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反「偽善エコロジー」 08.03.2008 |
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武田邦彦氏による著作は、なかなかの人気のようだ。その読者層と想定されるのは、こんな人だろう。「環境、環境と言われると反発してしまう」。先日、ある雑誌の編集者と話をしたところ、そのような印象だった。 環境的生活を送ろうなどと言う人々は、「優等生的」だと批判されることも多い。同時に、そのような人々は、社会の仕組みが環境重視の方向に変化していかないことに苛立っている場合が多いので、「革新的」な人であると判断される場合も多い。 「優等生的・革新的」に加え、「良識的」だったりするものだから、環境重視の動きに反発する人も多いのだろう。そして、最後の決まり手が「道徳的」だったりするものだから、これはこれで、たまらない。 そんな「環境に反発の人々」のニーズをしっかり捕まえたのが武田氏のいくつかの著作である。 今回も取り上げるが、リサイクルや他の部分でも、かなりのデータの捏造が行われている節があるので、武田氏の記述は、リサイクルの研究者からは相手にされていない。個人的にも距離をとることとし、前作、前々作については、「読まないで批判する」ことを行ってみたところ、武田支持者から相当の反発が来た。 今回の偽善エコロジーは、単純な構造の本なので、反対するにも対処がしやすい。その主張を、「ことごとく反対するという立場」から主張してみたい。 以下に記述することは、個人的にそう思っている訳ではない。武田氏本人にしても、環境問題を正しく議論して、偽善エコロジーに見られるような主張をしている訳ではなくて、武田氏は、自分の好みに合わないことを、屁理屈をこねてでも否定したいから書いているだけだ。そんな論理であれば、反論することはいくらでも可能なのだ、ということを証明するために、そんな記述を行うのである。武田氏の本は真実を記述しているのではなくて、武田氏の好き嫌いを書いているだけである。 検証1:レジ袋を使わない 武田氏判定:ただのエゴ → 今回の判定:最高のエコ レジ袋を使わないことは最高にエコ的な行為である。人類と地球との関係を考慮すれば、すべての人が行うべき行動である。 その理由は、地球環境に対応する最高の行為は、資源効率を高めるということだからです。 地球上では、どのような人間活動を行うにも、若干の地球の資源を使うことが必要不可欠である。なぜならば、人類は、食糧などを生産しているように思えるかもしれないけれど、本当に生産しているのは、植物であって、人類ではないのです。人類は、植物という真の生産者の助けを借りて、なんとか食料を確保しているに過ぎない。なんと情けないことか。 石油という資源は、地球上の真の生産者である植物・藻類などが1億6千万年を掛けて誰かのために備蓄したものを、人類は、誰の許しを乞うこともなく、たった500年で使いきろうとしている。 しかし、人類というものが生存するには、特に、現時点で、65億人以上の人類が地球上に生息している状況を続けるには、化石燃料の助けを必要としているのです。化石燃料を500年間で使ってしまうのは、「ただのエゴ」以上に「極限的なエゴ」でしかありません。これすら分からないで、武田氏はレジ袋を使わないことを「ただのエゴ」だというのは、このような最高にエコな行為を相当嫌いだからだろうと思われます。 さて、レジ袋はポリエチレンからできています。ポリエチレンの原料であるエチレンなどは、武田氏によれば、「石油の不必要な成分」から作られ、かつて燃やしていたのだそうだが、最近では、レジ袋として有効活用されているとのこと。もしも、単純にレジ袋を作るのを止めたら、また煙突で燃やさなければならないそうです。 一方、レジ袋を止めれば、買い物袋が必要になるが、その製造には、同じ石油原料であっても、BTX(ベンゼン・トルエン・キシレン)成分が使われます。しかし、BTX成分は、石油の中では量は少なく、貴重な成分なのだそうだ。たとえば、ポリエステル繊維で作られたエコバックはこれから作られる。テレビの外側のプラスチックもBTX成分から作られる。 石油の成分は、人間が決めたものではないので、BTX成分ばかり使うと、石油の不必要な成分が余ってしまって、燃やさなければならなくなるそうだ。武田氏は、これほど非合理的なことがあるでしょうか、と怒っています。 ある人に聞きましたところ、武田氏の言う石油の不必要な成分をナフサと呼ぶのだそうです。