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  環境研究の将来と語学力 05.28.2006
     



環境研究だが、よく言われるように、個別の科学・技術は、すでに確立している学問の領域に含まれる。例えば、医学、農学、工学、理学、法学、経済学などなどである。

しかし、それだけを個別にやっていては、環境研究というものは成立しない。そこには、俯瞰的研究と呼ばれるものが無ければならない。現在、それを実施できる状況にない。その問題点と今後の対応について考えたい。


C先生:大分前から問題にしていることだが、環境学とはそもそも何なのか。大体、そんなものがあるのか、という議論を再度やらなければならない状況に来ているようだ。
 歴史的に見れば、日本の環境研究は、人材育成のための「俯瞰型の環境研究」で始まった、文部省(当時)の最後の研究プロジェクトが1998年に終わって、それ以後、環境研究は、要素技術型研究とミニ俯瞰型研究のみが可能になった。一方、環境研究というものは、最後の最後は、目的指向型あるいは問題解決型研究であって、問題の種類によっては、完全俯瞰型研究を実施する必要がある。しかも、現状、その要請がますます強くなりつつある。

A君:俯瞰型研究といっても分からないのでは。

B君:俯瞰とは、辞書によれば、
俯瞰(ふかん)(英・highangle)とは、高い所から見下ろすこと。全体を上から見ること。俯瞰の映像は他の映像に比べ、客観的で説明的だとされる。また、俯瞰によって書かれた図の事を俯瞰図と呼ぶ」。

A君:要するに全体観を持った研究のこと。環境問題では、本HPで何べんも主張しているように、ある一面のみを解決しても、別のところで別の問題が発生する。だから、全体を見ながら、「こんなところか」、という「悪くは無い解」を探し出す必要がある。

B君:リスクはどこにでもある。しかし、巨大なリスクかどうかが問題。先日述べた徳島県石井町の運動のように、ダイオキシンのリスクのみを強調してガス化溶融炉を導入すると、町の財政が崩壊してしまって、先々後悔する可能性が高い。

C先生:それは、地域の政策決定に関わる俯瞰型視点の必要性を述べていることになるだろう。いかに町政とは言え、やはり、すべての要素を考えに入れた俯瞰的な視点で政策を決める必要がある。リスクであれば、あらゆるリスクを相互比較でいる必要がある。

A君:政策決定ということになると、地域だけには限りませんね。例えば、日本全体で、化学物質の管理には、どのようなシステムが最適で、どのような国際協力が望まれているのか、といったことに解を出そうとすると、それは、相当な高度から俯瞰しないと全体が見えません。

B君:現在、日本政府が推進しようとしている3R政策でも、日本国内については、まずまずのところにまで来たが、これを例えば東アジアに広げることが、地球的な資源有効活用という観点からは必要不可欠なのだが、今、急に広げると、それぞれの国民の遵法精神などに相当の違いがあるものだから、被害しか出ない国があるように予測される。これを実現しようとしたら、それぞれの国の状況について、それこそ俯瞰的な議論ができるような状況を作る必要がある。

A君:ということは、政策決定は、地域には限らないと言いましたが、むしろ、どんな政策決定を行うにしても、地域特性というものを十分に把握することが必要。

B君:俯瞰型研究を行うという意味から言えば、地域研究と政策研究とは切っても切れない。

C先生:同じ意味かもしれないが、国際的ガバナンスをどのように確保するか、これが今後の主要な地球的課題だ。国連があるじゃないか、と言ってくれる方は、有難い方ではあるが、国連に対する期待過剰だと申し上げたい。例えば、温暖化問題が本当に深刻だということが分かったときには、もう対策を考えるのは遅いだろうが、この手の問題について、国際的な合意を取り付ける方法論が存在しない。国連のUNFCCCは万能ではない。むしろ、無力でしかない。

A君:エネルギー資源のように限界のある資源を地球上でどのように分配すべきか、という問題だって、現状だと市場経済主義ぐらいしか解の提案ができていない。しかし、市場経済主義に欠陥があることは明らかです。明確な形で、未来世代の利害を組み込むことに成功しているとは言えない。

B君:エネルギー問題は、様々なチョイスがあるから、まだましだという部分もある。ある種の金属資源だと、生産地がある地域に限られている場合が多い。こうなると、問題はますます厄介。

