしないけれど。例えば、通常のエンジン車のエンジンユニットなどを積み替えてハイブリッド車にするといったことが可能だろうか。

B君:家電の話なのだから、エアコン、冷蔵庫だろ。ヒートポンプのコンプレッサーユニットを交換してCOPを上げるというやり方があり得るか。

A君:機器が統一規格になっていれば、それは可能かもしれない。統一規格を作るような働きかけが必要なのは認めるものの、その機器が進歩を止めたときに、やっと統一規格を決めることが可能になるのが、この世の中の通例。進歩を強制的に止めてでも、統一規格か。

B君:冷蔵庫だと、断熱材が真空断熱になったりしているので、やはり買い換える以外に方法論は無い。

A君:洗濯機にヒートポンプを使った機器が出始めているような状態では、まだ統一規格を作るところには行かない。

B君:エアコンは、そろそろ統一規格的な機運を盛り上げるべきかもしれない。しかし、他の機器の場合には、まだ自由な設計を可能にしておいて、効率を追求する方向へ誘導した方が総合的なメリットが高そうだ。

C先生:その審議会の委員も、技術の動向を理解していない。最近、審議会が公開になったために、その場での活発な意見交換ができないような状況になっている。自分の意見を言えば、それで終わり。要するに、言いっぱなしの状況になっている。

B君:メーカー側が反論しにくい状況だったのは想像できる。

A君:ただ、メーカー側もたまには頭を冷やして、つまらない競争に入らないような意識を持つべき。加えて、先ほどの本、「愉しい非電化」のような見方を楽しむべきだと思う。

C先生:そろそろまとめに入ろうか。

A君:2300年ごろには、地球への負荷が非常に低い、かつ、金銭的にも負担の低い対応が主流になっているだろう。しかし、それはかなり先の話。まずは、2020年。いきなり、「化石燃料に蓋をする」訳にも行かない。現時点からの軟着陸を留意しつつ、エネルギー効率の高い消費と、それに誘導する社会システムが必要。

B君:2050年ぐらいには、各個人のエネルギー使用量を最低でも半減するような消費生活に入らないと。エネルギー変換効率などの改善も計算に入れての話ですが。

C先生:そして、2007年は、京都議定書の第一約束期間の前の年だから、せめて10〜15年程度の視野を持って、省エネ型の消費生活を考えて欲しい。特に、家の建設、耐久消費財、車などの買い方には注意をして欲しい。

A君:家は断熱と給湯。自然エネルギー。それに自然の風とか自然の光の取り扱い方。

B君:家電は、やはり省エネ型車はとりあえず、できるだけ軽量な車か、もし買えるのならハイブリッド車。あるいは、いっそ、車をやめて、自転車への転換。

A君:自動車税の枠組みは変わらないでしょうね。

B君:それをなんとかしないと。環境税は、例えできたとしても、それほど効果的かどうか分からないし。

C先生:いまさら、排気量が3リットルを超すような車を買おうという人は、マインドを切り替える必要あり。これは持続可能性に反する行為か、とちょっと振り返る余裕が必要。そこで、ハイブリッド車にしてみようか、と考えれば、それが2007年型の思考法だろう。