-------

      明治時代の先駆者の英語 10.04.2020
       
なぜあれほど出来たのか???



 明治時代の有力者は、例えば、伊藤博文は、津田梅子は、そして、南方熊楠は、どうやって英語を学んだのだろうか。確かに、いずれも超人的な能力の持ち主であったことは事実だと思われる。しかし、それにしても、日本国内に英語教育のシステムなどが全くない時代に、どうやって英語を学び、そして、通常では考えられないレベルのスキルを身に付けたのだろうか
 一方、最近の日本における英語教育は、様々な批判の対象になっているようである。その根源的理由は、恐らく、日本で英語教育を受けても、海外でコミュニケーションができるレベルまで到達しない場合が大部分だからだと思われる。あれ程の時間を英語教育に掛けているのだから、どうみても、どこか無駄、あるいは、無意味な時間が費やされているのではないか、と思ってしまう。
 実際、英語をまともに話すのはなかなか難しい。なにが最大の困難なのか、と言えば、個人的な状況は、ボキャブラリーが足らない。自分が何語を知っているのか、ということも不明ではあるが(推測:5千語??)、米国の大学院生に聞いたところ、米国人でマスターを卒業した段階で、大体、7万語ぐらいは理解しているとのこと。日本人が、大学院卒業時に、日本語を何語理解しているかも分からないが、恐らく、母国語と言える言語については、大体、同程度の数万語の意味は分かるのではないか、と推測する。
 今回の記事は、ある本の内容をご紹介することが主もな狙いである。それは、次のような本である。
        「日本人に一番合った英語学習法」
     −− 明治の人は、なぜあれほどできたのか −−
       著者 斎藤 兆史
 (東京大学大学院総合文化研究科准教授 平成18年3月現在)


C先生:現在、
ICEF(Innovation for Cool Earth Forum)なる国際会議が進行中先日28日に、自分の今年の担当であるCircular Economyのセッションを東京国際フォーラムで実施した。日本側からは、司会者であった私に加えて2名。海外からは、リモートの形で、やはり2名の参加があって、座長の私を除くメンバーそれぞれが発表し、その後、若干の議論を行うことができた。個人的にもCircular Economyは関心事項ではあるので、色々と情報を収集しているが、実は、特殊な日本語を英語でなんというのか、となると、調べなおさなければならない状況。無手勝流では、勝負にならないのである。まあ、いずれにしても、英語をフル活用せよと言われたら、相当量の勉強を追加しない限り、不可能。

A君:
そんな言い訳を言っていますが、米国に2年間もポスドクとして滞在していたではないですか。

C先生:その通り。
しかも、米国に出かける6ヶ月前には、日米英会話学院なるところに通って、どのように英語を発音するのか、どのような音が聴きにくいのか、どのような音を出すのが難しいのか、などなど、かなり基礎から学んだ。これは非常に有効ではあった。しかし、米国に行けば、習ったような発音の人ばかりではない。特に、子供の英語は本当に分からなかった。しかも、研究者(ポストドクター)としての任務は、ほぼ、丸一日研究室に籠って、試作をして、それを電子顕微鏡で観察、試作した材料を実環境に近い状況に置いて、その後、また電子顕微鏡で観察して、組織がどのように変化したかを見出す。まあ、日本でやっていることとほぼ同じことをやっていた。そんな実験を1ヶ月やると、教授とのディスカッションの日になるという生活だった。もっとも、日本人家族が5〜7家族ぐらい大学のキャンパス内に住んでいたので、土日の遊びはもっぱら日本人同士だった。当然、家内も一緒に渡米していたのだけれど、家庭内で使う言語は、当然、日本語だけ。

B君:理系のポストドクターで海外に留学しても、それでは、英語は上手くなる訳はない。むしろ、明治時代の政治家であれば、日本の状況と海外の状況の違いは関心事だろう。

C先生:それでも、このままではダメだ、と思って、同じ教授の
米国人ポスドクに頼んで、週に1回、晩飯を食べに来てもらうことにした。そして、見てもらうことは、テレビのニュース番組などを録音しておいて、聞き取れない部分を説明してもらうというやり方だった。まあ、有効ではあったが、やはり、練習の密度が不足。

A君:
英語の発音なども習ったのですが。

C先生:
日米英会話学院で習ったことは、音の出し方と聴き方だけだった。簡単な面接があって、そのようなコースに割り振られた。これは、実に良かったと思う。正しい音が出せないと、正しい聴き方もできないので。例えば、singという単語と、sinという単語の音の聴き分け方とかを習った。gの音は、喉が詰まる音(実は無音)だということ。

