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   書評 それで寿命は何秒縮む?
     
半谷輝己氏の新しいチャレンジ 09.25.2016
               




 リスクに関わる専門家の間では、「損失余命」という言葉は極めて一般的な用語ではあるものの、「損失余命」に徹底的にこだわって一冊の本を書くという発想は恐らく誰も持っていなかったのではないか、と思います。

 確認のために、アマゾンを「損失余命」でチェックしてみました。出てきたのは、本日の主題である半谷輝己氏の著書と、「フランクリン&バッシュ シーズン1(字幕版)というビデオのみでした。このビデオは、どうみても無関係なので、なぜ検索に引っ掛かったのか調べてみましたが、結論は「不明」です。

 半谷氏は、一般市民に対して、放射線のリスクを伝達する「地域メディエータ」を自称していますが、確かに、コミュニケーションのプロだと思います。しかし、普通の「真実」が一部の人々にとっては、「不都合な真実」になってしまう、という現実社会では、かなり敵視された存在になったことも事実と言えるでしょう。

 今回の豊洲への築地市場の移転問題でも分かるように、一般市民は、「リスク」という考え方を全く知りません。

 市民の持つべき常識として極めて重要なことは、この地球上で生存している限り、「リスクゼロは実現不能」ということですが、そのような考え方は、教育のプロセスで取り扱われることはないのです。

 さらに言えば、「リスクゼロは実現不能」に関するより高度な真理「リスクには必ずトレードオフがある」とか言われても、「何それ!?」といった反応が普通です。特に、テレビに出てくる人で、「リスクのトレードオフ」という言葉を語る人を見たことがありません。

 今回の豊洲の問題でも、テレビの主たる論調は、「食品を扱う場所なのだから、衛生上の問題は完全にゼロにしなければならない」、というものです。

 一般市民を対象として、この本が書かれた意義は非常に大きいと思います。半谷氏の今後の著作活動は、福島第一原発事故以降ますますリスクという考え方から遠くなってしまい、絶対安全が存在するという思い込みに支配された世の中を本来あるべき姿に戻すために必須の情報を提供していると思います。できるだけ多くの市民がこのような情報に触れる機会を増やすことが重要です。それを支援する意味でも、お買い上げいただくことをお願いいたします。アマゾンでも在庫が十分のようですので。

 私個人は、とりあえず、まず、何冊かを購入し、半谷氏のサインを入れて貰い、今後、何かのチャンスでどなたかに贈呈するつもりです。



C先生:個人的には、リスクの講義を本当の一般市民に対して行ったことは、実は皆無なのだ。いろいろな機会があって、リスクに関する講演を行うのだけれど、その対象は、少なくとも、「リスクゼロは不可能」、「リスクにはトレードオフがある」ということは理解している方々が対象で、そうなると、その会場の最後の雑談は、いつでも「ぼやき」になるのだ。「一般の人々にとって、リスクという言葉は異言語なんだろうな」。「いや、宇宙人の言葉なんだよ」

A君:それはそれとして、本書のデータのご紹介から。
それで寿命は何秒縮む?
半谷 輝己 (著)
単行本: 248ページ
出版社: すばる舎 (2016/9/17)
言語: 日本語
ISBN-10: 479910487X
ISBN-13: 978-4799104873

B君:損失余命の例として、1ページに1項目が取り上げられているページが35例ほどあって、また、活字のポイント数が大き目なこと、ボールドで印刷されている部分がかなりあること、といった理由で、読みやすい。

A君:単行本で240ページというと、普通ならば20万字程度は書くのですが、この本は読みやすさを重視していて、文字数は少ないですね。一般市民向けとしては、このような本の作り方が良いという見本みたいなもの。

B君:新書だとこの程度の文字数のものが多いと思うけれど、文字が小さいし、インパクトのあるページ構成にしにくいので、単行本にした、という感じかな。新書だと販価が700円ぐらいということも影響しているのかもしれないけれど。

