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    電力はなぜ同時同量なのか 
       初心者向け電力論
   12.02.2018
               



 このところ、市民とか学生が聴衆である講演をいくつか行った。多くの場合、電力というエネルギーの特性を十分に理解していない人が対象になることが圧倒的に多い。電力とは何かを十二分に理解せよと言われても、そんなことが書かれた一般向けの解説書は見たことがないので、無理なのかもしれない。
 多少ましな本で、適当なものはないのか。まず、アマゾンで調べてみた。そこで、何冊かを選択して購入。どのぐらい分かりやすく、かつ、可能性のある未来像として書かれているか。これを考えながら読んでみているところ。これらの書評は、順次、記述するとして、「これらの本を読みこなすには、どのぐらいの知識が必要なのか」、という観点で持ちながらの読書となっている。そちらの評価も、今後順次記述することにしたい。
 そして、本日は何を記述するのか、と言えば、それは現時点の電力、特に、日本のように、未だにスマートメーターの整備が遅れている状態であると、「電力がどのような仕組みで配電されているのか。その原理原則をまずは、分かって欲しい。この理解が無いと、何も始まらない」から。このような極めて基本的な意図に基づくものである。
 原理原則を理解するのが難しいとされているが、一体なにがバリアーとなって、難しいのか。あるいは、現在の電力供給システムが、場合によっては、完璧すぎるために、一般的な市民が電力供給に危機感を持たないのかもしれないという疑問も湧いたので、そのような記述も含めて行ってみたい。
 今回の記述は、10月14日に「エネルギーの基本的理解と経済」の記事でちょっと触れた、「同時同量」の説明を目的の一つとして書いたものでもある。


C先生:現時点までならば、電力というものが、人類史上最大の発明と言っても良いように思うのだ。電力無しには、人類は何もできない状態になったので、何100年後に議論をしても、同じ結論になる可能性が高いようにも思う。
 あるエネルギーを別のタイプのエネルギーへと変換できることは産業革命とその後の実用化で証明された。最初は、燃やして熱にして、熱を排水という力学的エネルギー用に使うことだった。この成功が、エネルギー科学技術というものの根幹になった。現時点ならば、化石燃料というエネルギー源を何か別のエネルギーに直接変換することもできるが、もっとも簡単な変換方法は燃やすことだったのだ。地球上には酸素があるので、「熱」にエネルギーを変換することが簡単だからだ。最初に石炭が実用になったのは、どうも、鉱山の水を排水するためのポンプだったようなのだが、これも、石炭をまず燃やして熱に変換している。しかし、次の段階である「電気」に変換するには、実は、大変な道具が不可欠だった。電気まで変換できるようになるのに、いくつもの新しい考え方が必要だった。そのぐらい電気を本当に理解するのは難しい。しかし、十分な理解なしに、電気をどうすべきかを議論することは、ほとんど無意味であると思うのだ。

A君:今日は、そこから来ますか。確かに、歴史を振り返ることで、その仕組みがよく分かるということはありますが。

B君:最初に実用になった「ニューコメンの蒸気機関」の説明をしろということのようだな。これは、効率がベラボウに悪くて、炭鉱の排水に使うと、掘り出した石炭の1/3が排水ポンプの燃料になってしまったと、Wikiに書いてある。説明が分かりやすい。後ほど、図をご紹介。

A君:その次が、熱を回転運動に変えた蒸気機関ですかね。

B君:その後が、回転運動で電気を作る発電機というものが発明されて、そして、最終的に電気モーターに変化していく。

C先生:その経路が一つ。現時点だと、今後ガソリンエンジンではなくて、電気自動車が主力になると考えられるのだが、それには、電池というものが非常に重要。電気を説明するときには、是非とも電池の歴史も記述してくれ。いやいや、今回は、止めよう。長くなりすぎる。

