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   地球環境問題とリサイクル再考 
  2011.11.20
          −ガラスのリサイクルを例として− 




 今週の土日は帯広に居りました。さる研修会にゲスト講師として参加し、持続可能性というものについて、その意味を述べると同時に、地球と人間活動の現状を見れば、残念ながら、とても持続可能状況には無いということを説明し、それなら現時点でどのような対応をすべきか、ということが講義の内容でした。

 日本の場合には、非持続可能であることの第一番目の問題が、エネルギーの自給率が4%しかないのに、その心配をしている国民が居ないこと。次いで、輸出産業が稼いでくれることを前提としてこの国は成立しているが、それが急速に揺らいでいること。三番目に、労働をすること、努力をすることが心身ともに健康であるために必須であるが、それが合意されなくなったこと、四番目に高齢者が今後の社会の行方を決めると、碌な結末に到らないという原則を自認している高齢者が少ないこと。もっとも、これらは最大の問題である政治・行政関係などについては、除外した場合の順番でした。

 円がユーロやドルに対して高いために、公的な借金が1000兆円もあるのに、比較的平気な顔をしていられる。その理由ですが、それは、経常収支・資本収支の黒字があるから。もしも、エネルギーの輸入代金が今以上に増えて、そして同時に製品輸出が減ってしまえば、収支が赤字になるでしょう。そうなったとき、円は突然値下がりを始め、1ドル=150円ぐらいにはすぐにでもなりそう。そうなったとき、高価になったエネルギーの輸入をするために、ますます貿易収支が赤字になって、後は、坂道を転落していく。こんなシナリオを考えて、上記の非持続可能ランキングで、エネルギー自給率に第一位を、そして、輸出産業に第二位を付けている訳です。

 こんなシナリオを空想的なものだと、笑い飛ばすことができるような状態に、一日も早くなりたいものです。



 さて、本日の話題ですが、ある雑誌に書いたリサイクル論です。皆様がまずは目にしないと思われる雑誌なもので、その内容をご紹介します。ガラスのリサイクルに関する部分の分量をかなり削ってあります。

 現時点の日本という国は、可能な限りのリサイクルを進め、すでに、限界状態に到達しています。これ以上リサイクルをする必要はあるのだろうか、という疑問がでるほどです。しかし、その答は、何をリスクとして認識するかによって異なります。

 もしも、最終処分地が不足することを最大のリスクとするのであれば、現在程度のリサイクルの状況でも、それほどの危機的状況にはならないのでは、と思います。なんと言っても、今後、日本の人口は急速に減少しますので。しかし、もしも地球環境と数100年におよぶ人間活動の継続を目指すのであれば、別のストーリー書けるのではないか、というのがこのリサイクル論の主旨です。


1.はじめに

 日本では、伝統的に銅・鉄を中心とした回収・リサイクルが行われてきた。1990年代後半になって、容器包装リサイクル法を先頭にして、突然リサイクルの時代がやってきた。それは地球環境の保全を考えて始まったものではなく、人工物である廃棄物を処理することが困難になり、特に、最終処分地が不足する事態になった対策として、各種リサイクル法の整備が始まったのが実情である。

 最初のリサイクル法である容器包装リサイクル法は、1995年に成立し、1997年にその一部が、そして2000年には全面的に施行された。日本人の真面目な性格からか、リサイクル法は順調に機能を果たした。すなわち、最終処分量は劇的に減少した。具体的には、最終処分量は、1991年の1億1千万トンがピークで、当初かなり意欲的と評された2010年の目標値2800万トンをクリアーした。そして、第2次基本計画では、2015年までに2300万トンまで削減することを目標としている。

 しかし、もともと、地球環境までを考慮して作られたものとは言いかねるリサイクル法であるため、「最終処分量は確かに減った。やれることはやった。さて、これからどうしようか」という状況にある。

 最終処分地の削減は、日本というローカルな目標でしかない。それなら地球環境を考えたリサイクルとは一体何か。まずは、地球環境問題とは何かを考えるが、その答と思われることは非常に単純で、次のようになる。

 「地球環境問題とは、地球の能力を人間活動が超えることによって起きるのであるから、地球の能力と人間活動の両方を考え、もしも人間活動が地球の能力を超すような事態が想定されるのであれば、人間活動によって、地球の能力を支援するような枠組みを構築すべきだ」。これが結論である。

