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今回の電力を考える最後の本はこの本。石油の本から始まり、様々な立場の本を取り上げたが、これは、まさに電力を真正面から捉えた本である。 竹内さんは、元東電の社員だった。尾瀬ヶ原は東電の所有物で、その自然保護に取り組まれていた。国連大学にいたときに、全国から集めた大学院生に講義をしていただいたことがある。 今回の書籍のデータは、このようなものである。 「誤解だらけの電力問題」 竹内純子著 新書: 240ページ 出版社: ウェッジ ISBN-13: 978-4863101258 発売日: 2014/4/28 国家にとって、エネルギーというものをどのような原理原則に基いて考えるのか。その王道とも言える原則がある。その大原則に則って、今後の電力を考えている著書であり、極めてオーソドックス。すべての人に読んでいただきたい。 Amazonでは、エネルギー分野の本の中で、売上上位である。ご同慶の至りである。 Amazonで買うとき、まずは、そのコメントを読んでから最終判断しようという方がおられるかもしれない。 コメントには、この本をウソの塊だと正々堂々と主張しているものがある。濱哲という人の意見である。それは次のような論点である。 『ひとつは、シェールガス革命をどう見るかの点。 2つめ、「地球温暖化」をアプリオリに疑いを入れない事実と捉えている点。 3つめとして、原子炉から排出される高レベル核廃棄物、とりわけ、「プルトニューム」をどう始末するかに言及しない点。 要するに、本書の著者が黙して語ろうとしないところに、この問題の本質が隠されているという事実を指摘したい。』 これには、代理で、反論しよう。 ひとつ目:シェール革命は、基本的に米国の状況変化の話、すなわち、米国がエネルギー自給国になるということである。そもそも天然ガスなら問題がないというものではない。2030年ぐらいまでは、誤魔化しきれるかもしれないが、それ以後は、IEA(OECDの外部組織)などが言うように、天然ガスも高炭素燃料に分類されるだろう。したがって、シェールへの全面依存は、米国においても国際政治的なリスクが大きい。 2つ目:すでに、「地球温暖化」という言葉そのものが不適切なものになっている。現象としては、地球に余分なエネルギーが蓄積されるというのが正しい表現で、気温が上がるということ同義ではない。同じ熱量が海洋に向かえば、その熱容量は大気の1000倍もあるので、大気の温度上昇はほとんど観測されない。しかし、いずれ、大気の温度上昇として現れる。また、異常気象が増えているが、その根幹には、海洋への余分なエネルギーの蓄積があるのではないか、という推定が徐々に重みを増している。二酸化炭素の人為的な放出が「気候変動」の原因であるという考え方は、科学者の集合体であるIPCC(国連の補助機関であるUNEP(環境計画)と国連の経済社会理事会の専門機関であるWMO(世界気象機関)が合同で設立した学術組織であって、国連の機関ではない)が言うように、「科学的に95%確実」というレベルになった。人数で表現をすれば、科学者の999人が支持、1人が反対、といったレベルになった。すなわち、科学的議論としてはすでにゲーム・オーバーの状況である。 ヒプシサーマル期に、海面が6m高かったのは歴史的事実であるが、それが何故なのか、調べればすぐに分かるのだが、この人は多分調べてもいないし、理解もしていない。また、仮にであるが、二酸化炭素濃度の上昇がなんらかの揺らぎの結果であったとしても、それがさらなる温室効果を加速するという物理的な事実を理解していないので、この説がすでに否定されていることも知らない。武田邦彦も、赤祖父教授もこの分野ですでにコメントをしていない。それは、彼らの個人的目的はすでに達成されたからである。このコメントの投稿者の勉強不足から来る論理の的外れぶりは否めない。 現時点で、二酸化炭素の排出が「気候変動」の原因であることを否定する人は、日本人のかなり偏ったビジネスマンと米国の共和党関係者ぐらいなものである。 3つ目:すでにかなり蓄積したプルトニウムを処理することは、必要条件の一つになるだろう。一つの方法は、高速減容炉。