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 Future Earthとは何か-2 
   03.07.2015
 「持続可能性」再定義−−環境研究に市民社会の出番が来たのだが




 前回の続きです。これまで、研究を企画し、計画を練って、そして実施するのは、研究者だけで行うのが普通でした。しかし、地球レベルの環境研究が、これで良いとは言えない段階に到達しました。

 そこで提案されているFuture Earth=FEでは、市民社会を含むすべての社会構成員が、研究の企画段階にも関与し、研究実施中での結果の中間的な共有なども行うような、参加者の新しい広がりを指向している研究の枠組みを推奨しています。

 このような枠組みを実際に走らせようとすると、それは大変なことです。なんといっても、全く異なる専門分野をもった人々が、ある種の合意、そこまでいかなくてもある種の理解を共有することが条件になるからです。

 もしも、これで地球レベルの環境問題が解決されるとするなら、その方向に向けて努力をしない手はありませんが、その前に、いくつか共有する概念や手法などを定義しておく必要があるように思うのです。

 今回は、どのような概念を共有すべきなのか、その考察を行いたいと思います。


C先生:Future Earthは、理念としては良いと思うものの、それを実施しようとすると、研究に関与する様々な当事者が存在することになるので、いくつかの概念や手法をすべての当事者の間で共有できるようなものに再定義をしておく必要があると思うのだ。

A君:これまでよりも、多様な社会構成員が研究の企画・計画・成果報告などに絡んでくる可能性が高いので、そこで追求しなければならないことは、分かりやすさですね。

B君:それはそうだ。ある研究領域の狭い範囲内でのみ通用するような概念は持ち込むべきでないだろう。地球環境研究に固有のジャーゴン(業界用語)は使うべきではない。

A君:環境分野のジャーゴンは、かなり多数ありますね。いくつか例を挙げてみますか。
★排出係数
★温暖化係数
★FIT
★循環型社会
★低炭素社会
★生物多様性
★持続可能性
★HEMS・BEMS
★IPCC
★SDGs

B君:これらはまあまあ一般的な単語だとは思うものの、それでも結構難しいのではないか。もっとも、最近、ネットで検索するのは簡単なので、その説明を読み解くだけの実力を付ければ、ある分野の語彙をマスターするのは、昔よりは100倍も易しくなったけど。

C先生:さりげなく、「持続可能性」などという古典的な単語も交じっている。しかし、この「持続可能性」という言葉をきっちり定義した人はどうもいないようで、世の中には50種類を超す定義があるようだ。この定義がはっきりしない言葉を国際社会は依然として多用しているし、実は、Future Earthでも中心的な概念なので、この言葉をより明確に定義をすることが、まず、必須だと思うのだ。 
 定義ははっきりしないのだが、その由来は比較的明確だ。この言葉を広めたのは、どうも「ブルントラント委員会の報告書」であるらしい。しかし、その使い方は、「持続可能性」ではなくて、「持続可能な開発」という言葉になっている。

A君:ブルントラント委員会も、業界用語の一つ。1987年に発行された、報告書Our Common Futureの中では、「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」と説明されているのですが、この定義も分かりにくいですね。

B君:本当なんだ。もしも、資源が限られているとしようか。例えば、石油資源だ。1000年後の将来世代を考えたとしたら、現世代以降の世代がいくらゆっくりと石油を使ったとしても、1000年後に石油があると思う人は居ない。それなら100年後はどうなのだ。

A君:最近、「温度上昇と累積排出量は線形」というIPCCの報告があって、言い換えれば、許容できる温度上昇を決めれば、排出できる温暖化ガスの量には限界があります。これをカーボン・バジェットという言葉で語られることもあるのですが、例えば、地球温暖化の温度上昇を絶対に2℃までにしなければならないとすると、排出される二酸化炭素には累積で850から1000GtCといった上限があって、そこまで排出すると、それ以後の排出量はゼロにしなければならないのです。
 もしも本気でこの2℃目標を達成するとしたら、CCSといった方法論を採用しない限り、石炭は80%ぐらい、天然ガス、石油も40%ぐらいは使えない状態で余るとされています。

