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  最良の「地球温暖化」本 01.24.2003



「地球温暖化」、伊藤公紀著、日本評論社、2003年1月30日初版、ISBN4-535-04821-5、1600円のご紹介。

 この本は、シリーズ「地球と人間の環境を考える」というものの第1巻である。ちなみに、第2巻は「ダイオキシン」で、同僚の渡辺正教授と目白大学教授林俊郎氏の共著になるもの。本HPの読者なら大体ご存知と思うが、一般社会の見方とは全く違ったダイオキシン像が描かれている。

 このシリーズの特徴を相当なる極論で表現すれば、「その領域の専門家が正しいと信じる判断を公表するとは限らない(自らの研究領域の弱点は喋らない)」、「メディアはニュースを報道するが、真実を報道する訳ではない(犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる)」、「環境問題を語るには、環境全域を見ながら総合的に評価しつつ語らなければならない」、という主張をすること、であろう(編集企画者ではないので、推測)。

 ということで、実は、本シリーズの「リサイクル」を現在執筆中である。残念ながら(幸いにして?)、「地球温暖化」、「ダイオキシン」、ほどの戦いをやる必要は無い分野である。「『リサイクルをしてはいけない』、は間違いだが、『何がなんでもリサイクル』も間違いだ」、といった主張になるので、まあ、「リサイクルのすべてを知りたければ、これを読んでください」、といった程度の本になりそう。


C先生:これまで日本では、地球温暖化本が相当出版されているが(アマゾンで調べたら91冊あった)、この本のようなスタンスをもったものは、恐らく2冊。勿論、全部に目を通した訳も無いので推測だが。1冊が、住明正先生の「地球温暖化の真実」、ウェッジ選書、1999年。言うまでも無いが、住先生は、日本の地球温暖化をシミュレーションするという立場の研究を行う第一人者の一人。そして、今回ご紹介する「地球温暖化」が2冊目。

A君:そのスタンスとは、地球温暖化が既成事実ではないという立場という意味ですか。

B君:いや、既成事実ではないという立場なら、温暖化否定本、例えば、薬師院氏の「地球温暖化論への挑戦」がある。

A君:それでは読んでみましょうか。

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A君:読みました。そのスタンスとは、極めて冷静に科学的なデータを解析し、真実が何かを前提なしに追求している、ということでしょうか。

B君:どちらかと言えば、既成の概念を否定しつつも、完全否定ということではなく、できるだけ中立性を保とうというスタンスか。

C先生:この本の特徴のひとつは、記述に攻撃性が少ないことで、違和感がなぜあるかを素直に追求している。この「違和感」だが、前にもご紹介したことはあるのだが、養老先生も、何か文章を書かずにはいられないのは「違和感」があるからだ、と述べておられる。この違和感を「攻撃」に転換して書くか、あるいは、「科学的追求」に転換して書くかで、どうも違った本ができるようだ。薬師院氏の本は、どうも違和感が攻撃性に転換された本のように思えるが、この伊藤公紀氏の著書は、科学的追求に転換されて、違和感の解消を目指した本のように思える。

A君:いずれにしても、よくある地球温暖化本のようなアジテーションが執筆の動機になっていないことは好感が持てます。

B君:環境本には、アジテーションが目的のいわゆる「恐怖本」があまりにも多いからな。

C先生:ということで、紹介をはじめてくれ。

A君:目次です。
第一章 地球温暖化問題ってなんだろう 
 まあ、イントロ。様々な局面での会話によって、表現されています。

第二章 地球温暖化について
 この章が、ある意味で、本書の最大の特徴かもしれないのですが、そもそも地球の温度など、どうやって測るのか、ということが記述され、様々なデータが存在していること、さらに、IPCCが採用しているデータと他のデータの違いなども詳述されています。

第三章 太陽の気候影響
 太陽の磁気活動が、地球の気候に与えている影響が非常に大きいことを実証的に述べています。

第四章 環境経済政策、環境技術 
 ここは、経済論。

第五章 後悔しない政策、厚生経済学
 ここは、環境問題に対してどのように対処すべきかの話。

A君:それでは、第二章の「地球の温度」あたりから。

B君:「地球の温度」というものがどうやって測るのか、体温だって、普通は腋の下に体温計を入れて測るが、この意味は何なんだ。「地球の温度」をもしも理想的に測るとしたら、地球上に1000点ぐらいの定点を置いて、そこで、測ることになるだろう。しかし、海の上はどうやって測るか。浅いところならブイでも可能だが、太平洋のど真ん中だと船か。

A君:定点を1000点置けば測れるというものでも無いようです。都市の気温は、「地球の温度」ではなくて、都市における人間活動の影響を受けますから、「都市(人為的なもの)の温度」に過ぎません。

