食料自給率 その3    08.29.2010   




まず、この1週間の報告から。

1.岩手県へ

 先週は、日、月、火、水の4日間、夏休みをとった。このところ、日本の農林村地帯の将来をどうすべきか考えていることもあって、今回は、4日間を岩手県で過ごした。

 とは言っても、当然、中心は、観光地めぐりである。ターゲットは陸中海岸北部(北山崎)、龍泉洞、浄土ヶ浜、釜石、大船渡、遠野、平泉、厳美渓、猊鼻渓など。これらを回るために、今回は、自前のプリウスを東京から動かすことにした。

 何にもっとも感心したか、と言えば、村落と村落を結ぶなにげない道路(県道)が、やはりかなりの高さの峠、といっても、標高550m程度を越すことになるのだが、それが立派なこと。島根県も立派だったが、岩手県はそれ以上かもしれない。モンゴルの主要国道がデコボコなのに、日本の道路の舗装は実に平らである。しかし、今後、このようなインフラをどこまで確保できるのだろうか。

 今回の岩手県めぐりでは、このHPに記事を書くほどの情報は得られていない。インパクトのあったことを箇条書きにすれば、
(1)陸中海岸の北部は、リアス式海岸ではないことを初めて知った。国立公園なので、環境省が管理しているものと思うが、その説明用の看板に書いてあった。「リアス式海岸とは、もと山地が沈降して海岸になったものを言う。宮古よりも北の海岸は隆起して断崖ができている」。
 三陸鉄道北リアス線(久慈から宮古)などという鉄道があるのは何故?
 北山崎の景色はやはりよかった。
(2)龍泉洞は、鍾乳洞というよりも、水に浸かった洞であった。その水の深さが驚異的。日本三大鍾乳洞のもう一つ、龍河洞も見てみたい。
(3)遠野がこれほど人気な理由は、その民話にあるのだろうが、行ってみても理由はよく分からない。まずあの暗い民話の雰囲気が感じられない。明るくて暑い。まあ今年の夏は暑すぎたのかもしれないし、やはり冬に行かないとダメなのかもしれない。
(4)船から見る猊鼻渓の両岸の岩がこれほど立派だとは思わなかった。川下り(実際には往復)の船頭を含め、有名度よりも実態が勝っている。予想よりも遥かに良かった。記憶があるうちに、高千穂峡に行って比較してみたいものだ。
 それにしても、この猊鼻渓がどうやってできたのか、不思議である。石灰岩にどうして大きな割れ目ができたのか。
 Googleの航空写真でみると、猊鼻渓の付近が手付かずの自然になっている。しかし、近くにある石灰岩採石場の航空写真は、これまたインパクトが強い。
(5)厳美渓は、中国人観光客が多かったことが最大のインパクト。猊鼻渓よりも有名だが。。。
(6)平泉は世界遺産になりたいようだが、これはかなり難しい。特に、中尊寺が観光地化しすぎている。
(7)浄土ヶ浜は、駐車場から1km近く歩いて行くことになるが、あのような雰囲気の海水浴は無い。気持よさそうである。
(8)平泉までは日曜日だったもので、休日の高速道路料金の恩恵が大きいことを、初めて実感した。やはりインパクトが大きい。平泉前沢まで1700円だった。通常料金は9000円。さらに、八戸道路、花巻空港線などが無料化されている。
 今回使用したガソリンが65リットルぐらいなので、燃料費が8500円程度。休日料金だけで移動すれば、高速道路代は無視できるぐらい安い。
 一方、今回の経路をもしも鉄道で回ろうとすると、新幹線を使って3万3千円以上。
 やはり、高速料金の休日1000円上限制度は、車の使用を加速する。

2.JAMSTECのシンポジウム
 金曜日、一橋記念講堂で「気候大変動の時代に生きる」というシンポジウムが行われ、パネリストとして参加。
 ちょっと時間が短くて、十分な議論ができなかったが、会場と様々な意見が交換できたのが収穫。
 「温暖化対策がもう手遅れだ」という感覚を持っている人が多いという会場からの発言があって、とても驚いた。これからどうするかを必死に考えているのが我々なのに。
 一つは、何に対して手遅れなのか。人為的な温度上昇をゼロにせよと言われれば確かに手遅れなのだが。しかし、2℃までは難しいとしても、2.5℃まで程度ということは、なんとかなるのではないか。
 人類が今ほど快適に暮らせないことに対して、と言われれば、このところ地球上の気候は極めて安定だという偶然に恵まれているので、それをどう評価するか。
 人類にエネルギー危機が来る、ということに関しては、液体燃料が最初に枯渇するが、その気になれば、まだエネルギーの絶対量が不足する訳ではないので、代替エネルギー(多分電気)を考えるか、どうしても必要なら作れば良い。石炭が使いにくくなることは多分事実なので、石炭の使い方、あるいは、石炭に変わるエネルギー源を考えることは必要不可欠。
 300年後に化石燃料が枯渇することは仕方のないことなので、それから先をどうするのか、今からイメージをもつことは良いことかもしれない。
 人類に食料危機が来る、ということに関しては、食料自給率に関する連載中の議論を理解していただくことになる。答えは、食料安全保障を強く意識することが必要。しかし、それは食料自給率を高めることと同義ではない。