A君:アフリカにおけるタンタル資源とかですか。

C先生:ブログでしばらく竹島の議論が続いていたが、この問題についても全く同様なのだ。問題は極めてローカル、直接的悪影響もローカルなのだが、どこまで俯瞰的にモノを見るかによって、解決法が違ってくる。
 「国境紛争にもっとも有効な解決法は戦争である」、「国境紛争が戦争以外で解決した例はほとんどない」、という論理で対応するのが、確かに歴史的にはもっとも多いケースだったし、確実にある種の解決を見ることにはなった。しかし、それに伴う犠牲は、一般国民という弱者側に押し付ける形になる。したがって、それ以外の方法論を常に意識的に探っておく必要がある。これが俯瞰的な意識だ。

A君:紛争の問題にしても、市民がどのような政治家をどのように選択するか、これがかなり問題。そのために、政治家は、しばしば教育をいじるという方法論を取る場合がある。

B君:例えば、中国がそうだった。中国・韓国が日本の教科書問題にいちゃもんを付けるのは、教育が重要な要素だと思っているからだろう。

A君:日本の教科書に関する最大の問題は、未だに時代遅れな検定なる制度が動いていることでしょう。あれを止めてしまったとしても、大きな問題は無さそう。むしろ、検定用ネガティブリストではなくて、ポジティブなリストを作成して、このリストに書かれていることは、最低限説明すること、といった配慮だけでも良いのではないでしょうか。

B君:原理的にそれでよいと思うのだが、なかなか難しいのは、教科書というものは受験と密接な関係があって、ポジティブリストをどうやって作るかが難しい。

C先生:いずれにしても、教育はどんな分野でも重要。環境研究にも教育は重要。俯瞰型の人材を少数でよいから常に準備できるような教育システムが無いと、環境分野のみならず、他の専門分野でも最後には機能不全に陥る可能性がある。例えば、ナノマテリアルの分野でも、ナノだけの専門家に加えて、その生体影響や健康影響を考えることができるような俯瞰的な見方ができる人材を準備しておくことが重要。

A君:これまでの議論で、俯瞰型環境研究というものが次のような種類があるということが分かります。今後の環境研究は、このような方向性になるでしょう。
(1)政策研究型
(2)地域研究型
(3)国際ガバナンス型
(4)教育・人材育成型

の4種類があるようですが、どうもお互いにかなり重なっていて、実際には、重心の位置が多少違うだけかもしれません。

B君:それでは、具体的にどのようなものが必要かということになる。すでに、政策研究型では、化学物質管理、国際3R政策、といったものがありそうだ、ということが例示されたが、それ以外には。

A君:政策研究型は、いつでもいくらでも出てくるのではないですか。先日の新聞にもあった、河川を今度は直線から曲線に戻すといった話。これだって、本当にそれが良いのか、という検討が必要ですし。

B君:土木工事を増やすためだけという解釈もありそうだ。工事のためのエネルギー消費も勿論増えるが。

A君:それによって得られる満足感のようなものをどうやって測定するのか。このあたりが無いと、単なる土建国家日本の維持のためのプロジェクトだと言われても反論ができない。

B君:それでは、地域研究型ではどうだ。

A君:やはり大きいのは、「アジアのある地域、アフリカのある地域における地域の経済発展と環境資源の保全と利用」、といったものなのではないですか。

C先生:日本国内のいくつかの地域でも、部分的には、このような問題はあるが、もう高い学問レベルを目指すというものでも無さそうに思える。

A君:だとすると、アフリカはとりあえず置いておいて、アジアのどこに出かけるか、ということになりますね。

B君:東南アジア、東アジアだと、タイはもう自力で離陸できるだろう。中国は、少なくとも沿岸地域は、とっくに終わった。となると、インドネシア、カンボジア、ベトナム、ミヤンマー、ラオス、ブータン、バングラデシュなどなどといったところになるのでは。

C先生:それに中央アジアの諸国が若干。石油が取れない国、タジキスタン、キルギスタンに限る、ということになるが。

A君:島嶼諸国も可能性としては無い訳ではないですね。ツバルかどうかは別としても。
B君:これらの国の環境研究をやるとすると、やはり、語学が問題になるなあ。

C先生:それが最近の一つの問題意識なのだ。環境研究を今後まともにやろうとすると、それには、その地域の語学が必要不可欠。最近の報道によると、小学校で英語教育をやろうという動きが本格化していて、文部科学省がパブリック・コメントを求めていた。ここに何をどのように書き込むかを考えていたのだ。

