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地球温暖化懐疑論批判という冊子 11.15.2009 |
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文部科学省科学技術振興調整費で行われている事業、「戦略的研究拠点育成」というものがある。東京大学が環境関係の大プロジェクトIR3Sというものを実施していたが、このプロジェクトの叢書No.1として、「地球温暖化懐疑論批判」という冊子が発行された。 この本で反論の対象となったのは、槌田敦、薬師院仁志、渡辺正、伊藤公紀、近藤邦明、池田清彦、矢沢潔、ロンボルグ、ダーキン(映像監督)、武田邦彦、伊藤・渡辺、山口光恒、丸山茂徳、武田・丸山、養老猛司、赤祖父俊一の各氏である。 これに対し、懐疑論批判派として執筆に加わったのは、 東北大学 明日香壽川 気象研究所 吉村 純 海洋研究開発機構 増田耕一 海洋研究開発機構 川宮未知生 国立環境研究所 江守正多 国立環境研究所 野沢 徹 国立環境研究所 高橋 潔 海洋研究開発機構 伊勢武史 国立極地研究所 川村健二 東京大学 山本政一郎 の各氏 ざっと読んだ感想としては、これで科学的な論破はできているように思うが、一部に、感情的な反発に関する配慮がまだ不足気味なのではないか、と感じた。 今回、ここで取り上げる理由は、2つ 1.最新の気候変動に関するデータが得られるので、その再確認を行うこと。 2.感情的反発に対してどう対処すべきか若干考える。 ところで、この冊子であるが、現物の入手方法は不明であるが、もしもPDF版でよければ、 http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/sosho にアップされているので、自由にダウンロードが可能である。 C先生:冊子の「最後に」というところで(p73)、多分、江守氏が執筆したのではないか、と思うのだが、「自己利益だけのために温暖化対策に反対する人々に都合よく使われ、温暖化対策は必要不可欠という社会意識の醸成を阻むボディーブローのように利いている懐疑論に対しては、(疲れるなと思いつつも)一つ一つ丁寧に反論をしていかねばと思う」。 これはまさに本音として十分に理解できる。 A君:「自己利益のため」という言葉で表現していることの本来の意味は、「これまでエネルギーを大量に消費することによって、経済成長ができるという枠組みをフルに利用してきた人々の自己利益」、という意味だと思うのですが、懐疑論者も実は、自己利益のために、確信犯的に懐疑論を振りまいてきたという要素が大きいと思います。 B君:それはそうだ。そもそも、この世の中の人々の恐らく1/3ぐらいは、「温暖化や地球の限界などの話は聞きたくもない」、と思っている。さらに、そのうちの1/10ぐらいは、積極的に反対をしたいと思っているが、自ら調査をした上で意見を述べるほど熱心でもないので、誰か適当な人の書いた懐疑論を読んで、そうだそうだとうなずくと同時に、一部のブログなどに賛成の意見を出して憂さを晴らしている。 A君:人口の1/30ということは、400万人。そのうちのさらに1/10が本を買ってくれれば、40万部売れる。13人の著者が分ければ、それぞれ3万部。これはベストセラーに近い売り上げになる。 B君:40万部で、1冊1000円とすれば、4億円。実際の売り上げは、そんなに少なくないと思う。多分その3〜5倍ぐらいはあったのではないか。稼ぎ頭は武田氏だろうが。 A君:自己利益を考える人の中に、出版業界の人々も含まれるということですか。 B君:場合によっては、メディアも自己利益派になることもある。 A君:確かに。p8の武田氏の反論、マスコミの使命について、「事実を報道すること」は当然だが、「異なる意見があるときには、片方だけを報道してはいけない」ということだ。 B君:日本のメディアは、こう言われると弱い。その方向に行ってしまう。自らの意見や哲学、さらに判断を余り述べないのが、日本のメディアの特徴だからだ。 A君:しかし、米国も同様。米国のメディアは、日本よりも少数派の意見を述べる率が高い。温暖化懐疑論がメディアを賑わしたのは、日本よりも米国が先行していたことからも分かりますが。 B君:米国は、ブッシュ大統領自身、あるいは、多くの共和党党員が全員懐疑論者だったと言えるので、メディアとしても想定される読者が多かった。 