C先生:いよいよ本題。今回、食料自給率に関する連載の3回目。毎回、本を読んで、その主張について議論をしている。

A君:今回は、次の本です。
「さよならニッポン農業」
神門義久(Godo Yoshihisa)著、NHK生活人新書321、¥700+税。

B君:本日現在、アマゾンのラインキング5763位。まあ健闘しているのでは。

A君:著者は、1962年生まれ。京都大学博士(農学)。明治学院大学経済学部教授。著書はアマゾンでは4冊。

B君:レビューは6件しかないので、それほど読まれている訳ではない。論調としては、比較的中立的なレビューが多い。

A君:それでは、例によって目次の紹介から。
目次
はじめに
第一章 消えていく農地
  −農業ブームの陰で起きていること
第二章 なぜ農地は無秩序化したのか
  −日本農業の足取り
第三章 競争メカニズムの欠如
  −農地と農業効率の関係性
第四章 政権交代と日本農政
  −小泉政権以降の模索と迷走
第五章 日本農業の理想像
  −市民参加型の土地利用へ


B君:「はじめに」を読むと著者の問題意識が大体分かる。神門氏の最大の問題意識は、「無秩序な農地利用」とでも言えそうだ。

A君:農水省の公式統計では、農地の1/10は耕作放棄されている。その面積は38.6万ヘクタール(東京都の面積の1.8倍)。
 違法な農地転用は発覚したものだけで年間1万件。しかもその大半は反省文を提出するだけで事実上何のお咎めもなく、転用が事後承認されている。

B君:それは、「自分の土地をどう使おうと自分の勝手」という風潮が日本社会に蔓延しているため、どんな法制度を作ってもすぐ形骸化する、と述べている。

A君:この傾向は、農地だけの問題でない。「民主主義=個人の勝手が許される」という間違った理解をさせておいて、Give&Takeの結果として票を集める政治が長く続いたためと言えるのでは。

B君:規制緩和が経済に活力を与える、これは事実だと言える部分がある。しかし、農業の場合には、もっと土地を管理し、秩序ある使用法にしないと駄目だ。これが、この著者の最大の主張だ。

A君:それは、農地を大規模にして、米国の農業のように、スケールメリットで戦うという農業をやるのなら、確かにその通り。ここは、優良農地だから、スーパーマーケットなどを作ってはいけない、は正しい主張でありうる。

B君:しかし、本当の問題は、日本でも大規模農業をやるのか、という話に戻らざるを得ない。もともと、平坦地でないところでコメを作るとなると、1枚の田のザイズは小さくならざるを得ない。

C先生:米国カリフォルニア州のコメとして有名な国宝ローズも、飛行機で種モミを撒くらしい。それでも相当に美味しいコメが採れる。これと戦うのは、半端な規模では不可能。それが日本で可能とも思えない。

A君:第一章の内容は、いかに農地が無秩序化しているか。これは、社会保険庁の消えた年金問題に勝るとも劣らない問題だとしています。

B君:やはり、訴え方が上手い。

A君:最近、空前の農業ブームが起きている。BRUTUSまで農業特集をやった。しかし、農業を明るく楽しいイメージで描くのは単なる夢だと切り捨てている。

B君:最近では、「定年後には農業で第二の人生を楽しみたい」という声も多い。しかし、これも夢物語としている。

A君:農業が成長産業になるという財界などの主張にも疑問を呈している。農商工連携と銘打って、企業が農業に進出することで一躍農業は成長産業になる。そして、世界から飢餓もなくなる。しかし、この話もバラ色過ぎるとしている。

B君:それはなぜか。まず、農業は国際的な厳しい競争にさらされている。

A君:確かにそうなのです。ただし、厳しい競争にさらされているのは、穀物や木材、水産物などのように運んでも成立するもの。野菜とか花卉、さらには、果物のようなものは、国際的な激しい競争にさらされていると言えないのではないでしょうか。