B君:それは、こういうことも意味する。排出量をゼロにしたところで、温度上昇がすぐに元に戻るわけではなくて、戻るのに100年ぐらい掛かる。例えば、2100年頃から100年ぐらいは化石燃料は使えないけれど、それから先2200年になると、また少々使えるようになるかもしれない。

A君:別の考え方もできて、2100年ごろの将来世代が最大の影響を受けるけれど、もし人類の能力が進化すれば、2200年以降の世代は、それこそ、エネルギーを貯蔵する技術が完成していて、「昔は化石燃料などという妙なものをどうしてエネルギー源にしていたんだ」、という理解になっているかもしれない。

C先生:そうなんだ。無理やりに持続可能な開発とは何かを定義しようとすると、以下のような解釈になってしまう。
 もしも石油が無くなったとしても、他のエネルギー源がある。特に、自然エネルギーは、不安定だという欠陥はあるものの、太陽がその起源である以上、向こう1億年程度は保証できる。人類は優秀だから、不安定さは技術によって補うことが可能である、と考えることもできる。したがって、石油は無くなっても、将来世代は困ることはない。だから、本当に開発しなければならないことは、人類の能力そのものである。すなわち、十分な能力開発を行えば、答えは必ずあると言える。

A君:これが持続可能な開発である。勿論、「開発」と括弧が付きますが。

B君:こんなことを途上国の国民に言ったら、総スカンだよ。しかし、そのぐらい持続可能な開発とか、持続可能性という言葉には、大きな曖昧さが付きまとっている。

C先生:そこで、その定義を最新の地球環境に関する知見をもとに考え直すべきだということになる。前回述べたように、FEの事務局が当面の課題として提案した3つの研究テーマはどうだろう。これに即して、持続可能性という言葉を考えてみよう。

A君:第1番目のテーマ、Dynamic Planet=「地球が自然現象と人間活動によってどう変化しているかを理解する」、観測中心なので、問題解決型ではないので、何が持続可能性の目指すことか、という言葉の定義は検討から除外できるかもしれません。

B君:第2番目のテーマは、Global Development=「食料、水、生物多様性、エネルギー、物質及びその他の生態系の機能と恩恵についての持続可能で確実で正当な管理運用を含む、人類にとって最も喫緊のニーズに取り組む知識を提供すること」、ということで、もろに持続可能という言葉が入っている。

A君:第3番目のテーマは、Transformation towards Sustainability=「持続可能な未来に向けての転換のための知識を提供すること。すなわち、転換プロセスと選択肢を理解し、これらが人間の価値と行動、新たな技術及び経済発展の道筋にどう関係するかを評価し、セクターとスケールをまたがるグローバルな環境のガバナンスと管理の戦略を評価すること」となっていて、持続可能性に向けた解決策を提案するような感じですね。

C先生:第2番目のテーマは、食糧、水、生物多様性といった言葉があるので、地球全体を対象として考えることもあり得るけれど、むしろそれよりは、地域について考えるというスタンスだと思うのだ。となると、地域の持続可能性ということをどう定義しなければならないか、ということが問題になる。

A君:地域レベルの持続可能性の定義が問題、ということで、了解。

C先生:第3番目のテーマは、「グローバルな環境のガバナンスと管理の戦略を評価する」となっているので、どうみても、地球レベルでの持続可能性を評価することになる。

B君:地球レベルの方が、実は、持続可能性の定義は比較的容易だと思うのだ。

A君:地域レベルと地球レベルを別々に議論するということで了解。それでは、最初のテーマは、比較的容易だと思われる、「地球レベルの持続可能性とは何かを再定義する」、という議論からはじめますか。