A君:ところが、欧州はそうではない。この冊子が引用している英国のフィナンシャルタイムズ紙の記者で環境分野担当のFiona Harveyは、「欧州のメディアがバランスに欠けているのではない。懐疑論者の議論を同じように取り上げてしまうと、(実際にはそうではないのに)彼らがアカデミックの世界でも大きな勢力を持っているという間違った印象を読者に与えてしまうことになると考えているからだ」と述べているとのこと。 B君:日本だって、気候学に多少なりとも近い分野の科学者は、ほぼ全員が「温室効果ガスを排出すれば温暖化する」と考えている。だから、懐疑論者は極めて少数派であることは事実。 A君:日本のメディアにとっては、「面白がる」ということが重要なマインドなので、異端児がいること自体が望ましいこと。 B君:ただ、欧州の態度がいつでも公平だというのもやや疑問。特に、英国は、国策として温暖化を市場経済に組み込むこと自体を国の経済戦略にしているから、フィナンシャルタイムズの根本的なスタンス自体が、その方向を向いているともいえる。 C先生:さて、今回の狙いの1である、最新のデータについて、検討を始めよう。 A君:了解。まず温度が本当に上昇しているかどうか。特に、都市化の影響、すなわち、ヒートアイランド現象が十分に考慮されていない。 B君:この冊子で使われているロジックは、IPCCのAR4のFig.3.9にある全球的な温暖化傾向と、NASA有名な夜間の衛星写真で都市化傾向を代表させてみると、都市化しているところの温度上昇が大きいということではないとしている。 A君:さてさて。これはさらに検証の必要があると思います。このICCの図は、1979年から2005年までの温度上昇を示していますね。都市化によるヒートアイランド現象が問題になったのは、東京の場合だと、1980年代以降ぐらいですか。となると、確かに、この期間だとも言える。しかし、温度上昇の度合いが読み取れない。 しかし、北京は、となると、都市化はここ10年ちょっとでしょうか。よくよく見ないと分からないのですが、確かに、北京よりも南の西安あたりの温度上昇がもっとも大きい。ということは、やはり都市化と温度上昇は関係無さそうですね。 B君:次は、日本の、あるいは、日本海の温度は上がっていない。武田邦彦氏の本、「環境問題ではなぜウソがまかり通るのか 3」で主張されている。 A君:これも、近藤純正氏(東北大学名誉教授)のホームページに一時期そのようなデータがあったが、その後、2008年4月に訂正されている。武田氏の本は、2008年10月に出版されているが、それ以前のデータをことさら使っているとのこと。 B君:日本海の温度データ(気象庁)が、p13に出ているが、なぜか日本海の真ん中付近での温度上昇が大きい。それに対して、北海道から東北の太平洋側での温度は、余り変わっていない。 武田氏は、「気象庁が恣意的にトレンドを示す回帰直線が引かれていないグラフを公開している」と主張しているらしい。しかし、これを気象庁が恣意的にやっている訳ではない。統計的に有意な結果が得られなかったところは、回帰直線を引いていないだけだ。 C先生:それは、武田氏の常套手段だ。官庁は信用できないというメッセージも、最近、一般受けするメッセージだということを非常に旨く使うのだ。 A君:次に行きます。2001年以降、気温上昇は止まっている、という赤祖父氏の主張があります。 B君:これは、極めて単純な話で、何年間のトレンドを解析するか、というだけ。気温などは揺らぐのが当然。いつだったか、日経の記事を批判したことがあるが、1年2年の傾向で、温度が上がる下がるという話は、気象の話。温暖化は、「気候の話」。気候とは、本来50年オーダーでの平均的な話だ。 A君:50年などという平均値ではなくても、15年ぐらいで移動平均するだけで、1800年ぐらいからの継続的な温度上昇のデータになるようです。 B君:赤祖父氏の主張は、かなり不思議なのだ。余りにも単純過ぎる論理で、これでは通用しないと思うのだ。同じような、赤祖父氏の主張がある。「IPCCは古気候の変動を軽視している」、あるいは、「Mannによるホッケースティックと呼ばれる過去の温度変化は計算結果と合わせるためのものだ」。これらにも同様の傾向がある。 A君:その最初の主張は、Keigwin(1996)のデータ(p18)を引用することでなされる。この図は、北大西洋のサルガッソー海(北緯25度〜35度、西経40度〜70度。