-------

   2050年を乗り越える目は?  11.18.2018
      技術、歴史、社会システム、リスクを直視する目

               




 先週まで、3回連続で、IPCCの1.5℃報告書について記事を書きました。この報告書を読んでみて、これは大変なことが書かれていると認識し、2050年までに1.5℃を実現するとしたら、一体、どのような発想をすれば良いのか、これをかなり深く、かつ、慎重に考えなければならない、と認識しました。そして、すべての人々が「今、どういう状況なのか?」と自問自答することが、まず、第一の条件か、と思うようになりました。技術、歴史、社会システム、リスクなどについてです。
 1.5℃報告書に書かれたことが事実ではない、という思想は温暖化懐疑論と呼ばれるものですが、残念ながら、説明に必要なことは、実は、それほど難しい科学を必要としないので、1.5℃の記述が間違っている可能性はほとんど無いと判断せざるを得ないのです。これが、この報告書を読むにあたって、最初に必要な理解かと思います。
 その次に必要なことが、1.5℃報告書に書かれたことが、本当に実現可能なのかこの判断は、かなり難しいと思います。この共通意識が、パリ協定に「気候正義」という言葉を書き込ませた原動力だと思うのですが、残念ながら、「気候正義」という言葉が強力に効く国と、ほとんど効かない国があって、東アジア圏の国は、どこも、ほぼ効かない国です。どうしても、「気候正義」は一神教的な考え方の人々に対して有効な言葉であって、多神教的な考え方では、そこまでストイックな思いを持つことは難しいと思います。
 となると、日本という国で、「いかに2050年を乗り越えるか」を議論するには、なんらかの別の思想が不可欠だということになりませんか。その具体的な解決策は、と問われれば、それこそ「本物のイノベーションの創出に頼る以外にはない」のですが、それには、やはり真剣な動機の存在が不可欠であって、そのための前提条件として、社会システムのあり方といか、人類のリスクというものを冷静かつ様々な目で見直すことが不可欠なのではないか、などといきなり哲学的な考え方になってしまうのです。


C先生:このところ、どうにも先が見えない感じが非常に強くなっている。それは、IPCCの1.5℃の報告書が余りにも実現不可能なことをやらなければならない、という記述に思えてしまうからだ。具体的には、BECCS(=Carbon Capture and Sequestration)、あるいは、DAC(=Direct Air Capture、大気からいきなりCOを取り出す技術)といった技術を本当に使うことが不可欠のように思えるものの、日本という国では、CCSを実行することがかなり困難なように思えてしまう。となると、DACにむしろ出番があるのか、しかし、それには、ほとんどタダに近いエネルギーがある国で実行しなければ無理だ。日本は、自然エネルギーがタダ同然の価格になることはほぼ絶望、という国なので、最終的には、「外国におけるDAC」に依存せざるを得ない。果たして、そんなことはできるのか。

A君:確かに、日本では、CCS用に適した地下構造がほとんどないですね。地下に天然ガスや石油を溜め込んでいたような地形に液化したCO2を入れると、何年でも地下に完全に留まるのですが。そして、DACを実行する意味は、普通に考えるとちょっと無謀だな、と思われるのですが。

B君:ちょっと技術的なことを説明すると、DACとは、Direct Air Captureの頭文字。大気中には、現時点で、400ppmほどの二酸化炭素を含んでいる。1ppmは百万分の1だから、400ppmとなると、1万分の4ということに過ぎないので、極めて希薄。COそのものは、人間が呼吸しつつ排出してもいるので、微量なら有害ということはない。それでも、15%を超すと命に関わるけれど。大気中の存在量がわずか400ppmであっても、温室効果が絶大なので、気候変動を起こす。そこで、400ppmしかない大気中(Air)のCOを直接(Direct)捕まえる(Capture)手法がDACで、本当にやらないとダメかもしれない。

A君:例えば、空気をCOだけを吸収する特殊な液体の中を通して、分離するとか言った技術。

B君:BECCS(=Bio Energy CCS)と並んで、ネガティブエミッション技術と呼ばれている。

A君:これ以外にネガティブではなくても、ゼロエミッション技術として、次のような未来技術が使われる可能性があります。
 核融合、宇宙太陽光発電、高度地熱発電、水素燃料(アンモニアなどを含む)

C先生:DACは、そのなかでもBECCSと共に、もっとも積極的に大気中のCOを減らす可能性が強いのではないか。これまで、大量のエネルギーを消費するから、可能性が無いとされてきたのだけれど、DACは、どこでやっても地球の大気中のCOを減らすのだから、効果は同じ。となると、砂漠のような通常使用されない場所に太陽電池を大量に設置して、得られたCOは地下に埋める。すなわち、「DACを実施し、その排出権を企業などに販売するというビジネスモデル」が描けるのだ。という訳で、米国、スイス、アイスランド、などの国々では、DACの検討と技術開発がかなり真剣に行われている。

