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 火事のリスク評価の国際標準     04.18.2010
     



 16日付の読売新聞によれば、3月までの新型インフルエンザの死者は189人で、死亡率は、圧倒的に日本が低かった。なんと、米国の1/20以下(米国の3.96人に対して、日本は0.15人=人口10万人あたりの死亡者数)であった。

 日本での死者数は、例年の季節性インフルエンザよりもかなり少ない。今回ぐらい気を使ってワクチンを接種し、感染したら即タミフルを服用、アルコールで手を消毒、といった行為を継続的に行えば、死者数を下げることができるという証明であった。

 これを毎年やればよいではないか。いやいや、もっと怖いことが起きる可能性がある。タミフルを過剰に使用して耐性ウイルスを作り出すことがほぼ確実であろう。となると、リスクを最小化するには、どうすれば良いのか。難しい判断である。

 いずれにしても、新型インフルエンザでは、様々な学習が行われた。日本のような島国だと、昔から、伝染病に対する「水際防衛作戦」が有効だと考えられていて、成田などで厳格な検査が行われた。当然分かっていたことであるのだが、成田は決して”水際”ではなかった。”空際”だった。そして、空際に防衛線を敷いても、潜伏期間がある感染症に効果はない、という当たり前のことが確認された。

 それなら、なぜ無意味な空際作戦が展開されたのか。その理由を検討し、結論を出すことができれば、その内容は「日本辺境論」の一部になりうることなのかもしれない。

 同じ島国でも、英国のように、欧州との距離が近く、人の往来が余りにも多いと、水際作戦も不可能なので、対応が全く違った。これは、実に面白かった。ヒースロー空港では、実際、何もやらなかった。

 もっと面白かったのは中国の対応で、そもそも陸続きの国で、空港でのブロック作戦をいくらやっても駄目なのは分かっているはずなのに、かなり厳格に行われていた。さて、なぜなのだろう。

 日本人だけがマスクをするのはなぜなのだろう。マスクは、インフルエンザに感染している人がすれば効果はあるが、感染防止に大きな効果があるとは思えない。手を洗う方が余程効果的である。

 いずれにしても、今回の新型インフルエンザ騒ぎも、「未知」ゆえに起きた過剰反応があったということは事実だろう。これから冷静な対応をするための良い学習機会だったと考えるべきなのだろう。

 本日の話題は、実は、インフルエンザのリスクではなくて、火事のリスクの話である。火事のリスクは、「既知」である。

 先日、オフィスの近くに、東京消防庁の消防技術安全所なるところがあり、業務公開を行っていたので、ちょっと見学をしてきた。

 製品の安全業務と深いかかわりがあると思ったからである。実際のところ、余り関係は無かったようだ。やはり、いかに消火するかというところにポイントがあり、原因究明は、業務のほんの一部でしかないからだろう。

 それとは全く別に、国際標準であるISO13571の文章を読むチャンスを得た。「火災による生命の及ぼす危険性」という題名の文章である。

 書かれていることは、まさに、火災による生命リスクにどのように対処すべきかという規格であり、極めて合理的で感心した。

 リスクというものを厳格に扱うとこんな対応になるだろうというお手本として、ここで取り上げてみたい。



C先生:火事のリスクは、最大のものは、当然、生命の損失に対するもの。怪我ややけど、さらには、CO中毒などを含む。それ以外にも、財産などへの損害はあるが、それは火災保険によって補填することも可能だ。
 生命へのリスクを考えるとき、そもそも何をもっとも重視すべきか、ということから検討が始まるのだろう。

A君:そう考えるのが王道なのですが、何ももっとも重視するか、ということになると、命を失うこと、COを吸い込むことによる脳障害、やけど、などのようないわゆるエンドポイントというものへの影響を定量的に取り扱うのか、と思ったのですよ。ところが、ちょっと意外だった。

B君:LCA屋であれば、エンドポイントを設定してそのリスクを検討するという発想をしがちだ。それぞれのエンドポイントについて、どのような対応をすべきで、それを重みをつけて最終的なリスクへの対応策を考える。それが妥当なアプローチだからだ。しかし、その国際規格では違っていたと。

A君:その通りです。まず、火災による生命の損失を考えるとき、要点は、唯一つしかない。それは、避難するために使える時間を避難に必要な時間より長くすることだ。

B君:えっ。避難に使える時間が、避難に必要な時間より長いこと。うーん。理解するのにちょっと考え込んでしまった。
 その人が例えば、3階に住んでいたとして、外に避難をすることを考えたとき、3階から1階まで降りて外に出るまでに要する時間が、避難に必要な時間。火事が起きたことを考えると、火災の発生を知ってから、実際に行動を起こして、外に出るまでに、どのぐらい時間的な余裕があるか。なるほど。30秒で逃げられる状況にある人が、火災発生を知ってから、安全に避難を完了するまでの時間が1分間あるような状況なら、まず生命への重大な危険は生じないかもしれない。

