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  環境センスの磨き方 03.05.2006
     



 3月3日、朝日新聞主催の第三回朝日環境フォーラムが、国連大学のウタント国際会議場で開催された。

 基調講演をやらせていただいた。その題名が「環境センスの磨き方」である。こんな話をするのは初めてであった。余り考えたことが無かったので、実はかなり困った。最後の最後まで、基本コンセプトが揺れていた。

 とりあえず、以下のような話をさせていただいたので、そのご紹介。

 今回は、その1で終わり。花粉症が突然悪くなったためと、日曜日に、国連大学で3Rに関わるAPFEDの会議をやっていたために、執筆の時間が取れなかったからである。


 センスという言葉は、当然、Senseという英語から来ているものでしょう。Senseとは何を意味するのか。ジーニアスという英和辞典を引いてみると、
(1)感覚
(2)認識力、判断力、...感
(3)良識、思慮分別、常識
(4)感じ、気持ち
(5)正気、意識、本性、本心
(6)意味、意図、主旨
(7)価値、意義、効果
(8)意向、見解

といった意味がある。しかし、よくよく見ると、その意味する範囲が非常に広いことが分かる。(1)の感覚と言えば、それは本能的な反応を含むし、反対に(3)思慮分別といえば、これは、反射神経的な反応の対極にある。

 しかし、もっとも注意をしなければならないことは、どうも「センス」とカタカナで書くと、 これは、英語のSenseとはやや違った意味ではないか、ということである。カタカナのセンスは、ある場面では、英語に直すとtasteの方がぴったり来るように思える。

 ということで、「環境センス」といわれても、実のところ良く分からない。しかし、もしもすべての人が良い「環境センス」を持った暁には、環境問題はかなり改善されるだろう。そのような効果をもつものが「環境センス」なのだろう。

 ところで、2月17日の朝日新聞に、養老孟司先生のどこかの女子高校での授業の様子が掲載されていた。
 「目の前にあるコップから水を飲むとき、飲みたいと人が意識する0.5秒ほど前には、もう行動の指示が大脳からでている」。
 「熱い鍋に触れたら、さっと手を引っ込めて、それからアチッと思う」。
 「このように、意識は後から付いてくる。まずは、感覚や気持ちの問題だ」。
 「知識や意識をもつことが重要だと言われる。しかし、若い人は、感覚を磨いて欲しい」。


 なかなか刺激的な話題を提供していて、さすが養老先生だと思わせる。しかし、感覚というものが本当に行動を決めるのだろうか。確かに、意識がいくらあっても、実際の行動にはつながらないという例がいくらでもある。「100円ショップで買うような安物は、ゴミになるばかりで、環境に悪い。むしろ、プレミアム商品を大事に使う方が環境には良い」、という講義を受けたとする。そして、それを十分に理解していたとする。しかし、スーパーを覗いていて、特売の値札を見たとたん、手と財布が出ていたという体験はしばしばあるだろう。意識よりも、感覚が勝ってしまうのか。

 意識あるいは知識というものは、大脳の中に蓄えられている文章のようなものである。したがって、じっくりと考えないと、正しい反応が返ってくることはない。すなわち、反応が遅いのである。しかし、感覚は、反射に近いので、すぐに反応が返って来る。

 センスというものは、その中間に存在するものなのではないだろうか。そして、恐らく、個々の知識のピースをジグゾーパズルのように組み合わせて出来上がった絵や彫刻のようなものがセンスというものなのではないだろうか。



 Wikipediaというインターネット上の百科事典があるが、そのロゴのような形のものなのではないだろうか。



 そして、正しくない知識、すなわち、本来含まれていないピースが入った立体ジグソーパズルは、どうしても歪んだものになる。誤解をしないようにすることが、環境センスを持つ最初の条件であろう。それから、磨くのが順番だろう。

 世の中、残念ながら誤解に満ち満ちている。先日の世界一受けたい授業で最初に述べたように、ミネラルウォータを飲むのは、水道水よりも安全だからではない。嗜好品として、おいしいから飲むのである。もちろん、通常の意味で、ミネラルウォータが危険なはずは無い。18項目におよぶ基準にしたがって製造されているからである。しかし、水道水については、「水質基準に関する省令」によって50項目にも及ぶ基準に基づいて供給されている。

 ミネラルウォータの18項目、水道水の50項目に共通の項目がある。特に、金属イオンについては、カドミウム、セレンのようにミネラルウォータも水道も同一の濃度の規制値になっているが、鉛、ヒ素、フッ素、ホウ素、亜鉛、マンガンといった金属については、ミネラルウォータの方が3〜5倍程度基準が緩い。それは、ミネラルウォータがミネラル(鉱物)を含んでいるからであって、鉱物には、重金属類も含まれる。

 このようなことを調べようと思えば、比較的簡単である。ミネラルウォータについては食品衛生法をキーワードにして、インターネットで探せば出てくる。思い込まずに自分で調べること、それが、誤ったピースを頭の中に持ち込まないコツだろう。

 しかし、世の中は、誤解を生み出す仕組みに満ちている。江本勝著の「水からの伝言」のように、良心と善意の衣をまとって、商業主義的な鎧を隠しているからである。このような誤解を早めに否定することが、やはり科学者を名乗るものにとって義務だろう。

 さて、話を環境問題に戻し、本来の環境センスを磨く、という話をしたい。それは、様々な知識のピースを組み立てて、二次元あるいは三次元の絵・立体を作ることである。さて、地球温暖化に対して、どんな知識のピースを準備すべきなのだろう。