C先生:すでに分かっているだろうが、このような話は、1970年代から米国の経済学者であるHerman Dalyによって、すでに議論されているのだ。その答えは、"Steady State"だった。彼の師匠はどうも熱力学をかなり分かっていたようなので、理系人間にとっても非常に分かりやすい定義になっている。

B君:しかし、Steady Stateを提案したHerman Dalyでも、Sustaibility という言葉の重要性は擁護していた。そのあたりの詳しいところは、例えば、
http://isecoeco.org/pdf/susdev.pdf
を読んでいただきたい。

A君:取りあえず、議論を進めますが、Steady State=定常状態を理解することを試みます。これを考えるとき、まず「系」というものを定義します。系とは何か。それは、「宇宙(または世界)の一部のうち、考察の対象として注目している部分」のこと。
 次に「閉じた系」の定義です。熱力学や統計力学では、以下の条件を満たす場合には、「閉じた系」と言います。
(1)元素レベルでのその量が変わらないこと。
(2)エネルギーの出入りはあるが、系内のエネルギーは一定であること。

 地球は、ほぼ「閉じた系」です。宇宙から流星などが落ちて来るし、大気の上端から水素やヘリウムは宇宙に逃げ出していますが、その量はほぼ無視出来る程度です。
 膨大な太陽エネルギーが供給されていますが、同じ量のエネルギーが赤外線として宇宙に放出されています。これで地球にはエネルギーが貯まることはない。すなわち、温度はほぼ一定に保たれる。
 ところが、最近になって、人為起源の二酸化炭素が大気中に蓄積されて、それが宇宙に向かって放出されている赤外線を吸収するようになってしまった。そのため、そのエネルギーの一部が、逆向きに、すなわち、地球側に戻るようになっている。そのため、地球はエネルギーを貯め始めていて、現象としては温度の上昇、すなわち、温暖化が起きている。

B君:要するに、地球は閉じた系のはずだったのに、このところ、地球は余分なエネルギーを溜め始めた。そのため、気温上昇が起きている。すなわち、地球はもはや閉じた系ではなくなった

A君:その通りですね。だから、問題の解決のためには、閉じた系に戻せば良い。閉じた系でなくなった最大の原因が二酸化炭素の過大な排出なのだから、それを元に戻せば良い。

B君:地球レベルでは、閉じた系を目指せ。これが最初の結論だ。次のレベルは、地球内部の問題で、定常状態を目指せだけれど、、もっとフローを考えた議論だよね。ある系に一定の速度で水が流れ込んでいて、それが一定の速度で、排出されていたとする。これは、明らかに閉じた系ではない。しかし、系内部での水の量は一定なので、これを定常状態と定義する。

A君:地球全体を考えると、閉じた系を考えるとことができるのですが、地球上の空間を分割して、例えば、国とか地域とかになると、それらは、閉じた系だと考えることも難しいのです。何と言っても、いろいろな流れがありますから。物の流れ、すなわち貿易とか、あるいは人口の流れとか。

B君:待てよ。元に戻って、ちょっと確認をしておいた方が良いかもしれない。
二酸化炭素を大量に大気中に放出しているとはいうけれど、元々存在している石炭などの地中の炭素源と大気中の酸素を使って二酸化炭素にしているだけだ。この行為そのものは、閉じた系という条件には觝触しないけれど、副作用として、大気の二酸化炭素が赤外線を吸収するものだから、閉じた系の『エネルギー一定という条件』を満たさなくなる」。
この考え方は正しいか。

A君:かなり難問ではないですか。もしも、二酸化炭素が赤外線を吸収しない物質だと仮定したとき、石炭などの地中にある炭素源を燃やす行為があったとしても、地球は「閉じた系」という条件を満たすのか。正しい答えは、多分、もしも二酸化炭素が赤外線を吸収しない物質であれば、化石燃料を燃やすという行為は、地球は「閉じた系」という条件ををほんの少々逸脱するだけ