 現在、国際的に問題になっている地球環境問題は、(1)気候変動防止、(2)生物多様性保全の2つが国連レベルでの条約によって保全の努力がなされている。しかし、これだけで充分ではない。まずは、気候変動と密接な関係がある(3)エネルギー資源問題、さらに、生物多様性保全の問題と密接な関係のある(4)土地利用の問題、より具体的には、地下資源の採取による環境汚染問題と資源枯渇、食料生産による生態系破壊といった問題がある。加えて、環境問題に分類すべきかどうかは疑問であるが、(5)紛争に関わる資源問題が、国際的な問題としてクローズアップされつつある。

 それなら、地球環境問題を意識したリサイクルなどの資源や廃棄物に関する問題とはどのようなものになるのだろうか。

 これらの問題点をまとめれば、(a)枯渇性資源の使い方に関する問題、(b)再生可能資源の使い方に関する問題、(c)加えてややローカルな問題ではあるが、廃棄物の処理処分と資源化に関する問題、(d)以上のすべてに関わる問題として土地利用に関する問題。以上4つの問題が、地球環境を考慮したリサイクルを考えた場合に、対応を考慮することが必要となる問題であろう。

 これを前提として歴史を振り返れば、日本におけるリサイクルは、これら四項目の(c)からスタートし、現時点では、(a)、(b)に関して若干の対応を始めた段階であり、(d)の土地利用という観点は、最終処分地を除けば、未だに考慮されていないと言えるだろう。


2.理想のリサイクルを考える原理原則

 上述の問題については、原理原則がないから理想的な対応がされないという訳ではない。むしろ、様々な提案がされているが、これらの原理原則は、ときに余りにも非現実的で実行不可能であるために、妥協策としての現実的な解を探る、という方法論で対応されてきているのが現状である。

 究極的ではあるが、絶対的な真理と思える原理原則も、かなり古くから提示されている。その一つが、1972年にハーマン・デイリー(Herman Daly)が提案した三原則であって、もともとは「定常状態の経済学」という枠組みの中の考察であり、地球の能力と人間活動という観点から、もっとも厳しい原理原則を提示していると言えるものである。[1]

 デイリーの基本的な思想は熱力学的な定常状態の考察を基礎とするものであり、理系の我々にとっても理解しやすい。これから再生可能な資源、再生不可能な資源、汚染物質について、次の三原則が導かれている。


表1 ハーマン・デイリーの三原則[1]
(1)."再生可能な資源"の持続可能な利用の速度は, その供給源の再生速度を超えてはならない.
(2)."再生不可能な資源"の持続可能な利用の速度は, 持続可能なペースで利用する再生可能な資源へ転換する速度を越えてはならない.
(3)."汚染物質"の持続可能な排出速度は, 環境がそうした汚染物質を循環し, 吸収し, 無害化できる速度を越えてはならない.


 それぞれの原則について、若干の検討を加えたい。

2.1 再生可能資源の場合

 もっとも容易に理解できる再生可能資源は、水力発電の水だろうか。いくらダムに水があるからといって、雨が全く降らないときにどんどんと使ってしまえば、本当に必要なときには渇水状態になってしまう。

 デイリーの原理原則によれば、雨が降ったら、ダムの水位が上がるだろう。その上がった分だけは、使っても良い、ということと理解できる。

 しかし、実際のダムの水量管理は、このような方法で行われていない。なぜならば、ダムの目的は発電だけではないからである。洪水防止という防災上の目的があるので、満水量は冬期と夏期とでは違う。すなわち、デイリーの原理原則は、定常状態を維持するということだけを考えて提案されており、防災などの多面的な目的は無視されていることを意識する必要がある。

 森林資源の場合でも、ある森林の成長量を考慮した上で、その成長量に見合う量を採取することは認めるが、成長量を超して採取することは認められない。これがデイリーの立場である。この原則に従えば、森林を伐採して、農地等に変換することはかなり難しいことになる。

 2011年11月現在での世界人口はほぼ70億人であり、人類史上最大になっている。しかも、2050年ぐらいまでは確実に増え続けることだろう。となると、この人類の生命を維持することは、人類社会を持続可能にするという目的から言えば、当然のことである。

 この問題への対処は、まずは食料をどのように供給するかである。これは、再生可能資源の一つである生態系をどのように維持するかといった問題と言えるが。やはり、多くの要素を考慮し、様々な事象に対して、優先順位を決める必要がある。

2.2 再生不可能な資源の場合

 化石燃料、地下鉱物資源が典型例である。デイリーの原理原則は、化石燃料について極めて厳しい条件を提示している。もしも化石燃料を使うのならば、その一部を使って、再生可能エネルギーを獲得する装置やデバイスを製造し、それを利用可能にしなければならないことを意味する。

