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  反「偽善エコロジー」その2 08.10.2008
     「エコ生活」こそが人類を救う



 第二回目である。前回も説明したのだが、今回の反偽善の記事は、科学的に正しいかどうか、という基準では書かれていない。

 武田氏が述べていることは、「自分が嫌いなものは悪く言う」、というであって、それが「科学的に正しいことではない」、と主張するために、武田判定に対して、反論を構築してみている。

 前回から使っている手法は、あらゆる判定基準を考慮して総合的に判断することを止め、ある特別な事象にのみ注目して反論を書くという方法である。

 さて、どんな判定基準が除外されているのか、それが分かれば、武田氏の記述においても、同じようなことが行われていることが分かるだろう。

 今回分を始める前に、前回に対する反論が色々とあるようなので、その処理をしたい。


前回の検証 付録

 前回、さる人に質問して、その回答を掲載しましたが、ピンボケという評価だったようです。そこで、さる人に再度、質問をしてみました。

 さる人曰く、「エチレンそのものがゴミ」という話をしなければいけなかったのか。それは、「質問が妥当ではなかったためだ」、とまずは自己責任を回避をした。

 さて「エチレンがゴミで、ベンゼンは製品だと」、そんな話は、最近になって多少そんな傾向が見えているだけだ。

 インターネットを探したら、いささか古いのだが、こんな文書がみつかった。2004年9月のものだ。2002年の夏までは、エチレンの価格の方がベンゼンよりもかなり高かった。だから、エチレンが昔からゴミだなど、とんでもない。この時代だと、ベンゼンの方がゴミだったのだ。

 エチレンが余ったら本当にゴミになるのか。そんなことはありえない。海外では、エチレンの需要がある。もっともこのところ中国の需要も曇りぎみではあるが。日本だって、酸化して酸化エチレンにして界面活性剤、塩素と結合させて、塩化ビニルモノマー、さまざまな使い道がある。例の建築基準法の改正かなにかで住宅の建設が少なくなっていて、塩ビパイプにも影響はでているようだが。

 昨年の12月に鹿島で三菱化学の第二エチレンプラントが火事になり、協力会社の従業員4名が死亡した。3月下旬に生産能力が2/3に回復したが、本来ならば、需給が厳しくなるはずなのだが、そうでもないようだ。製品の製造量を落とし始めている。エチレンの生産も10%程度落とすようだ。ポリエステル(エコバッグの原料)用のテレフタル酸、ポリカーボネート用のビスフェノールA、ポリ塩化ビニル樹脂なども大幅に落とすようだ。特に、エチレンだけが減産ということではない。むしろ、ベンゼンが余る状況になりかねない。

 要するに、ポリエチレンだけを問題にするような状況ではないのだ。化学工業は、ここしばらくの間、原料価格を上手に価格転嫁して儲けてきた。そんな傾向がこのところ止まってしまったというだけだ。そんなことはいつでもあるのだ。直近だと、アジア通貨危機の際に、需要急減があった。10年ほど前のことだが。

 化学工業は本来非常にフレキシブル。価格が変動すれば、それなりの対応ができる。それが普通で、できない企業は苦しい。


検証五
石油をやめバイオエタノールに

武田判定:ただのエゴ → 今回の判定:10%程度までは必要

 アメリカがトウモロコシからバイオエタノールを作るという方針に切り替えたため、世界の穀物の価格が高騰しました。

 これは、環境という名前を旨く利用して、中西部の農家の所得を挙げて、共和党の地盤を強化しようというブッシュ大統領の策略だった訳です。

 しかし、トウモロコシの値上がりがお隣の国だるメキシコをはじめとして、世界の貧困層に重大な影響を与えたため、国連も、「バイオエタノールは非人道的だ」という発言をしたりしました。