A君:お値段が1400円は、手に取った感じでは、まあお買い得。中身も読みやすいので、しっかり読む人が多いと思うので、満足感は高いのではないですか。

B君:まあ、内容の説明から行くけれど、普通だと目次の紹介が最初。しかし、この本は、はじめにというまえがきの部分に、すでに、1ページ1項目で損失余命が「喫煙」、「放射線内部被ばく」、「福島産イノハナの炊き込みご飯」、「コーヒー」、「ウィンナソーセージ」5例もでてきて、いきなり本文という感じの構成になっている。

A君:この「まえがき」が、この本の内容のほぼすべてと言っても良いぐらいの重みがありますね。

B君:たしかにその通りで、このまえがきを読むと、目次に入った段階で、この先、果たして話題が続くだろうか、と心配になった。

A君:というわけで、第一章が始まる、のではなくて、その前に、予習編というものがあって、とっつきは「損失余命とはどのようなものか」ということになるのですが、普段のように目次を紹介します。

予習編 誤解を避けるための最低限の予備知識
第1章 ママさん必見! いろいろな飲み物・食べ物の損失余命
第2章 しらずにしている、なっている・・・あなたの行動・体質の損失余命
第3章 ホンネで解説! やっぱり気になる放射線リスクの損失余命
復習編 自分なりの「リスクの相場観」つくるときの注意点

加えて、コラムが三編。 
◎死別後の寿命は減る?増える?  
◎単位のワナ? 
◎事故で放出された放射性ヨウ素と甲状腺がんの関係


B君:予習編から始まって、復習編で終わるのが、塾の先生としての経歴が面目躍如といった感じだ。

A君:その予習編ですが、かなりオーソドックスなアプローチながら、「よくわからない方はとりあえずスルーしてもらっても大丈夫」といったことが書かれていることも特徴でしょうね。

B君:この予習編の最初は、学術的に当たり前のことが書かれているので、当然だと思ったのだけど、「安全」と「安心」は同じではない、というページになって、これは、これまで一般市民とのコミュニケーションを数年間やってきた経験に基づいてこの本が書かれていると思った。

A君:その結論もなかなか良いと思います。「安心は自分の内からおのずと沸き上がるもの、安全は他者に与えられるもの」

B君:「沸き上がる」か「湧き上がる」か。前者が半谷氏の選択した語彙なのだけれど、なにか、彼のエネルギーに満ちた人格を示しているような気がした。

A君:さらに、カドミウムとヒ素の基準値が、日本とヨーロッパで違うことを示していて、これに対する説明ですが、「安全の基準というものは、国や地域、文化によってある程度の幅が最初からあるものだと理解しておいてください」と記述されていて、これは、「日本政府が怠慢で国民の安全をしっかり守っていない、ということを示すものではありません」、と記述されています。

B君:豊洲の事件で、東京都という組織がいかにも都民の安全を守っていないかのごとき報道をするメディアがいるけれど、さすがにそうではなくて、本当の問題点は、東京都の一部の職員が、一般社会とのコミュニケーションを重視しないで、審議会の結論とか、審議会のメンバーの選定を含めて、十分な対応をしていないことが問われているのだと思う。

A君:最後に、「安全は達成できても、安心を強要することはできません」、と結んでいて、「消費者の皆さんが自身の不安を安心に変えるには、自分自身でさまざまな情報を比較して、『腑に落ちて』納得する必要があります」、と書かれていて、これは正しく、かつ、当然なのだけれど、最近の一部の市民は、「安心」も自治体や政府が提供するものだという誤った理解をしていると思うのです。

B君:まあそうだね。政府や自治体、さらには、事業者などが提供できるのは、「あるレベル以上の安全」でしかない。少なくとも、日常的生活に関しては、半谷さんの言う通りだろう。しかし、例外はある。国に限った話だけれど、非日常的な状況下での「軍事的な安全保障」に関しては、いくら勉強しても、何が「腑に落ちる」理解かとなると、本当に難しい。これだけは、国が「安心」を提供すべきかもしれない。自然災害については、いくら考えても、いくら勉強しても、決して「安心」はできない。それに比べたら、ちょっと勉強すれば「安心」することができるリスクこの本が取り扱っているリスクがすべてそれに該当するのけれど、そのために自分で努力をして、様々な情報を比較検討することは、あらゆる市民の義務、いやいや、自分自身の幸せになるための努力項目、と考えるべきかとも思うのだ。

