-------

    エネルギー産業の2050年    01.27.2019
        Utility3.0へのゲーム・チェンジ



 前回から、エネルギー・電力関係の未来像を記述している本のご紹介をしています。今回の本は、編著者が竹内純子さん、そして、伊藤剛さん、岡本浩さん、戸田直樹さんの3名の方々が著者です。
 竹内さんは現在は、NPO法人国際環境経済研究所理事ですが、元々は東電で、私が国連大学にいたときに、サーマースクールで講演をしていただきましたが、そのときには、尾瀬の自然の保全担当であったような記憶があります。それ以後も、色々なところでお会いしています。
 伊藤剛さんはアクセンチュアのディレクター、岡本浩さんは東京電力パワーグリッド取締役副社長、そして、戸田直樹さんは東京電力ホールディングス経営技術戦略研究所チーフエコノミスト。
 どちらかといえば、現在電力というエネルギーを供給している側から見た2050年とゲーム・チェンジを取り上げているというスタンスの書籍です。
 12月21日に小泉元首相が、「原発ゼロやればできる」という本を出版しました。すでに、本サイトで取り上げましたが、このような無責任な本を、言い換えれば、政府からの情報提供不足を逆手にとっている本を、自らもその責任をもっていた元首相が出して良いのだろうか、という感触でした。しかも、内容はほぼゼロでした。


C先生:とにかく驚いたのが、まえがき代わりの二つのストーリーからスタートしていること。すなわち、「X家の幸福な朝」と「Y家の残念な朝」という二つのストーリーから始まるのだ。この二つのストーリーは、一般市民にとって、必読の文章だと思う。

A君:ご紹介しましょう。そのままコピーもできないので、いささか、脚色を加えてしまいましたが。
 X家では、自動調理器が朝ごはんを作ってくれる。もし、「このところ腹回りが少しきつくなった」というような会話をすると、自動調理器はその発言を理解して、カロリーの調整までしてくれる。コーヒーメーカーも、冷蔵庫も、洗濯機も買ったものではなくて、「まるごと家事サービス」の事業者から提供されたもの。冷蔵庫は、その中身をしっかり判断する能力があり、庫内にあるべき食材が減れば自動的に発注してくれる。洗濯機も同様で、洗剤・柔軟剤などは、減れば自動発注。
 電気代を気にして節約するといったことを考える必要性はなくなった。食洗機や洗濯機が動くのは、電気の余ったときに自動的に動作するからだ。
 勿論、自宅は発電所でもあり蓄電所でもある。太陽パネルを設置しているし、電気自動車に対して駐車場を開放している。電気自動車は、地域の共通財になっていて、給電用の電気が余りそうになると、自動運転で充電をしにやってくる。ある家庭で電気が必要ということになると、自動的にその家に行って、電気を供給する。このような電気事業に土地を提供しているので、贅沢なお小遣いが毎月入る。
 今では、日本に動いている数1000万台の電気自動車が蓄電の役割を担いっている。そのため、電力供給は一気に安定化した。