 しかし、バイオエタノールで問題なのは、穀物を使うからなのです。別に、穀物以外からだって、バイオエタノールを作ることはできます。

 限界がある化石燃料の使用を減らして、まだまだ余裕があるのならば、再生可能な自然の力を借りる。これは、持続可能性を高める一つの方法です。

 1970年代にハーマン・デイリーという経済学者は、定常状態の経済学を提案し、そのなかで、再生可能資源は、その資源の再生の速度を上回らないかぎり、使っても良い、という提案を行いました。

 まさに、バイオ資源は、使い方次第なのです。

 農業を考えてみましょう。確かに、森林を切り開いて農地を使います。これは、人間が生存するために、ある程度、仕方がないことです。そのような状態が、地球環境にも、地域環境にも大きな不可逆な影響を与えない限り、許容されることなのです。

 農業をやって、人類は穀物を生産します。しかし、穀物は食べますが、稲わら・麦わらなどの廃棄物は、食べることができません。となると、このような農業廃棄物を再生可能資源として有効活用をすることは良いことです。

 古紙リサイクルが武田氏は嫌いのようですが、その古紙からだって、エタノールを作ることは原理的に可能です。何も、そのまま焼却炉で燃やすばかりが能ではないのです。

 液体燃料というものはすごいものなのです。もっともエタノールは、ガソリンに比べると、そのエネルギー含有量が多少落ちます。それでも、水素を搭載した自動車などよりも、はるかに合理的なものなのです。

 廃棄物からバイオエタノールを作る。そして、しばらくは、自動車用に、そして、最終的には、飛行機を飛ばすことに使う。こんなシナリオを真剣に考えなければならないのが現状です。

 ただ、何がなんでもバイオエタノールというシナリオは無理です。今後、自動車は急増します。2050年には、2000年の3倍の20億台になっているでしょう。これをバイオエタノールで養うのは無理です。やはりほどほどが重要です。

 自動車の大部分は、電気自動車にしてエネルギー効率を6倍ぐらいに上げる。そして、その電気自動車が遠くに出かける場合には、バイオエタノールを多少使う。こんな形で大切に使えば、液体燃料は貴重なので、賢いやり方だと言えるでしょう。


検証六
温暖化はCO2削減努力で防げる

武田判定:防げない → 今回の判定:削減する以外にない

 どうも日本という国でいくら努力しても、世界全体からの排出量の5%ぐらいしかない国なので、防げないというのが理屈のようです。

 もしも、そんなことを認めたら、もともと温室効果ガスの排出のかなりの部分は、個人の生き方が決めていることです。個人からの排出の寄与など、知れている。だから、個人はどんなに努力しても無駄、だというころになります。

 企業についても同様で、製鉄会社や電力会社が出している二酸化炭素の量など、世界全体に比較すれば知れているので、まったく意味が無いということになります。

 「ストップ温暖化」は「ストップ台風」ということと同じだそうです。どこが同じなのでしょうねえ。全くの自然の猛威である台風をストップすることと、人為的な原因がある温暖化をストップすることとどこが同じなのでしょう。

 要するに、「ストップ温暖化」はできるのだ、と理解する人々が多数居ること、単に嫌悪感をもっているだけだと思えます。もちろん、完全にストップをするという意味ではありません。多少でも、減らすことは不可能ではないのです。そのために、毎日毎晩屁理屈を考えていて、本を書くようですが、この台風の下りは、いささかできが良くないようです。

 正義感だけで温暖化を防止しようとする日本人などは居ないのでは。そんな人が、そんな「嫌な人」がいることが許し難いのでしょうね。

 温暖化は完全にストップできることではないのは、現代社会が化石燃料に依存している以上不可能なのです。しかし、多少でもその程度を少なくすることが可能であれば、被害を受ける人々は確実に減るのです。

 たとえば、山岳氷河から溶け出る水を農業用水として使っているような人々がいます。たとえば、アンデス山脈やヒマラヤ山脈。あるいは、チベット高原のような地域に住んでいる農民です。