そして、実は、BTX成分はナフサから合成が可能であるとのことです。 驚きです。なんだ。人間が石油の成分を変えることができるのではないですか。武田氏の説明と違うじゃないですか。 しかも、さらにさらに驚いたことには、日本では、レジ袋を生産するためには、ナフサが足らなくて、輸入をしなければならないのだそうです。そして、最近では、レジ袋の形で、輸入されることの方が多いようです。 さて、そんな貴重な石油を使って、レジ袋を作り、かつ使う意味はあるのでしょうか。多くの場合、レジ袋は10分以内に本来の使用目的が終わります。コンビニからオフィスへ、あるいは、家庭に到着するまでの時間を10分以内とすればですが。 エコバックとレジ袋、いずれも、地球の資源を使います。しかし、何回も使えるエコバック、10分で使命を終えるレジ袋、どちらが資源を有効に使っているか、ちょっと考えたたけで、分かるはずでしょう。 武田氏の結論は、朝、満員電車に乗って出かけるような人は、マイバックを持つのが困難。そんな人は、レジ袋が欲しいはず。環境問題は、そんな弱者をいじめることになる。レジ袋の追放は、消費者からみれば、弱いものにしわ寄せをする「格差拡大」、売り手からみると、スーパー売上増のための「ご印籠」だそうです。 スーパー売上増ではなくて、利益増のような気もしますが。。。 しかし、どうも本音は、武田氏の元の勤務先である化学工業にとって、環境省が主導したレジ袋追放は面白くない、ということのように見えてきました。まあ、環境省ニクシ、それ一心なのでしょう。 いずれにしても、武田氏の記述が相当におかしいことですが、不思議だと思いませんか。武田氏は、もともと化学工業のある企業の社員だったのです。この武田氏の説明のような化学工業にとって非常識的なことを、プラスチックの研究をやっていて、一応化学者も名乗る武田氏が知らない訳は無いのです。 どうしてこんな説明をすることを決めたのでしょうね。 それにしても、もっと不思議なことがあります。環境gooといったまともだと思われている環境ページで、毎日の記者が記事を書いています。武田氏の説明に対して、なんら疑問をもっているようには思えないのです。きっと、武田氏の言うことは正しいことだという反環境メンタリティーがしみ込んでいるのでしょうね。しかも、記述の出鱈目さを見抜く能力がない。武田氏の無批判の支持者だと思われます。 http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20080717dde012040009000c.html そんな記者が毎日という大新聞の記事を毎日書くのです。これは怖いことだと思いませんか。もっと怖いことが、武田氏が、その毎日の記者を腹の底でせせら笑っていることを、その記者は知らないことです。 検証二:割り箸を使わずにマイ箸を持つ 武田判定:ただのエゴ → 今回の判定:必須のエコ 割り箸がダメな理由は、割り箸が主として中国で作られていて、しかも、その木材がロシアからの密輸材である可能性がかなりあるからです。 割り箸は、もともと製材所などからでる端材で作られました。したがって、木材の有効活用だったのです。ところが、日本の林業が人件費の高騰で衰退し、日本で製材をすることが減ってしまいました。 しかも、端材を割り箸に加工するにも人件費が掛かりますから、もしも、日本国内で生産すると、数10円/本といったものになってしまうことが普通でした。 ところが、中国での割り箸は、建築用の木材を製造することができるぐらいの太さの丸太から作られているようです。それを桂剥きにして、木を薄い板状にし、それから、大量に生産されているようです。 以前は、1本50銭ぐらいで輸入されていたものですが、最近は、さすがに値上がりをしましたが。 確かに、日本製の割り箸を積極的に使うのは、悪いことではありません。しかし、ラーメン屋に入って、日本製の割り箸を寄こせ、といってもそんなことは不可能です。よほど高級な料理店にでも行かない限り、日本製の高価な割り箸は出てこないのです。かならず、中国製の割り箸がでてくるのです。 武田氏は、国内の森林利用率を増やすことが重要だと述べています。それには、無意味な紙のリサイクルをやめ、「国内で作った割り箸を使い」、割り箸以外の端材の上手な利用法を考えることを提案しています。 それだったら、割り箸の判定が「ただのエゴ」だというのはおかしいのではないでしょうか。 しかし、問題があります。そもそも、国内で作った割り箸をどうやったら使えるのでしょうか。日本の外食産業は、今や、食材の値上がりで、利益の確保が難しくなっています。