B君:となると、地球の温度そのものが不確実性があることになる。特に、地球温暖化問題のように、最低でも数100年間の推移が問題になるのだから、さらに困難だろう。

A君:そんな昔のことは別として、最近の3つの研究グループ、イギリスのジョーンズ、アメリカのハンセン、アメリカとロシアの共同研究グループのデータも、完全には一致していません。1900年ぐらいからのデータなのですが、0.2℃ぐらいは違います。

B君:衛星から温度測定をするという話があるが。

A君:衛星から地上の温度を測るのですから、まさに離れ業でして、測定原理は、酸素分子からの電波を測定するとされています。ところが、補正が必要で、絶対的な測定ではないとのことです。

B君:酸素分子なら確かに、地表に近いところが多いが、10000m上空には、酸素は地表のまだ3割ぐらいはあるが、温度はマイナス60℃ぐらいだから、どこの温度を測ったことになるのか、という問題は残りそうだ。

A君:いずれにしても、1880年ごろから温度は上がり始めていて、1940年ぐらいまで上昇し、その後、一時的に1970年ぐらいまでは、ちょっと下がり、それからは、また上昇し始めている、という結果には違いは無さそうです。

B君:温度計が無かった昔の気温はどうやって測るのか。

A君:それは時代によりますが、1000年単位ならば、木の年輪の測定と、サンゴ礁とかいった生物試料からの推定。それ以前の温度は、万年氷の氷床からアイスコアを抜き出して、その中での酸素の同位体分布から測る方法があります。

B君:サンゴ礁はどうやってやるんだ。

A君:それも酸素の同位体比とか年輪とかのようです。

B君:酸素18と酸素16の同位体比は、温度の関数だというやつ。氷床なら分かるが、サンゴ同位体比は、水温だから本当に良いのだろうか。川から大量の雨水が流れ込んだら、影響を受けそうだし。

A君:まあ、いずれにしても、様々な不確実性はあるようです。

C先生:ここで重要なことは、IPCCが採用しているデータは、どうも、あまり一般的とは言えないのではないか、という指摘ではないか。

A君:そうですね。IPCCは、アメリカのマンという人のデータを使っているのですが、その比較が、p49にジョーンズなどのデータとの比較、そして、p56にエスパーなどのデータとの比較が出ています。著作権の関係上ここには出しませんので、本を参照してください

C先生:要するに、IPCCでは、採用したマンの温度変化のデータを、次に説明されるシミュレーションが再現できるか、ということを検討している訳だが、その元となるマンの温度変化のデータが、過去の伝聞、例えば、1600年ごろは寒かったとか、平安時代は暖かだったとかいったことを、どうも再現していないのではないか、ということだ。

A君:伝聞ではないのですが、諏訪湖の御神渡り(おみわたり:氷に裂け目が入る現象)の記録が1400年代から残っていて、その記録からも、1600年ごろが寒かったのではないか、という判断ができるようです。

B君:神社の記録も恐るべしということか。

A君:そろそろ第二章の後半の話題、シミュレーションに行きます。はっきり言って、ここでの記述は迫力が無いのです。なぜならば、シミュレーションは自分でやっていないと、真実との距離がわからないからだろうと思います。

C先生:シミュレーションというものには、2種類の考え方がある。というよりも、2種類の研究があると言った方が良いかもしれない。それは、シミュレーションに使用するパラメータというものをどのように考えるか、によって異なる。ここでシミュレーションとは、ある時間的な経過に沿って、現象を再現しようとすることと定義する。

 第一のものは、パラメータに物理的な意味があるものを用いて、境界条件の異なる現象を再現しようとするシミュレーションだ。当研究室でも行っているシミュレーション=分子動力学法は、こちらに属する。すなわち、原子と原子との間の相互作用を表現できるパラメータを使えば、原子の集合体の挙動が再現できるのではないか、という考え方だ。このアプローチは、計算機中に原子を再現することに相当するので、計算機実験と呼ばれることもある。例えば、結晶状態を再現できるパラメータを使用して、非晶質状態の構造を再現したり、あるいは、非晶質状態から結晶が成長する過程を再現しようとするものだ。

 もう一つが、過去の現象を再現できるパラメータを設定し、それによって未来を予測するというシミュレーションである。地球温暖化のための気象シミュレーションは、どちらかと言えば、こちらに相当する。その際、パラメータの物理的意味が不明である場合もあり、また、途中で妙な計算結果になったときには補正なども行うが、過去の現象を再現できるパラメータと補正法を使用すれば、未来の現象予測も不可能では無いという立場を取る。