 具体的には、1万トンの原油を使うのならば、その一部を使って、装置の寿命を考慮した上で、将来に渡って1万トン分のエネルギーを生み出すことができる再生可能エネルギー用の設備、例えば、風力発電などを整備すべきであるということを意味する。

 確かに、これならば、将来に渡って人類が使用可能なエネルギーの総量は保たれることだろう。しかし、この考え方にも、様々な反論がある。そもそも将来の技術的な進歩を考えずに、このような対策を講ずることは効率的ではない、とか、化石燃料を使い終わるころには、世界人口は再び1900年頃の状況に戻っているのではないか。このぐらいの人口ならば、再生可能エネルギーだけでも生存が可能になっているのではないか、などという様々な意見がある。

 金属資源の場合には、エネルギーを無限に投入すれば、いかなる状態からでもエントロピーを元に戻すことによって、金属を無限に繰り返して使うことができる。ガラスの場合にも同様である。そのため、最終的には、エネルギー資源の定常的な利用に帰結する。

 したがって、持続可能性を考慮したリサイクルでは、そのリサイクルが元に戻るタイプのリサイクルであるかどうか、さらには、そのリサイクルにどのぐらいのエネルギーが消費されるか、この2点が重要なポイントとなる。

 しかし、理想をすぐさま実現するのは困難な場合も多い。特に、経済活動として利潤を上げることとの妥協が必要であることは、誰もが認めるところである。当面の対応策としては、現在の人間活動が、定常状態からどのぐらい外れているかを常時チェックしつつ、近い将来に起きうる危機的状況が回避できる範囲内で、合理的な判断を行う以外に方法は無い。

2.3 汚染物質の場合

 デイリーが汚染物質という言葉で表現した物質は何か。デイリーが三原則を発表した1972年当時、この年に国連人間環境会議というものがストックホルムで行われるのだが、そこで日本の公害問題が世界的にも問題視されていたことを考えると、汚染物質とは公害関係の物質だと思われる。具体的には、水俣病の原因物質であるメチル水銀、大気汚染物質のSOx、NOxなど、さらに鉱山から排出された、カドミウムやヒ素などである。

 しかし、廃棄物は明らかに環境汚染物質の一つであり、温室効果ガスを有する気体、二酸化炭素やフロン類も、今では汚染物質という見方をすることが普通になっている。すなわち、二酸化炭素や代替フロン類のように、通常の汚染物質と異なり、人体への直接的な毒性は無いものの、気候変動を引き起こす物質も、汚染物質として認識されるようになっている。

 地球が汚染物質を処理する速度を超えて、汚染物質を排出すると、汚染は拡大するので、地球の処理速度を超した速度での放出はすべきでない。これがデイリーの原理原則である。逆に言えば、地球の持つ処理速度の範囲内であれば、排出することは構わないということになる。

 現状を見れば、温室効果ガスについては、この原則を守る形の規制にはなっていない。わずかに排出を減らすことすら、経済発展に悪影響を及ぼすとして合意形成が難しい状況にある。

 経済発展は害悪なのか。いや、人類が地球上で持続的に生存を続ける上でも、必要なことだと思われる。ただし、無制限に経済発展をすることを正当化するのは難しいかもしれない。

 途上国における経済発展をある程度進めることは、出生率を減らすという意味からも、極めて重要なことである。どのぐらいのレベルまでの発展が必要かと言えば、「子どもを教育することが重要だが、それにはかなり教育費がかかる」、という認識を親が持つというレベルまでの経済的発展が必須である。インドの農村でも、すでに、この状況になっている。タイでは、経済発展によって出生率が大幅に低下した。

 公害を引き起こすような汚染物質については、工業化が進行してからの放出が問題になるので、タイやベトナムなどにおいても、今後さらに重大になりうる問題である。途上国においては、日本が経済的に成長した時代とことなり、歴史の経過が加速している。すなわち、日本において1960年代に起きた環境問題と、2000年代の環境問題とが同時に起きている。 汚染物質の場合、地球だけの能力で汚染物質の分解などが不可能であるときには、人間活動によって、地球の能力を補う必要がある。廃棄物の場合であれば、人間活動によって、地球の再生能力を補って、物質循環が行われるような支援を行うことが必要となる。これが、3R、すなわち、リユース、リデュース、リサイクルの地球環境的な意味である。

 しかし、人間活動によって地球の再生能力を補完しようとすると、必然的に、別の地球資源を使うことになる。多くの場合には、エネルギー資源が必要となる。そのため、定量的な解析によって、総合的な地球への負荷を把握することが不可欠で、そのような技法をライフサイクルアセスメント=LCAと呼んでいる。しかし、本稿では、LCAの解説は行わない。

