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  EfSDとはなにか 07.12.2005



 7月5日に日本を出て、国連大学ビューロー会議のためにベルギーに来ている。田舎ホテルだと、電話回線も妙で、インターネットにアクセス不能だったりする。ベルギーは結構先進国なのだが。。。ということで、ベルギーから暫定的にアップ。

 6月28日、名古屋大学において、国連の持続可能性のための教育10年のアジアパシフィック地域における正式発足式典が開催された。UNDESD(United Nations Decade of Education for Sustainable Development)、すなわちESDと呼ばれるものが、いよいよアジア・パシフィックエリアで開始された。

 ところで、ESDと省略されてしまうと、国連大学のひとつのプログラムで、私自身が担当しているESD(Environment and Sustainable Development)と区別が付かない。そのため、国連大学内では、EfSDと呼ぶことになっている。

 EfSDとは、いったいどのような教育をすべきなのだろうか。そもそもSustainable Developmentとはナンなのだろう。誰も正解を持たないものだから、いつでも議論になる。

 名古屋大学におけるパネルディスカッションの結果などを見ながら、EfSDとは何かを考えてみたい。


C先生:2005年は、UNDESDの最初の年である。これから10年間で、世界に、EfSDなるものを広めることになっている。国連内部では、UNESCOがこの事業の主力機関であるが、UNUもかなり密接に協力することになっている。

A君:UNESCOが実施するといっても、例えば、日本国内になにか実行部隊は存在するのですか。

C先生:むずかしい質問がいきなり来た。UNESCOには、それぞれの国に国内委員会が存在しているが、それが何かを実行できるか、と言われるといささか疑問。UNUは、微力ではあるが、実行部隊を若干抱えているので、他のネットワークと協力しつつ、何かやることが可能だが。

A君:となると、誰かを巻き込む必要がある。

B君:地域社会には、EfSDを実施したいと考えているところがあって、そことの連携を模索する。

C先生:同時に、EfSDとは何か、何を教えるべきなのか、どいういう枠組みで実施するのか、などといった実際面での概念構築と、実施計画を作ることが必要不可欠。

B君:日本だと、国連大学の高等研究所(横浜)がこのEfSDの主力。RCE(Regional Center of Expertise)なるセンターを意思のある地域に構築し、大学同士、高校・中学同士、小学校同時、の連携、大学−高校・中学−小学校の連携、といった正式な教育機関内部での連携と、博物館、美術館などといったある種の教育機関との連携。さらには、ビジネス界との連携なども含め、あらゆる方向での連携を狙っている。

A君:それができれば、何かをやることはできますが、要するに、教育ですから、何を教えるのか。どういう教材を使って教えるのか。それが問題。特に、どうやって先生を教育するか、これがさらに問題。

C先生:CREST研究の中で、色々な階層の環境意識を調査したことがある。それによれば、中学などの先生達の環境観がもっとも旧態依然であることが分かった。他の階層と比較しても、突出して古いのだ。

A君:古いとは? 環境問題というと、汚染型問題が依然として重要だという認識だということ?

C先生:その通り。ここを突破することが日本のような社会では、まず重要

A君:環境問題は常時変質している、という日頃の主張を展開すれば、それぞれの国の発展段階が見えてきて、それによってどのような教育をすべきか、それが分かる。

B君:まず、2000年のミレニアムサミットで決まったミレニアム開発目標(MDG)が参考になる。それによれば、次の8項目。

1.貧困と飢餓の克服
2.初等教育の世界的実現
3.性の平等、女性の活力増大
4.幼児乳児死亡率の改善
5.妊婦の健康
6.HIV/エイズ、マラリアの克服
7.環境面での持続可能性の確保
8.開発のためのパートナーシップ

A君:これらのうち、1〜5までは、一人あたりのGDPが$1000ドルまでの国が問題。6はかなり多様な状況で問題だが、やはりエイズの発症を抑える薬が使えない国が問題だとすれば、やはり$1000まで。

B君:すべての環境問題が7番目に組み込まれているのが、なんともなのだが、この中で具体的に指摘されている事項は、森林、水、二酸化炭素排出。森林の保護は、やはり$1000以下が問題、安全な水道水の供給ということになると、実はもう少々発展が必要で、$3000。そして、二酸化炭素排出削減が問題になるのが、$10000の先進国。

A君:森林の保全がもっとも難しいのは、人々が薪炭として森を使ってしまうから。すなわち、エネルギー問題なのです。充分な量のエネルギーを獲得しないと、特に北国や高地では生活が難しい。

