| | 飢饉、疫病、戦争 02.19.2005 |
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| 今年の1月4日、「津波と災害、そして環境」なる記事をアップした。そのとき、人間の命なるものが何によって失われているか、その一部を解明できたと思う。 そのときにも述べているように、災害というものは、どうも人の命の損失にとって重大ではあるものの、それ以外にも、歴史上大量の命が失われている。本日は、その手の話題。余り、明るい話ではない。 C先生:先日(1月4日のHP)、災害について調査をしてみた。その時点では、まだ今回の津波は20世紀以降の最大の災害ということではなかったが、現時点では、20世紀以降最悪になったものと認識されているようだ。 A君:今回のキーワードの一つが、持続可能型問題の一つとして重要な、飢饉。あるいは、貧困。それに、疫病。内乱や戦争は、全体的な枠組みがどんなものか、という外側の情報ということでよいのでは。 B君:飢饉は重大。現時点でも、世界的にみて、低体重が最大の損失余命の原因となっている。ところが、マクロ的に見れば、世界的に食糧は足りている。歴史的にも、飢餓がある一方で、その国が、食糧輸出国であったりする場合もあった。 A君:まあ飢饉のデータを見ましょう。まずは、 飢餓による死者数 B君:どうみても、中国に飢饉が多い。後は、インド。 A君:最近のものでは、まだ記憶に新しいエチオピア1984年のもの。 B君:それに実体が良く分からないが、最近のできごとである北朝鮮の1995−1998年。 A君:1958〜1961年の中国の大飢饉は、この時代に外国からの記者などが中国を自由に見ることができなかったために、充分な報道がされたとは言えない。Jasper BeckerのHungry Ghosts(餓鬼 秘密にされた毛沢東中国の飢饉 ジャスパー・ベッカー 川勝貴美訳)が、この飢饉の状況を伝えているのみ、とされている。 B君:どうも、飢饉というものは、かなりの割合で、人災なのではないか、と思わせる。この中国の「大躍進」なるものは、中国の労働力を鉄の生産に集約させるという毛沢東の経済戦略であったのだが、やはり無理がたたった。人民公社が作られ、安価な労力を集め、労働集約的手作業に近い形で、鉄が作られた。農民が鉄作りに使われたのみならず、病院、学校なども鉄作りに参画して、機能がストップしたぐらい。結果的に、農業が完全に疲弊して、これほどの餓死者が出てしまった。 A君:結果的に、鉄の生産は当初相当に増加したようで、1958年には、なんと45%増加だった。しかし、当然急落し、1964年になるまで、1958年のレベルを回復することは無かった。 B君:このとき、目的のためには手段を選ばず、で人民の移動なども大幅に制限して、結果的に飢餓による死に追いやった。 A君:毛沢東は、この大々的な失敗をカバーするために、文化大革命を行ったという説もあるぐらい。 C先生:この1958〜61年に大変なことが起きたことは事実のようであるが、歴史的事実というものが、意外なことに論争の的になったりする。この大躍進の失敗に伴う飢餓でも、死者数は、100万人から4300万人という幅の予測となっている。人間が死ぬとき、飢餓で死んだのか、飢餓が遠因となって、伝染病で死んだのか、分かりにくいことも一つの要素。 B君:日本軍の悪業に関することでは、南京大虐殺、従軍慰安婦などの問題があるが、何が真実なのか、本来、歴史的事実なのだから分かりそうなものなのだが、分からない部分が残る。南京大虐殺にしても、事件の存在そのものを否定する人、死者1万人程度から、35万人程度まであまりにも幅がありすぎる。Wikipediaだと、5万人から35万人となっているが。 A君:次に行きますか。このリストの中では、比較的新しい「1984年のエチオピア飢饉」。これはテレビなどでも報道されたもので、極めて有名。 B君:日本人が国際開発に関係するきっかけとなった事件とも言えそう。 A君:このエチオピア飢饉を救うために、様々な有名なBand Aidが行われている。イギリスの有名なアーティストが中心となって活動し、500万ドルの救済基金を集めた。 B君:このエチオピアの飢饉も、政治的な背景があって、嫌になる。どうもわざわざここまで死者を増やしたのではないか、と思われる。「強制移住政策を取ることで、いつまでも人工的な飢饉の状態を作り続ける、当時の独裁体制を強化する役目を果たしてしまった」、という意見が、「国境なき医師団」の理事長だったロニー・ブローマンの著書には出てくる。 A君:3000年間続いたエチオピアの皇帝は、ハイレ・セラシエ皇帝が1974年に廃位され、その後、大混乱。