B君:それでは「Y家の残念な朝」の場合。
 妻が言うには、「電気代がまた値上がりした。家計簿を付けるのが嫌になってしまう。しかも、昨日もマンションのエレベーターが停電で止まって、30分も閉じ込められた」。若かったころには、停電などは無かった。それが徐々に増えだして来たが、歴史的ターニングポイントは、福島第一原発の事故とそれに続く自由化だったのか。
 そのときを振り返れば、原子力発電所が停止し、再生可能エネルギーの導入を過度に急いだ。そのため、国民負担は制度導入から5年で12倍に増加。しかし、実際には、稼働率が低く、発電電力量の5%を賄う程度だった。それ以来、人々は再エネに期待しなくなった。かといっても原子力発電所を再稼働することもできず、結果的に火力発電が使われた。その燃料の価格が、中東情勢の不安から値上がりした。国民の反対で再稼働しなかった原発の廃炉費用が、その後の国民生活に必要不可欠な電力代に重くのしかかった。
 いずれにしても、自由化すれば自由競争が起きて、電力代が安くなるといった三段論法で語れるほど、電気事業は単純では無かったのだ。これに気付くのが遅すぎた。
 エネルギーの自給率を高め、電力コストは削減し、同時並行的に温暖化対策。この3つのために革新的な技術開発が必要だったが、電力代の高騰によって、日本産業は活力を失い、自動車産業も勢いを失った。今、日本を走っているのは、ほとんどが中国かインドで作られた電気自動車。自動運転も一時期試験運転がされたが、事故が起きたときの責任の所在を巡る論争や、岩盤と言われる規制を崩すことができず、日本では普及しなかった。
 自動運転が無しとなると、公共交通の無い地域では、高齢者は自活ができない。買い物に行くにしても、病院に行くにしても移動手段がない。ということで、年老いた父には、都会にでてきてもらう以外になかった。
 人口減少の進む地域では、地方自治体がどんどんと消えていった。なぜなら、都会の裕福な家庭は、自力で太陽光と蓄電池で自衛できたが、その投資のできない一般家庭は、電気代の上昇をもろに被ってしまった。地方都市はさらに最悪で、停電したまま3日間も復旧しないということが起きている。


C先生:確かに、両方のケースが単独でも起きるだろうし、地域によって両方が並立して起きてしまう可能性はある。なぜならば、人口減少はもはや絶対的だし、デジタル化も確実に進む。「さらに、あらゆるものの自由化が進み経済性最優先」、となれば、電力会社は、年に数日も動かない発電機を廃棄することになるだろう。ドイツでもこのような状況になって、キャパシティーマーケットなるものが立ち上がって、発電量ではなく、発電能力に対して費用を払うというシステムができた。さらに、地方分散は進む。となると、地方には、多くの太陽電池が導入されるようになるけれど、そこに蓄電池が必須であることまでは理解されないだろうから、停電が日常的になる。一方、パリ協定の遵守のために、脱炭素化は必須である

A君:この本では、このような状況の変化を「5つのD」として表現していますね。
5Ds=Depopulation、Digitalization, Deregulation, Decentralization, Decarbonization.

B君:それ以外に、Decarbonizationの一部ではあるのだけれど、化石燃料という備蓄が可能な燃料が消滅するという重大な事態がある。それが、高価な電池のみで、代替可能なのか、という問題が起きる。特に、非常用の燃料は、年単位で備蓄しなければならないので。

A君:それについては、p23に電力供給の変化という図があって、それによれば、現時点での主力である火力・原子力などの大規模系統電力(BER=Bulk Energy Resources)は、2050年には約半分まで減少、残りの半分が太陽電池に代表される分散型電源、しかも、その2/3には蓄電池が付いている。これなら、なんとか系統の安定性を守ることができるというシナリオになっている。

B君:もう一つの予測として、CO削減70%を実現しようとすれば、再エネと原子力で65%をまかないつつ、できるものはすべて電化するということによって、実現できないこともないという予測をしている。しかし、2050年の日本の持っている目標である80%削減には届くシナリオが書けていない。

A君:その直後のp25に「原子力なしで2050年の電力を考えることは困難でした」という言葉がありますね。しかも、もう一つのポイントがあって、「原子力なしで2050年の電力をまかなえたとしても、エネルギー安全保障の観点から原子力を手放すことには相当慎重であるべき」と書かれています。この時点で、「エネルギー安全保障」の意味するところは、いささか流動的。化石燃料は余っているので、価格は非常に安価。その背景として、日本国内でCCSをやっていることが条件なのだけれど、国内に適地が無いことは、よく知られていること。