B君:シミュレーションは、やっている当人には、なんとなく信頼性がわかるのだが、当人は思い込みで信用してしまうという逆の問題もある。

A君:ハンセン氏、彼は、地球温暖化をコンピュータシミュレーションを用いて真実であると主張した人物でして、現時点の状況は、彼の主張の延長線上ですべてが動いていると考えられるのですが、そのハンセン氏の行動を論評して、米本昌平氏は、「地球環境問題とは何か」(岩波新書)で、「彼の計算結果が、多くのアメリカ人が密かにいだいていた心配とあまりに見事に一致してしまったという事実は、プログラムの調整過程全体に、彼自身の危機イメージが微妙な影を落としているのではないか、という疑いがもたれても不思議ではないのである」と記述しています。

B君:現在のシミュレーションの弱点は、やはり計算能力。すなわち、地球をメッシュに切って計算をするのだが、そのメッシュの大きさも、200km程度。200km以内の気象は一定だということになる。ところが、実際の気象現象は、積乱雲などの状況を考えてみれば、ほんの数kmのものもある。となると、まだまだ10倍は細かいメッシュにする必要がある。10倍細かいメッシュを使うと、計算時間は、恐らく1万倍ぐらいになる。今の計算機の能力では、計算できない。

A君:渡辺正先生は、地球温暖化のための気象変動の研究は、大きな計算機が欲しいという主張にすぎない、と言っていますね。

B君:いずれにしても、現在の計算結果が何を意味するか、特に、一旦温度が変化したとき、水がどのような挙動をするか、それが分かっていないところが大きい。いわゆるフィードバック効果の評価のことだが。

A君:温度が上昇すれば、水の蒸発量は増える。となると、水が最大の温暖化ガスなのだから、ますます温暖化するというのが、正のフィードバック。ところが、雲も増える。だから、太陽光を反射する能力が上がって、温暖化は減少する、という負のフィードバックを主張する人もいます。

B君:地球というものが、過去あれほど温度変動を繰り返しながら、なんとか平衡的に存在できたことも、どうも負のフィードバック機構が大きいのではないか、と想像させるのだが、確証はどこにもない。

A君:ということで、コンピュータシミュレーションの結果が基盤になっているIPCCのレポートをどう読むかといことになります。

C先生:ただ、IPCCのレポートが全く信用できないということにはならない。2100年に1.5度から2度ぐらいの人為起源の温度上昇はあると読むことに、それほど無理があるとは思えない。なぜならば、兎に角、大気中の二酸化炭素の濃度が上がっていることは事実だし、二酸化炭素が温暖化ガスであることにも間違いは無いのだから。ただし、実際に1.5℃から2℃といった上昇が起きるかどうか、それは、地球と太陽が決めることである。その揺らぎがかなり大きいから。

B君:1600年頃からの地球の温度の上昇が、ジョーンズのデータような傾向だとしたら、そろそろ、下がりはじめてもおかしくない。

A君:そんな予測が出てくるのが、次の第三章です。ここでは、太陽活動を黒点数で評価したり、太陽からの磁気との関連で評価したり、いろいろな解析がでてきます。太陽は11年周期で活動を活発にしたり不活発にしたりしているようですが。

C先生:本書で、今後20年ぐらい先の将来予測が行われれば、もっと面白かったと思うが。200年周期説というものも出てくるのだが、ここ200年程度は、かなりずれが目立つ。となると、この200年周期説はちょっと怪しい。それ以外の周期は比較的短いものが多い。例外的なものが太陽活動の周期長というものだが、これは予測しがたいのだろうか。

B君:太陽系第三惑星なんだから、太陽の活動をもろに受けている。だから、太陽の活動が地球の温度を決めるということは極めて妥当のように思える。

A君:ただ、太陽光の強さ、いわゆる太陽定数はあまり大きく変化することは無いのです。

C先生:この章の理解は、すでに述べたが、人為的な原因での温度上昇要因があるが、それが実際に起きるかどうかは分からないということで良いのではないか。

A君:第四章と第五章は、これは対策論ですので、余り新鮮味は無いのですが。

B君:我々の温暖化に対する対策論は、簡明だ。2100年に1.5℃から2℃の温暖化は起きる可能性があると考えよう。省エネルギーによる二酸化炭素の放出量を下げる対策は、万一、温暖化が起きなかったとしても、より重要な環境問題であるエネルギー資源の枯渇にとって良い影響を与えるのだから、後悔することはない。

C先生:本書もそれとほぼ同じ結論になっているが、やはり、最後は人間が生きるということの意味を問う形になっている。大体、終わり方はこんなものになるのだろう。いずれにしても、冷静かつ科学的な温暖化本として、一読をお勧めしたい