A君:CCSについては、日本のアミン(液体)を用いたCO吸収剤はかなりの性能のはず。しかし、DACを日本で行うという可能性は、自然エネルギーが不足気味の国であるゆえに、ほぼ確実にゼロなので、現状で研究を行っている組織はほとんどないのでは。

B君:しかし、最終的には、DAC+CCSという構成になるはずなので、日本という国は、すでにCCSの研究などの実績があるため、技術的なアドバンテージがあるはず。これを生かさないという理由は無さそう。

A君:その割には、日本人でDACなどといった言葉を知っている人の数は極めて少ないですよね。

B君:日本という社会で、非常にまずいのは、高校での教育の目的と言えば、それは良い大学に入学することダケになっていること。そのために、もっとも合理的なのは、理系・文系を早期に分けてしまうことなので、文系を選択した人は、科学音痴のままで一生を過ごすことになる。となると、「DAC? それってアヒルの一種?」

A君:米国でも、英国でも、経営者の部屋に行くと、Scientific American、Nationa Geographicsといった雑誌が並んでいるという話を聞いたことがあります。もっともこれらは科学の専門家向けの雑誌ではなくて、一般向けの雑誌ですが。

B君:日経サイエンスなる雑誌がその日本版と言えそう。しかし、この雑誌を科学の専門家は読まないな。

A君:しかし、このような科学的な教養を身につけることによって、パリ協定というものの意義とか、言ったことが理解しやすくなるのでは。

B君:それはそうだ。パリ協定とは、まあ、言ってみれば、人類の重要な発展の歴史である「産業革命」を部分的に否定し、それをゼロ炭素という新しい価値観でやり直すということなのだから。

A君:そんな歴史観を所持することは、経営者にとっても、世界全体の動きが読めるようになるという言う意味で、極めて有効なのでは。

B君:歴史としての科学技術史を十二分に理解することは、勿論、人類の重要な進化の一側面を理解することではあるので、未来のあるべき社会を理解するという意味では、間違いなく極めて重要なことなのだ。

C先生:IPCCの1.5℃報告書の内容だが、後半では、1.5℃の実現とSDGsとの整合性を強調しているが、それも、ある意味で過去の歴史を振り返って、今後、人類の持つべき意識を示しているとも言えそうだ。これまで、地球は余りにも大きな存在で、そんなことを意識しなくても、人類は生存できると考えてよかった。しかし、世界人口が1950年台からの食糧供給量の増加によって急増しはじめ、地球上での人類の生存が危うく見え始めた。そして、それを取り巻く大きな要素の一つが、気候変動であった。COなどというなんとも一般的な気体が、気候決定の重要な要素であること自体は、昔から分かっていたのだけれど、その濃度が人類の生存を脅かすレベルまで増加すると思っていた人は、極々先進的な予想能力を備えた人だけだったのだろう。

A君:想像力と言えば、まず、人類の寿命が、100歳までなどと言われるとは。「人生50年時代」が終わったのが、1952年ぐらいで、男性の平均寿命が60歳を超えたときでしょうか。

B君:平均寿命のグラフを見ると、まだ、飽和しているように見えないのが怖いところ。男性の寿命で、1960年に65歳だったのが、2017年には81歳。まだまだ、右肩上がりの傾向が極めて顕著。

A君:「持続可能な社会」というフレーズが、国連の重要な謳い文句だったのですが、この言葉自体が、どんどんと変わっていくような気がします。

B君:実際、歴史的に検討して見ると、1987年のブルントラント委員会が問題視している「非持続可能性」の最大の要素が、実は、「化石燃料の枯渇」だったと思えるのだ。先進国だけが、化石燃料を独占的に使って、かつ、使い切ってしまうような経済発展をして良いのか。途上国のために残しておかなくてよいのか。という問題意識だった。

A君:その当時は、地球温暖化が持続可能性にそれほど重大な影響を与えるとは理解されていなかった。リオの地球サミットでは、やっと地球温暖化が重要な課題として認識されて、1990年代の終わりまでに、温室効果ガスの排出を「従前の水準」に戻すことが基本的に合意されて、「気候変動枠組み条約」United Nations Framework Convention on Climate Change=UNFCCCができた。しかし、これは全くダメだった。なぜならば、中国・インドなどによる予想以上の経済成長によって、COがどんどんと放出されるようになってしまったから。

B君:そして、2015年からは、2050年という、人類にとって過去最長の未来を、真剣に考えなければならない時代になった。35年先を見通すということは、過去、人類はやっては来なかったことだ。すなわち、歴史的に初めてのことをやらなければならない羽目に陥った。そのためには、どのような社会システムを作れば、気候変動をあるところまでで止めて、その悪影響から逃れることができるのか、そのような対応策をほぼゼロから構築しなれなければならない、ということになった。