A君:エネルギーの安全保障とは、「自国の判断のみでエネルギーが確保できること」、ということを意味していて、「海外に依存しないこと」と同義。これまで、石油・天然ガス資源の無い日本は、かなり高価な価格(=産油国に有利な価格)で購入することを容認することによって、エネルギーの安全保障がなされてきたのですが、今後、それをどのような形で保証するのか。

B君:ヨーロッパは、全域をカバーする送電網を建設して、これでお互いに安全保障を行うという形式になっていると言える。しかし、日本のように、孤立した島国では、電力を輸入することが確実にできれば良いけれど、周辺国との関係を考えると、なかなかそれが実現できるとは思えない。

A君:日本における自然エネルギーがふんだんにあれば、なんとでもなるのですが、太陽光は電池との組み合わせが必須。風力は、北海道と東北の西岸、房総半島の洋上風力ぐらいが頼りになる程度。それを全国的に活用するには、50Hz・60Hzの共存した国土が妨害する。

B君:いっそ、送電会社を半国有化して、強力な直流送電網を国家プロジェクトとして建設してしまう方がすっきりする。

A君:それでもなおかつ、電池のコストを大幅に低下させることが必須になると思いますが。

B君:関連して、再稼働原発に反対することが一部の政治家の間では主流になっているけれど、本気で、将来のエネルギー供給を考えていない証拠なのではないか。これが日本を滅亡させる最短経路であることは確実なので、一般市民の皆様、そんな政治家は要警戒です。

A君:小泉元首相の反原発本が12月21日に発行されました。その書評は、すでに、1月13日に「市民のための環境学ガイド」のWebサイトに掲載しました。
 その前に池上彰氏が書いた「小泉元首相の『原発ゼロ』宣言」という本は、読みましたが、池上さんのツッコミが弱かったように思いますね。やはり、遠慮したのでは。

B君:その池上さんの本を読んでみて、東工大の学生の認識の方が正しいと思った。

A君:繰り返しになりますが、再稼働原発の安全性は、名古屋高裁の判決にあるように、「社会通念上安全である」が、エネルギー安全保障を配慮した場合の適切な判断だと思いますね。再稼働される原発は、確実に停止する能力を持つことが条件になっています。勿論、原子力なしで脱COの電力システムが構築できれば、それが良いことには同意するのです。その理由は、なんといっても、現行の原発の場合には、使用済み核燃料の処理・処分が余りにも面倒なので。それを処理するために、例えば、Small Modular Reactor=SMRというタイプの小型原子炉があれば、プルトニウムなどの面倒な同位体の処理を同時にやりながら発電にも使えるのですが。

B君:小泉元首相に話を戻すが、彼が日本のトップであったときに、原発を全部止めて見せるべきだった。そうすれば、今回の本でのY家の暮らし方が一般的になるということの証明ができただろうから。

A君:小泉首相の任期は2001年から2006年までなので、このときには、一部には2006年に石油の生産量が資源の限界にぶち当たって、ピークになる、すなわち、オイルピーク説というものも信憑性があった。すなわち、化石燃料を握る国が地球を支配するという状況だったのだけれど、しかし、その後、オイルシェールやシェールガスなどが使えることが分かって、大幅に変わった。京都議定書の第一約束期間であった2008年から2012年の前なので、CO削減の重要性は、きちんと勉強をしていれば分かっていたはず。2006年に原発を止めたら、京都議定書をどう考えているのだ、という攻撃を受けたはず。当然、化石燃料の消費量が増えることになるので。

B君:そのときよりも、今の方が、CO排出が地球上のすべての人々にとって、さらに危険な行為であることが明らかになった。小泉元首相は、おそらく、IPCCの1.5℃報告書などを読んでいることは無いと思うが、2015年のパリ協定で、COを出さない電源の重要性が世界的に合意された。しかし、再生可能エネルギーのゆらぎにどう対応するのか、といった議論が不可欠で、問題は解決していない。