 以上をまとめてみれば、材料などのリサイクルをデイリーの原則に則って考えるということは、まずは、廃棄物を減らすという第三の原則の観点があり、リサイクルという行為を用いて廃棄物を減らすのであれば、最終的には、エネルギーによって廃棄物を減らすのであるから、再生不可能な資源の利用に関わる第二の原則が適用されることになる。


3.ガラスの特性と地球環境を考慮した今後の対応策

 以上のような枠組みを提示した上で、ガラスという材料を例として、今後あるべき3Rの姿を考察してみたい。

 実用に供されているガラスに限っても、その組成は実に多種多様である。非常に多くの種類の元素を使っている。そのため、元素の枯渇という面からみた地球への負荷も、実に多様だと言わざるを得ない。

 共通の資源はケイ石だが、それも用途によって、どの程度の純度のケイ石が必要であるかについて多様性がある。光学ガラス級ケイ石は、比較的早期に枯渇する可能性が無いとは言えないが、ビンガラス用であれば、充分に存在しているといえるのではないだろうか。

 ガラスは、一般には高温プロセス、通常は溶融というプロセスを経て製造される。溶融に要するエネルギーは、化石燃料の直接燃焼、あるいは、電力に変換した後に使用される。エネルギーのカスケード利用は、重要な視点ではあるが、ガラスは徐冷をすることによって、製品の熱歪を最小化する必要があるため、冷却時の熱量を有効に利用することが難しいのが現状である。

 3Rを実施することによって、低減できる地球への負荷は、まず原料供給の節減があり、さらに、エネルギー面でも節減が可能である。すなわち、バージン原料から製造する場合に比較すれば、廃ガラスを原料として用い、再溶融してガラスを製造する場合の方が、必要となる最高温度が低い。ガラスを原料としてガラスを再生するプロセスであれば、ガラス製造に必要不可欠な清澄プロセスがやや簡単になり、省エネルギープロセスになりうる。

 このような特性を有するガラスという材料ではあるが、どのような3Rが有効性が高いか、と言われれば、他の材料と全く同じで、リデュース>リユース>リサイクルである。

3.1 リデュース

 3Rの解説を書く際にいつでも問題になるのが、リデュースの取り扱いである。環境負荷低減の効果が確実に得られることが、実はリデュースであるのだが、リデュースには、2つの意味があり、また、リユース、リサイクルと考え方が全く異なるために、混乱を生む原因となっている。

 リデュースは、ゴミとしての排出量を減らすという意味のリデュースと、軽量化や小型化のように、製品の重量を減らすことによって、資源使用量を減らすというリデュースがあるとされている。

 ゴミにならないように行うリデュースであるが、そのうちでもっとも有効なものが、実は長期間使い続けること、すなわち製品寿命を長くすることによって、ゴミになる頻度を下げることである。

 この意味では、ガラス製品は比較的優等生である。耐候性などが必ずしも良くない他の材料に比べれば、ガラスは材料として長寿命である。問題は、ガラス自体はいくら長寿命でも製品の寿命によってその寿命が決まってしまうという場合が多いことであろう。

 軽量化は、ほぼすべての製品について、もしも環境負荷を低減しようとするのなら、挑戦に値する課題である。
 実際、ビールびんについても、以前605gあった大びんの重量を、酸化スズのコーティングによって傷の発生を抑え、475g程度に減らしたびんがある。さらに、ウレタンコーティングによって、超軽量化した900mlの牛乳用ガラスびんもある。


3.2 リユース

 すでに絶滅危惧種であると述べたリユースびんであるが、過去には主流派だった。現在でも生き残っているリユースびんは、ビールびん、一升びん、牛乳びんに加えて、業務用の飲料びん程度である。ほとんどのガラスびんがワンウェイびんになった。

 リサイクルの一部で、リユースに近い事例を探せば、これも極めて試験的ではあるが、板ガラス、蛍光灯ガラスなどを大きく破砕し、それを部分溶融して芸術的な建材として使用するものがある程度ではないだろうか。

 板ガラスを再び小さめに裁断して板ガラスとして使用するということは、理屈の上ではありうるのだが、かなり長期間に渡って使用されたガラスを再度利用するとき問題になるのは、商品としての成り立ちからかなり難しいことである。