A君:日本人の英語は、TOEFLなどの結果から見ても、かなりレベルが低い。アジア諸国の中でも、下から2番目だそうだから。

B君:日本の英語は、目と手で学ぶ英語が中心だから。言語というものは、もともとは、音として学ぶもの。子どもが2歳ぐらいでなんとか話をするようになるが、目と手で学習した訳ではないことがその証拠。

C先生:最大の問題は、小学校から英語を勉強したとしても、最終的な語学の到達点が余り高くはならないのではないか、ということなのだ。強い根拠がある訳ではないのだが、英会話学校なるものが厳然として存在しており、そこにいかないとやはり、実用英語にはならない。こんな状況が、小学校から英語を教えることで改善されれば良いのだが、それは期待薄。

A君:それは全く無理ですよ。大体、週に1時間程度でしょ。語学は、「浸かる」必要がある。いつでもどこでも24時間といった状況を作ることが必要で、子どもは自然にそんな状況になるもので、英語がしゃべれるようになる。

B君:そう言っては悪いが、教える先生の側にも大きな問題がありそうだ。ベストな英語教育は、高校時代に耳と発音を鍛えることではないか。

C先生:ところが、高校は、大学受験があるものだから、実践的な英語教育はなかなかできなかった。そんなこともあって、大学受験にヒアリングが導入された。そうすれば、嫌でも教育が行われるので。

A君:小学校の英語教育に反対する人には、国語の力がさらにおろそかにされる、と心配している人が居ますね。「国家の品格」の藤原先生のように。

B君:それにも同意できる。そのような主張をするのは、国語至上主義者だけではないのだ。論理的な思考ができるかどうか、それは、言語能力の一部なのだ。何かを考えているときに、言語を使っているという意識は無いかもしれないが、実際には、言語を使っている。

A君:よく言われることですが、どんな言語でもかまわないが、一つの言語を完全に使えるようにならないと、高級な思考はできない。

B君:多分正しい。バイリンギャルなどはその点が怪しい。

C先生:英語教育に反対している人の思考法も分かるのではあるが、少々視野が狭いような気がしている。議論の対象が英語しかないのだろうか。最近、様々な国に行くが、その国を理解するためには、その国の人々と英語で会話をしていても実は駄目なのではないか、と密かに思い始めた。しかし、その国の言語で会話をするのは不可能だ。それなら、せめて、多少の文字ぐらいは読めるようになるべきなのではないか。

A君:様々な文字があるから。文字だけでも大変。

B君:韓国に行くと、ハングルで目が回る。しかし、少々勉強してみると、その合理性には、感心させられる。

C先生:タイ語にも参った。文字の複雑さでは最難関の一つではないか。アラビア語は、文字数は少ないのだが、同じ文字が置かれる位置によって違った形で書かれるので大変だが。

A君:しかし、文字は文化の根源だから、文字にだけでも少々なじむことが、多様な文化を理解する基本的な条件なのではないですか。

B君:そうか、小学校で、様々な文字を教えるのはどうか、と言いたいのだ。

C先生:そう。英語を教えるのは余り有効ではない。それよりも、世界の文字を教える。いや教えるというよりもそれで遊ぶ。タイ語、アラビア語、韓国語、ロシア語、ヒンディー語ぐらいか。ギリシャ語などもありうるかもしれない。

A君:しかし、教材を作るのが大変そうだ。
B君:先生は忙しい。

C先生:と思ったのだが、先日偶然に本屋で、「アラビア語のかたち」という本を見つけた。白水社が出している本(¥1300+税)で、上に述べた各国の文字の説明がなされている。まず、すべての本がほぼ同じ構成になっていて、「名前を書こう」、「文字になれよう」、「手書きの文字と数字を読もう」、「推理してみよう」、といった形だ。これを若干変えれば、小学校でも教材として十分使えるのではないか、と思った次第だ。

A君:ちょっと見ただけですが、面白そうですね。「イ」という音と「エ」がアラビア語だと同じなんですか。あれ、「ウ」と「オ」も同じだ。どうなっているのだろう。

B君:それはそれとして、竹島問題を議論するまえに、全員で韓国語の勉強をしてから、などというのが良いかもしれない。

C先生:日本という国は、環境的に見て、やはり非常に特殊な国だ。悪いという意味ではない。紛争を回避できるという点では、恵まれすぎている。そのために、世界との関係がやや特殊になりがちだ。それを意識するためにも、他国の文化は、できるだけ理解するように心がけるべきだ。