A君:今だと、繰り返しになるけれど、ゆらぎ対応は、大量の投資をして電池か電気自動車を個人が買う。これは経済的に相当な負担になる。

B君:再稼働が可能となった原発は、かなり投資をして安全性をほぼ完璧と言えるレベルまで高めている。もしこれを動かさないと、全く稼ぎの無いまま、廃炉をしなければならなくなる。廃炉には莫大な金が掛かる。再稼働原発の安全性は、名古屋高裁の言う通りだと思うので、少なくとも、その寿命まではしっかり安価な電気を供給させて、少なくとも廃炉費用(=原発の葬儀費用)を稼がせないと、日本の産業界がすべて海外にでてしまう。日本から仕事がなくなる。

A君:小泉反原発の本の結論は、これまた繰り返しですが、「国土と国民を守るために、原発の即時ゼロを決断する。そして、自然エネルギー100%の社会に向けて一歩を踏み出す」ということです。このシナリオでも、国民に停電しない電気を提供できる可能性があるように誤解しているのでしょうね。自然エネルギー100%の社会は、決して「夢の社会」ではなくて、そのゴールに向かう道の途中では、高価なだけで停電だらけの困った社会であるということを知らない。もし、それが嫌なら、すべての個人で200〜300万円程度の投資をして、電池を買い込むか、数100万円だして電気自動車を買い込んでそのバッテリーを蓄電用に使うか。このいずれかしかないということが、小泉元首相には分かっていない。

C先生:小泉元首相の本を読んでみたときにも述べたが、現時点で原発の本を書くことの難しさを十分に理解しなければならない。すなわち、未来のエネルギーシステムについて語ることの難しさが明らかになるね。すなわち、電力システムというもの未来のすべて予測することの難しさをまず感じるね。相当な知識の蓄積と考察力が無いと、まるで無理なのだ。今回の本題の書籍のように、電池を大量導入すれば、問題は解決できるのも事実なのだけれど、本当に導入ができるのか。例えば、電池は、地球上の元素を相当に消費するけれど、どのぐらいの電池を日本の国土の中で使うことができると判断すべきなのか、それ自体も難しい。しかも、電池には寿命があるし、余り価格が下がるとも思いにくいのだ。全く新しいイノベーションいよって、何物かが出現しないと、電池にしたところで、選択肢の一つではあるけれと、理想的と言える解は見えないね。

A君:結局、2050年の電力が再生可能エネルギー主体になったとして、どんなシステムが理想的なんでしょうね。

B君:まだ「これが確実」と言える案が無いのが現実。これが結論ではないか。ダメな案はいくらでも指摘できる。原発いきなりゼロは論外。化石燃料復帰は最悪。備蓄可能かつCOゼロの燃料なども合成(Power to Gas)しなければならないので、電力の需要はかなり増えていて、節電では間に合わない。

C先生:やはり、何か決定的なイノベーションを起こさないと、明るい未来は来ないのは確実だ。一つや二つでは足らない。電気を貯め込む技術は、あらゆるものを発明して、使うこと。実際、技術的な候補はかなり多数あるので。なかでも電池がもっとも高価だろうから。さらに言えば、理想形は、電池に貯めるのではなくて、どこかに存在する電気を必要とする企業に回すことができるような仕組みにすること。その一つの業態が、パワーtoガスと呼ばれるようなものかもしれない。
 このような考え方は、どうも竹内さんの書籍にもまだ含まれていないような気がするのだ。発行時点が2017年の9月で、まだ、1年ちょっと前に過ぎないのだけれど、その間の考え方の変化の速度は非常に早いように思えるのだ。
 もう1回、エネルギー・電力関係の未来像を記述している本のご紹介で記事にしたいが、そのときに引用する書籍を予告しておくと、「デジタルグリッド 阿部力也著」。地域社会がその範囲内でエネルギー供給を考え、同時に、隣の地域と、さらには、隣の隣とエネルギーの交換をするときには、こんな考え方になりそうなので。