B君:エネルギー供給量という量的な問題だと言える。これが$1000以下。このレベルをある程度超すと、MDGの1〜5の状況はかなり良くなる。
A君:しかし、環境汚染問題の克服が可能になるのが、その次のレベルである$3000。ここまで来ると、環境と経済は好循環するから、経済的な発展を目指せば良いということになる。

C先生:本日の結論を先に述べるようなことになるが、$3000レベルになると、実際のところ、乳児の死亡率が下がる。すると出世率が低下して、そして、人口が減る可能性が出てくる。環境問題の最大の、そして最終の目標は、地球上の人口を30億人以下にして、再生可能エネルギーのみでの生存を可能にすることだ、と思うので、このMDGというものは、そのような大きな目標に向けた第一歩だ。

A君:なんだか、もう結論がでてしまっては面白くもなんともないのですが、先ほどのB君の続きをやれば、$1000までは、エネルギーとか食糧とかの供給を量的に保証することが必要。そして、最低限の医療。ここまで経済が来ると、その悪影響としての公害や汚染問題が出てくる。そして、水の汚濁、空気の汚染などが起きて、健康被害もでるようになる。すなわち、空気や水の質という問題が重要に成ってくる。

B君:$1000までの量的な問題が、質的な問題に変わって、それが$3000ぐらいまで続く。それから先は、大量消費・大量生産が環境問題と旨く整合性が取れるような社会システムである限り、$10000の世界まで、なんとかたどり着く。そして、これから、廃棄物の最終処分地問題が出てきて、再度、量の問題が重要になる。

C先生:そこまでが現時点で多くの国がたどり着いてきたところだ。日本では、最終処分量に関して言えば、1991年がピークだから、それから先は、ある程度解決に向かっているという解釈でよいのではないか。

A君:ただし、減らすべき物量としては、廃棄物が最初、そして、二酸化炭素、そしてエネルギー、そして最後には、物質使用量ということになる。

B君:価値論をそのあたりで考慮し始めることが必要で、物質使用量の削減を目指せば、当然、高付加価値製品を取り扱うか、あるいは、情報のような無形物で勝負をするか、という問題になる。

C先生:最後は、ブータンではないが、人々は金銭的に多少不自由でも、幸福感を持てれば良いのだ、と考えて、企業利益も大部分を雇用と社会福祉に使用して、「株主には配当はゼロだけど幸福感を還元しますという社会」になれれば、これは大きな変化である。

A君:まあ、100年かかるでしょうね。

B君:根本的な価値観の変換だから。

C先生:もう一度整理するか。
 図1のようになるのではないか。初期段階は、食糧・エネルギーの供給量が不足しているという問題。量的問題。まあまあ食べられるようになると、そして大体一人あたりGDPが$3000になると、寿命も延びて70歳ぐらいにはなる。人の命をもっとも縮めているのは、貧栄養だから。カロリー、タンパク質、鉄分、ビタミン類、などが寿命に利く。
 そして、次が環境問題だ。これは、$3000を超すと、経済との好循環が始まって、余り大きな問題ではなくなる。もちろん、今の日本のように、過去の負の遺産が土壌汚染、底質(海底・川底の泥)の汚染として残っていることは事実。そのために、水質が汚濁することもある。いずれにしても、これらは質の問題だ
 そして、最後に、またまた量的な問題に戻る。最初に解決可能なのが、廃棄物問題。特に、最終処分量の問題。日本では、1991年をピークにして解決の方向。その次の量の問題からは、日本では未解決だ。二酸化炭素排出量削減、そして、その次がエネルギー使用量削減、そして、最後に物質の使用量の削減。
 以上まとめると、環境問題は、大きな流れの中で見れば、「量の問題−>質の問題−>量の問題」と変遷をしており、それは、各国の発展段階によって異なる。



図1 : 発展段階における問題の変質。最初は、食糧不足、エネルギー不足。すなわち、量の問題。そして、環境の質が問題になり、それが解決すると、再び量の問題に戻る。

A君:そして、それぞれの段階で、もっとも重要な課題は異なるのが通例。
 例えば、$300以下のような最貧国であれば、やはり、如何にして自然資源を活用しつつ、あるいは受けている援助の効率を高めつつ、同時に、戦乱を起こさないように注意しつつ、徐々に発展をするかが最大の問題。

C先生:この段階が一番難しい。良い政治家に恵まれていることがもっとも重要なことの一つ。アフリカ諸国の政治家には、巨万の富を築いてしまった人も多い。当然、援助のピンはねが手段。このようなことが起きるのを知りながら、援助を止めれば、それはまた逆効果があるので、援助を続けるというのも現実の姿。

