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  環境問題のウソと正解の距離2 10.21.2007
     



 金曜日の夜から日曜日の夕刻まで福岡県にいたもので、この原稿は、いささか前に書かれたものである。

 前回取り上げたのは、その他プラのリサイクルについてであった。しかし、最近では、もはや科学的に確定したとの理解をすべき地球温暖化問題にもウソがあるといったことが一部では主張されている。

 今回は、地球温暖化についてのウソと正解の距離について議論してみたい。


C先生:この話も様々な意見がある。確かに、どのような政策的対応をすべきか、という話になると、現時点での京都議定書対応は、ある程度決まっているものの、それでも、旧共産圏の国には排出目標に対して多大な余裕があるもので、それらの国から排出権を買うという方法がありうるが、それが良いかどうかについては、議論が必要。

A君:本HPのスタンスは、CDMを実施することによって、実際上、温室効果ガス(GHG)の排出量が減るのであれば、それは効果があるのだから、その期待される減少量を排出権市場で取引をしても良い。しかし、経済的な減速が起きてしまったために、排出目標に対して大きな余裕を持ってしまった国から、排出量を購入することは、単なる紙切れを買うことにしかならない。

B君:要するに、免罪符である。これは駄目。たとえ、そのような国が受け取った金銭で環境対策をやったとしても、GHGが減ったことにならなければ駄目。

C先生:実は、CDMとか排出権とか言う話は、GHGは地球全体で共通なものだから、地球上のどこで減らしても同じということで正当だとされている。日本で減らそうとすると、CO2排出を1トン減らすのに、10万円も掛かるような状況だという主張もある。だから、排出権市場で排出量取引をすれば、1トンあたり30ドル=3500円ぐらいでも安上がりだということになる。ここまでは正しいと思う。
 しかし、これも程度問題で、1トンあたりの価格が1ドルというような状況だと、誰も実排出量を減らそうなどと試みないで、簡単に排出権を買い込んで、終わり、ということになりかねない。すなわち、CDMを含めて、削減努力が無くなってしまう。だから、安く上がるから良いということは、経済上は良くても、環境上良いとは限らない。

A君:排出権市場に排出権が大量に出回るようになると、価格が低下し、CO2の実際の削減が行われなくなることを意味する。

B君:そんな意味でも、旧共産圏の国がもっている余剰排出権を有効活用などという発想はすべきではない。

C先生:要するに、排出権の価格は適当に高いからこそ意味がある。高すぎても駄目だし、安すぎても駄目。
 その他プラのリサイクル費用は、相当高いからこそ、その利用者であるスーパーなどは、痛みを感じていて、だからこそ、使用量を減らそうという気にもなる。しかし、その方がコスト的に有利だからといって、単に燃やしてしまえば、プラスチック包装を減らそうなどと思う事業者が居なくなる。

A君:それが、某著者の真の狙いなのでは。この著者は、もともと某化学企業に勤務していた。したがって、プラスチックを製造している産業である化学系企業は、廃プラを焼却する方が有利になると考えているのでは。

B君:前回は、ライフというスーパーの味方なのでは、という推論だったが。

C先生:そのようなことを言い出すと、可能性はいくらでもある。勘ぐれば、環境省は、環境産業を育成したいと考えているかもしれない。その意味からいえば、リサイクル事業者の味方。一方、化学系企業は処理困難物ばかり作るから敵だと言うかもしれない。スーパーはゴミを容器包装という名称のもとに市民に売りつけるから敵だと思っているかもしれない。

A君:経産省は?? まあ止めましょう。

B君:C先生は自治体の味方??? 