 これまで、山には雪が降っていました。ところが、温暖化が起きたためか、山に雪で無く、雨が降るようになってきました。冬の間に山に雪が積もり、それが4月5月に融ける水を乾季である春の農作業に使っていたのです。ところが、冬の山なのに雨が降るようになったため、春の農業用水が減ってしまったのです。6月からは雨季になりますから、大丈夫なのですが、そのつなぎができない状態が起きたのです。それには、冬に降る雨を貯めておく貯水池が必要になったのですが、現地には、そのための資金が無い。どうしたら良いのでしょうか。

 武田氏は、そのうち石油や石炭が無くなるから、温暖化はおさまる。それまで待てばよいというのが可能な対策だと称しています。しかし、それには、300年以上かかるのです。現在困っている人で、300年後に生きている人は居ません。

 これが良いと言えるには、相当の度胸が必要だと思います。「どきょう」といれて変換すると読経という文字になることもありますが、誰かに読経をされないように気を付けられんことを。

 もう一つ重要なことがあります。日本と言う国は、確かにエネルギー効率の良い国なのです。したがって、日本が現在使っている優れた効率の機器を、中国などの国に。そして、韓国や台湾、シンガポールなどには、今後日本がさらに開発するであろう効率の高い機器を使ってもらうことが必要なのです。

 そういうことができれば、場合によっては、感謝されつつ、日本は利益を上げることができるかもしれません。

 日本という国は、どのようなものを輸出するか、という極めて重要な課題を常時考えて置かなければならない国なのです。残念ながら、そうなのです。

 その輸出で稼いだ費用で、海外からエネルギーを輸入するしか無いのが現実です。そのうち化石燃料が無くなることには、海外からのエネルギーの輸入は必要のない国になっているかもしれません。しかし、化石燃料が消えるまでの期間は、化石燃料をどうにかして輸入する。それが国として生きるという意味なのです。

 温暖化は完全に止めることは不可能だが、温室効果ガスは個人の努力、企業の努力によって削減することができる。しかも、日本のすぐれた効率の高い機器を海外に買ってもらうことも可能かもしれない。

 それには、すべての日本人が、どうやって温室効果ガスの削減ができるかを考え、実行できることは実行すべきです。

 そんなに滅茶苦茶大変なことは、誰も要求していませんが、武田氏の発言は、単なる無責任です。今回の判定は、削減するしかない、としましたが、加えて、この武田氏の発言を認めると、共犯になることを指摘しておきましょう。武田氏は、もともと確信犯なのです。何をいっても命を失うことはない。失う名誉もすでにない。如何に本が売れるか、それだけが問題なのです。

 このことを私たちは勇気をもって認めることです。


検証七
冷房28℃の設定で温暖化防止

武田判定:意味なし → 今回の判定:良いこころがけ。見習おう

 まず、京都議定書を守ろうとしているのが日本だけ、ということを述べていますが、一体全体、何を根拠に言っているのでしょうか。

 アメリカの高校生が京都議定書を守ろうとしていないのは当然です。京都議定書を批准していないのがアメリカという国だからです。

 ドイツは、結構頑張っています。高校生に話を聞いたことは無いですが、恐らく半数以上の高校生は、京都議定書を守ろうと考えているものと推察します。

 EUですら、すべての国が守ることができる訳ではないのは事実です。しかし、排出権取引で利益を得たい英国、反米国経済で主導権を取りたいドイツ、この両国は、自国の利益を守るために、排出権取引をフルに活用して、なんとしてでも、京都議定書を守ろうとしています。

 守ろうとしていない国は、カナダと日本ぐらいなのではないでしょうか。日本の場合、京都議定書を批准した小泉首相は、守る気は全く無かったのです。そのため、批准をしたのに、何も対策を取りませんでした。極めて無責任な対応であったと思います。

 その後、安倍首相は、「2050年に世界の温室効果ガス半減」という、いささか苦しい目標を掲げ、福田首相は、その路線の延長線上で洞爺湖G8に臨みました。しかし、なかなか苦しいでしょうね。