価格転嫁ができないからです。武田氏は、国内で作った割り箸を外食産業に強制するつもりなのでしょう。それこそ、「格差拡大」に繋がる行為なのではないでしょうか。 やはり、割り箸は使わない方が良いのです。自分でマイ箸を持ちましょう。あるいは、マイ割り箸を買いましょう。もちろん、国産品です。 検証三:ペットボトルより水道水を飲む 武田判定 悩ましい → 今回の判定:フランス製のペットボトルは買わない 悩ましいという判定に対して、もっと明確にフランス製のペットボトルは買わないという判定にします。 水道水をなぜ飲まないのか。安全上の話なら、その理由は実は何も無いのです。今や、もっとも安全な飲料水です。それなのに、わざわざ燃料を大量に使用してフランスから運んだペットボトルの水を飲む理由は何なのでしょうか。 しかも、フランス製の水は、少なくとも、かつて厚生省が推奨していた「日本人にとっておいしい水」の硬度基準を超しています。日本人にとって、フランス製の水はまずい水だったのを、現代人は普通に飲んでいます。まあ、慣れたのでしょう。 さらに、フランス製の水は、地下水をそのまま滅菌もしないで、そのままボトルに詰めています。そのため、当然、雑菌が入っています。そんなことを飲んでいる人は知っているのでしょうか。 この項目での武田氏の主張は、論理的にすっきりしていないのですが、問題発言はいくつかあります。 そのひとつが日本では節水をすることは環境負荷低減にはならないから、やらなくて良いということです。 これは、たまたま現在の状況はそうだというだけです。その大きな理由は、食料の自給率の低さにあります。東京大学生産技術研究所の沖大幹教授の研究によれば、日本は、年間一人当たり450〜600トンものバーチャルウォーターを輸入しているそうです。 このバーチャルウォーターというものの意味は、日本が食料を輸入するときに、その食料を生産するのに必要な水を同時に輸入しているようなものだから、ということです。 たとえば、米国でトウモロコシを使って牛を育て、その牛肉を1トン輸入したとします。牛肉1トンの生産には、10トンのトウモロコシが必要です。10トンのトウモロコシを生産するには、水が1000倍の1万トンぐらい必要になります。となると、牛肉1トンを輸入したことで、本当だったら、日本で1万トンの水を使わなければならなかったもの、輸入して済ませたことになります。 現在、日本の食料自給率を高めることの重要性が議論されています。そうなると、現時点では、確かに、水が不足することは少なくなりました。それは、農業用水の使用が減ったからです。もしも、本気で食料自給率を高めようとしたら、水は不足するかもしれないのです。 日本という国は、水が豊かだと武田氏は記述しています。確かに、そのようにも見えるのですが、狭い国土と人口の多さのために、一人当たり利用可能な水の量を比較すると、それほど、豊かだと断言できるほどの水は無いのです。 しかも、地域差があります。四国の瀬戸内海側、博多付近は、構造的に水が足りません。だから、地域によっては、いざとなったら節水をすることを常に意識しておく必要があるのです。 フランス製の水がおいしいというのなら、それは嗜好品ということですから、ガソリンよりも、醤油よりも高い水をお買い下さい。そんな方には、最近の食料の値上げなどは問題にならないですよね。 検証四:ハウス野菜、養殖魚は買わない 武田判定:ただのエゴ → 今回の判定 良いこころがけ 武田氏は次のようなデータを引用しています。今はもう無い科学技術庁が計算した値だそうです。ということはかなり昔のことだということになりますか。 1キロのトマトを露地で育てた場合、収穫するまでに、200キロカロリー分の燃料を使うそうです。 ところが、ハウスを作って栽培すると、6倍の1200キロカロリー分の燃料を使うことになるそうです。 冬にトマトを作ろうとすると、さらに大変な量の燃料が必要になります。なんと、12000キロカロリーも必要になるのだそうです。 さて、人間が生存するには、最初にも述べたように、植物という生産者の助けを借りなければなりません。食料は、植物を直接食べるか、あるいは、間接的に他の動物に食べて貰って、そして、その動物を食べるということであって、植物のお世話になっていることは、絶対的な事実です。 その植物は、自然の摂理にそって生命現象を営んでいます。旬というのは、その摂理が定めたままに、自然に育った植物をいただくということで、実は、もっとも自然の恵みを享受できるということと同じです。そして、多くの場合、おいしいのです。 