A君:日本が特殊だということは、地理のことですか。

B君:文化的にも特殊だ。

C先生:まあ両方だ。
(1)島国で、国境がすべて海である。
(2)1億人を超す国民が住んでいる。
(3)ほとんど単一民族である。
(4)日本語という世界でもっとも複雑な表記法を採用している。
(5)宗教的には多神教的である。
(6)歴史的には定住型半農半漁の世界だった。
(7)地震国である。
(8)水が比較的豊富にある。
(9)山がちなために、河川が急流である。
(10)平野が少なく、斜面を有効に使う必要がある。
(11)気候災害が多い。台風、猛暑、豪雪など。
(12)世界の料理を日本流に変換し、しかも世界一美味しい。
(13)世界一長寿である。
(14)教育の程度がまずまずのレベルなのに、一般に外国語が苦手である。
(15)商品やその品質に対して、世界一要求が厳しい。
(16)独自性・先駆性に対する評価が必ずしも高くない。
(17)ソフト的な価値に対する評価が低い。ソフトはタダにしろという社会。

などなど。ということで、カルフールなどの進出も失敗に終わる。

A君:これらの特性から読み出す特殊性とはなにか。ということですか。

C先生:環境研究の話から始まったのに、大分脱線してしまった。結論的には、地政学上の要素があって、国民の平均的価値観の点で孤立した国になる可能性が高いということだろう。

A君:それは良いのですが、俯瞰型環境研究の残りの2種類、
(3)国際ガバナンス型
(4)教育・人材育成型
については、議論ができていませんね。

B君:そこでも、やはり、語学のようなものの重要性は同じだろう。

C先生:環境問題を地球レベルで解決する。例えば、気候変動防止について、すべての国が協調できるような仕組みとは何かを研究する場合にも、上で述べた日本の特殊性のようなものを、すべての国について、書き表してみることが最初のステップになりそうだ。それには、やはり、語学も重要。

A君:アフリカの離陸がうまく行かないのも、宗主国による自国の価値観とキリスト教という宗教の押し付けが根本的原因として残っているのではないでしょうか。

B君:アフリカは、かなりキリスト教に改宗したものの、もともとは日本のような多神教的な文化風土なのではないか。

C先生:日本の環境問題、特に、公衆衛生に係るような環境問題がほぼ解決し、残るのは、過去の問題が中心という状況になった現在、環境問題への関心は、やはり、俯瞰的な環境問題の解決、国際的な環境問題の解決に向かうべきだ。その際、やはり語学をどうするか、これは大きい。日本人は、すべからく、ハングル文字とタイ文字ぐらいは読めるように努力すべきではないか。英語だけ旨くなればよいというものではない。そのぐらいの視野を持たないと、もともと地政学上強くなりがちな孤立指向がますます強くなる。


付録1:ハングルの勉強には
(1)「韓国語のかたち」 増田忠幸著
 白水社、ISBN4-560-00564-8、\1300
が最初に見るべき(読むべき?)本だろう。 
そして、その発音などについては、
(2)「韓国語のしくみ」 増田忠幸著
 白水社、ISBN4-560-06759-7、\1400
が、韓国語の音声やしくみなどが解説されていて、過去、様々な本では分からなかったことが、この本で初めてよく分かった。
そして、会話には、これも大分色々なものものを買い込んだが、いまのところ、
(3) 「ゼロから話せる韓国語」 塩田今日子著
 三修社、ISBN4-384-00723-X、¥1600
が「聞き流し習得法」には良さそうなので、現在、これにチャレンジ中。
 同じ三修社で、「ゼロから始める韓国語」という本もあるので混同にご注意。
 ちなみに、聞き流し習得法とは、付属のCDをデジタルプレイヤーに仕込んで、ときどき本を見ながら、その意味を理解しつつ、最低でも40回は繰り返し聞くという自己流。 英語に関しては、様々な映画の音を教材につかってきたが、この聞き流し習得法が非常に有効だった。


付録2:タイ語の勉強には
白水社と三修社の回し者という訳ではないのだが、やはり、上記のコンビが良さそうに思う。残念ながら、「タイ語のしくみ」はまだ出版されていない。
(1)「タイ語のかたち」 山田均著
 白水社、ISBN4-560-00565-6、¥1300
(2)「ゼロから話せるタイ語」 平野寿美子著
 三修社、ISBN4-384-05330-4、\2400