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  「新・環境倫理学のすすめ」の奨め 04.16.2006
     



 先日、「環境問題のウソ」のウソなるHPを書いたときに、この本の中に、加藤尚武先生の記述が痛烈に批判されているのを発見した。その批判そのものについて、今回、何かを述べようということではない。そのときに、「そういえば、加藤先生の新著である、「新・環境倫理学のすすめ」をちゃんと読んでいないな」、と思ったのである。


C先生:このところPSE法にばかり目を向けていたという訳ではないのだが、変な本ばかり読んでいて、本当に読むべき本を読んでいないような気がしていたが、その一冊が、この加藤先生の「新・環境倫理学のすすめ」だった。

A君:「新・環境倫理学のすすめ」は、前著の「環境倫理学のすすめ」(1991年刊)から15年を経て刊行されたもの。丸善ライブラリー780、ISBN4-621-05373-6、¥780+税。

B君:加藤先生の本は、なかなか読み応えがあって、簡単には読み切れない。とにかく、「はじめに」、から読み始めると、この加藤先生という人は、どうやってこれほど多数の情報を頭の中に整理しているのだろう、という疑問がまず沸いてくる。環境問題は、実に多種多様なので、情報をどうやって把握するか、それがまず第一のハードルで、これを乗り越えないと、次のレベルに到達できない。

C先生:加藤先生の話でいつも感心するのは、単に哲学の分野だけではなくて、国際社会の状況から科学技術の分野まで、様々な情報を加味しつつ、議論が行われていることだ。
 先日、環境省の委員会で、環境技術戦略を検討するものの座長を務めたのだが、そこで、今後の環境問題には、「総合化・統合化」という視点が不可欠であるが、これが可能になるためには、雑多な専門家が単に集まればできるというものではない。それは、異なった領域の専門家と専門家が、まともな議論をしようとしたら、相手の領域についてある程度の知識・見識が必要不可欠で、それが無いと、言葉が通じないからである、などと述べてしまった。
 加藤先生は、哲学者でありながら、なぜか他の分野の言葉をちゃんと理解される。

B君:「はじめに」に書いてあることだけでも、結構衝撃的。少々引用して見ようか。若干省略しつつ。

「携帯電話の中にはタンタルという金属でできた部品がある。タンタルは、コンゴとルワンダの紛争地域で、反政府軍が資金源にするために不法に採掘し、莫大な利益を得たと言われている」。

 さらに、地球白書2002−03の記述が引用されていて、

「資源をめぐる紛争のほとんどは、従来の戦争と違っている。紛争の目的が資源の略奪に有利な条件を維持することであるため、敵対する両者のあいだの全面戦争は一般に避けられる。実際に武装集団のいくつかは、敵対勢力への本格的な攻撃を手控えたり、武器を売買したり、実際に供給したり、様々な方法で協力し合っていることが知られている。イデオロギーに基づく反政府運動と違って、資金源として資源を求める各勢力は、できるだけ多くの地域住民の理解や支持を得ようとして闘争している訳ではない。心に深い傷を負わせ、後でコミュニティーに戻れなくなる共犯意識を負わせるために、多くの兵士は強制され、しばしば自らの親族に対して残酷な行為を強いられる」。

A君:このような記述は、前書きだけではなくて、様々なところにちりばめられていて、地球上で起きている環境関連の事象が、いかに倫理的な行為でないか、が明らかにされています。

C先生:「まえがき」の中間以降の部分に、この本の筆者の立場からの位置付けが書かれている。

A君:「前著、「環境倫理学のすすめ」を執筆したとき、まだ日本では環境問題を倫理的に考察するという基本的視点が受け入れられていなかった。しかし、今では、公共政策の基本が、持続可能性という長期的な尺度に基づく最善の選択という軌道を描くためには、市場経済と民主主義と基本的人権の原則が守られるだけでは不十分で、各世代が、環境倫理学の原則を理解しておく必要があることは、多くの人々によって承認を得ている」。

B君:「なぜ、市場経済の原則が、不十分であるかと言えば、まだ誰の財産でもない資源の枯渇も、誰もが所有権を放棄した廃棄物の累積も、経済的な取引関係の外部にはみ出してしまうからである」。
 「なぜ、民主主義の原則が、不十分であるかと言えば、民主主義は同一の国に属する、同世代の人々の合意が、最終的に決定の根拠になるという考え方であるのに、未来の世代の利益擁護や国境を隔てた人々への拘束力を確保するためには、民主主義は決定的に不十分だからである」。
 「なぜ、基本的人権の原則が、不十分であるかと言えば、ヒト以外の生物の種を守ることが、人類の責任として登場してくるときに、人間の権利を守るという原則は、あまりにも狭いからである」。