ところが、冬にトマトを食べようとすると、人工的なエネルギーが大量に必要になるのです。しかも、非自然の食材ですから、かならずしもまずいとも限りませんが、絶対においしいとは断言できるものではありません。 しかも、エネルギーを大量に使って食料を作ったり採取したりすることが可能なのは、実は、すでに終わっていることなのです。それは、最近の漁業に典型的に見られます。燃料代が高くなったために、一斉休漁までしました。 化石燃料を使い尽くす2300年以降を想像してください。人々は、地球の持続可能な能力以下の生活をすることになるでしょう。もっとも先進国の一部では、原子力によるエネルギーを享受している可能性はありますが。 もっと、自然の恵みを素直に受け入れる生活に切り替えること、これが、あまりにも人工的になりすぎた我々人類の生活を、より本質的な方向に戻すことなのです。 武田氏は、こんな感じで述べます。「エネルギーの価格は安いので、それを使って高付加価値の商品を作ってもらって、それを給料が53倍にも金持ちになったのだから、多少高くても買うのが当たり前。快適な生活を我慢するとなると、いったい、高い給料をなぜ貰うのか、給料を上げるためになぜがんばるのかわからなくなります」。 これが、米国流の考えです。そのために、20世紀型の現代文明、量的拡大を目的とした経済システムができたのです。武田氏本人の考え方かもしれません。しかし、21世紀になって地球を使い尽くす気配がただよって、とうとう米国経済は、EU経済の後塵を浴びることとなっているのです。 それにしても、武田氏およびその信奉者が、いくら金持ちになっても、レジ袋を有料化されると気に入らないのはなぜなのでしょうか。 そういえば、武田氏の最後の文章が面白いですね。「自然の恵みを感謝していただけば良いと私は思います」。米国流を主張しておきながら、この結論。なにかピッタリきません。 追加話題 長岡市の花火は環境負荷が大きいから止めるべきか? 皆さんはどう思われますか。 8月2日、長岡市の日本最大と称する花火を見物に行ってきました。このイベント、全体として見れば、確かに、二酸化炭素排出量は多いでしょうね。 しかし、もともとの原料は何でしょう。二酸化炭素源は、かなりカーボンニュートラルに近いような気がします。 往復の交通が問題。今回は、小さな7名乗りの車に、乳児を入れて本当に7名乗って行きました。2台で行く方が楽なのですが。武田先生だと、2台でいくことを我慢する理由などは無いのでしょうね。それが武田氏の豊かさということらしいので。 話変わって、個人的には、コンビニの深夜営業を止めることが、コンビニ業の従業員を消耗品視する傾向を緩和する方向になって、良いと思っています。24時間365日営業することは、従業員にとって、たしかに所得はその方が多いかもしれないが、本当に良いことなのか。営業形態も、ここまで極限になれば、そろそろ戻るしかない、と思っています。 ノルウェーに行ったときに感じたのですが、トロンハイムでもっとも有名な観光地というべき教会が10時から15時までだけOPEN。そのため外だけしか見物できなかったのですが、それもまた良いのではないか。 ノルウェー人は残業をしないのか、と聞いたら、「税金が増えるだけだから、早く帰って家族とのバーベキューの準備をする方が楽しい」。ノルウェーは現在例外的に豊かな国ですが、アメリカ型とは違った幸福観に触れることができました。 日本も、これまでの量的拡大が幸せというアメリカ型を見切って、非アメリカ型の幸福観を作りなおすべき時代になったのでは。 花火見物は、そんな生活の中でも残るような気がしますが。 付録:長岡大花火大会2008から スターマイン連続その1 ![]() スターマイン連続その2 ![]() スターマイン連続その3 ![]() スターマイン連続その4 ![]() おもしろい形の花火 ![]() 結構カラフル ![]() 最後を飾った、「震災復興を願うフェニックス」 ![]() 今回、持参したカメラGX100がなんと動作不良を起こした(以前、高いところから落下させて、レンズがおかしかくなったのだが、誤魔化し誤魔化し使っていたら、肝心のときに完全にアウト)ため、家内の使っているLumix FX07漆バージョンの花火モードを使用して撮影。スターマイン用の設定になっているようで、単発の花火を撮るには、露出時間が短すぎる。4秒は欲しい。そのため、長岡名物の正三尺玉の写真が撮れず。スターマインだと、結構撮れるものだと感心。ただし、三脚は必須。 |
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