C先生:火災発生を知ることは、最近、家庭用火災報知機の設置が義務化されたが、火災報知機の音や光によって、出火地点に居なくても早く知ることができる。火災報知機のお陰で、知るまでの時間を何秒間でも稼ぐことができれば、命の危険性を減らすことが可能だ。

A君:まあ、本当に現場というものに即した基本的な考え方なので、感心しました。

B君:まさにその通り。となると、次に考えるべきは、何が、人を襲ってくるかだ。火災を知ったとしても、煙や有毒ガス、あるいは、炎や熱が襲ってくる訳で、それによって命の危険が生ずる。

A君:そのリストが、実は、これまた単純で、4項目しかないのです。
(1)熱への曝露=火炎と輻射熱
(2)窒息性のガスの吸入
(3)目や鼻、呼吸器の刺激性物質への曝露
(4)煙によって視界が失われること

B君:しかし、4項目がいずれも、避難に要する時間をどう変えるか、という観点からチェックする必要がある。これは、かなり難しいことなのではないか。

A君:その通りでしょう。まず、避難に使える時間を、それぞれの要素がどのぐらい短くするか、といった観点でチェックすることになるようです。

B君:避難に使える時間の起点はいつ。まあ、推測すれば、最初に発火した時点だとは思うが。

A君:そう書いてありますね。勿論のことですが、避難する人の特性によって、避難に必要な時間が大きく異なります。例えば、老人か子供か。逆に、強靭な肉体の持ち主なら早いでしょう。しかし、ここでは、避難する人の特性のことは余り議論しないとしています。

C先生:そろそろ具体的な記述に行こう。

A君:まず、この国際規格のスコープということです。スコープというと分かりにくいのですが、どのような前提で使われることを考えているか、という前提をスコープと呼びます。要するに考えている範囲みたいな意味ですが。

B君:国際規格としては当然なのだが、かなり厳密に、どのような場合には使える、こんな場合には使うな、ということから始まる。

A君:使い方は、「解析を目的としたモデルと一緒に使え」、と言っています。具体的には、「発火、拡大、延焼、発煙と煙の移動、化学物質の発生、その拡大と減衰、人々の動き、火災報知、スプリンクラーなどによる火の抑制などの要素を含むモデル」を作って、それと一緒に使え、ということですから、かなり高度な検討を行う際には、この規格は有効だと言っていることになります。

B君:考慮されていることのリストは分かったが、当然、考慮されていないこともあるはず。

A君:その通り。視界が急に失われたことによる心理的なショックとか、煤などの微粒子の有害性とか、火災における有害物質への曝露によって引き起こされる事後の健康被害は考慮されていない。

B君:なるほど。まずは、逃げ出すことだ。そして生命を失わなければ、それ以後の治療によって回復可能といった意味だろう。

C先生:これの裏には、ダイオキシンの話があると思う。1990年代後半のダイオキシン騒ぎのときに、非常に大きな問題になったのが、ドイツにおいて起きた変電所の火災だったのだ。塩ビ電線を使っていて、火災になったもので、ダイオキシンが大量に発生したと言われていた。しかし、実際のところ火災によってダイオキシンに曝露されたからだと思われる重要な症例が有ったという訳ではなかった。事後に問題になるのは、ダイオキシンなどではなくて、実は、CO一酸化炭素による後遺症、具体的には脳神経障害で、これが大問題なのだ。

A君:これも学習効果の一つなのです。ダイオキシンのリスクを過大に評価すると結論を間違うということです。火災のときに、ここでダイオキシンを吸い込むと健康に悪いといったことを考えるよりも、まずは、逃げられるかどうかを優先して考えるべきだ、という強い主張なのです。

B君:なるほど。非塩ビ電線を売るために、このガイドラインを使うな。すなわち、どのような材料を使うべきかとか、使うべきではないということを直接的に判定することはできない。あくまでも、モデルと一緒に使えということを主張しているようだ。

C先生:となるとモデルの話に行くべしということだ。

A君:モデルですが、いくつかのアプローチがあるようです。
 有害ガスモデルがまずあるのですが、多くの場合には、窒息性のガスであるCO(一酸化炭素)、HCN(シアン化水素ガス)が第一ターゲット。その他に、眼や鼻、喉や気管などに刺激を与えるガス。

B君:若干、手伝おう。質量減少モデルというものがあるようだ。これは材料や製品が火災によって、どのぐらいの速度で質量を失っていくか、すなわち、気体になって離脱していく速度が問題なのだということのようだ。

A君:有機物質、例えばプラスチックが気体変わると、可燃ガスになりますので、爆発の危険性が増えますし、窒息性のガスを出す場合もある。あるいは、有害性は無くても、単に燃えやすいものでも、燃えることによって、空気は低酸素状態になる。