B君:余り意味のある議論ではなかったか。厳密に言えば、「閉じた系」の内部で物質を別の物質に変える行為は、「閉じた系」の定義に觝触するのだけれど、地球のように太陽光による莫大なエネルギーが流れ込んでいる天体の場合には、もともと厳密な意味で「閉じた系」と考えるのは無理がある。

A君:ということで、Herman Dailyは、「Steady State=定常状態」という言葉を使っているのでしょうね。

B君:Steady Stateの一般的な定義だが、系に流れ込む物質のフローがあっても、それぞれの物質について流入量と流出量が等しい場合、その系は定常状態にある、と言う。閉じた系の拡張版なので、勿論、エネルギーのフローも、流入量と流出量が同じであれば、あって良い。

A君:しかし、物質が系の中で反応を起こして変化すると、厳密に言えば、Steady Stateの条件を満たさないのでしょうね。

B君:地球の場合には、もともと太陽光によって光合成と呼ばれる化学反応が行われているし、植物を食べる動物も存在しているので、厳密に言えば、Steady Stateの条件を満たさない。

A君:動物も植物も命を終えれば、微生物によって分解されて、別の物質に変化しますから、当然、Steady Stateではないです。

B君:要するに、Herman Dalyが言うSteady Stateは、熱力学などが言う定常状態とは違って、その用途が違うので、定義も違っているように思えるのだ。多分、こんなことが想定される用途なのではないか。
 まず、地球と言う系は、人間界の外にあると考える。そして、人間界に様々な恩恵を提供している。人間界が地球からの恩恵を過大に要求すれば、地球側の恩恵を提供する能力に悪影響がでてしまう。だから、この地球からの恩恵が、長期間、一定に保たれるような条件を人間側が守ることで、人間社会もSteady Stateに保つことができる。

A君:要するに、人間社会が視野の中心にある考え方なんですね。経済学者だから当たり前ですが。人間社会を中心に据えれば、「持続可能」という言葉も重要だという理解をすべきだ、というのが、Herman Dalyの主張なのでは、となりますね。

C先生:Herman DalyのSteady Stateを説明するとき、個人的な対応としては、地球側の対象物を3種類+1に分けて、どのような人間活動であれば、地球側からの恩恵が減らないかを、物質のフローを用いて記述することにしている。
 ルール1:“再生可能な資源”の定常状態の条件を満たす利用の速度は, その供給源の再生速度を超えてはならない=木材・紙や薪・炭、漁獲量、水などの場合
 ルール2:“再生不可能な資源”の定常状態の条件を満たす利用の速度は、持続可能なペースで利用する再生可能な資源へ転換する速度を越えてはならない=化石燃料・プラの場合
 ルール2’:”再生不可能な資源”でも、金属、鉱物資源などについては、リユース・水平リサイクルが必要条件で、そこで用いられるエネルギーを規定すべきことが明確。再生可能なエネルギーのみに依存すれば、リユース・水平リサイクルが条件を満足する
 ルール3:“汚染物質”の定常状態の条件を満たす排出速度は、地球とその地域の環境が汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を越えてはならない=公害型汚染物質、廃棄物、温室効果ガス、オゾン層破壊物質、使用済み核燃料


A君:これが定常状態の条件を満たすための地球の資源を利用するときの制約を決めていますが、どのルールも、現在の経済状況のもとでは、守られていません。もしこの条件を守ったら、経済が持続可能でなくなる、ということがこの条件を守らない理由になっています。

B君:すなわち、経済優先の思想を持てば、Herman DalyのSteady State Economicsは受け入れるべき対象ではない

A君:なかでもルール2が難しいですね。エネルギー源をすべて再生可能エネルギーにせよということを意味するので。まあ、すぐに、ということではないのですが、許容される温室効果ガスの排出量がゼロになる前に、これをやらないとということになります。

B君:産油国などの立場を考えれば、Herman Dalyは敵であることは明白だ。しかし、温室効果ガスの排出量をゼロにする時代が、今世紀末頃には来てしまうという現実を突きつけられると、一体、どうするのでしょうね。