高速中性子を活用する方法なので、ナトリウムを使うのが普通であるが、そもそもナトリウムだから危険ということではない。ナトリウムを使わないでブルトニウムを早期に処理する方法論もあるので、国民的理解が得られれば、実用化のための研究を行うべきである。 高レベル放射性廃棄物の処理は、2100年頃までには、国際的に「政治的な決断」が行われ、地球の能力に委ねるという結論が出ていることだろう。10万年といった現世代の人類の歴史の半分に相当する期間に渡って、何かを管理することは不可能だからである。 トリウム炉に使う溶融塩なら安全だということはない。溶融塩に耐える容器の素材は、現存する材料科学の知識ではかなり怪しいものである。しかも、新しい材料は、開発すれば、必ず見つかるというものではない。材料の開発から始める技術に安易な期待を抱いてはいけない。 最後になるが、このコメントの投稿者は、本書を「相も変わらぬワンパターンの原発擁護論」だと決めつけているが、著者の本意を読み取れていない。単純な原発擁護論者の論とは全く違うものである。 別の人による評価が低いコメントがあるが、それは、「残念ながら、原発再稼働、電力システム改革等の重要な論点に対して、ポジションを張らずに、当たり障りのない一般論に終止している。現状の整理という意味ではよくまとまってはいるが、もう一歩踏み込んでほしかった」、である。 これへの反論は次の通り。 電力の選択に関しては、ポジションを決めて議論するような問題ではない。むしろ、ポジションを決めた議論は無意味である。あらゆる可能性を評価しつつ、常に、最善な組合せへの移行が求められるので、ポジション自体を流動させざるを得ない。ポジション・レスの対応こそ、電力を正しく選択できる。なぜなら、3種類しかない一次エネルギー、すなわち、化石燃料、核燃料、自然エネルギーは、いずれも欠点だらけの問題児だからである。 それにしても、福島第一原発事故以来、ポジションを先に決めた議論が多すぎる。新聞の最近の論調は、何ごとにつけても、まさにこれ。メディアを先頭として強くなったこの傾向は、憂慮すべきである。日本人が知性を失い始めている証拠なのではないだろうか。 C先生:いやいや、本論に入る前の記述が長くなった。 A君:簡単に目次の紹介から行きます。 目次 序 エネルギー政策の理想と現実 第1部 エネルギーに関する神話 1.再エネ神話の現実 2.ドイツ神話の現実 3.電力会社の思考回路にまつわる神話 第2部 エネルギーに関する基本 1.電気はどこでどう作る 2.エネルギーを語るなら知っておきたい常識 3.キレイごとでは済まない温暖化問題 4.東電福島原子力事故による3Eの変化 第3部 電力システムの今後 1.考えなければならない問題 2.原子力事業は誰がどう担うのか 3.今後電力システムはどうあるべきか 補論 電力システムと電力会社の体質論 B君:本書の読み方が序に書かれていて、第2部が基礎なので、エネルギー政策について良く知らなければ、第2部から読むのを奨めているけれど、もし多少知識があると思えば、第1部から読むのが良いだろうとのこと。 A君:多少エネルギーについては知っているつもりで、第1部から読みましたが、第2部になっても、「なるほど」、ということが多かったので、第2部を読み飛ばしても良いということではないようです。 B君:確かにそうだ。環境関係に詳しい人ならば、むしろ第1部の方が良く分かっているということになりそうだ。 A君:第1部エネルギーに関する神話のポイントをリストアップして、ご紹介しますか。 ポイント:第1部 エネルギーに関する神話 ★1:p30の図 主な電源の発電コストの真相 ★2:p48、ドイツでの脱原発政策に対して、大手電力会社が合計2兆1千億円の賠償を求めている。 ★3:p53、ドイツは、自由化で電力価格が下がったとは言えない。 ★4:再エネによる二酸化炭素排出量の削減コストは、1トンあたり190ユーロ。 ★5:p56:ドイツ:不安定な再エネゆえに価値は低い。低い価格で取引される再エネ電力が増えると、天然ガスのように、環境にはまあまあだけれど、コストの高い発電が競争力を失い、石炭火力、褐炭火力などが増えてしまう。 ★6:p57:ドイツではFITの影響による家庭の負担が、年3万円程度にもなっている。 ★7:p62:ドイツでは、送電線の整備が進まない。