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     環境経営の思い違い      10.25.2015
             COP21の2℃はターゲットかゴールか それは文化の違い
       




 先週の続きです。この国における「環境経営」が、どうして世界から一周以上遅れていると言えるのか。それは、様々な思い違いがあるからで、実際に実施していること自体は、まあまあ多少遅れているぐらいだと思われます。

 先週、目次を示して記述を始めましたが、残念ながら、第3項目まで書いたところでストップになってしまいました。

前回示した目次

1.企業ガバナンスは企業”統治”ではない。
2.ISO26000の日本語版も誤訳
 Interestは利害ではない
3.加担するという言葉の意味は?


 ここまで記述終了。

4.「思いやり」が求められているのではない。
5.石炭はすでに危ない燃料
6.目標、ゴールなどと達成の考え方
7.ESG投資は社会貢献投資ではない


 今回は、4項目以降を多少変更しまして、もっとも根幹に関わる話題から記述を始めることにします。

4.ターゲット、ゴールなどと達成の考え方
5.石炭はすでに危ない燃料
6.「思いやり」が求められているのではない
7.ESG投資は社会貢献投資ではない
8.デューディリジェンスの効用

 このような順番になりますが、実は、4.の記述に、5以下のすべてが関係することになります。



4.ターゲット、ゴールなどと達成に関する考え方

C先生:ということで、今週は、このテーマから始めるが、これは、当然のことながら、COP21の交渉によって決まるであろうそれぞれの国の削減目標の考え方と密接に関連することなのだ。

A君:COP21ですが、そろそろテレビニュースなどでかなり真剣に取り上げられていますが、現時点での結論としては、こんな感じです。
(1)各国のINDC(約束草案)による削減量を合計しても、とても2℃以下という目標値には到達しない排出量になっている。
(2)途上国の目標達成をサポートするための資金について、とても合意が困難な状況にある。
(3)これまでかなり大量の温室効果ガスをすでに排出した先進国の削減の責任と途上国の今後の削減努力をどのようなスタンスで評価するか合意形成が困難。

B君:もっとも重要なことだが、2℃が非常に難しい目標値であるからといって、国際交渉では、これを例えば2.5℃に変えることは無いのだ。

A君:その辺りの理解になると、日本の産業界は、かなり特異な存在ですね。

B君:まあ、そう言える。経団連の意見を表明する別働隊的存在であるNPO法人 国際環境経済研究所から発行された緊急提言を読むと、提言5にあるように、「2℃の前提になっている気候感度には科学的不確実性があるから、2℃目標は単なる政治的目標だ」となっている。言外ではあるが、「2℃目標から離脱し、独自に、2.5℃で目標値を考え直すべきといった思想を推奨している」、と考えるべきだろう。

A君:同じことは、当然のことながら、他の先進国の首脳連中も分かっていると思うのです。しかし、先進国の首脳の総意で決まったエルマウサミットの文書の中でも、2℃目標は堅持すべき目標だという理解に基いて記述がされています。ところで、目標とはゴールなのでしょうか、それともターゲットなのでしょうか。

C先生:その解釈は、文化の問題だな。エルマウサミットはロシアがいなかったので、G7だが、その国がどのような考え方をする国なのか、それを考えよう。まず、G7とはどの国なのかから行こう。

A君:日本、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、カナダの先進7ヶ国のこと。これにロシアが入るとG8。

C先生:日本と日本以外の国とのもっとも大きな違いは何か。勿論、歴史は違うが。

A君:まあ、宗教がどのぐらい思想を支配しているか、でしょうか。

C先生:これらの国の宗教は?

B君:大体、このぐらいの感じ。
 米国は、キリスト教70%(プロテスタント48%、カトリック22%)、無宗派20%、モルモン教2%、その他8%
 英国は、キリスト教74.7%(英国国教会62%、カトリック13%、長老派6%、メソジスト4%)、イスラム教2.3%、ヒンドゥー教1.1%。
 ドイツは、キリスト教62.8%(福音派30%、カトリック30%、正教会1.6%)、イスラム教5%弱、仏教徒0.4%、ユダヤ教0.3%、ヒンドゥー教0.1%
 フランスは、キリスト教64.5%(ほぼローマンカトリック)、無宗教25.5%、イスラム教8%、残りは1%以下。
 イタリアは、キリスト教75.2%(ほぼローマンカトリック)、無宗教は20%ぐらい、イスラム教が数%。
 カナダは、キリスト教77%(カトリック43.2%、プロテスタント29.2%、正教会(東方を含む)1.6%)、イスラム教2%、ユダヤ教1.1%、仏教1%、ヒンドゥー教1%、シーク教0.9%、無宗教16.5%。