 最近の気候は異常である、という感覚、例えば、次のようなことは覚えておられるだろう。
日本
*2004年の真夏日最多 熊本で100日
*台風上陸 2004年最多の10個
*豪雨の記録 1日200mm以上 2004年は463回
*2006年豪雪で死者140人

世界
*2004年 中国大旱魃 50年ぶり
*2005年 6月、9月、10月の世界気温は過去最高
*2005年 インドムンバイ 762mmの豪雨
*2005年8月 ハリケーン・カトリーナ
*2005年12月 ヨーロッパの寒波

こんな事実は確かにあったかもしれないが、それだけで、これらすべてが温暖化が原因であるということにはならない。

 京都議定書に反対する人々の間には、「京都議定書では、温暖化は防止できない」、という主張がある。これをまずチェックしてみたい。

 実際のところ、その主張は事実であるように思える。まず、世界の国別の二酸化炭素を中心とした温暖化ガスの放出量を調べてみると、第一位のアメリカ、第二位の中国が、そして第六位のインドも、京都議定書の枠組みにはいっていない。これでは解決できるはずは無い。



 しかし、だからといって、京都議定書が無効な枠組みで、日本は早くここから離脱すべきだとう議論は余りにもモノを考えていない。資源的にも空間的にも環境的にも限られた地球上に存在している国は、それぞれの段階に応じて、責任を背負っている。アメリカのような国が、経済的な発展だけを目標として国を運営しては、地球は壊れるだけである。温暖化対策は分業で行わなければならない。削減ができる国から、削減を開始し、そして今後、まだまだ経済発展をしなければならない国は、しばらく猶予期間を持つという分業である。エネルギー価格が高くならないと実現は困難であるが、技術的な先進国から、途上国への技術移転によるエネルギー利用効率の改善が行われれば効果的だろう。



 日本でも、業界によっては、温暖化はまだまだ証明されていないという主張をする人がいる。温度上昇は、ヒートアイランド現象だという訳だ。それを調べてみよう。

 東京では、明らかにヒートアイランド現象が顕著である。気温を調べてみよう。気象庁のホームページを見れば、そこに1880年代からの年平均気温のデータがある。それをプロットしてみると、1905年あたりから、ほぼ一直線で温度が上昇していることが分かる。100年間で、ほぼ3度も上昇していることが分かる。もしも、このデータが使われているとしたら、地球はヒートアイランド現象を考えるから温暖化しているという結論になってしまう。



 それなら銚子の気温はどうだろう。やはり気象庁のホームページからデータを取ることが可能である。東京のデータに比べると、温度の上昇速度は遅い。100年間で、0.7度といったところだろうか。



 地球全体の温度上昇のカーブとしてしばしば見るデータが、こんなものである。過去100年間で、やはり0.7度程度の上昇のように見える。温暖化の主張は、どうやら、東京のようなヒートアイランド現象が顕著なところは除外した議論をしているようだ。


 もっと長い期間を考えてみよう。2000年ぐらいと、数万年を見てみよう。このような図が見つかる。どうやら、1450年ぐらいから、1800年ぐらいまでの間は、寒かったようだ。この期間をしばしば小氷期と呼ぶことがある。事実、ヨーロッパでは、鉄鋼業のためと、寒冷化のために薪を求める人が多かったため、山の木がほとんど無くなったのがこの時期である。そして、この時期に、産業革命が起きて、この時代から、人類は化石燃料を使いこなし始めるのである。勿論、最初のしばらくの間は、相当な公害を伴ったのであるが。



 その前の1400年ごろまでは、温暖な時代である。足利尊氏が京都に室町幕府を作ったのが1338年。1400年を過ぎて寒い時代になると紛争が多い。一揆が頻発し、そして、1467年には応仁の乱があって、戦国時代に突入する。寒冷な時代が不安定な理由の一つは、食料が不足するからである。それに対して温暖な時代には、恋愛小説が書かれる。

 もっと長期間を見るとどうだろうか。1万3千年前、氷河期が終わって温度の上昇が始まっている。しかし、単調に上昇するのではなく、途中で何回か寒冷化が起きている。最大の寒冷化が起きたのが、ヤンガードリアス期である。この約1万年前に、起きたと言われるこの現象は、北アメリカにあった氷河が溶けてできたアガシー湖から、低温の淡水が北大西洋に一気に流れ込んで起きたためだと言われている。イギリスでは、年平均気温が−5℃になったという。

 この気候変動のために食料調達が困難になって、そのため、西アジアで農耕が始まったという説があるが、それが本当かどうか、未だに議論が続いている。

 デイ・アフター・トゥマローなる映画は、地球温暖化が引き金になって、突然氷河期に戻るという仮説に基づく映画であって、そのような気候変動が実際に起きるという科学者も居る。

 何度ぐらいの温暖化ならば、そのようなことが起きないといえるのだろうか。最近の検討によって、産業革命以後の温度上昇が2℃以内なら大丈夫ではないか、という説がこのところ有力である。そのためには、大気中の温暖化ガスの濃度を475ppmという値に抑える必要があって、実際そのための対策は極めて難しい。エネルギー使用に関わる考え方を根本的に変える必要があるように思える。その様子は、国立環境研が発表しているこの図によってよく分かる。2020年ぐらいから、2030年までの10年間に、世界全体で二酸化炭素の放出量を30%ぐらいカットしなければならない。これはいくらなんでも無理かもしれない。これまで考えてきた550ppmのシナリオであれば、なんとかやれるかもしれないが。