2020年までに1834kmの目標に対して、2013年暮で268km。 ★8:p62:チェコなどに余剰電力が流れ込み、送電システムを不安定化している。 ★9:p66:メルケル首相は、脱原発、再エネ化を進めるが、「あれも嫌、これも嫌という甘えは許されない」と国民に覚悟を求めた。 ★10:p67:ドイツは2030年代末までに、1兆ユーロの政策経費が必要。(国民一人あたりにすると140兆円を8000万人で負担するので、18万円ぐらい) ★11:p70:日本の電力会社のもっとも恐れることは「停電」。顧客からのクレームがすごいから。安定供給=至上命題。 B君:説得力のある事実を指摘し、それを積み上げることによって、著者の主張が上手く組み立てられている。ドイツがどう進むのか、これは本当に重要な問題。政策経費が払えるのならば、やってしまうという手もある。 A君:本来、自由なビジネスである原発を、国が止めろと強制すると、★2のように、国家が賠償することになる。それこそ、なんでもできますが、これも税金の一部と考えれば、値上げの一変形。 B君:安定電源である原発を止めて、再生可能エネルギーに置き換えると、送電線の容量を高めて、より広い範囲で安定化を目指すことになる。これも電力コストに影響する。 A君:それが、★7ですが、★6のようにFITの影響によって、ドイツでは家庭の負担が3万円ほど増加していて、これ以上家庭の負担を増やすと、政権の安定性に影響するので、これ以上の家庭の負担を求めるような、さらなる投資が難しくなる。 B君:それで、★9のように、「あれも嫌、これも嫌という甘えは許されない」というメルケル首相の言葉だが、ドイツでも、やはり国民は我儘なのだ、ということだ。原発は嫌だ、自然エネにせよ。しかし負担は嫌だ。 A君:★4ですが、温暖化対策としての自然エネルギーを考えると、非常にコスト高ということになると、これは別の方法論を考えるということが必要になるということで、やはり途上国などのように、簡単に削減ができる場で削減するという国際的な枠組みが重要のように思えますね。温室効果ガスは、地球上のどこで排出しても、影響は地球レベルなので。 B君:★11の日本の電力会社がもっとも恐れることは停電、という件だけど、自然エネルギー導入を勧めようとするときの最大の障害になりそうだ。 A君:安定供給といっても、たった0.2Hz揺らいだだけでも、繊維産業・織物産業などでは問題が起きて、クレームが来るらしいですが、製造装置の駆動モーターをデジタルサーボで制御するようにすれば、問題はない。要するに、過去からの安価な製造装置をいつまでも使いたいという製造業の事情を、電力会社がどこまで面倒みなければならないか、という問題。 B君:むしろ、そのような特別の工場ならば、ある程度のサイズの蓄電池でも入れて、もっと大幅に揺らいでも、製造には影響がでないようにして、安定供給とは、瞬間的な安定性を言うのではなくて、24時間単位で必要な電力を供給すること、とでも定義を変えると、自然エネルギーが大量に導入できるようになる。 A君:蓄電池の費用のすべてをその工場が負担するのか、それとも、ある程度、共通財として負担し維持するのか。それは、色々なレベルがあり得るということですよね。 C先生:要は、考え方次第・制度次第なのだが、これまでの制度に慣れすぎている日本社会のある部分が、変化を阻害しているのは事実だ。その代表例が農業で、JAを今後どうするのか。「JA北海道中央会の飛田稔章会長は5月30日のJAグループ定例記者会見で、政府の規制改革会議の農業ワーキング・グループが全国農業協同組合中央会(JA全中)の廃止などを盛り込んだ農業改革案をまとめたことについて「道内の実態とかけ離れたもの。競争原理だけで農業は語れない」と批判した」、といったニュースが流れたが、北海道におけるJAの存在感の大きさは、特別なので、こんな発言ができる。国の多くの施策も、業界の主張を反映したものにならざるを得ないのが実情。これをどこまで面倒みるのか、それとも規制改革を断行できるのか。日本国内では、これが最大の問題だと思う。 A君:それでは、次に行きます。エネルギー政策というものをどのように考えるのか、ということがもっとも重要なことなのですが、それを記述しているのは、実は、飛ばしても良いかも、と著者が述べている第2部です。 