 なんといっても、多くの抵抗勢力がいますからね。

 本題に戻って、28℃の設定ですが、設定温度が部屋の温度にならないのが普通ですから、28℃に設定したとき、何度になっているか、これを確認するのがまず最初なのでは。

 そして、28℃という温度になっていることが分かれば、後は、扇風機などを活用して、快適に過ごす方法を探る。28℃になっていれば、それ自体はそんなにも暑苦しい温度ではないですね。

 環境省や経産省の西日の当たる部屋は、28℃に設定しても、とてもそんな温度にはなっていないです。30℃を確実に超しています。お気の毒。

 先日、環境省の局長さんにお薦めしたのですが、まずは、妙なバッジのかわりに、液晶の温度計を胸に付けるべきだ。そして、28℃になっていることを確認して回るべきで、30℃を超しているようだったら、確実に、仕事の効率は落ちている。

 受験生は、別に28℃にする義務は無いのですが、まあ、協力していると思うと、それなりに元気にもなるのでは。良いことをしていると思えば、誰かが見えない力をくれるかもしれない。

 本質的なことは、電気の消費を減らすことですから、28℃というものに意味がある訳ではありません。

 最近、「替えエコ」という言葉が普及し始めています。もしも、エアコンが1995年以前に製造されたものだったら、取り替えることを検討すべきです。

 というと、まだ動くものを捨てるのは勿体無い、という反論をする人がいるのですが、武田氏が嫌いな家電リサイクル法のお陰で、エアコンのリサイクル率は90%を超しています。すなわち、有用な資源は、必ずや再利用される仕組みになっています。まだゴミは多少でますが、それはまあ仕方がないことです。

 もしも資源が順調に回るのであれば、取り替えることによって、無駄になるのは、エアコンを構成している材料を作り、組み立てをすることに必要なエネルギーです。

 最近の効率の高いエアコンに交換することによって、節約できるものもエネルギーです。

 同じものの比較になるのです。もしも、受験生のように、夏休みに朝から晩までエアコンをつけっ放しにするのであれば、新しいエアコンで節約できるエネルギーの量はかなり多いので、前のエアコンを捨てることによって無駄になるエネルギーを簡単に回収することも可能です。

 電気代は、今後上がるばかりでしょうから、今の電気代を考えて費用的にメリットがあるかどうかを判断するよりも、数年後の電気代を予測して、費用的なメリットも計算すべきでしょう。


検証八
温暖化で世界は水浸しになる

武田判定:ならない → 今回の判定:ならないと断言はできない

 この議論は、なかなか難しい部分を含んでいます。世界が水浸しになるかどうかは、グリーンランドの氷が鍵を握っているのは事実です。

 これが融ければ、6mもの海面上昇が起きます。

 歴史上、現時点よりも高温であった時代は過去にもあります。特に、6000年ほど前のHolocene紀は、今よりも高温状態でした。しかも、海面は3〜5mほど現在よりも高かった。日本では、「縄文海進」として知られていることです。この高温期は、2000年以上も継続したのですが、グリーンランドの氷は融けなかったようです。

 しかし、だから確実に今回も融けないかと言われると、誰も確実なことは言えないのです。

 温度の上昇速度が、過去とは違うからです。過去は、地球の揺らぎで温暖化しているのですが、今回は、温室効果ガスの増大で温暖化する訳で、こんなことは、人類がいなければ起こすことができません。地球にとって、貯め込んだ化石燃料を500年で全部使われてしまうなどという事態そのものが、想定外な訳です。

 温室効果ガスが増えた状態で、温度が過去にない速度で上昇する。これは、地球にとって少なくとも、過去数10万年では初体験でしょう。

 想定外の上昇速度は、どのような影響をもつのでしょうか。氷は固体です。温度変化が激しいと、例えば、ガラスを加熱して水でいきなり冷やすと割れるように、熱膨張でヒビが入ることがあります。そのためなのか、グリーンランドの氷には、縦に割れ目ができていて、氷が融けた水が、一番下の岩盤まで到達しているらしいのです。となると、岩盤と氷の間に水が入り込み、それが潤滑剤の役割を果たして、氷河の流れる速度が2倍ぐらいになっている、という観測結果もあるようです。