長さ3200km、幅1100km)の海面温度の変化を海底堆積物を解析することによって推定したもの。それによれば、1700年頃の小氷期、1000年前後の高温期が明瞭に見られるが、IPCCが使っていたMannによるホッケースティックと呼ばれた気温変化では、その詳細がすべて消えている。これは意図的に気候モデルによる過去の気候の再現を簡単にするための選択に違いない、と主張する。 B君:ところが、同じKeigwin & Packart(1999)の論文によれば、北大西洋のさらに高緯度の43度付近だと、Keigwin(1996)の結果と全く違った傾向を示すという。ということは、どうみても、赤祖父氏が引用しているデータは、ある特定の地域の気温なのだが、それが地球全体を代表していると主張していることになる。 A君:Mannの仕事は、一応、世界各地の気温測定値を平均して得たものだとされている。しかし、2007年の報告書では、IPCCは他の研究者の過去の気温変化を使っている。それは、データの集積が進んだからだ(IPCC 第四次報告書 WG1の第6章図6.10)。 B君:赤祖父氏は、IPCCを信用していない。そのため、IPCCの報告書に書かれていることも信用してないのではないかと推測される。実際には、IPCCの検討は、かなり進化しているように見える。 IPCCをどう見るか。個人的見解としては、学問的には相当ニュートラルだと思うのだが、そこをどう考えているかなが鍵なのではないか。一つだけ確実なことは、個人がいくら頑張っても、世界中に存在する地球の気候に関する膨大な情報を一人で解析することはできない。IPCCに対抗することは、個人では不可能だということだ。 C先生:そろそろ気候変動の原因が温室効果ガスなのか、特に、二酸化炭素なのか、それともそれ以外なのか、に移ろう。 A君:まず、太陽の活動が気温を決めているのであって、二酸化炭素は無関係、という主張。 もともと、太陽の活動には、11年程度の短い周期がある。その周期を無視して太陽の活動量の平均を見れば、明らかに1800年頃が低い。その後急増して、一定値になり、そして、1900年頃から1950年頃まで増加している。1950年以後、太陽の活動の増大は見られない。 だから、太陽の活動で、気温の上昇は説明できない。 B君:丸山氏の言う、宇宙線の量と温度は、雲の形成を通じて関係があるというものもある。 しかし、この丸山流の反論は、理論的に証明が難しい、といった正統的な反論とは別に、この提唱者の論文の計算そのものに間違いがあるらしい、ということ。 C先生:かなり飛ばして、海水面の上昇の話に行こう。 A君:ツバルの海面上昇は、ここ25年の変化はゼロだと渡辺氏が主張しています。ツバルは、温暖化などで沈まないという主張ですが。 これは、単にデータの見方の問題のようです。まず、ツバルの首都フナフチに設置されたハワイ大学の潮位計によると、1977年から1999年までの22年間の潮位変化を渡辺氏は目視でゼロだと読み、ハワイ大学は、恐らく統計処理をして0.9mm/年とした。 しかし、それだけではない。この潮位計には問題があったらしい。地盤沈下などを補正するための基準面補正というものが行われていなかった。 最近設置された潮位計によると、1993年から2005年までの潮位は、4.3mm/年とすごい勢いで上昇している。 その後、正式な発表があって、なんと5.9mm/年とのこと。これは大変な速度である。 B君:しかし、ツバルの浸水の最大の原因は、やはりサンゴ礁を破壊したことだと思う。そのために、海岸浸食が激しくなり、また、島の中心部の低地にまで家が建ったことも、浸水家屋が増えた理由。 C先生:これ以外に、気候変動をどのぐらい重視すべきか、とか、どのような対策をとるべきか、といった議論も続く。 A君:さらには、京都議定書は、不平等条約であるという議論もある。 B君:1990年という基準年が不公平だという話は良く聞かれる。確かに、その側面もある。英国が北海油田のお陰で、石炭を天然ガスに切り替えて、排出量を削減したとか、ドイツが東西統合で効率の悪い東ドイツを抱えたために、少々の省エネ努力で大幅な削減が実現できたとか。 C先生:それは事実だ。しかし、小泉首相の時代には、政府側から一切の強制的な対策をしないで、自主行動計画に任せるという産業界との隠れた合意があったという噂話も聞く。1990年から日本国内の自動車の数は、60%も増えている。また、発電にしても、もっとも経済的に有利な石炭発電を増やしてしまった。