ということで、第2部 エネルギーに関する基本を、第1部と同様、「なるほど」でまとめてみますか。 ポイント:第2部 エネルギーに関する基本 ◆1:p83:停電が起きる理由は、供給不足。需要の90%しか供給できなくなると、周波数が1Hzほど変動して、発電機などが故障する可能性が高くなるので、発電機を系列から切り離す。ますます供給不足になって、広域大停電になる。 ◆2:p85:供給システムにN個の設備があるとき、1個の故障だけなら停電しないように対策を打っておくが、同時に二つ以上の設備が故障したら、停電は許容する、という考え方が万国共通。 ◆3:p89:これまで予備率という余裕が8〜10%あれば、安定供給が可能とされてきたが、福島第一の事故以来、供給力不足で、余裕が3%あることが基準になっている。 ◆4:p91:北海道のように、供給量が少ないところでは、大型の発電機が1基止まっただけでも、危機的になる。そのため、2013年の冬、予備率が7.3%あっても、節電要請が行われた。 ◆5:p94:50Hz、60Hzの統一には、電気事業者側だけでも、10兆円。ユーザ側の費用がそれにプラス。 ◆6:p101:風力の適地とされる北海道や東北からの基幹送電網を整備するためには、1兆1700億円かかる。 ◆7:p110:電気料金を需給に応じて変える実験の結果。電気料金を3〜10倍にすると、20%の消費が抑制される。著者は、わずか20%であると理解している。 ◆8:p116:エネルギーを考える基本は、「3つのE」+「S」・Energy Security、Economy、Environment、Safety。 ◆9:p169:電気料金は必ず上がる。原発を補う追加の燃料費が年3.6兆円。国民一人あたりにすると、3万円/人・年の負担増。これを電力会社が合理化してカバーするのは、難しい。なぜなら、9電力の人件費の合計が年間1.3兆円にすぎないので。 ◆10:p172:p30に出た図にある原発による電力のコストは、8.9円/kWh。このコストには、事故があったときの損害賠償5.8兆円が57年に1回起きることという仮定して含む。廃炉の費用も含む。核燃料サイクルについても、直接処分や再処理の場合のコストを含む。最終処分後は、安定に推移することとし費用は発生しないと仮定している。 B君:◆2だけど、今年の西日本の電力供給は、かなり危機的だと思うのだ。使用量が供給力の95%を超えた状態で、どこかの発電所・変電所などがイカれたら、それこそ、需要家を切り離すということになるのだけれど、そこで、2つ目の設備が駄目になったら、これは悲惨な結果になる。 A君:そのような確率がどのぐらいあるのか、それを明示すべきだと思うのですよ。 C先生:その通りなのだ。そんなことが起きたら、大変なことなのだから、どのぐらいの確率でそれが起きるのか、それを公表するのが筋なのだ。ところが、電力会社は、これを良しとしないのだ。最近、すべての電力会社がやっている「でんき予報」だが、http://www.nikkei.com/news/denkiyoho/ この情報開示に対しても、大飯原発を再稼働したとき、「危機感を煽って、原発の再稼働を進めようとしている」と文句を付けた人が多かったからではないだろうか。 A君:危険なことを電力会社は知っている。しかし、一般人は知らない。もし、何かが起きたとき、「知らせてくれたら対応できたのに」という反応が来たら、それこそ、電力会社だけの責任になる。これは、著者が指摘しているように、第1部★11の安定供給という言葉の呪縛から逃れられない電力会社の体質を示していると言えるのでしょうね。 B君:まあ、それでも、「でんき予報」が一般化したのは、一つの進化かもしれない。危機になる確率を示すようになれば、さらなる進化なのだが、現時点でも、電力会社の意識が変わらないのは、なんともだ。 A君:もし大停電のようなことが起きたら、地域独占を許しているからだ、というロジックが優勢になって、電力会社にとって不利だと思うのですけどね。 B君:自由化も、供給余力がほとんど無い状態で自由化すると、カリフォルニアで起きたように大停電になる。自由化が、電力の安定供給に資すると同時に、電力価格が下がることに繋がるには、余程条件を見極めてから取り組まなければならない。