 しかし、後述するリサイクルが限界に近づくのは眼に見えているため、ガラスという材料について、画期的に環境負荷を低減させようとするのであれば、リユースを再度根本から見直すことが必要になってくるように思える。しかし、そのようなことが必要になる時代は本当に来るのだろうか。可能性として無いとは言えないが、ガラスという材料の製造が、化石燃料にかなり依存しているということは事実であろう。少なくとも、現時点でのガラス窯の構造は、化石燃料に依存し、部分的に電気エネルギーを使う設計になっている。もしも、完全に電気溶融を行うことが可能になれば、再生可能エネルギーだけでガラスを製造することも不可能ではないが、それが果たして効果的であるのか、いささか疑問ではあり、ガラス界での解析が必要になることは事実だろう。

 もしも、ガラス溶融が様々な要因から困難になれば、あるいは非常にコスト高になれば、ガラスのリユースを真剣に考える時代が来る可能性がある。しかし、まず、ここ20年程度以内にそのような状況になるとも思いにくい。


3.3 リサイクル

 すでに述べたように、ガラスのリサイクルは、ガラスびんについては、ほぼ優等生のレベルである。しかし、板ガラスとなると、建築用についてはほとんど行われておらず、自動車用についても限定的である。これを若干でも改善する方向を探ることになるだろう。

3.3.1 水平リサイクル

 鉄などであれば、電気炉で溶融して再度鉄材にすることは簡単であるが、ガラスの場合に、再溶融して元のガラスに戻すにしても、脱泡のために相当長時間の溶融状態を保つ必要があって、エネルギー的にそれほど有利ではない。そのため、泡に対する性能上の要求が高い用途、すなわち、板ガラス関係についてのリサイクルは難しい。

 びんガラスのリサイクルは、泡に対する要求が比較的穏やかである点が有利で、なんとか実用になっている。しかし、びんガラスの場合には、色が問題になる。特に、輸入用ワインに使われている緑色のガラスをリサイクルしても、日本産の赤ワインはそれほど大量に生産されている訳ではないので、用途が無い。そこで、水平リサイクルではなく、カスケードリサイクルになるのが一般的である。


3.3.2 カスケードリサイクル

 板ガラス、有色のびんガラスなどを他の用途の原料に使うことは、かつてはそれほど行われていなかった。現時点でも確立したとは言いがたい。

 ガラスを原料にして何を作ることができるのだろうか。特殊仕様のガラスを使うのはかなり難しい。例えば、ブラウン管用の鉛ガラスやストロンチウムバリウムガラスを一般的な用途に使うのは困難であろう。

 ブラウン管用の鉛ガラスは、オランダなどでは、かなり思い切った再利用が行われている。それは、粉砕して路盤材などに使うという方法である。

 日本で提案したら、鉛の溶出が問題にされてまず通用しないと思われる方法であるが、もともとローマ時代の遺跡から鉛食器が出てくるようなお国柄であるため、鉛に対する考え方が、日本のような紙と木の国とは違うのではないだろうか。

 鉛のような有害性のある成分は別にすれば、やはり、一般的な粘土やケイ石などの天然材料の代替として使うのが通常の発想であろう。

 タイル、レンガ、さらには、陶器など用の原料が思いつく用途である。しかし、これまでこれらの製品に用いる原料としては、ガラス質の原料は禁忌品であった。しかし、最近では、粒度の調整、組成の調整などによって、様々な製品を作れるようになってきたため、今後の発展が期待できる分野である。


4.まとめ

 鉛ガラスなどの有害物質を含むガラス以外は、ガラスは有害物として健康影響を考える必要性は少ない。今後、もし問題になることがあるとすれば、それはガラス繊維がアスベストと同様の形状効果があるかだが、抜けやすいため、大きな問題にはならないだろう。

 ガラスの環境負荷の把握は、したがって、廃棄物としての問題に加え、地球環境問題としての解析を行えば良いことになる。

 今回、究極の原理原則としてデイリーの三原則を取り上げたが、これが現実のガイドラインとして使われる可能性はまだまだ先のことだと思われる。

 しかし、環境問題には、周辺の状況によって一気に加速するという特性がある。遠い未来の姿を頭の中に描くという知的行為は、やっておいて決して損はない。

 これまでの事例を様々な観点から解析すれば、環境問題によって、思わぬ障害に直面する事業者は、やはり未来を軽視していた、あるいは、未来に起こりうるリスクに気づくことができなかった、と判定せざるを得ないのが現実である。


引用文献
[1] Toward a Steady-state Economy(Paperback: 332 pages、Publisher: W.H.Freeman & Co Ltd; illustrated edition edition (May 1973) Language: English)