C先生:市民の味方だと言いたいが、実は、「我が儘ばかり言う市民にはお灸を」、と考えてるのかもしれないし、「二元論しか理解できない市民よ目を覚ませ」と言っているのかもしれない。未来を真面目に考え、あらゆることを良く知ろうとし、それによって得た正しい知識に基づいて自らの行動を変えるような市民が欲しい。

A君:良く知ろうとして、「環境問題はウソ。。。。。。」のような本を読んでしまっても、本来、真面目にことを考えている市民は、これはどこかおかしいと思うはず。

B君:しかし、このHPはやや難しいという話もある。そのためには、様々なことをさらにやさしく解説をしてくれるようなHPを誰か書くべき。

A君:どなたかいかがですか。

B君:むしろQ&Aの形を取るのがベストかもしれない。前回のHPに関しては、質問が来なかったけど。

C先生:話を、費用・価格と環境との話に戻すけど、よくよく考えると、環境問題の解決というものは、無料のものを有料に変えるという方法を採用して問題を解決してきている。
 最初の環境問題であった公害だが、これがなぜ起きたのか、と考えれば、どんな有害な物質であっても、排出するのはタダという社会システムだったことが最大の原因。水俣病であれば、メチル水銀なる有害物質でさえ垂れ流し。そのうち、自然が分解してくれるから、と信じ込んでいた。勿論、経済最優先主義も重大な原因だった。

A君:そこに1971年以降、厳しい環境規制が作られて、排出規制ができた。この排出規制を超えるような状況であれば、無限にお金を掛けてでも、その排出を規制値以下にする必要があった。排出削減のために、多大な金額を払う必要があった。

B君:排出規制を厳しく守らせることによって、その投資が行われた。ところが、中国の場合だと、例えば、SO2の場合にように、かなり安い罰金を払うことによって、排出規制を超す排出をしてもOKになってしまう。

C先生:現状では、その罰金の金額が脱硫装置を動かすよりも安上がりなもので、誰も脱硫装置を動かさない。だから大気汚染がどんどんと進行している。これが中国の状況。要するに、環境排出という負の価値に対して、安すぎる値段しかついていない

A君:リサイクルを否定する本では、ペットボトルも新しく作れば10円、リサイクルすれば30円、だから、リサイクルをすべきでない。という主張がなされているが、これは、これまでの議論と照らし合わせると、なんでも安い方が良いということで、中国と似た状況が良いということを主張していることになる。

B君:しかし、良く考えると、本当は30円の方が結果的に安い可能性もある。10円でどんどんと使い捨てると、見えないコストである自治体のゴミ処理費用が増える。これがいくらか?

A君:なかなか実際には分からない。公開も十分でないし、ペットボトルが捨てられたとして、そのゴミ処理の費用への影響の推定は難しい。

B君:環境問題では、負の価値をもったもの、例えば、公害を引き起こす物質にしても、ゴミにしても、減らそうとすれば、それを排出すると費用が掛かる、という社会的仕組みを作る以外に方法は無い。

A君:その極限が、CO2という物質の場合で、この物質自体は、有害物質ではないのだけれど、米国では裁判によって環境汚染物質であると定義されていて、したがって、その排出には金が掛かるという状況を作り出すことになった。

B君:これが排出権取引というものができた理由でもある。

C先生:いまだに経団連は排出権取引そのものに反対しているようだが、これは、環境問題の延長線上に地球温暖化問題を置くのは嫌だと主張していることを意味する。負の価値をもったものは、自主規制で出しません。もしも、全く出さないのであれば、OKなのだが、そうではなく自分で決めた量は出します、という対応は、これまでの環境問題への対応からはかなり違った方法だと言わざるを得ない。

A君:まあ、絶対量なのか、それとも効率なのか。もしも効率が下がったら、それは負の価値を多く生み出しているのだから、といって排出規制を掛けるといった考え方も無い訳ではない。

B君:APECが目指すところはそんなところなのかもしれない。

C先生:ということで、コストとか費用などを考慮し、単に安い方法が良いといった判断基準を環境問題に適用することそのものに妥当性があるとは言いがたい部分がある。もしも、それが妥当なのだと言いたいのであれば、それなりの理論を構築する必要がある。ところが、環境問題というものの構造がそうなっていることを知らない市民もまだ多いものだから、「コストが高い、それは、どこかに利権があるからだ」、という極めて単純化された論理を受け入れてしまう。

A君:環境経済、といっても、環境問題とは負の価値をもったモノをどうやって経済システムに組み込むか、という問題だ、と言えますが、こんなことを多少でも考えたことが無いと、やはり騙されるのでしょう。地球温暖化対応に対して、経済の専門家であるはずの日本の経済界が反対しているのだから、一般市民では仕方が無いのかもしれない。