B君:段々、本日の話題の中心からズレているのですけど。

C先生:確かに。しかし、本日の書籍の疑問点を明らかにするためには、このイントロが重要なのだ。
 そろそろ、本文の紹介に移ろう。
第一章が「英語」に出会ってしまった日本人。ここは簡単に。

A君:それはいつか。
それは西暦1600年リーフデ号なる船が豊後に漂着した。その航海長を務めていたのが、ウィリアム・アダムス。後に家康の外交顧問になった三浦按針。しかし、その後、日本は鎖国状態に突入。170年間も日本は英語と無関係だった。

B君:次が、
1808年の「フェートン号」事件イギリスの軍艦がオランダ船を装って長崎港に入港し、人質をとって薪・水・食糧を要求、それが受けられるや、そのまま悠然と帰っていった

A君:
長崎奉行と鍋島藩の重臣は、責任を取って切腹。この事件に衝撃を受けた幕府は、翌年、長崎通詞(通訳兼商務官:オランダ語が専門)にロシア語と英語の修学を命じた。これが日本における英語教育の最初。

B君:しかし、英語の教科書などあるはずもない。しかし、
長崎通詞なる語学のプロ集団は、通詞の家に代々伝わる古い文献を紐解き、オランダ人に英語を習いながら、なんと2年後に全10巻からなる英語辞書を作成して、幕府に献上した。

A君:そんなことができたことの方が不思議ですよね。

C先生:この例を、この本の著者は次のように評価しているのが面白い。説明は、まず、長崎通詞という人々は、語学のプロ集団であった。しかも、
日本人にとって効果的な西洋語の学び方を心得ていた。その方法とは、素読と句読だそうだ。

A君:意味が良く分からないので、調べます。
「素読」とは、「文字を声に出して読むこと」「句読」とは、「文の切れるところで、一時息を切ること」

B君:素読、句読は分かりますが、それができたとしても、なぜ、英語辞書ができたのか、の説明になっていないと思うのですが。

C先生:その通り。この本でも、次のような記述があることに注目。
 「
母語話者に習えば、英語はすぐに上達するものだと誤解している日本人が多いのだが、英会話学校に通ったことのある人ならお分かりの通り、数年間母国話者に会話を習ったぐらいで英語など不自由に使えるようにはならない。1〜2年英語圏に留学したとしても、たかが知れている。なぜなら、日本語と英語は全くかけ離れた言語だからだ」。

A君:
いきなりの「突きっぱなし」ですね。だからこそ、急速に英語が使えるようになった人が何をやったかが知りたい訳ですよね。

C先生:それは
非常に強い職業意識を持っていたためだろう、と筆者は推測している。そして、「日本語と西洋語との距離をしっかりと踏まえた、素読や文法学習を中心とした語学プロの学習法を実践していたから」を結論としている。

A君:ううううん。
もっと具体的方法論がないと、納得できないですね。

C先生:そろそろ、その段階になる。それが、次の段落で、その題名が、
「『ひたすら読んだ』達人たち−−文明開化、英語ブームのなかで」

A君:英語ブームが明治時代に有ったのですか。

C先生:どうもそうらしい。明治の初期には、とにかくなにがなんでも英語という第一次英語ブームが訪れた、と記述されている。
 そして、この時代に英語の達人になったのが、
新渡戸稲造(1862〜1933)、岡倉天心(1862〜1913)、斎藤秀三郎(1866〜1929)で、現在のエリートでも及ばないほどの英語力を持っていたらしい。

B君:この時代、英語のエリートと言える人は、かなり少ないはず。
新渡戸は、札幌農学校で英米人の授業を受けていたから、英語ができて当然、であるという主張も理屈としては、あり得るのでは。

A君:
英米人による授業だけで英語の達人になれるなら、日本の英語会話教師を全員、英米人にすればよいことになりますが、そうではないのでしょう。

B君:まあ、そうだろう。ちょっと英米人に英語を習えば、日本人がすべて英語の達人になる訳もない。

C先生:新渡戸の場合は、
札幌農学校には夜の復習の時間があり、生徒たちは、そこで文法事項を確認しながらノートを清書して、先生に提出するという義務があった。しかも、新渡戸の場合には、その読書量が尋常ではなかった。農学校の図書館にある本は全部読んでやろうと思って、片っ端から読んだと本人も記しているようだ。当時の農学校は、英語の本がかなりの割合を占めていたはず。となると、新渡戸は、ほとんど毎日、英語の本を読んでいたことになる。

A君:他の人の例も出てきます。
岡倉天心です。残念ながら英語修行の詳細に関しては、記録が残っていないそうです。しかし、息子の一雄によれば、天心はシャーロック・ホームズの原書を初見で日本語に訳し、妻子に読み聞かせたという。余程読み慣れてい掛ければ、洋書をそのような使い方はできない。

