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日本は途上国の環境改善どう貢献できるか 05.16.2004 ![]() |
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前々回とその前に、環境とエネルギーに関して、非常にマクロな統計指標を用いて、国の特性などについて、議論をしてみた。 勿論、この手の情報は、必要不可欠であることに間違いは無いのだが、この手のマクロなデータから類型化し、次はこの方向に進むべきだといった議論は、多くの場合正しい解を与えない。すべてだとは言わないが、これまでの開発援助が100%成功しない理由の一つは、こんなところにもある。 途上国といっても、実に特性は様々。その実情に合わせた、超ミクロな開発学なるものから、超マクロな開発学までセットで準備することが重要のようである。 C先生:国連大学なるものは、途上国の環境に対して貢献することを主たる任務としている。地球全体の環境問題の解決のためには、残念ながら、最大の問題国は米国を筆頭とする先進国内のライフスタイルだから、途上国だけを対象とした対応だけでは、不十分。 A君:しかし、米国のライフスタイルを変えるために国連大学が努力するというのも変ですね。 B君:本来、米国の問題は、米国内で解決をすべき。なぜならば、十分な情報があり、十分に能力のある人材が多い。政治を自らの意思で変えれば良い。日本についても同様。日本国内にも十分な人材が居る。 C先生:そこがポイントで、途上国の場合には、人材の育成が常に大きな問題となる。そこに協力することが必要不可欠。 A君:しかし、教育だけやれば良いというものではないという主張もあります。 B君:開発という行為は、どうも地域、国の特性によって最適解が違う。そこで、議論がかみ合わないということがありそうだ。 C先生:最近読んだ本で、「エコノミスト 南の貧困と闘う」、ウィリアム・イースタリー(ISBN4-492-44304-5、東洋経済新報社、¥2940)なるものがある。この人は、世銀WorldBankの職員であったが、2001年に退職して、現在はニューヨーク大学経済学部教授だ。 A君:多少話題にはなりましたね。この本。日本では、開発経済学なるものが、余り主流とは言えないですから。本屋に行っても、ほとんど無い。 B君:世銀は世界の開発に関わるUN系責任機関の一つ。失敗の連続だったというこの本の記述は、内部告発に等しい。 C先生:まあこの手の話は、批判側から見るか、あるいは、体制側から見るか、それによって全く違った形の記述になっている場合が多い。だから、100%信用できるというものでもないだろうが、指摘の中に込められた真実を探し出すことが重要ということだろう。 A君:この本の第1部、第2部では、過去50年間、如何に途上国経済開発で失敗があったか、ということが書かれています。援助も、投資も、教育も、人口抑制も、構造調整投資も、債務救済も。これらは万能薬ではなかった。 B君:ある意味で当然とも言える。各国の状況も違えば、また、為政者の人格も様々。もっと、人間なる生き物の本質・本性に掛かわるようなキーワードが必要というのが、このイースタリー氏の主張。彼の言うキーワードが「インセンティブ」。日本語に訳すと、「向上心」と「努力すれば報われる社会体制を作ること」だろうか。 C先生:それは事実のような気がする。日本のような社会になっても、人間、まずはモティベーションの高さで相手を評価するのが間違いが無いように思う。どんな世界になっても、キーワードは「向上心」だろう。 A君:まあ、できるなら「経済力向上心」よりは、「知的向上心」あるいは「社会貢献向上心」ですが。そろそろ、このイースタリー氏の本で上げられている失敗例を若干説明しましょうか。 B君:その前に、いくつか確認した方が良くないか。まず、このイースタリー氏の言い分は、もともと根も葉もない不老不死の薬に類似した「経済学的処方箋」を経済学者が書きすぎたということが原因だというもののように思える、ということ。 C先生:加えて、我々の言う「開発」は、人間開発が目的であって、「経済開発」だけが目標ではない。しかし、確かに、経済開発が人間開発にとって必要条件であることは事実である。この本は、貧困の克服という、最低限必要な経済開発について述べたものであることを確認したい。 B君:すなわち、「持続的」というキーワードは必ずしも視野に入っていないということ。本当に初期段階での経済発展に関する記述だということ。 A君:そんな限界を認識した上で、失敗例をひとつ紹介しましょう。 ガーナの例 1950年代、ンクルマの自治政府とイギリスは、道路を作り、病院を作り、学校を作った。