B君:熱と放射エネルギーモデルというものがあって、どのぐらいの熱エネルギーが関与するか。

A君:煙による妨害モデル。視界がどのような速さで失われるか。

C先生:モデルを使って、何をどのように評価するのか。

A君:その建物の住人、平均的な能力を持った人を仮定していますが、ヒトが死に至る有害物の摂取量、死に到る有害物の濃度、この2つを評価基準にしています。

B君:死に到る有害物の摂取量をfractional effective dose(FED)、有害物の濃度をfractional effective concentration(FEC)と呼んでいる。

A君:FEDもFECも、1になれば死を意味する。0.3程度の値が、通常の人々の場合にあてはめることができる基準値になるようです。

B君:ということは、まず、有害物といっても、窒息性のものもあれば、刺激性のものもあるが、その有害性を摂取量と濃度の両方で決めて、そのいずれもが0.3になるまでの時間が重要。この時間以内に逃げられれば、まあ命は助かる。こんな感じか。

A君:そんな感じです。FEDは窒息性のガスであるCO、HCNがメインで、FECは刺激性のガスが対象で、HCl、HBr、HF、SO2、NO2、アクロレイン、ホルムアルデヒドが主のようです。

B君:有害性はガスによって違うだろう。

A君:当然ですね。基準値がCOだと35000ppm、HCNは指数関数になっていて非線形なので、よく分からない。
 HClは、1000ppm、HBrも1000、HFが500、SO2が150、NO2が250、アクロレインが30、ホルムアルデヒドが250.数値は小さい方が有害性が高い。

B君:なるほど。しかし、こんな複雑な分析ができない場合だってありそうだ。

A君:どうもそのようで、そのために、質量減少モデルというものがあるみたいですね。しかし、詳しいことは今回は省略させて下さい。

C先生:熱の影響が非常に大きいのでは。

A君:その通りです。熱による体温の上昇、体表面の火傷、気管の火傷が三大影響。それぞれについて検討されています。やはり、FEDが指標になっているようなのですが、詳しいところは、これも省略。

B君:煙による視野が失われるという影響もモデル化されている。

A君:そうです。ちょっとだけ読むと、視野の対数が、煙の濃度と反比例するようですね。

C先生:これで概要が分かった。さて、このように複雑なモデルで火事によるリスクというものの検討を行うべきだという国際標準だ。さて、これから、何が言えるのだろうか。

A君:一つの結論は、先にもちょっと議論になったことです。序文に書いてあるのですが、この国際標準を単純に適用して、この材料は良いとか、この材料は悪いとかを簡単に言ってはならないということのようです。 この国際標準が、なんらかの材料の試験法につながることも無い、と書いてあります。

B君:そもそも言えないのでは。ある材料を使っていて、火災になった。その材料が塩素を含んでいれば、HClは出るかもしれないが、自己消火性の材料ならば、爆発性のガスを出すこともないだろう。また、熱を出すことには余り寄与しない。すなわち、「この材料は塩素を含んでいないからHClを出さない。だから安全など」という簡単な結論を出すな、ということは当然のことだ。

C先生:塩ビとエコ電線の話だな。この話題は、実に古い! 現在の首相官邸ができたとき、塩ビ電線を使わなかったということなので、一体何年前だ。

A君:着工 1999年5月22日、竣工 2002年4月22日。

B君:なるほど。久米宏さんが1999年2月1日のニュースステーションで、所沢の葉っぱモノがダイオキシンを大量に含んでいるという発表によって風評被害が出た。

C先生:ダイオキシン猛毒説が猛威を振るっていた時代に着工している。そのために、ダイオキシンの発生をしないということで、非塩ビのエコ電線が使われた。

A君:エコ電線を使っていると、場合によっては、火炎の発生が早くて、また爆発性のガスも出る可能性があるので、火事になったときには、塩ビ電線の場合よりも、速やかに避難しないと危険かもしれない。それは、条件によってなんとも言えないので、とにかくモデルを使って検証せよ、ということがこの国際標準の主張ですね。

B君:まさにリスクというものは総合的に判断せよ、ということだ。

C先生:今回の本HPでの検討は十分ではないことは明白だが、国際規格のようなものは、やはり単純な発想ではできていない。
 リスクというものはそう単純ではない。ところが、日本人だけではないのだが、現代人は一般に、あるものを避ければリスクは下がり、あるものを使えばリスクが増えると考えてしまう。それは、世の中を構成しているものが複雑になったにも拘わらず、その影響の全体を把握できる能力を持てないからだ。それは、ある意味で当然で、人間一人が知りうる知識の量など、たかが知れている。知る能力を何にどのように分配するかは、個人の戦略だと思う。
 ところが、事業者によっては、人々が知らないことを利用して売り込もうとする。未だにマイナスイオンはアトピーに効くといって、トルマリンと炭の粉を入れた繊維製品を売っている業者がいる。
 このような不条理な事業に対しても、消費者行政というものは対処して行かなければならないように思える。と現在の自らの重大事項に関する感想を述べて終わりにしよう。

A君:B君: なんとなく、国際標準とは言えない終わり方だ。