C先生:天心の英語力がすごかった例として、
次のような逸話が伝わっているとのこと。「おまえたちは何ニーズだ? チャイニーズか、ジャパニーズか、ジャバニーズか」とアメリカ人に冷やかされたとき、天心は、「あんたこそ何キーなんだ。ヤンキーか、ドンキーか、モンキーか」と言い返したとのこと。そして、これも多読によって、身に付いたらしい。

B君:さらに異常な英語能力の人がいたとのこと。それは、斎藤秀三郎で、
明治・大正期を代表する英語学者で、なんと一度も海外にでたことがないにもかかわらず、イギリスから劇団がやってきて、下手なシェイクスピア劇を演じようものなら、「てめえたちの英語はなっちゃね!」と英語で一喝したとのこと。

A君:「実際に何と怒鳴ったのか」は、記述されていないのが残念なところです。

C先生:そろそろ、次の本来の主題に移ろう。それは、
「小学校から英語を教えていいのか」。これは重要な問題点だ

A君:
著者は、このように言う「かつて日本人は、英文法をしっていても英語が話せないと言われた」。現在ならどう表現すべきか。「過去20年間以上大学で英語を教えてきた経験から言えば、いまの学生は文法も知らなければ話せもしない。恐らく、見切り発車的に導入した小学校の英語教育なども、まったく効果を表さないであろう」

B君:「著者が国内外で見聞した限りで言えば、
英語を使ってそれぞれの分野の第一線で活躍している日本人の英語は、諸外国に比べてけっして引けをとるものではない」、とのことだ。

A君:続きがあって、「
皆しっかりと文法と読解を叩きこまれており、その基礎力の上に、自らの努力によって、自分に必要な英語力を身につけている。そのぐらいの人になると、学校教育で習った英語だけで勝負しようなという甘い考えは抱いていない」。

B君:この著者による効力が証明されている日本人向けの英語学習法は、
「何と言っても、素読、暗唱、多読、および文法解析である」

C先生:実に、
素読、暗唱、多読、文法解析などを努力した経験はほとんどない。個人的には、英語最大の弱点は、ヒアリング能力。特に、単語力の不足が著しい。だから、何かを発表することはできるけれど、それの内容について、難しい質問が来ると、その言葉を聴き取れないことが多い。語学の最大の基本は、当然のことながら、単語力。それが不足していると、対応のしようがない。そんな自覚がある。

A君:しかし、国際会議で質問を受けないような状況であれば、なんとかはなるということですね。

C先生:大学院の学生を連れて、米国の学会などに出席していたが、質問者がインテリで、相手の状況に適応してくれる人が多かったので、なんとかなった。
現時点は、と言えば、まあなんとか無理矢理やっているというのが、悲しいながら実像だ。特に、ヒアリングが、非常に難しい。米語は比較的慣れているけれど、英国アクセント、特に、ロンドン訛りは難しい。色々なところを旅をしてもっとも困ったのが、実は、ニュージーランドだった。ホテルのスタッフの女性の英国なまり(多分ウェールズ訛り)がひどくて、とうとう何も分からなかった。単に、車をどこに駐車したら良いかを知りたかっただけなのだけれど。現時点までの経験から言うと、英語圏以外の国の方が、英語で余り問題がなくコミュニケーションができるとも言えるぐらいだ。すなわち、お互いに外国語である状況の方が、平和にコミュニケーションができるということだ。

A君:そろそろ終わりそうですが、最後の一言はいかがですか。

B君:やはり、
現在の文科省的発想では、最終的な目的と思われるしっかりした英語を話せる日本人が増えるとは、とても思えない小学校から早期に英語に慣れることが、最終的な能力に繋がるという理屈がどこにあるのか。それが最大の問題ではないか。結局のところ、外国語の実力は、それなりの年齢になってから、その必要性を自らが認識して、最大限の努力をすることによって、獲得できるのだろう。

C先生:多分、
もっとも重要な年齢は大学入学時点かな。しっかりと英語教育を受けることを大学入学直後に必須とする。大学での英語系教授が足らないかもしれないが、その場合に、外国人でも日本人でも、英語をきちんと話す人を選択して、臨時教授とする。学生の義務としては、予習として、英語の本をしっかり読んで来て、その内容について英語で議論をするような授業を初級、中級、上級と設けて、最後に上級をパスしないと、卒業できないことにする。このぐらいの覚悟を決めた英語教育を文科省が果たして提案できるか。多分無理なのだろうね。内情を全く知らないけれど。