B君:加えて、現時点では、利権という言葉は利く。テレビでも、古館キャスターは、「役人があんな無駄遣いをしているのに、増税などを議論する方がおかしい」。これも一理あるようには思うが、忘れてはいけないことがある。その無駄な金を実際に使っているのは、民間企業が大部分。

C先生:それでは、その地球温暖化問題について、やや物理的な問題に限定することになるが、何がウソで何が正解か、といった議論を多少やって終わりとしよう。

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 例として、地球温暖化による海面上昇の問題を取り上げてみよう。

(1)「温暖化によって北極の氷が溶けて海面が上昇する」
 温暖化で北極海の氷が融解することは、まぎれもない事実である。そのため海面が上昇するといった主張が一部メディアにあったという話だが、これが間違いであることは、科学的な真実と言える。すなわち、温暖化で北極海の氷が溶けることは確実であるが、海に浮かんでいる氷が溶けたからといって海面が上昇することは無い。そこで、この表現の評価は、「絶対的間違い」。いまさら、ウソだというまでもない単なる無知に過ぎない。

(2)「温暖化によって南極の氷が溶けて海面が上昇する」
 この問題は、北が南に変わっただけなのに、いきなり難しくなる。温暖化によって、南極の棚氷が溶けたのは事実である。2002年にラーセンBと呼ばれる埼玉県にも匹敵する面積の棚氷が崩壊した。「これで海面は上昇したのか」、と言われるとnoである。この棚氷は海に浮かんでいたものなので、北極海の氷と同様に、海面上昇にはつながらない。しかし、この棚氷が失われたことによって、南極大陸に暖かい風が入り込む可能性が増えるだろう。となると、大陸の氷の融解が誘発される可能性があり、となると、間接的ではあるが、海面上昇につながることも否定できない。
 しかし、南極大陸の中心部分の気温は依然として零下である。そのため、地球温暖化が進行して海水からの水の蒸発が増えれば、南極大陸への降雪が増えて、結果的に氷が増える可能性がある。
 しかし、南極大陸周辺の海水温度が高くなるかどうか、それは分からない。地球温暖化によって上昇する気温は場所の影響が大きい。北半球の温度が上昇すると、逆に南半球の温度が低下するという可能性も無いとは言えない。
 結局、温暖化によって南極の氷が溶けることは、「一部正解」。しかし氷の総量は、このところは減少傾向のようだが、増える可能性もある。海面が上昇するかどうかは、したがって、「よく分からない」。

(3)「温暖化によって北極の氷は溶ける。これでは海面上昇はしない。したがって南極の氷の量が変化を受けないなら、海面は上昇しない」
 これは、北極と南極以外に氷が無いのならば正しいが、実際には、グリーンランドがある。さらに、様々な山岳氷河がある。しかも、海面上昇の最大の理由は、海水の温度上昇による熱膨張である。したがって、この問題は、不十分な前提に基づく議論である、したがって、「論理が不十分なための誤り」が結論になる。

(4)「温暖化によってグリーンランドの氷は溶け、海面は上昇する」
 グリーンランドの氷がすでに溶け始めていることは事実である。IPCCが今年発表した報告書によれば、93年〜03年の海面上昇の要因として、海水の膨張が年間1.6ミリ、氷河の融解が0.77ミリ、グリーンランド氷床0.21ミリ、南極氷床0.21ミリと分析し、海面は2100年までに、18〜59センチ上昇するとした。
 年間2.8ミリという予測で100年分とすれば28センチである。59センチという予測は、溶解速度が速くなる可能性があることを意味している。
 結論として、「正しいが、定量的に正確な予測はむずかしい」。

(5)「温暖化によって山岳氷河が溶け、海面は上昇する」
 米国コロラド大学は、体積では1%しかない山岳氷河や万年雪に着目し、今後100年間での融解量を推測した。その結果、海面上昇への寄与率は、山岳氷河の融解が60%、グリーンランドが28%、南極が12%とした。そして、山岳氷河の融解だけによる海面上昇量が、2100年までに10〜25センチと予測した。これは、IPCCによる山岳評価の融解の寄与予測である8センチよりも大きい。
 結論的には、「この現象は、世界各地で進行中である。したがって正しいが、定量的な評価に関しては、不確実性がまだある」。