A君:となると、今回は、1.−4.までですが、すべての項目としては、こんなことになるのでしょうかね。
1.ニューコメンの石炭を燃料にした排水ポンプ
2.ワットの蒸気機関
3.ファラデーの発電機の発明
4.電気は同時同量
5.ボルタの電池の発明とその後の進化
6.エネルギーの変換の全体像
7.原子力の発明=新しいエネルギー源
8.エネルギー源の過去と未来


B君:まあ、取り敢えずそれで行こう。

A君:その前に、産業革命とは人類が化石燃料を新しいエネルギー源にした変化であった、という記述がイントロとして必要かも。

B君:それでは、そこから。

A君:そもそも、人類がチンパンジーと違って、ここまでの文明を築いてしまった理由として、「焚き火の熱による調理ということができたからだ」、という説がありますね。エネルギーはかくも重要。

B君:それでは、最初の「1.石炭を燃料にした排水ポンプの発明」から。

A君:トマス・ニューコメンは、1712年に鉱山排水用として最初の実用的な蒸気機関を製作した。構造は、シリンダーとピストンがあって、石炭の熱でお湯を沸かし、蒸気をシリンダーの中に入れると、ピストンを押し上げる。

B君:引用すると問題があると嫌だが、図が無いと分からない。図をWikipedia日本の「蒸気機関」から引用しよう。本物の図は、アニメになっていて動くので、是非。
   
            
図1 ニューコメンの蒸気機関
https://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・ニューコメン

A君:超簡単に説明しますと、水を石炭を燃やして加熱すると、蒸気になって、シリンダーに上がる。そこで、このシリンダーに冷たい水を吹き込むと、水蒸気が水に変わって、シリンダー内の圧力がゼロ、すなわち、真空に近くなる。こうなれば、ピストンが下がって、左に仮想的にかかれているおもりを持ち上げることになる。これを水のポンプだと思えば、一段高いところに水を持ち上げることができる。これを何台も並べれば、水を坑道から外部に移動することができる。

B君:しかし、この方法だと、石炭を燃やして、水蒸気でピストンをお仕上げて、その体積分の真空(単なる低圧と言った方が良さそう)を利用しているだけなので、当然、効率は最悪に近い。

A君:効率が悪い車は燃費が悪いので、燃料を大量に食う。効率の悪い装置はエネルギーの大食いで、生産する石炭の実に1/3がポンプの駆動用に使われたということですね。それまで人力だったので、無いよりは、楽ができた。

B君:当然だけど、電気を得ることには全くなっていない。発電機がまだないのだから、当然だけど。

A君:ニューコメンは1664年〜1729年の人ですからね。まさに、初期のマシン。

B君:次が、回転する動力源になったワットの蒸気機関。James Watt 1736年〜1819年だから、ニューコメンの死後に生まれた。

A君:ワットの蒸気機関の図がどこかにないものかと調べていたら、「科学のあゆみ」というサイトが見つかったので、サイトの引用だけで行きます。ところが、URLを記述しようとすると、日本語サイト名の弱みで、とんでもなく長くなるので、リンクだけ張って置きます。
蒸気機関が進んだしくみと流れとは?
ちょっとした図があります。

B君:このサイト、内容は悪くないのだけれど、色々と問題がある。検索の機能があるのだけれど、ほとんど使えない。全くもったいない。誰が作っているのか、全く不明で連絡先もよく分からない。となると、お問い合わせ用のページもあるのだけれど、ちょっと気持ちが悪くてね。

A君:話を戻しますが、ワットもシリンダーに入る蒸気圧を高めてパワーを上げることには反対だったようです。内圧を高めれば、何か事故が起きたときに問題になるのは当然なので、慎重だったのでしょうね。ただ、復水器なるもので積極的に真空を作って、動力の一助にしたのもワット

B君:ワットの実用的な蒸気機関のおかげで、蒸気機関車は相当長い間、実用品だったし、船の動力としても極めて有用だった。

A君:ワットで回転する動力源ができたので、これを発電に使うようにもなったのですね。しかし、回転という運動で発電機を回すという発想になるには、ちょっと時間がかかりました。イェドリク・アーニョシュというハンガリー人が1827年に発電機(ダイナモ)の概念を作ったらしいですね。1852〜1854年にその試作機を完成とのこと。しかし、特許を取らなかった。