待てよ、この話は、第3部で出てくるのだった。 A君:◆9と◆10ですが、原発のコストは、最近だと安全対策を付加しなければならないので、昔ほど安くはないとされています。それでも、一応、廃炉の費用とか、使用済核燃料の処理とか、事故の補償金などまで含んでいるということは知られていないようですね。それだけでなくて、ウランを燃料として買う国はまだまだ限られているので、石油のように価格変動が大きくはない。これは、◆8の3Eの最初のエネルギー安全保障にとって重要で、日本のように自給率が4%という国では、第二次世界大戦に日本が突入したときにもエネルギー供給は大きな要素だったとされています。 B君:化石燃料を奪い合う国の条件の一つが、弱みを見せないこと。もっと別の表現をすれば、足元を見られない国になること。これで価格交渉力を上げることが重要だ。言い換えれば、いざとなれば、我々には自前のエネルギーがある、と言えること。 A君:東日本大震災以後、カタールなどから緊急輸入した天然ガスは非常に高かった。その意味でも、再生可能エネルギーは自前のエネルギーなので、多少高くても頑張るということが重要なのだと思います。 B君:◆8は、電力だけではなくて、ほとんどすべての事柄について、重要な視点なんだけれど、そのうちのS=安全については、他のエネルギー源とのリスクの比較が本当に十分なのか、というところが一つのポイントになる。 C先生:◆8の安全だが、これは、もっとも誤解されていることかもしれない。今後再稼働する原発の安全性が、もしも福島第一と同程度であったら、それは、絶対に止めるべきものなのだ。福島第一は、1000年に1度ぐらい、あのような事故を起こすといったレベルだったのではないか。もし、そうだとすると、今後世界に1000基の原発が稼働するようになるだろうけれど、毎年1基があのような事故を起こすことになって、これは許容しがたい。最低でも、福島第一の1000倍は安全になっているという確信が持てたら、考えても良い、という判断が妥当ではないか。世界に1000基あったとしても、1000年間に1回の事故確率なら、ウランの供給が1000年も続くとも思えないので、この程度の確率なら、一度も事故を起こさない可能性が高い。 A君:最近、気候変動リスクを持ち出すと、原発推進派だという分類になってしまう。実情は、気候変動を馬鹿にすると飛んでもないことになる。それが起き始めるのは、今世紀の後半でしょう。 B君:しかも、今世紀後半からいくら二酸化炭素の排出量をゼロにしたとしても、実は、間に合わない。2030年には方向転換がある程度起きないと駄目なことまで分かっている。 A君:しかし、現在の経済が重要だという人には、受け入れられない。その結果、シェール革命などを主張する人は、温暖化懐疑論者だったりする。要するに、◆8は、安全性といっても、リスク論でしっかりと評価することが重要です。 B君:リスク論といえば、実は、原発にその根源があるようなものなので、原発のリスク論はかなり進化していて、PRA(probablistic risk assessment)という方法論が存在している。しかし、これまで、それを本気ではやってこなかった。 A君:PRAにも色々とレベルがありますが、福島第一のような過酷事故の発生確率まで検討するのをレベル3と言いますが、これをやったとして、その結果をどうやってコミュニケーションをするか、その方が大問題。 C先生:そろそろ第3部に行くか。 A君:了解。第3部電力システムの今後の「なるほど」のリストです。 ポイント:第3部 電力システムの今後 ●1:p177:自由化によって価格がどうなるかは、設備率というものが重要な要素である。発電能力の総量が十分であれば、自由化も効果がでるが、不足しているときに自由化すると、大停電に繋がる。 ●2:p179:発送電分離は、2018〜2020年に送配電事業者が法的に分離される。東日本大震災後の復旧の速度は、3日で80%、8日で94%と驚異的だったが、これを実現するには、制度設計が重要。 ●3:p182:原子力のような初期投資が莫大な事業は、自由化すれば手を出す事業者がいなくなってしまう。