B君:同時に、農家は、土地を高く売ることばかり考えていて、そのうち、何かチャンスが来て、農地が金の卵になることを期待していてけしからん、と主張している。

A君:これは事実かもしれない。公共工事がこれまで美味しかった。道路の計画でもできて、自分の農地を通れば、それこそ巨万の富を得ることになる。

B君:しかも行政がサボっていて、農地基本台帳という戸籍にあたる書類ができていない。そのため、転用もほぼ自由自在。

A君:しかも、相続税がやたらと優遇されているので、世代を超えていつまでも持ち続けることができる。

B君:これが耕作放棄地などを生み出す原因で、農地はますます荒廃する。

A君:著者は、「土地というものは、買ったとしても自由に使えるものではない」、と主張しています。「公益のために土地利用が制限されるのは当然だ」、とも主張しますが、これが最大の論点だと思いますね。

B君:著者によれば、マスコミや識者の発言である、「営農目的以外の農地売買は禁じれば良い」とか、「営農意欲や能力の高い人に農地を集めれば良い」という。これは理念としては正しい。しかも、やればやれるのに、具体策が無いのが問題だという立場のようだ。

A君:やはり、行政を攻撃している部分もあって、その具体策とも関連しますが、農地が今駐車場に使われているかどうかもよく分からない状態を変えることから始めなければ駄目だ。

B君:確かにそうだと同意する部分はある。営農をするために、相続税などが優遇されている。なぜならば、営農はそれほど儲かる商売ではないから。それなら、駐車場にしたら、もう農地ではないという取り扱いにすることが必須のようにも思える。

C先生:都会で土地をもっていると、相続税で3代はモタないと言われている。それが農地のフリをした駐車場だと無限に相続が可能になるのは、やはりおかしいと思う。このあたりの解決すべき問題と、日本がどのような農業をやるのか、という国家としての大方針とは、ちょっと距離があるように思える。

A君:第二章になりますが、ここは歴史的な検証を行っている章で、どうしてこれほど農地が無秩序化したか、という歴史的な記述が行われています。

B君:悪人にされているのが、まず、JA。農業委員会。減反政策。田中角栄。自民党。農水省。などなど。

A君:第三章になって、農地市場に競争がないことが問題だという指摘になります。

B君:要するに、「農業に長けたものが良い農地を利用する」形になれば、それが競争性がある農地市場だ。しかし、現実はそうなっていない。

A君:零細兼業農家がコストを無視したコメを作っているから、コメのコストが世界の2倍以上になって、結果的に競争力を失っている。

B君:効率的な営農を行うには、15ヘクタールが必要。ところが、大部分のコメ農家は3ヘクタール未満。

A君:この指摘は正しいのですが、国内でコメをどのように扱うのか、これは大きな問題。なにがなんでも大規模営農が良いという形が良いのか。

B君:国際的競争力を持たせる食材として、コメは適当なのか。

C先生:そのあたりは、議論になるところだ。個人的な見解では、海外産のコメにも、美味しいものが多い。例えば、先程挙げたカリフォルニア米の国宝ローズ。それにもう一つは、国産とは全く違う種類のコメだが、ラオス産の赤いモチゴメ。
 しかし、日本人は、外国産のコメだというと、味見すらしない可能性が高い。
 となると、自由化して安価な外国産のコメが入ってきても、米国産さえ輸入を止めれば、なんとかなるのではないか。

A君:現在の日本の農作物市場は、野菜に関しては国産が勝っている。中国産が問題だと言われるが、実際に入っている中国産野菜は限定的。果物も同様というよりも、さらに国産が多い。もっとも、オレンジやグレープフルーツ、バナナなどのように、もともと海外産のものは別。もっともキウイフルーツは、なんと国産品が結構多い。花卉は国産。

B君:穀物は、世界の需要量の大体20%増しを作る。そうでないと、ときどき起きる干ばつや大洪水などで、ときに減収になったときに、危機的な状況になるから。すなわち、まだまだ穀物は作ることができる状況だが、20%プラス程度に抑えている。これが続く間は、自給率は問題にならない。

C先生:食料安全保障という観点から穀物の備蓄などを計画的に行えば良い。スイスが備蓄量を減らしたというが、これが国際的な状況。
 となると、穀物は、好みがもっとも激しいコメを自由化してしまうという戦略はありうるのかもしれない。