A君:予習編のもう一つの重要な話題が、「ゼロリスクは達成できない」というもので、これも当然なのですが、この理解ができる人は、かなりクールに自分とその生きている環境のすべてを見ることができる人だと思いますね。

B君:その通りで、そもそも自分が何を食べているのか、と考えてみれば、本当はすぐにでも分かることなのだ。この地球上に、人間用に作られた食料などはない。もともと、なんらかの理由で存在している他の生命を、長い人類の歴史の中で、「食べることができて、味も悪くない」ものが選別されてきた。それを我々は食料と呼んでいるにすぎない。

A君:デラニー条項の記述もでて来るのですが、米国に1958〜1996年まであった法律で、「食品や医薬品、化粧品などに、動物実験で発がん性が認められた添加物を使用することをほぼ完全に禁じた法律」ということで、当初は、この運用に問題は無かったのですが、科学技術が進化して分析の精度が高まると、「いかなる食料にも医薬品にも若干の発がん性が無いものは無い」ことが不幸にして分かってしまったのです。

B君:言い換えれば、デラニー条項とは、市民に「安心」を与えることを目指していたが、「完全なリスクゼロ」は無い以上、「安心」を与える法律は、矛盾であるという結論になった、と思えば良いだろう。

A君:「完全なリスクゼロはない」となると、「どの程度のリスクを受容するか」という問題になって、社会全体がそう決めたとしても、その合意形成ができるわけもなくて、あとは、個人の責任という厳しい世界になる訳です。

B君:小さなリスクを問題にするよりも、この程度のリスクを避けたところで、何も変わらないという理解をした方が、余程気が楽になって、個人的にもHappyになれる。しかも、実質的には変わらない。

A君:それが正しいのですが、ちょっと事情が違うのが、子供をもった母親で、自分の子供に食べされるものについては、できるだけゼロリスクに近いものにしたい、という人も居ますね。

B君:その気持ちを分からないではない。将来、子供に何か健康問題が起きたとき、自分自身を責めることになる、と説明されるとそうかな、とも思う。

A君:確かに、分からないでもないですが、ただ、将来、小児がんになったとして、福島産の食材を食べたことが原因だとは特定するのは不可能ですね。特に、出荷された食材の放射線は、基準値以下になっていましたので。しかし、特定するのも不可能ですが、完全否定することも不可能です

B君:その通りなのだ。それが主観のつらいところで、原発事故が原因となって放出された放射線のリスクは、甲状腺がんについても、まず、直接的な原因でないことが明らかなのだが、それを否定する学者も存在する。

A君:ヒトという生物のがん発生のしやすさのバラつきがどのぐらのものか、ということになると良く分からないでしょうね。今回の半谷さんの本では、韓国で甲状腺がんの発症率が、突然、世界ダントツの一位になったのですが、それが、健康診断などの追加オプションとして、超音波による甲状腺がんの検査をほぼ無料にしたためで、それまで自覚症状の無い人の検査を全くしていなかったため、甲状腺がんの発生率のバックグラウンドがどのぐらいかが分かっていなかったのだ、という事実が記述されていないのが残念ですね。

B君:意図的に記述を避けたのだと思う。改訂版を出すぐらい売れれば、そのときには、若干の記述が入ることだろう。

C先生:まだまだ最初の数十ページしか進んでいないが、その後の話題をざっと分類して記述して、急いでくれ。

A君:はいはい。予習編の最後が、平均寿命が伸びていることも知っておく、という記述があるのは、かなり良いですね。

B君:第1章の食べ物のリスクは、すでに述べたように、人間にとって完璧な食料はない。なぜなら、他の生命の命をいただいているのだから、ということで十分理解できるはず。