イギリスでは、気候変動対策のために、石炭火力の早期廃止などが予定されてるためもあり、原子力を再エネと同様、固定価格買い取り制度の対象にした。 ●4:p190:省エネは重要。1kWhを節約する「省エネコスト」での比較が重要。 ●5:p196:東電は「死ねない巨人」。莫大な賠償と除染作業、廃炉などの負担金が10兆円になる。 ●6:p197:原子力賠償責任のあり方。米国では、どこかの事業者が事故を起こすと、他のすべての原子力事業者が保有する原子炉数に応じて資金を拠出することになっている。そのため、各事業者の安全性を相互にチェックするシステムができている。 ●7:p200:現状のような、お上のお墨付きを得れば良いといった制度設計では、安全性を向上できず、原子力は、新しい安全神話を作るだけ。 ●8:p203:エネルギー資源が無いことは、絶好のチャンスでもある。 B君:この第3部は、今後の電力業界がどうなるか。その影響はどのようなところで出るか、ということが指摘されている。 A君:今後起きるであろう南海トラフの地震で電力が復旧する時間はどうなるのだろうか。弱体化した送電事業者ばかりだと、復旧できない可能性すらある。 B君:2012年の秋に起きたハリケーン・サンディによるニューヨークの停電は、全部が復旧するのに、1ヶ月かかった。もっとも、送電線だけでなく、ビルの受電設備が壊れたということも多かったからだけれど。 A君:国土強靭化計画というものでも、エネルギー分野の重要性は指摘されています。しかし、それを維持するのは難しい。なぜなら、「人」がキーワードだから。やる気のある人から構成されている自律的な組織が存在していることが条件。現時点の電力会社は、世間の大逆風にさらされて、マインドが下がりっぱなしだと思います。 B君:原発の再稼働も、現在の規制委員会への対応のような仕組みだけでは、安全向上マインドができない。やたらと難しい指摘を受けて、嫌々対応しているようでは、安全神話の再来が予想されてしまう。 A君:継続的に安全性の向上を目指すことができるような電力会社になって、初めて、事故率が100万年に1回といった安全性が実現できるのではないでしょうか。 B君:この安全性も運転員のやる気が非常に大きく影響する。マインドが下がった運転員ばかりになったら、怖いものがある。 A君:とうことで、第3部に対する直接のコメントは余りなし。 B君:これでp204まで終わって、残りが補論 電力システムと電力会社の体質論。 A君:以下、補論のポイントです。結構面白いのが、この補論。 ポイント:補論 電力システムと電力会社の体質論 ■1:p206:企業体質を作るのは「体制」。人は「この体制の下ではそれが合理的」と発想する。東日本大震災と福島第一原発事故で世間の価値観は大きく変わったけれど、「体制」は変わっていない。そのため、電力会社の行動原理はまだ変わっていない。 ■2:p209:失われた民間らしさ。政策的重要性をもつエネルギー供給には、官制のシステムが合理的だった。 ■3:p210:「供給本能」がある。自分たちだけでそれが実現できると思っているところが間違い。常に消費側の協力が必要であるにも関わらず、「自分達が」という思いが強すぎる。 ■4:p212:高コスト体質。安定供給至上主義と総括原価方式が元凶。仕事をスクラップできない。真面目さも原因。メディアの「管理体制に穴や漏れがないか」、という指摘も、高コスト体質を招く元凶の一つ。 ■5:p214:何をやるかはお上次第。 ■6:p217:「チャレンジは失敗のもと」。 B君:まあ、ありそうな話。■1は極めて重要で、はやく「体制」を変えなければならない。しかし、拙速にすぎると、米国で起きたような大停電が起きたりする可能性も否定できない。 A君:残りの指摘もそんなものだったのだろうと思いますね。 C先生:そろそろ終わりにするか。余りにも長くなりすぎた。 基本的なスタンスとして、今後のエネルギーをどう選択するのか、それは国民の役割である。しかし、そのときに重要なことは、「あらゆることを考慮した上で、結論を出す」ということ。電力の場合には、S+3E=安全+エネルギー安全保障+経済性+環境性のバランスを十二分に考えた上で、結論を出す必要がある。普通は、3E+Sと書くのだが、それはおかしい。Sは前提条件なので、先頭にあるべきだと考えているので、ここでの表記は、S+3Eなのだ。 