要するに、日本の政治は、何も本気になっていなかった。福田首相になって、やっと少し本気になった。 A君:1990年を基準年として、日本がマイナス6%を実現するために、どこまで過去に戻らなければならないのか。森林吸収分があるので、実際には、マイナス2.2%で良いのですが。その年は、1988年。 ところが、ドイツはEU全体としてマイナス8%だけれど、マイナス21%という国別の目標値なので、1960年まで戻らないと達成不能。イギリスは1947年まで戻らないとだめ。 B君:しかし、イギリスなどは、省エネなどということを考えていない国だったから、状況はかなり違う。 C先生:京都議定書は国際交渉の結果できた合意文書なだけに、守るのは当然なのだが、罰則規定がないことも事実。そして、日本はまだマシな方だが、カナダとかオーストラリアの目標達成は全く無理。 A君:11月11日に、2008年の日本の温室効果ガス排出量が発表されました。それによると、 「環境省は、2008年度の日本の温室効果ガス総排出量速報値を、二酸化炭素換算で12億8,600万トンと発表した。 京都議定書の規定による基準年(CO2、CH4、N2Oは1990年、HFCs、PFCs、SF6は1995年)の総排出量と比べると、1.9%上回っている。 前年度の総排出量と比べると、エネルギー起源二酸化炭素について産業部門をはじめとする各部門の排出量が減少したことなどにより、総排出量としては6.2%減少している。 前年度と比べて排出量が減少した原因としては、金融危機の影響による年度後半の急激な景気後退に伴う、産業部門をはじめとする各部門のエネルギー需要の減少などが挙げられるとのこと」。 B君:一応、前年比でマイナス6.2%ということで非常に大きなマイナス。2009年は、場合によってはもっとマイナスになりそうだ。 A君:これで刈羽の原発がきっちり動いていれば、もっと目標に近づける。 C先生:マイナス6%のうち、森林吸収で3.8%がカウントできれば、残りはマイナス2.2%。排出権取引で1.6%削減することは、ほぼ達成済みのようなので、実際には、マイナス0.6%が目標値。ひょっとすると、2009年には達成しているのかもしれない。 A君:4月以降、ガソリンの暫定税制などを止めるといった妙なことを言わないで、がっちり環境税に切り替えるといったことができると、達成できてしまうのかもしれない。 B君:不景気になって達成するというのも、寂しいものだ。 C先生:そろそろ次の話題にしよう。この反論のやり方について、どう思った。特に、感情面ではこんなやりかたが良かったのだろうか。 A君:反論は極めて包括的。反論が不能だったというものは見あたらなかった。完全に論破ができていた。 B君:しかし、反論された相手としては、相当にカチンと来るほどの手厳しい反論のやり方だ。これだと、またまた妙な懐疑論をひねり出す人が出てくるような気がする。 A君:確かに。なんといっても、新規懐疑論が出てくることを待っている人は多いので、新ネタを探してくることでしょう。 B君:そんな気がする。懐疑論者が、この冊子で示された反論に対して、正当な再反論ができるだけの情報をもっているとも思えない。となると、何か次ぎの新しいネタ探しに入る懐疑派がでてきそうだ。 A君:それを防止するつもりなら、もう少々緩やかな反論とした方が良かったというぐらい、ピシャと戸を閉めてしまった感がある。 B君:まあ、新しいネタがどこにあるのか分からないが、また、反論を出せば良いのではないか。 A君:まあそれはそうですが。 C先生:これは、温暖化を全く知らない人がある講演会に出席したときの感想として聞いたのだが、赤祖父氏とこの冊子のある著者が対談したのだそうだ。「この本の著者の反論が赤祖父氏の言動の弱点を余りにも無遠慮に暴くような感じがして、感覚的に同意しにくい感触だった」、というのが感想だった。その人が言うには、「自分は科学的に正しいものがどれかを判断するだけの知識は無い」とのこと。まあ、やり過ぎは無意味な反発を招くということなのかもしれない。 むしろ、一般の人々のことを考えると、反論のしかたを工夫することも必要なことではあっただろう。 しかし、いずれにしても、この冊子が懐疑論者に対して、決定的な影響を与えるだろう。これはほぼ確実だ。果たしてどんな結末になるか、しばらくは見守りたい。 |
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