C先生:この3つの原則、市場経済原則、民主義原則、基本的人権原則、を主張してきたのが、西欧文明、特に、アングロサクソン文明だ。しかし、それだけでは、問題の解決ができないのだ、という主張を加藤先生はされている。

A君:加藤先生も主張されているように、
「すべての開発途上国が、世界的な市場経済の一環に組み込まれて、西欧型民主主義と西欧型人権思想を原則とする国家体制へと、自発的に発展していくという見通しが成り立ちにくくなってきた。イスラム圏とキリスト教圏との「文明の衝突」という図柄に差し替えられた」。
これが、現在の国際問題で、最大の問題なのではないでしょうか。

B君:「国民自決権の尊重という原則を守って、サハラ以南の国々の貧困からの脱却という課題を、遠くから見守るという姿勢でいいのかどうか。大量殺人が行われても、人道的な介入を行わないということが、最善の対処であるといえるのか」。 これも問題だが。

C先生:その最後の指摘は、国連の最大の課題だと言えそうだ。国連大学として、決定的な何ができるという訳でもないが。
 他にも、地球の資源を巡る争いや、未来世代を考えないエネルギー資源確保の競争など、西欧型(アングロサクソン型)の3つの原則では解決できない問題をどのように解決するのか、具体的な枠組みを探る必要がある。
 加藤先生は、環境倫理が絶対に必要だと主張されている。その点には全く同意できるのだが、それがどのような国際的な枠組みを導き出すのか、となると、まだまだ先が見えない。

A君:「まえがき」の記述だけで、すでに2500字にもなっていますよ。

B君:それでは、中身のご紹介を。それぞれの章について、議論を始めたら、それこそ、非常に長いHPになってしまう。それはそれとして、本書は12章からできている。

第1章 京都議定書の意義と限界
第2章 持続可能性とは何か
第3章 石油が枯渇する日
第4章 保全保存論争
第5章 自然保護と生物多様性
第6章 生物学と環境倫理学
第7章 ペンタゴン・レポート
第8章 自由市場と平等
第9章 国際化
第10章 リスクの科学と決定の倫理
第11章 先進国の未来像
第12章 戦争による環境破壊

A君:まず、第1章から。例によって、1988年、NASAのジェイムス・ハンセンが温暖化は進行していると発言した歴史的な記述から始まります。そして、まず、

「京都議定書の審議(1997)を支えていた期待感があった。それは、冷戦の終結(1989、ベルリンの壁崩壊)によって、環境問題を解決するための国際的な協力体制の組み換えが始まるということだった」、
という認識が示されています。

B君:実際、1992年のリオの地球サミットにおいて、冷戦終結後の地球レベルでの最大の問題は、環境問題であるとの認識がなされたようには思う。

A君:「しかし、冷戦の終結によって不要になった武器がブラック・マーケットへの武器の供給源になり、さまざまな秘密ルートを通って、地域紛争に流れ込んでいった」。
「ブラック・マーケットといっても、仮面を剥がしたら、実は正式の政府機関だったというような舞台裏が存在していたとしても不思議ではない」。
「軍事に関しては、いわゆる民主主義国家といえども、民主主義的な解決は不可能である。政府の指導者がイラクは核兵器を隠しているから先制攻撃をして武装解除をしよう、とウソをついても、それを反証する材料は与えられていない」。

C先生:まさに、冷戦の終結によって期待された国際協力への時代の転換は起きなかった。特に、紛争が貧困を招くという悪循環が行われた国、さらには、エイズが蔓延することによって、働き手を失った国、そんな国々が続出した。

A君:「アメリカが京都議定書を拒否したということは、その世界一の軍事力を持ち続けることによって、世界を力で支配することができるという、新しい国際関係の有り方を選択したという意味になる」。

B君:「アメリカで2/3の議員が賛成して可決された「先進国のみを義務づける国際協定に加盟すべきではない」という議会決議に拘束されて、クリントン大統領は、京都議定書を議会に付託することを回避し、そして、ブッシュ大統領が正式に非加盟を宣言した」。