A君:しばらく前のことになりますが、朝日新聞の夕刊に「核といのちを考える」というコラムのような記事が連載されていました。これが極めて情緒的な単一軸だけの主張が掲載されています。これがまさに本音だということなのでしょう。したがって、このような本音にどうレスポンスをするのか、これが重要で、ややもするとその対応がすれ違いに終わる可能性が高いように思います。 B君:命に関わる安全性と経済を並列に考えるな、という主張も多い。しごく当然ではあるものの、実際には、経済で命が失われいる。このところ自殺者は多少減ったけれど、それでも2万数千人/年のレベル。かなり多くのケースで「経済」が原因。 A君:余り自己主張をしない人々というのが実は大多数であるこの国では、その人々に、どこまで支払額が増えて良いですか、ということを聞かないと、それこそ命が失われる事態を招くことになる。 B君:安全性も同様で、福島第一の事故だが、すでにここでも議論されているように、1000年に1回は、確実に起きてしまうという程度の安全性しか確保されていない原発であった。これをどこまで向上させれば、受け入れが可能ですか、ということを、普段沈黙を守っている人々に答えて貰わなければならない。 A君:一つの考え方として、1000倍安全にするということではどうですか、とすでに述べました。1000倍より1万倍が良いと言われても、あるところから先は、「リスク・トレードオフの原則」が効いてきて、副作用の方が大きくなりそうに思います。副作用というのは、経済的に無駄という意味だけでなく、資源・資金があるところに集中すると、別のジャンルでの安全性確保が難しくなる、という意味でもあって、国民レベルでの満足度を上げるために必要な、財政資源・地球資源・自然資源などが有効に使われない可能性があることを意味します。 B君:まあね。例えば、高さ40mの防潮堤を本気で作るのか。さらに、約3万年前に起きた姶良カルデラからの大量放出が、今後30年程度の間に起きる可能性をどう考え、どう対策を取るか。これが起きれば、確かに、川内原発が被害を被る可能性は高いけれど、そもそも鹿児島市の住民は全員無事に避難できるのだろうか。 A君:極めてクールに考えれば、この日本という国に住んでいる以上、原発を止めるのも、止めないのも、最初から結論があるのではなく、ゼロリスクは無いという事実を踏まえて、しっかり評価する選択肢の一つに過ぎない。 C先生:リスク論は色々あるが、その中で、絶対に正しい原則だと言えるのが、「ゼロリスクは無い」。リスクがあるものをすべて止めていたら、この天災・災害が多いこの日本という国に住むのを諦めなければならない。 竹内さんが第3章の最後に述べている●8:p203:「エネルギー資源が無いことは、絶好のチャンスでもある」は事実だし、「このリスクだらけの国で、あらゆる状況のリスクを評価することができる」ようになれば、それは、世界に通用するということで、やはりチャンスでもある。 要は、「諦めて自閉的なスタンス」を取るか、あるいは、「柔軟な態度を維持して、ゴールを達成するスタンス」をとるか。要は、マインドの持ち方のように思う。竹内さんは、ポジティブマインドの人のように思う。 もう一つの絶対的な原則が、あらゆるものには「賞味期限がある」。賞味期限とは、美味しく食べられる期限であって、食べると下痢をするという期限ではない。エネルギー関連では、石炭の多用は、賞味期限がすでに切れているが、無理やり食べるという対応が未だに主流になっている。石炭は、CCSという料理法に切り替える必要がある。 現在の方式の原発も、どうやら「賞味期限」が近いように思える。ウラニウム炉であっても、ウォークアウェイ方式のように、無電源状態になっても暴走をしないタイプへの転換を考える時代になりつつあるように思える。特に、途上国への普及を考えると、これ以外のタイプは残留リスクが相当に大きいように見える。残る課題は、最終処分だが、2100年頃には、恐らく国際合意ができているだろう、と想像している。 一方、再生可能エネルギーは、まだ、主食にはなりそうもない。地熱を除くと、「おやつ」の域を出ない。主食にするには、新しい料理法を開発する必要があって、その候補の一つがエネルギーキャリアやエネルギー変換業の創成、さらに、電池や揚水発電などのクラシックなエネルギー貯蔵法だろうと思われる。 