B君:モーターとなると、やはりファラデーによる「ファラデーの原理」が重要ですが、1831年に発電機の発明者としても知られている。しかし、さすがに、純粋の学者だったのか、実用になる発電機を作るところまでは行かなかった。

A君:そして、ダイナモと呼ばれる産業用電力供給の発電機の原型を作ったのは、1832年で発明者はヒポライト・ピクシー。永久磁石を回転させて、コイルに電気を発生させた。直流発電だったようです。

C先生:このあたりで、同時同量ということの説明ができるようになったのではないか。現時点の電力供給網の基本的な技術ができたと言えるのだろうから。

A君:確かに、この時代から、電力供給網に関しては、基本は同じかもしれませんね。当時から同時同量だったし、現時点でもそれは変わらない。

B君:不必要かもしれないが、同時同量とは何が同時で何が同量なのか、もう一度定義だけはしておこう。同時とは、ある一瞬だけを言うのではなく、あらゆる瞬間という意味で使われている。そして、同量とは、電力は常に、発電量=消費電力量でなければならないということ。

A君:発電量をコントロールするのは、電力会社消費電力量を決めるのは、消費者。本当を言えば、消費者が今日の13時から10分間、我家の電子レンジのスイッチをオンにしますよ、という予約をするようであれば、電力会社は、その予約の総量を発電すれば良いことになるのですが、消費者に、精度1分間で電力使用量を予め登録せよ、など、そんなことは言えない。

B君:それは全く無理。すべての電気器具が消費者の操作で消費電力が決まるものとは全く違うので。冷蔵庫は、例え電力消費量がもっとも多い冬の夕刻から夜であっても、冷蔵庫内の温度が高ければ、勝手に動き出す。エアコンだって、明日は何時から何時まで運転しますなどという登録は不可能。寒ければすぐ動かせるから価値がある。

A君:まずは、なぜ同時同量がこれから重要になるのか、ということから問題意識の共通化をしますか。それは、極めて簡単で、「自然エネルギーという発電量をコントロールできないエネルギー源」が増えるから「電力を捨てることはできるけど」

B君:なぜ自然エネルギーの電力をできるだけ捨てないのか、と言えば、「COの発生がゼロである自然エネルギーは、地球温暖化を防止するという意味で、非常に重要だから」。すなわち、本来ならは、逆の発想をしなければならない。自然エネルギーが現時点でこのぐらい発電しているから、人間側が、その発電量をすべて有効活用するという態度に変えることが、今後のもっとも基本的な対応だということになる。しかし、それには、電力の使用をすべて計画通りに行うということは、ありえないことなので。電力を貯蔵しなければならなくなる。

A君:今、思いついたのですが、水道水の場合にも同時同量を当てはめると、どんなことになるのか。勿論、そんな必要はないのですが。この場合の同時同量とは、河川を流れる水の例えば、20%は使っても良いと決めて、その分量だけを水道局は取水して送水する。家庭の水道には、バルブは付いていないものしか認められていない。使える水の量とは、取水量の一定割合の量の水となる。例えば、家庭であれば、居住している人数に比例した水を、常時受け取ることになる。バルブが無いのだから、家庭には必ず水タンクが必要になる。特に、季節変動を考えると、1年間の水使用量を考えてタンクの大きさを決めなければならないことになる。

B君:確かに、電気とは、本質的にそんなものなのだな。水とかなり違うのは、電気の場合には、発電をしなければ、水力発電なら水を使わないですむし、火力であれば燃料を使わないですむ。だから、常に一定量の電気を使えというシステムにならずに済んでいる。

A君:ところが、電気がすべて自然エネルギーになると、発電量のコントロールが不可能になる。ということは、先程の水道のようなシステムと類似性が出てくる。しかも、問題は、水道のようなダムは無いし、家庭で水を貯めるタンクに比べると、電池の場合はお値段が高いという決定的な違いがあることですか。