A君:コムギなどは、余り好みもないので、輸入品に依存するので仕方がないのでは。品質も国産のコムギは限界があるようなので。

B君:ソバも上手くリードいすれば、地場産のソバが高く売れる可能性が無い訳ではない。

A君:大豆は豆腐用ぐらいでしょうか。遺伝子組換えでない特別な大豆を要求する可能性があるのは。

B君:日本の穀物の自給率で最大の問題は、トウモロコシを1700万トンほども輸入していることで、これが自給率を下げている。しかし、食料安全保障という立場から言えば、これは大した問題ではない。食肉を作るためにトウモロコシは使われている。もともと遺伝子組換えトウモロコシだから、ヒトが食べるものではない。

A君:国産の食肉をどうするか。どうしても、美味しい牛肉、豚肉を食べたければ、トウモロコシを輸入するしかない。もしも世界的な食料危機が到来したとして、その段階でもまだ最高の牛肉、豚肉を食べたいと言えば、それは贅沢。そこはある程度の割り切りが可能なのではないでしょうか。

B君:自給率を高めなければならない、という考え方は、いずれにしても余り論理的な目標にはならない。やはり、食料安全保障をどのようにして実現するか。この観点からすべての議論を見直すことが重要なのではないだろうか。

A君:本に戻りますが、第四章では、小泉政権が大規模農業を目指した農業対策を多少導入したが、それがその後の安倍、福田、麻生内閣で元に戻り、民主党内閣になってから、戸別所得補償という形で最悪だというのが、この著者の主張。

C先生:しかし、小泉内閣は日本の農業をどうしようとか、日本の食料安全保障を考えて農業政策を変えたとは思えない。やはり、「自民党をぶっ壊す」ことが最大の目標だったとしか考えられない政権だったので、農業からの自民票がくるメカニズムを根幹から壊す方法として、「大規模化が経済合理性が高い」という理論を使っただけなのではないだろうか。

A君:そして第五章になります。ここでは、市民参加型の土地利用が日本農業の理想型だという主張になります。

B君:まず、太閤検地以来の平成検知を行うとあるな。

A君:それでどこのどのような土地があるか、何に使うのがもっとも適切か、実際、どのように使われているか、それをまずデータベース化する。

B君:どのように利用するのか最適か、その通りに行うことは、「人から土地へ」の動きだとしている。これは、農家から受け入れられるとは思えない。

A君:やはり農業こそ人なのではないでしょうか。

B君:コンクリートは日本の技術が一定程度あるので、誰がやってもなんとか同じものができるけど、農産物は人のような気もする。

A君:その最適利用というものを誰が決めるのか。それは、市民参加型。これが著者の主張。

B君:このような政策がもしも実現したとする。日本の農業人口はどうなるのだろう。本当に現在の半分ぐらいのプロの農家が農地を有効活用している状態になっているのだろうか。

A君:そのあたりが不明。現状からの変化がどのようなインセンティブによってなされるのか。それよりも、現在の農家が土地の利用に関して自由度をかなり失うことに対して、大反対をするのではないか、と思うのですが、そこをどうするのか。

B君:神門氏の主張は、公権力が非常に強くなる方向を目指している。一般社会はこれを受け入れないのではないか。

A君:我々も完全な自分勝手な社会を良いとは思っていない。しかし、公権力がなるべく介入しないで、「権利を主張するなら、その前に義務があること」を十分理解した市民が大多数になることによって、ある種の秩序が回復することを望んでいる。
 いくら市民参加型で決定が行われる形を取ったとしても、実質上公権力からの押し付けで著者の言う秩序を回復させれば、雰囲気は、北朝鮮かミヤンマーに近いものになる。

C先生:そろそろ結論に行きたいが、この著者の主張は、余りにも勝手な社会を作り上げたことが日本の農業を破壊した。歴史的な経緯を見れば、確かに、こんなふうに要約することが可能なようだ。
 しかし、個人的な勝手、自国の勝手ということが、今後しばらくの国内社会だけでなく、国際社会の風潮でもあることを考えると、日本だけで反対の方向性を模索することはなかなか難しい。
 政策的に見ると、コメを大規模化することが問題の解決につながるのかどうか。これがまず第一の疑問。
 コメ農家の大部分が兼業農家であり、そこでも高齢化が著しいことを考えると、自然とコメ農家は減るのが流れ。
 それを補うために、全く農業をやったこともない人がコメ農家になることを仮定としても仕方がないようにも思えるが、土地の有効利用を市民参加型で決めて、大規模農地を作るというやり方も、同様に、起こりもしないことを仮定しているように思える。
 この著者が食料自給率を重視していないのは、一つの見識のように思える。やはり、食料安全保障という考え方を徹底的に考えることが必要で、それは必ずしも食料自給率を高くすることと同義ではない。
 この著作を要約すれば、著者も言うように、「人から土地へ」という価値の再転換であるが、まあ、世の中の流れから言って、不可能な提案のように思える。