このように概観すると、現存する3種類の一次エネルギーである、化石燃料、原子力、再生可能エネルギーは、いずれも欠陥だらけのエネルギー源であることが分かる。先進国は、これまで、化石燃料を主に、原子力を副として使ってきた。しかし、両方ともそろそろ限界が近い。だからといって、再生可能エネルギーだけにするには、もう少々時間が掛かるだろう。 ちょっと、大局観を述べてみたい。これまで地球環境問題は、持続可能性が問題だとされてきた。特に、1992年の地球サミット以来、持続可能な社会を形成することを主たる目的として、国際的な環境対応がデザインされてきた。しかし、化石燃料、原子力はいずれも、地球の深部に蓄積された枯渇性のエネルギー源を使っているために有限であり、未来永劫使えるというものではない。それに対して、再生可能エネルギーは、太陽が日々供給してくれているエネルギーを使っている。しかも、太陽が供給するエネルギー量の1/10000程度を使えば、人間社会にはなんとか十分な量である。 最近、しばしばそう思うのだが、そろそろ「持続可能」という「国際政治での誤魔化し」を内包する言葉を、環境のスローガンにすることを止めたらどうだろうか。 これに変わる言葉が、「定常状態」である。その定義は、地球という系におけるエネルギー・フローの量、すなわち、(流入量−放出量)をゼロにすることである。化石燃料を使うことは、数億年から数千万年までに太陽が地球に与えたエネルギーを使っていることである。原子力を使うことは、地球が形成された46億年前に準備されていたエネルギーを使うことである。このような歴史的に蓄積されたエネルギーを使うことは、親、祖父母が残してくれた財産を三代目が使い尽して、そのお家を潰す行為となんら違いはない。 ほぼ再生可能エネルギーだけに依存する人間社会が構築できれば、金属資源などは、再生可能エネルギーでフルにリサイクルを行うことにすれば、物質面での定常状態も近似的に達成することが可能である。定常状態の定義は、エネルギー面と物質面の両面で定常状態を達成すること、であるので、基本的には、再生可能エネルギーだけに依存した社会は、定常状態に近いと言える。 ちなみに、「定常状態の経済学」の提唱者であるハーマン・デイリーは、この度、旭硝子財団のブルー・プラネット賞を受賞することになった。遅すぎたと思うが、やっと正当な評価が日本でされたことは嬉しい。「定常状態」というと「経済成長が無い」というように聞こえるので、米国などでは、全く支持されなかったのだ。 実際には、定常状態でも、成長はある。そもそも、ヒトという生命も、大人になると定常状態に近くなる。特に、脳細胞は一生もので、徐々に機能を失うと考えがちであるが、本当は、脳細胞が新たに生まれることは無いが、その構成物質は更新されている。したがって、脳の中身である「知」は年齢と伴に、脳機能が劣化するまで進化する。ヒトの知が進化すれば、経済の知も進化するだろう。 定常状態にする意義や目標をより分かりやすく表現するにはどうしたら良いだろうか。 再生可能エネルギーだけに依存した社会というものをすぐに作り上げるほど、人類は、技術面で進化をしていない。当分の間、化石燃料・核燃料という財産を使い尽くす三代目的な生活を続けなければならないのが、悲しい現実である。 しかし、せめて、「ほぼ自然エネルギーだけの2100年」をスローガンにして、それに向けたロードマップを書くぐらいのことは始めても良いように思える。 本記事の最初に指摘した濱哲という人の意見のように、極めて硬直化した発想からの、竹内純子さんのこの著書に対する批判は、日本ビジネス界における極めて残念な意見を聞く思いである。それは、大局観が、全く無い意見だからである。 大局観、特に、今世紀の終わり程度の未来をしっかりと見据えて、そこに至るまでのエネルギー需給や環境影響を予測しながら、柔軟な対応策を考えるといった方法以外には、明日のエネルギー政策を議論することはできないように思える。 これを結論にして、5回連続したエネルギー関連の図書の書評を終わりにしたい。 ![]() ![]() |
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