急進派の黒幕はメンギスツ少佐で、その後、昭和52年(1977年)に社会主義軍事独裁政権を発足させるが、これが様々な問題を起こすことになり、その中で、このエチオピア大飢饉も起きている。 C先生:飢饉はそもそも政治的な問題であって、自然現象だと断定することはできないようだ。貧困の克服や飢饉の権威、アマルティア・セン博士(ノーベル経済学賞)は、こんなことを述べている。「世界の悲惨な飢餓の歴史をみると、比較的自由なメディアが存在した独立民主国家のなかで、 本格的な飢餓が発生した国はいまだかつて一つもないという注目すべき事実を、私は別のところで論じたことがあります。エチオピア、ソマリアその他の独裁国家で数年前に発生した飢饉、ずっと昔に遡れば、 1930年代のソ連のスターリン政権下で起きた飢饉、1958年から61年にかけて大躍進政策失敗後に起きた中国の飢饉、 近年生じた北朝鮮の飢饉などには、この基準が例外なく当てはまります」。 A君:それはなぜか。その第一の理由は、飢饉は確かに自然現象が引き金を引くのだが、充分に予測が可能であること。 B君:それはそうだ。旱魃などの自然現象が原因ではあるのだが、旱魃が起きてから、収穫期までには、通常何ヶ月かの時間差がある。 A君:地球上全体を眺めれば、実は、穀物が不足しているという状況ではない。もしも、世界で生産されている穀物を平等に割り振ると、一人あたり3500kcalになる。しかも、この値は、野菜、豆、ナッツ、根菜、果物、魚、草食による食肉生産などを除外した値だとされている。 B君:絶対的な食糧不足という状況ではないから、どこかからの食糧が得られれば、なんとかなる。要するに、それから先の配分の問題が最大の問題である。 C先生:1995〜1998年の北朝鮮の飢餓についても、したがって、ほぼ政治的に作られたものだという解釈が妥当なところ。2100万人の人口であった北朝鮮で、120万人が飢餓で死亡したとしたら、これはとんでもない犯罪行為だとも言えそう。 A君:実際、何が起きたのかは、難しいところもありますね。歴史的認識というものは、しばしば見解が食い違いますから。 B君:しかし、最近の飢餓に対する経済学的解釈を基本に考えれば、いくつかのありそうな解が浮かんでくる。 C先生:援助による食糧がヤミ市場に流れ込んで、しかも、全国統一価格に近いものができた。行商人は、地域による価格差を儲けに繋げるが、商売の種が無くなって、行商人という商売が成立しなくなった。 A君:なんらかの意味で商売ができること、自己のインセンティブで活動でき、それなりに稼げる社会システム、これが無いと、なにごとも旨く行かない。現時点での北朝鮮の最大の問題はこれではないでしょうか。 B君:難民問題などが順調に回復する過程では、難民キャンプにある自由市場が出来だすと、問題の解決が近いと言われている。 C先生:以上の話は、それこそ様々な人々の推測を読んで、これは有りそうだなという感覚でどれを記述するか選択した結果である。したがって、これが事実であるというつもりはない。先にも述べたように、歴史的な事実は厳然としてあるはずなのだが、様々な現象の理解というものが存在しており、どれが本当であったかどうか、真実を見極めるのは難しい。 A君:そろそろ飢饉の話は止めて、疫病・内乱などの死者の話にしますか。 B君:疫病から行くか。 疫病による死者
B君:それに、インフルエンザだ。もしも、鳥インフルエンザが本当に猛威を振るったら、それは、怖い。BSEなどは、問題にならない。 A君:BSEは、死者の総数にすれば、本当に問題にならない。しかし、日本人にとっては、食品という「安全でなければならないもの」が原因だから問題になってしまう。 C先生:こうしてみると、なにが原因で死ぬか、ということは非常に重大な意味を持っていることが分かる。人々は戦争だというと、それなりに諦めているのかもしれない。また、疫病だ、というとそれも諦めざるを得ない。しかし、BSEで死んだり、マグロの水銀で妙なことになることは、許容できないことなのだろう。 A君:最期に、戦争による死者がやはり余りにも多いことをリストで示して終わりましょう。 戦争による死者 A君:チンギス・ハーンの征服が本当にこれほどの死者を出したのだろうか。当時の世界の人口の50%を支配したそうだから、当然なのかもしれないが。 C先生:今後、飢饉も大規模なものは起きないようにできるだろう。勿論、内戦状態などがあれば別。疫病も、準備をしておけば、突発的な流行に関しては、あれだけ騒いだSARSの10倍程度以内で抑えることが可能なのではないか。エイズのようなじわじわ型が怖いのは事実。 |
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