(6)「アル・ゴアの言うような、6mもの海面上昇が起きるのか」
 これは、難しい問題である。2100年まで約100年間での海面上昇を50cmだと仮定し、その後も、同じ速度で上昇したとすると、6m上昇するためには、1200年かかることになる。人類が化石燃料を使いつくすに要する時間は300年ぐらいなものだろうから、気候に多少の慣性はあったとして500年後には地球の寒冷化が始まることだろう。寒冷化が始まったとしても、海が気温変化の影響を受けるにはさらに時間が掛かるものの、6mもの海面上昇は起きない可能性が高い。それでも、温暖化防止策が不十分だと、2500年までに、3m程度の海面上昇が起きることは覚悟しておいた方が良いかもしれない。
 100年で50cmといった上昇速度が急増する可能性は無いのだろうか。これはなんとも言いがたい。北極海が極度に温暖化し、グリーンランドの氷の融解が急速に進むことはないと断言できないからである。そもそも、地球の揺らぎは非常に大きいので、超長期を見たとき、何が起きるか、予測はほとんど不可能である。
 そこで、この問いに対しては、「起きない可能性も高いが、なんとも言えない。世界的な温暖化防止策が不成功に終わると、3mぐらいの海面上昇を覚悟しておくべきだろう」。

(7)「同じく、アル・ゴアの言うように、ツバルは地球温暖化の犠牲者なのか」
 IPCCの第四次報告書によれば(図1)、過去50年間での海面上昇は、10cm程度である。ざっと毎年2〜3mm上昇といったところだと思えばよい。



図1 過去150年間の海面上昇の推移 IPCC 2007

 この10cmの上昇が原因で、大潮の際にツバルが水没するようになったのか。完全に否定するのは難しいが、「別の要因が無いと、あのような形での水没は起きないだろう」、と推測するのが妥当なように思える。
 別の要因としては、生活排水や砂の過剰採取によるサンゴ礁の防波堤としての効果の減少などの可能性が高いのではないだろうか。
 そこで結論は、「ツバルが地球温暖化の犠牲者だと断定するのは、かなり無理がある」。



 さて、全体としての結論である。一部の環境問題本では、地球温暖化に対して防止対策を取るのは有効ではなく、むしろ、対応策を考えるべきだ。すなわち食糧自給率のアップを考えれば十分。といった結論が出されているようだが、それが正しいと言えるだろうか。上述のような状況まで理解した上で、「地球温暖化に対して対策を行うことは無駄」と言えるのか。地球温暖化の最大の影響だが、実は、山岳氷河の溶解による農業用水の不足という問題が最初に発生するとされている。特に、アンデス山脈の地域などにおいてである。先進国の二酸化炭素の排出によって、途上国が被害を受ける。こんな状況を無視して、日本は食糧自給率を高めればよい、という身勝手で安易な結論を導くことは正しいのだろうか。

 安倍内閣の影響を受けたのだろうか、どうも、国際貢献に対する反対派が最近とみに増加しているように思える。そして、そのようなメンタリティーの人々が、そのような本の主張に同調しているように思える。このところ自信を失っている日本だが、かつての自信を取り戻すには、積極的に国際貢献を行う以外に方法は無いのだ。

 物理的な環境問題に関するウソには、対処が比較的容易である。それでも、明確な結論を出すのは難しい場合が多い。なぜならば、地球温暖化は未来の予測に関わる問題だからである。

 一方、「政策は、科学的な未来予測に対して、十分な対応を取る」必要がある。これが、予防原則というものに対する国際的な合意である。すなわち、温暖化防止策を世界的な規模で実施することは必須である。過去、世界のトップにまで上り詰めた、言い換えれば、地球資源をかなり独占的に使ったという経歴を有する日本という先進国が、温暖化防止策を先導的に実施し、寄与することが求められている。確かに、1990年という年を基準年に決められたことは日本にとって不利だった。加えて、日本の外交が強力でないことは事実である。しかし、あえて言えば、外交が強力でなくても生きられる条件をもった国であることを幸せに思うべきかもしれない。いずれにして、政策に関する判断では、単純な二元論は全く有効ではない。