A君:要するに、無宗教の割合が概ね20%程度で、残りはキリスト教のなんらかの宗派。

B君:ということは、キリスト教徒のマインドを理解していないと、温暖化防止の国際交渉も理解ができない。
C先生:もう一つ。人口と言語の割合

A君:ざっとですが、以下の通りです。
 米国:人口が3億1700万人、82%が英語、スペイン語が11%。
 英国UK:6320万人、ほぼ全員が英語が分かる。
 カナダ:人口が3400万人、57%が英語、21%がフランス語、その他22%。
 以上3ヶ国が英語圏。
 フランス:人口が6100万人、ほぼフランス語。
 ドイツ:人口が8100万人、ほぼドイツ語。
 イタリア:人口が6000万人、ほぼイタリア語。

C先生:英語でゴールという単語と、目標値という単語は、GoalとTarget Valueだとして、仏、独、伊ではなんという。

A君:フランス語だと、ゴールがobjectif目標値がvaleur cible
 ドイツ語だと、ゴールZiel 目標値がZielwert
 イタリア語だと、ゴールはgoal目標値がvalore nominale

B君:なるほど。日本語では、もともとゴールは外来語で、ゴールと目標がほぼ同義。ドイツ語は、目標値がまさしくゴール値。日本語とドイツ語は、似ているということになる。

C先生:ということから何かを結論するのは危険なのだが、若干考えてみよう。まず、日本人にとってゴールと目標値は同一のように考えているのではないだろうか。実は、イタリア語がもっともニュアンスが違う。nominaleは、英語で言えばnominalなので、名目上の値といったニュアンス。フランス語のcibleは、ターゲットといった意味なので、英語とフランス語は、かなり近い意味を持っているようだ。

A君:以上、まとめると、日本語とドイツ語では、ゴールと目標とがほぼ同義のように感じられる。英語、フランス語、イタリア語では、ゴールと目標がかなり違うニュアンスを持っている。

B君:そうか。何か分かって来たような気がする。さて、英語、フランス語、イタリア語では、ゴールと目標値がどう違うと考えれば良いのだろうか。

C先生:ニュアンスを正確に表現するのは難しいのだが、多分、こんな解釈が日本人にとってもっとも理解しやすいのではないか。
 「ゴールに向かう」という意味は、英語、フランス語、イタリア語では、「体の正面をそちらの方向に向けて移動する」という程度の意味。すなわち、そのような「姿勢」を取るということ。
 目標値となれば、イタリア語はちょっと違うかもしれないが、他の言語では、「目標値は達成すべきもの」。したがって、英語、フランス語では、明確に区別ができる。しかし、日本語とドイツ語では、「ゴールに向かう」と「目標値を達成する」ことは同じような意味だ。イタリア人には、目標値とは名目上のもの、という感じなのかもしれない。

A君:その解釈なら、違いがよく分かるのではないですか。イタリア人、フランス人、ドイツ人、日本人、英国人の5人に向かって、「2℃がゴールだ」、というと、イタリア人は、「そちらに体の向きを向ければ良い」と考えそちらを向くだけ。フランス人と英米人は、「体の向きをそちらに向けて歩き出す」ドイツ人と日本人は「2℃以下を絶対に達成しなければならない」と考え走りだす

B君:いやいや、走りだすならまだマシ。日本人の場合には、走り出せと強制されるのは嫌だ。2.5℃にしたって、余り変わらないのだ。なぜなら科学には不確実性があるから、と理屈をこねる。この態度を「姿勢」を判断基準にすれば、どうみても反対しているようにしか見えない。要するに、「後ろ向きの姿勢」を取る。

A君:この「後ろ向きの姿勢」を取る考え方は、全く理解されないのです。妙な理屈だけをこねるから、日本人の「姿勢」はなっていない、という結論になってしまう。

B君:それは当然で、もしもグリーンランドの氷と南極氷床の氷が溶け始めると、海面上昇が始まるが、2℃上昇よりも2.5℃になると、いくら不確実性があるとはいっても、その確率が高まることは絶対的に確実なのだから。

A君:英語、フランス語の世界では、やはり、「姿勢」を示すことが重要なのです。2℃と2.5℃では「姿勢」が違うということが理解できないと、日本の国益に反する発言をしてしまうことになるのです。