A君:ロシアが京都議定書が発効するかどうかの鍵を握っていたのですが、2004年9月29日にプーチン大統領は、「政府内で検討中」と述べています。それは、

「ロシアの石油業界は、京都議定書によって輸出量が減るから反対した一方で、ロシアの天然ガスは、温暖化効果が小さいこともあって、各国が競ってロシアの天然ガスを買うようになる。したがって、京都議定書は、ロシア経済の追い風になるという観測もあった。実際、アメリカの石油会社と提携している石油産業は批准反対で、ガス関係の業界が賛成に回っていた」

B君:ポスト京都の枠組みについて。

「京都議定書は、今までの国際条約とは性質が違う。例えば、郵便に関する国際条約の場合、加盟国には、国際郵便を利用できると言う利益がある。ところが、京都議定書では、非加盟国を利益から排除することができない。つまり、加盟国が努力して地球の気候を安定に維持した場合、非加盟国も、その維持という利益に「ただ乗り」できる。国際的な経済競争では、アメリカが京都議定書の負担を免れている分だけ有利になる」。

C先生:この段階で国際社会ができることとして、

「『アメリカが世界を破滅の淵に引きずり込む』と非難されないためにはどうしたらよいか、という問題の答えをアメリカに選ばせなければならない」。

A君:ここまでで、現状の分析は大体終わりで、残りの部分で、クラインの全世界的炭素税の提案に対する批判があります。簡単に言ってしまえば、過去の歴史を見たとき、「商品の価格を上げれば、消費量が減る」という原則が石油について成立したことが無い。しかも、「クラインの国際戦略を実行している間に、化石燃料の枯渇という事態が発生するが、それを全く無視している」、という批判です。

C先生:それは当然のこと。最近、またまた石油価格がバレル$70のレベルになっているが、それでも日本の石油の消費量は減らない。

B君:それにしても、これが環境倫理学というものなのだろうか、と読者は思うのではないだろうか。倫理観を持たないアメリカのやり方を改めさせるには、結局のところ、仲間外れにするという方法、責任を認めさせるという方法、などしかないのか。

C先生:それ以外にも、色々とあるにはあるが、やはり仲間外れ法の一種かもしれない。例えば、京都議定書を批准した国は、地球の気候保全のために、高貴な対応をできるほど精神的に進んだ国なのだ、といった価値観を持つこと。それには、京都議定書を批准した国通しで、お互いにその努力を賞賛しあうといった仕組みが必要かもしれない。

A君:削減の目標がある訳でも無いのに、最近、シンガポールが京都議定書を批准しましたが、こんな行動をもっと評価する必要があるのかもしれません。

C先生:最後のまとめとして、生態学者ガレット・ハーディンが、発表した「救命艇の倫理」を批判している。

A君:それは、「途上国の保護をすれば地球と言う救命艇は人口過剰で沈没するだろう」、というもの。

B君:この「救命艇の倫理」の考え方は、1974年に発表されたもの。「現在、その支持者がアメリカ政府に影響力をもつシンクタンクの中で確実に増えているという」というから恐ろしい。

A君:加藤先生ご自身は、
「ハーディンとは逆に、途上国をともに救うのでなければ、地球を救うことができない、という「倫理」を先進国が実効することが、京都議定書への「途上国の参加」のために必要である」、と結論されています。

C先生:1974年当時の考え方が、現在にも通用すると考える方が異常だ。何がもっとも大きな違いなのか、と言えば、その一つが日本という国の人口がすでに2005年から減り始めたこと。20世紀は、人口というものに対する理解に根本的な間違いがあった時代だと思う。21世紀中に世界人口は減らせるのだ。途上国に対する適切な援助があって、豊かになればだが。

A君:結局、この第1章は、非倫理的なものとして、いくつかの項目が挙げられています。冷戦終結後の巨大国の軍縮に対する態度、アメリカの京都議定書に対する態度、特に、米国議会の態度、そして、市場経済原則、先進国の利己主義、などなど。

B君:これらが変わるには何をどうするのか、となると、本当のところ難しい。

C先生:いささか偽善さが臭う表現で言いにくいが、倫理とは、弱者と未来に対する本当の意味での思いやりなのだろう。米国にはそれが無い。小泉首相の「小さな政府」にも、やはり「やさしさ」が無い。それはそれとして、第一章しか紹介できなかった。