アメリカ、イギリス、ドイツの企業がこの新しい国に投資の関心を示した。当時、ガーナ人は、「経済王国をめざそう」と書き残している。 ンクルマは、世界のエコノミストの協力を得た。ダッドリー・シアーズは、1952年、「タルクワからタコラディまでの道路建設に援助すれば、そのリターンは極めて高いはずだ」と述べた。 ンクルマは、ヴォルタ川流域に大きな水力発電ダムを計画しはじめており、その発電能力は、アルミ精錬所建設に十分なものだった。ンクルマは、アルミ精錬が開始されれば、下流部門を含めたアルミ工業が発展すると期待していた。 鉄道と苛性ソーダ工場が建設されると、この壮大な工業地帯が完成することになっていた。外国人顧問団のレポートによれば、ガーナの北部・何部を結ぶ水上交通もできると熱心に主張している。このヴォルタ湖に新しい漁業も生まれることになっていた。ダム建設によって、3500平方マイルの農地が水の下に沈むが、ダム湖の水を利用した大規模かんがい農業がその損失を補って余りある、とされた。 ガーナは、アメリカ、イギリス、世銀の援助を得て、アコソンボ・ダムを建設し、世界最大の人工湖ヴォルタ湖が出現した。そこに、カイザー・アルミが90%の株をもつアルミ精錬所がすぐにできた。 世銀の経済分析局長だったアンドリュー・カマークは、ガーナ経済は、ヴォルタ・プロジェクトのおかげで、7%成長するだろうと考えていた。 1982年、ガーナからピッツバーグ大学に留学していたアグイェイ・フレンポンは、ヴォルタ川開発プロジェクトの現実の実績と、ンクルマや当時の内外アドバイザー達の工業化、輸送、農業、その他経済発展全般にたいする高い期待を比較した博士論文を提出した。ヴォルタ湖はたしかにそこにあり、発電所もあり、アルミ精錬所もあった。アルミ生産は、変動はあったものの、1969年から1992年の間、年平均1.5%で伸びていた。 しかし、それは、そのプロジェクトのためだけのものだった。フレンポンは、「ボーキサイト鉱山もなく、アルミナ精錬所もなく、苛性ソーダ工場も鉄道もない」、と述べた。 ヴォルタ湖で漁業を振興しようとしたが、行政の不備と漁業機材の不具合に悩まされた。水没した家屋の住民は、様々な水による感染症に悩まされた。大規模灌漑プロジェクトも失敗した。水上交通は全く成立しなかった。 ヴォルタ湖のプロジェクト自体は、ガーナでもっとも成功したプロジェクトだと言える。しかし、それ自身が悲劇だとも言える。依然として、ガーナの経済は、1950年代と同じである。 1966年から15年間に5回の軍事クーデターが起きたが、最初のクーデターで、ンクルマは追放されてしまった。野心的な開発計画は、食糧不足とインフレ以外にはほとんど何ももたらさなかったからである。 1983年に空軍将校だったジェリー・ローリングスの軍事政権ができたとき、ガーナは最悪であった。1983年の所得は、1971年の2/3に落ちていた。 ローリングス政権は、ガーナ復興を目指し、その結果、経済は回復に向かったが、25年間もの間落ち込んでいたため、回復の道のりは長く緩やかなものとなった。 A君:こんな話です。ガーナの経済状況については、グラフにするとこんな感じ。 A君:GDPの絶対値はまだまだ低いけど、全般的にみて、特に、このところの成長状況は、イースタリーの表現よりはかなりましな感じ。 B君:しかし、長寿命の限界値である$3000にまだ到達していないし、より文化的な生活である$10000への道はまだ険しい。 C先生:別に結論がでるとも思えないのだが、それならガーナはどうすれば良かったのだ。ヴォルタ湖のダムを作らない方が本当に良かったのか。これは、実証が不可能なだけに、難しい問題だ。 A君:世の中には、どうも開発学(Development Studies)なるものがあるようですが、日本のアカデミアとして、途上国の開発にどのような貢献ができるのでしょうか。 B君:難しい問題だ。 C先生:先日、「持続型社会」に関する研究課題としてどんなものがあるかを検討する機会があった。そこでは、大垣眞一郎先生(東京大学工学系)がこの途上国に関するテーマを担当された。そのワーキンググループの結論を、単に、キーワードの形で示すと、次のようなものがあった。 *貧困対策研究 A君:日本の環境問題は、もはやいかにしてライフスタイルを変更し、非持続型製造・消費から離脱するかに限られてきたようですからね。 B君:あとは、突発的な事故。さらには、過去の負の遺産の解消ぐらいだろうか。 C先生:となると、このHPの存在意義も、そろそろ低くなっても当然。多少性格を変更すべきなのかもしれない。大分前からリスクコミュニケーションと環境教育を意識してはいるのだが。 |
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