B君:ドイツ人だけは、多少理解してくれる可能性があるけれど、英語、フランス語、イタリア語の人々には、どうしてそんな「姿勢」を取るかが理解できないだろうな。

C先生:言語の話の前に、宗教の話があった。日本人以外のG7国は、ほぼキリスト教だった。キリスト教徒がどのような行動を正しいと考えているのか、それを知る方法が、実は、ISOの26000のようなところに現れていると思うのだ。

A君:ISO26000は、社会的責任の規格。規格というと、これまた日本語と英語でもイメージが違いますね。英語だとStandard。イタリア語だとstandard、ドイツ語もStandard。フランス語だとniveau。niveauは、日本語だと「レベル」に近いかもしれない。

B君:フランス語で規格とは、決まったレベルを保て、という感じ。英語でも、これがスタンダードというと、普通ならこんなところにしなさい。ところが、日本語の「規格」は、数値基準を守れというニュアンスになる。

A君:要するに、日本語は、目標達成に対して世界一厳格さを求める言語だという感じでしょうか。

C先生:それなら、英独仏伊のキリスト教徒は、なぜ、決め事を守ろうという考え方を持つのだろうか。これが、米国の全州に車で入り込み、現時点で、欧州の主要国をドライブしているのは、キリスト教徒を感覚的に理解したいということを実行しているような気がしている。実際、何となく分かってきたことがある。
 そのヒントは、ルーマニアのペインテッド・チャーチで見た、最後の審判の絵を真剣に見つめている人々にあった。この絵を見るという目的で、このヴォロネッツ修道院を訪れる観光客が多いとのことなのだ。同じくルーマニアのホレズ修道院にも最後の審判の壁画があった。もっとも、ここには誰もいなかったが。
 自分で撮影した最後の審判の写真が次のWebサイトにアップしてありますので、ご覧下さい。
http://lebenbaum.art.coocan.jp/Travel/Romania.htm

A君:それは、やはり、最後の審判での神からの審判を恐れているのではないですか。そのために重要なことは、「姿勢」なのでは。常に良いことだけ行うという「姿勢」を保つ。現実は、人間ゆえに100%良いことばかりができるとは限らないけれど、もし悪いことをやってしまったら、それを懺悔すれば、神は許してくれる。
 これって、カトリック流の考え方だとは思いますが、。

B君:まあそうだ。免罪符なるものが流行ったのも、そんな「姿勢」を重視し、たまたまやってしまった悪事は、懺悔で許しを請い免罪符で賠償する。

A君:宗教改革で、そのような都合の良さが否定されたので、プロテスタントが多い国では、余り適当なことはできない。

B君:英国国教会は、プロテスタントではない。

A君:そうですね。もともとカトリック教会系で、政治的理由によって、ローマンカトリックから分派したので、典礼的にはカトリックとの共通点が多いとされています。

B君:単に「姿勢」だけだと「無言」なので、外からは分からないので、欧米人は、声を出して自らの姿勢を説明する。欧米では、一流企業のトップが、その「企業の姿勢」を自らの声で表現しなければならないと信じている。

A君:日本の一流企業のトップは、CSR報告書に「良いこと」を書いておけばそれで良いと考えていて、自分の声で自らの「姿勢」を語ることをしようとしない。

C先生:企業トップの行動の違いは、欧米との比較では、日本は完全に一周遅れとしか言いようがない。
 さて、そろそろこんなところで良いではないか。結論にしよう。要するに、日本人にとっては、ゴールと目標値の区別が付かないので、2℃がゴールというと、2℃が目標値だと思う
 一方、英米人、フランス人、にとっては、ゴールとは、「姿勢」の問題であって、目標値とはいささか違うという解釈をしている。「姿勢」としては、2℃に正面から向き合う。しかし、2℃が本当に実現できるかどうかに関しては、地球次第というところがあるので、なんとも言えないが、我々は「姿勢」を示したのだから、神からは許される。ドイツ人が若干問題で、ゲルマン民族は、かなり後からキリスト教になっているし、宗教改革を行って、かなり厳密な宗教にしたのもゲルマン。だから、「姿勢」だけでは充分でなく、「目標値」として2℃を捉えるべきだと考えている可能性が無いとは言えない。ドイツの温暖化対策がかなり厳密なのも、どうもそのような理由なのかもしれない。それに対して、イタリア人は、まあ、そちらを向くだけは向きましょうか、といったところなのかもしれない。