 氷の表面からちょっとずつ融けるのであれば、全部融けるのに、それこそ数1000年掛かるだろうと考えられているのがグリーンランドの氷ですが、氷河の流れが速くなって、一気に海に流れ込むということだって起きないとは言えないのです。

 岩盤と氷がこすれあって摩擦熱が出ているようなら、外気温が下がっても、そこが氷結することはもはや無いのかもしれません。

 そんなことが起きれば、これは大変です。これは、是非とも防止しないと。

 これがアル・ゴアの主張でした。確かに、確実なこととは断言できません。確実に海面が6mも上昇して水浸しになるということは言えません。

 しかし、誰も、何が起きるか、分かっていない。これが現実です。

 グリーンランドの氷が解けるのが数千年後であると断言するのは、かなり勇気のいることなのです。

 もっとも、これから数100年間、現在の状態を保てば、それから先の地球は寒冷化でしょうから、グリーンランドの氷による危機は回避できたということになるでしょう。



検証∞:あとがきの検証
武田判定:自分は正しい → 今回の判定:自分のみ正しいと主張


 この検証は、筆者のあとがきの記述の検証です。こんな記述があります。

 「1年ほど前、ある書籍を出版しましたら、『独自のデータが多い』と言われた。これはオリジナリティーが高いという意味でほめ言葉だと思っていたが、まったく正反対で、「武田独自のデータだから当てにならない」ということだった」。

 「ところで、私が科学的事実を伝えようとするときには、その基礎となるデータを自分で調査したり、計算したり、時には理論的に式を展開したりします」。

 「たとえば、ペットボトルのリサイクル率というものは、当初全くデータがありませんでしたから、中部地区の自治体のデータや愛知万博のゴミの行方を調べ、リサイクル推進協議会のデータを解析し、(中途略)、『どうも数万トンぐらいしかリサイクルされていない』との結論を得ました」。

 これが問題なのです。武田氏は、それが科学的に正しいと主張していますが、科学界のルールはそれを認めないのです。科学的にいくら正しいと、データを作った張本人は思っていても、ひょっとすると思い違いというものもあるかもしれない。そのために、誰かに見て貰って(いわゆる審査員ですが)、そしてOKがでて、初めて科学的に正しいという主張ができるのです。

 ところが武田氏は、そんなプロセスを取っていません。そのため、リサイクル推進協から、捏造データであるとの抗議を受けています。

 一方、リサイクル推進協議会も業界団体ですから、彼らのデータを100%信じろというのも難しいでしょう。ですから、お互いに第三者を交えて、使っているデータの根拠を開示しあって、どちらがより正しいか、その論争をすれば良いのです。

 武田氏は、公的データと違うから自分のデータに意味があると主張していますが、それは、科学界のルールとは違うのです。いくら自信があっても、間違っていないとは限らないからです。場合によると、「リサイクル率」というものの定義が、他人のものと違うのかもしれないのです。

 武田氏がまずやるべきことは、多少とでも科学者としての心があるのなら、中立の専門家に頼んで、自らのデータの妥当性を証明すべきことなのです。これが、大学というところに、人生の最後の一部であっても席を置いた人間の取るべき道です。

 それをやらないで、独自データの正当性を主張すると、これは、独自データに捏造的な部分を本当に含まれているからではないか、と推測されてしまうのが、科学界のルールなのです。

 科学界のルールにしたがった、データの検証を是非ともお薦めします。それが社会的な責任を果たすということなのです。

 このような科学者としての基本的な態度を取らないことの最大の犠牲者、それは、中部大学の学生ではないかと思います。あるいは、名古屋大学の学生であったかもしれません。見本にならない教授は、学生に悪影響を与えるのです。