A君:長期的な将来予測をしようと思わない。今だけを考えて進める。これ以外に方法は無いのです。

C先生:さて、先ほど提示した条件は、資源採取、環境汚染を規定している、言わば物質的な条件だったのだが、「地域の持続可能性」を考えると、それ以外の要素が非常に大きい。それが人間的要素であるのは明白であることは、地域での自給自足を考えればすぐにでも分かる。さらに地域での職業というものを考えてもすぐに分かる。人口が少なすぎても、多すぎても、持続可能性を満たすことはできない。

B君:ということもあって、日本のような人口減少社会では、地域の最大の問題が人口問題になってきている。これを反映したのが、日本で行われたEducation for Sustainable Development(ESD)だった。

A君:以前から批判的に述べていますが、日本で行われたESDでは、地球レベルの思考が全くない状況で行われたということですね。確かに、日本では人口問題は重要。しかし、このような発想がなぜダメなのか。それは、自分の住む地域だけが持続可能になっても、その存在基盤である日本全体、さらには、地球上の人間社会が持続可能でないと、全く無意味だからですね。しかも、その先には、人間社会が存在している地球という基盤があって、その基盤を揺らがせるような人間活動を行っては元も子もない、という厳然たる事実無視されているから。

B君:その通りなので、余りにも近視眼的と批判してきた。

C先生:「持続可能」という定義が多様なのは、「人間界が持続可能だ」と定義することがその理由であることは分かった。しかし、超長期的な持続可能性としてここで考えなければならないことは、人間界が存在する基盤である地球をまずは「定常状態」に近い状態にし、そして、次の段階では「閉じた系」に近い状態にすることだということだ。

A君:大体結論が出たように思うのですが、FEに関して、もう一つ、是非とも進めてもらいたいことがあります。それは、問題解決の基本的な手法として、もっとも汎用で、かつ、有効なものは、リスクを中心に据えた考え方だということです。そして、もっとも最新の、そして、もっとも目指すべきリスク管理の枠組みとしては、IRGCのリスクガバナンスという枠組みを採用すべきということです。ただし、これについては本Webサイトで説明済みです。
http://www.yasuienv.net/RiskGov.htm

B君:ただし、最近の我々3名の検討では「リスクガバナンスとは絶え間のないコミュニケーションだ」、と表現すべきなのではないか、というぐらいまで、コミュニケーション重視型の考え方になっている、と言っておきたい。

C先生:そろそろまとめるか。今回、この議論を始めたのは、Future Earthを知って欲しいという動機からだった。これまで、地球のメカニズム解明が主題だった欧米主導のサイエンスとしての地球環境科学が、解決志向の枠組みに変わろうとしている。公害問題の解決を行ってきた日本では、環境問題はもともと、問題という言葉がある以上、解決してナンボなのだけれど、メカニズム解明が重要だという欧米型を主張する人が未だに多いことも、日本における現実のひとつだ。
 そして、解決というと、「持続可能な社会」を作ることだ、という答えを出す人が多いのだけれど、実は、持続可能性は、考える空間的なスケールによって概念が異なる。地域の持続可能性、広域社会の持続可能性、国レベルの持続可能性、地球レベルの人間社会の持続可能性があるが、考え方が違う。最後の地球レベルの人間社会の持続可能性が全体的な基盤を形成しているので、これが達成されてはじめて、その上に存在する地域の持続可能性も保証されるようになる。しかも、以上の持続可能性は、人間社会の持続可能性が主たる目的なのだけれど、その長期的な成立には、地球という物理的存在が、定常状態にあることが条件で、より厳密な条件としては、地球が閉じた系である必要がある。このように条件を構造的に理解し、これらを満足することの意味を理解できる人々が増えること、それが、本当の意味での持続可能性を目指す条件になることを再度確認したかったのだ。