B君:今までの電力の供給は、瞬間瞬間で発電量を制御するというとんでもない面倒なことがキチンとできたから、成立してきた。そこに、自然エネルギーという制御できないものが入り込んだ。先日の九州電力が太陽光発電の電力を捨てたということは、自然エネルギーの場合には、電池を自分で所有するか、あるいは、捨てる仕組み。捨てるならコストがほとんど掛からないものだけれど、それを準備しなければならない。

A君:そのうち、社会インフラとしての完成度が高い自然エネルギーシステム対応の電力網になると、余剰電力は、例えば、水の電気分解に使われて、水素を大量に発生させて、どこかのタンクに貯め込む。そして、電気が不足してきたら、その水素を使って、燃料電池かなにかで自動的に発電をする。こんなシステムになることが考えられるのですが、その場合、電力が不足状況にある場合には、電力料金が高くなり、電力が過剰状況になるときには、電力料金がほとんどタダになるけれど、給電は続けるという電力網のシステムにならないと。

B君:それはその通り。最終的な解決法を描くことは比較的容易なのだけれど、そのための投資を誰がどうやるのか、そもそも電力会社の役割が将来どのように変わるのか。少なくとも、発送電分離と呼ばれているシステム、すなわち、送電会社と発電会社は分離したものになるが、それぞれどうやってどのぐらい稼ぐのが妥当なのか。送電会社は恐らく、自由競争は無理な仕組みなのだけれど、どのぐらいの託送料を取るのか。もしも、誰かが、超大型のバイオマス発電所を建設した場合、送電量が増えるようなことになったら、そのための送電線の増設の費用は、どのような配分で負担するのか。このような細かいルールが決まらないと、電力の未来像は描けない。

A君:ある程度、大枠は決まっていると言えると思うのですが、例えば、このサイトを見ると、
https://enepota.com/basic/shipping-electrokinetic-separation.html
送電のネットワークは「すべての電気事業者が自由に使えるよう整備されます」と書かれているのですが、それって本当。そんな制度は、電線などの固定資産への投資が増えるばかりで、無駄ではないの、と考えてしまうのですが。

B君:2020年に発送電分離が行われることは決まっている。しかし、最終型は未定なのではないかと思うのだ。

C先生:そのあたりの細かい未来情報が、我々には分かっていない。そもそも、誰が分かっているのか、それもよく分からない。もっと情報公開が不可欠なのではないか、と思うのだ。確実に言えることは、物理的に正しいことまでで、「自然エネルギーを上手に使う電力システムにすることが必要不可欠」、「それには同時同量を技術的に実現するためのなんらかの新しいエネルギーを貯蔵する設備が不可欠」。そして、その候補が現在の主力が、「揚水発電」だけれど、もはや日本国内に適地がない。となると、今後は「大型電池」、「水素製造」、「圧搾空気によるエネルギー貯蔵」、「フライホイール」、「超伝導利用」と言ったものが考えられているけれど、どれも高い。
 自宅に太陽発電装置を持っている場合であれば、電池も自前で持たなければならないということになるだろう。これは、災害の多い日本のような国では、先日の厚真の火力発電による大規模停電のような事態が多発するものと思われるので、各家庭で、非常用に最低限の電力を自前で備蓄できるだけの電池を持つべきなのではないか。あるいは、非常時には発電機能を持った自動車を所有するのは良いかもしれない。このブログに、2016年版とちょっと古いですが、リストがある。現在、個人所有のプリウスの古いPHVは、ガソリン満タンにしておけば、相当長時間発電機として使える。たった1500Wだけど。
http://blog.evsmart.net/electric-vehicles/ev-phev-in-emergency/
 地球温暖化が進行すると、ある一定量の電力を自給できるような設備を自前で準備することが不可欠だという時代になる。いや、もはや、すでにそうなったと思う方が良いのかもしれない。少なくとも、スマホ用と非常灯用の電池とか、太陽電池による充電器ぐらいは考える時代なのではないか。それほどの値段でもないし。