A君:経済的にやや余裕が出てくると、小型の武器、すなわち、カラシニコフとロケット砲を買って部族間抗争をやる、というパターンも同じく最悪。

B君:日本がアフリカへの援助を増額するという報道があったけど、そのあたりをしっかり確認してから援助するといった方針は大丈夫なのだろうか。

A君:小型の武器と引き換えに援助すべき。そうでないと、いくら援助をしても、もとの木阿弥。

C先生:日本の状況判断は良いものと期待したいが、全面的にイエスとも言えない。

A君:$3000のレベルを超すと、かなり状況は良くなる。しかし、ここで大きな差が出るのは、経済最優先・成長速度最優先か、若干の速度低下を許容するか。

B君:ややゆったりした変化を目指す方が、バランスの良い成長は達成可能。しかし、それを意図的にできるか。

C先生:$10000を超えた国では、問題はほぼ決まる。まず、二酸化炭素の排出量削減。日本は、まだ達成していない。そして、化石燃料の使用量とエネルギー使用量の削減。さらには、地下資源、再生可能資源を問わず、資源使用量の削減。

A君:あたり前。

C先生:先日、名古屋で、国連持続可能の教育10年のアジア・パシフィックエリアでの正式キックオフミーティングがあった。様々な式典があって、最後に、パネルディスカッションがあった。元東大総長、そして、元文部大臣の有馬先生がパネラーで出席して、持続可能かどうか、それはエネルギー消費をいかに減らすかに掛かっている。簡単な話だ。という発表を行った。さらに、何べんも繰り返された。しかし、他のパネラーは全く反応をしなかった。

A君:他のパネラーは、先進国からの人々でしたか。

C先生:必ずしもそうではなかった。

A君:だからなのでしょうか。エネルギー消費を減らせと言われても、まだまだこれから発展する国なのだから、エネルギーは必須。まだまだ大量使用したい。

C先生:しかし、先進国からのパネラーも多かったが、返答全く無し。

B君:先進国も、自らエネルギー消費を減らそうなどと思っている国は少ないのではないか。

A君:確かに。二酸化炭素の排出量は減らしても、エネルギー消費量は確保したいという国が多い。

C先生:だから、再生可能エネルギーが鍵になる。どれほど再生可能エネルギーをどのぐらい利用できるかで、勝負が決まると思っている国も多い。

A君:その意味では、日本はやや違う感覚。原子力をどこまで使うか。

B君:原子力も、核融合はまあ先の話として、増殖炉技術が完全なものになるかどうか、それを考えないと、資源的にやはり枯渇するので、ほとんど無意味なんだけど、そう言う人も少ない。

C先生:最終的にどんな方向性を選択するのか、それは、市民レベルで決めることだ。一つの道筋は、人口を減らして、地球の能力の範囲内での人間活動にすること。大体は、25億から30億人以下。再生可能エネルギーが中心。社会全体はややスローな社会になる。車は、小型の電気自動車とエタノール燃料のハイブリッド車。飛行機は場合によっては飛行船の復活か。
 もう一つの道筋が、増殖炉、核融合という原子力依存社会を作って、人間活動の総量は、現在よりも増やす。より競争の激しい社会になるだろう。人工的な液体燃料を合成し、大型の車を高速で走らせる(いずれにしても水素社会にはならないと思うので)。排出される二酸化炭素は回収して再利用。飛行機は、そうも行かないので例外か。
 こんなことを考えてもらうのが、先進国のEfSDの内容になるのではないか。

A君:人口は、2100年までに多くの国で減り始める。減らないのは、米国だろう。そして、旨く行けば、2045年に77億人余で人口はピークになって、それからは減る。

B君:化石燃料を使い切るのはまだ200年以上の時間がある。この間に、様々な意味での未来の可能性を検討すること。それが本当の意味での持続可能性だろう。ただし、もしも人口を25億人まで減らすとしたら、そろそろその方針を決定をしないと間に合わない。いきなり人口半減といっても、実施は不可能だからだ。

C先生:ここでの結論。こんな大きな流れのなかで、未来シナリオを作ることがEfSDの中身である。それをどのような枠組みで実施するか。それは、様々な工夫が必要。国連大学は、地域に人材ネットワークの拠点を作って、これをRCE(Regional Center of Expertise)と呼んで、10年間でいくつのセンターが世界中でできるかを達成基準にしようと主張している。1000個できるか? それとも300個か。