A君:こんな流れをしっかり理解することによって、今後、社会を変更して新しい社会システムを導入しなければならないといった議論ができるようになる。

B君:しかし、このあたりの知識については、環境科学をやっているだけではやはり不十分で、「人類が地球上でできること、できないこと」を決めているのは、「宇宙の構成と、そこに存在する現象の限界」、「地球に掛けられた有限性」の二つの要素だということをそれなりに理解している必要がある。この限界が明確に見えないと、過度な夢を抱いて、なんでもできるという妄想に囚われるという羽目に陥る。

A君:社会システムの形態に対して、余りにも先入観が強いと、それが2050年を考えたときに、果たして妥当なのか、などといった問題が生じます。まずは、2050年までに完成すべき技術を決め、それらを活用したインフラをイメージするというプロセスが必要かと思います。

B君:そして、最後に検討すべきことが、そのような社会システムを構築したときに、なんらかの災害に対する対応をどのように設計しておくか、ということではないか。要するに、リスク対応をしっかりと考えて置かなければならない。

A君:それも当然ですね。これから1.5℃シナリオが例えば実現できたとしても、自然災害は増加し、かつ、強力になってくることはほぼ確実なので。

B君:2050年に向けて、自然エネルギーの導入が相当拡大すると言うと、それなら「地域自立型のエネルギー供給システム」を考えると儲かるかも、という人が多くなるのだけれど、実は、地域自立型だと、リスクを回避する方法が限定的になりやすいという決定的な欠陥があることを同時に理解しなければならない。非常時にだけ、全国グリッドから電力供給をしてもらうという都合の良いシナリオは、無駄な投資を必要とすることになるので、現時点のような電力供給義務との制度的な両立が再検討されてしまう可能性が高い。

A君:勿論、地域自立型電力網でも、リスクを自力で回避するということも不可能とは言えないです。ただし、それには、これまでのようなディーゼル発電機による非常用電源というものを許すのかどうかに掛かってくる。なんといっても、非常事態対応のエネルギーとしては、化石燃料ほど良くできたものはない。なんといっても長期間保存が可能。それは、もともと地球が億年単位で溜め込んだものが原料なのだから、長期間対応は得意中の得意。

B君:それに対して、電力の長期貯蔵は、極めて難しいし、水素にして保存することも極めて非効率的

A君:やはり、全国配電網のお世話になりつつ、その中でできるだけ自律的な対応を考えるという姿にならざるを得ないと思う。例えば、キャパシティーマーケットという考え方をドイツなどは採用していますが、何かあったときに時々しか動かない発電装置が、全国配電網には準備されると思われるのです。それは、全国網に大量の風力・太陽光を入れるとどうしてもそのような対応が必須になるから。太陽光の電気を貯めるのは、家庭用の蓄電池の方が合理的かもしれませんが。

C先生:今回は、2050年というものを具体的に考えたはじめての記事になったのかも。このような発想で、様々な欠落物を発見して、それを組み込んだ形で、様々なシステムを発明するしかないのだと思う。どうも、そのような発想が日本という国にないのが、実は最大の問題なのではないだろうか。
 途中で出てきたDACにしても、米国などのベンチャーは本気でその実用化を検討している。なぜか。それは、それが商売になりそうだからなのだ。どのような形態か、と言えば、例えば、日本は、CCSの適地が余りにも少ない。しかも、地震が起きたときに、漏洩が起きないとも言えないし。実は、新潟県中越地震(2004年)のときだったと思うのだが、新潟で試験が行われていたCCSが原因の地震ではないか、という人が出現したのではなかったか。こんな国だけに、CCSの実用化は、日本国内ではかなり難しい。そのため、自国内でCCSをやる変わりに、大気中にCOを放出してしまって、その分を他国に依頼してDACによって、辻褄をあわせるという国にならざるをえないという可能性を考慮すべきなのだ。そもそも、それには単価がいくら掛かるのだ、などを含めて。
 ドイツは、自国ではCCSをやらないという方針を固めたと思う。このところ、ドイツも政治状況が怪しいので、変わってしまったかもしれないが。となると、どうしてもCCSが必要な状況になったとき、やはり米国に依頼して、DACで辻褄を合わせるという可能性が強いのではないだろうか。となると、米国は、DAC+CCSを実施できる国として、商売になるものと思われるのだ。
 イノベーションというが、パリ協定に関わるイノベーションは、その国の情勢によって相当様々なパターンがあって、世界共通のイノベーションを語るという発想法では、理解不能な部分が残るのではないか、と推定している訳だ。ところが、自動車のように、EV化と自動運転によって、技術が均一化されると予測される分野もあるので、全体状況は相当に複雑なのだ。
 未来をできるだけ各国の状況を踏まえた上で確実に読めるようになる、という能力を身につけることが、もしすぐには無理だと思うなら、そのように心がけることが、今後、イノベーションで金儲けをするためには、必須だろうと思う。