A君:最後に、日本産業界の問題点をもう一度指摘しますか。

C先生:ここまで説明してくると、残りの課題である5から7を若干説明することで、問題点の指摘を兼ねることができるように思う。

A君:そうですね。5.以降ですが、
5.石炭はすでに危ない燃料
6.「思いやり」が求められているのではない。
7.ESG投資は社会貢献投資ではない
8.デューディリジェンスの効用


『5.石炭はすでに危ない燃料』

B君:石炭は、なぜ、すでに危ない燃料、を説明すると、こんな感じか。
 石炭について、イヌイットの人々が石炭を使うことは人権侵害であると訴えた。なぜなら、このまま温暖化が進行すれば、北極海の海氷は、夏季にはなくなってしまう。イヌイットにとって、氷原でアザラシ猟を行うことは、非常に重要な行為であって、そこに、民族としての生存と生活の意義を見出している。石炭を使うことで北極海の海氷が溶けるということは、石炭がイヌイットの人権の一部を侵しているいることを意味する。

A君:これは、ISO26000に人権という言葉がなぜ入っているか、ということを考えばよいでしょうね。経済的な理由から石炭を継続利用するというある国が、イヌイットの人権を侵していることになる。イヌイットもステークホルダーの一人であるので、その「関心」を無視してはいけない。

B君:ちなみに、「関心」の原語は、interestなのだけれど、JISでは、「利害」と訳されている。誤訳だ。この誤訳故に、日本の事業者の解釈も間違ってしまう。

A君:経済的な理由だけでは、行ってはいけないことがあることが、ISO26000にはいくつも指摘されている。例えば、ナイキが過去に攻められた年少者の労働。経済だけを考えれば、年少者の労働は双方にとって合理的。すなわち、本人にとっても、また、企業側にしても。しかし、教育を受ける機会を失わせるという人権に関わる意味を考えれば、一流企業としては行うべきではないことになっています。

B君:という訳で、海外の優良企業にとって、「石炭はすでに、覚せい剤と同格ぐらいの位置づけ」になっている、という話。

A君:これ以上、石炭発電を売り込むと、キリスト教系の国からは、覚せい剤密輸なみの扱いを受けることになってしまうということですか。それがたとえ、イスラム教系の国が対象だとしても。

『6.思いやりが求められている訳ではない。』

B君:これは簡単。ということは、やはりISO26000のように、「責任」が、これまでの説明中の言葉では、「企業の姿勢」がどうか、ということが求められていることであって、「企業は博愛行為として何かをやれ」と求められている訳ではない。日本の企業の社会的責任が、メセナなどの社会貢献から始まったことが、未だに尾を引いている。メセナが流行ったのは、20世紀の話なのだから、いくらなんでもそろそろ考え方を変えなければ。

『7.ESG投資は社会貢献投資ではない。』

A君:これも同じですね。社会的責任投資というべきなのです。投資を行う団体自体が、自らの社会的責任を果たすために、社会的責任を果たしていると思う企業に投資をすることが、ESG投資だということ。


『8.デューディリジェンスの効用』

B君:デューディリジェンスとは、「しっかり調べること」と説明しているが、ユニクロはこれを実践をしてきた。先日、中国で労働条件の悪い下請けがあることで、問題になった。しかし、ユニクロが、「その下請けは二次下請けで、ディーディリジェンスの対象から漏れていた」、と発表し、これで問題がほぼ消滅した。

A君:要するに、企業姿勢を説明した上で、その一部に瑕疵があったという陳謝によって、問題が拡大されることにはならなかった。

B君:デューディリジェンスという国際的標準を行っていることの効用がはっきりとしめされた。

『結論』

C先生:そろそろ終わりにしよう。結論は?

A君:要するに、「企業の姿勢」を主張することがもっとも重要

B君:しかも、企業トップが「姿勢」を自らの言葉で語ることが最重要

C先生:まあ、そんな結論で良いのではないか。世界に向かって、何かを主張するときには、世界と日本の解釈の違いをもっと意識する必要があるということだ。
 それは、『文化の違い』なのだ。具体的には、『宗教の違い』、『言語の違い』なのだ。
 企業や国の「姿勢」がもっとも重要なキーワードなので、企業でも、国でも、その「姿勢」が文化の異なる諸外国によってどう理解されるか、という課題をいつでも真剣に考えるべきことなのだろう。