A君:しかし、食品製造業者にしてみると、我々は、消費者にとって完璧な食品を提供しているのです、と言いたい。

B君:少なくとも、PETボトル入りの水は、水道水よりも安全だという消費者の誤解は大切に維持したいという思いは強いかもしれない。

A君:安全性を重んじれば、若干まずくても、水道水より安全なものはない。なぜなら、まずい原因である残留塩素のお蔭で、雑菌の繁殖を防いているから。しかも、水道水の大部分は河川の表流水なので、有害な鉱物成分の含有量が少ない。それに対して、地下水が多いPETボトルの水には、有害な鉱物が溶け込んでいる可能性が高い。特に、ヒ素の土壌中の濃度は、日本のようにもともと海底の土壌からできている国土では、どうしても高い。それは、ヒジキなどの海藻類のヒ素含有量が多いことからも、容易に推測が可能。

B君:実は、製造事業者は、こんなことが分かるような賢い消費者になって欲しくないだろう。

A君:しかし、味はPETボトル水の方がおいしいですよ。塩素臭くないし、ヒ素が入っているお蔭かもしれないですが。

B君:大分前になるが、茨城県神栖市で、旧陸軍が製造保管していたと考えらえるヒ素化合物が地下水から高濃度で検出された事件があったけれど、高濃度にもかかわらず、味はそれほど変ではなかったと考えれるのだ。

A君:ヒ素化合物は毒ガス製造用のものか、ということだけれど、元々そこにあったということではなく、ヒ素化合物を含むコンクリートの塊が、平成5〜9年に不法投棄されたのが本当の原因。このコンクリートはどこにあったのでしょうね。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000172237.pdf

B君:PETボトル水が、発がん物質であるヒ素入りとなれば、いくら美味しくても、いくら少量でも、日本の消費者は飲まないだろう。

A君:知らないから飲んでいるのでしょうかね。

B君:そして第2章が、体質・健康の問題。これは、心配な方はじっくり読めば、真実により迫ることができるようになるでしょう。

A君:次の第3章が、放射線のリスクの話。半谷さんが本当の意味での専門性を得た話題。

B君:医療用に使われている放射線のリスクの話もかなり詳細に書かれているので、是非。なんでも検査をすれば良いというものでもないので。

A君:この章の最後にも、PETボトル水の話がでてきます。

B君:そして、最後が復習編。まずは、「お互いの相場観を認め合おう」。そして最後が、「判断するのが難しければ、誰かを信用するのも手」となっている。

A君:そして、「信用するのは誰か?」に対して、国や自治体を含めて考えるように、とのアドバイスですが、これを素直に受け入れる割合は、日本国民の何%ぐらいでしょうか。

B君:意外と多いのかもしれない。自治体よりは政府の方がウソは言いにくい。それより国際機関の方がさらにウソは言えない。なぜならば、様々な人々から(その組織のステークホルダーの数に比例して)いつでも批判にさらされているから。

A君:先ほど、PETボトルの水は、絶対安全という神話を守りたいのは、製造者だという話をしましたが、それ以外にも、様々な場合がありますね。ある特定の目的を持った団体の発言は、しっかり吟味した方が良いですね。例えば、何かの被害を受けて団体を結成すれば、その団体はある特定の意図を持つことは理解しておいた方が良いのは当たり前。人間やはり自己の利害に敏感ですから、利害を超えて正義を語るというケースは非常に希だと思うべきでしょう。

B君:例を挙げたいぐらいだけれど、まあ、止めておく。

C先生:何か余りにも現実的な記述になってしまった。しかし、この著書は、このような議論に繋がるほど、重要かつ本質的な問題に対して、一定程度の知識と他人を理解する包容力があれば、余り間違っていない判断が下せるという提案をしているね。その中身を解析することによって、かなり深い読み方もできる。
 とは言え、極めて簡単に読んでみて、新しい発想を多少得るといった目的でも十分に役割を果たす本のように思う。
 やはりアカデミアを長年やっていると、ここまで思い切った展開をして、それに基づいて本を書くには、もう一つ度胸が無いと言えるように思うのだ。事象の全体像を伝えないと、どうしても責任を果たしていないような気分になるので。
 その意味で、リスクの話題について、新しいタイプの執筆者が誕生した。中西準子先生が一線から引かれた現時点で、リスクの本を書ける人は、日本には、4〜5人ぐらいしかいない。それが、本当に市民レベルに合わせた本を書ける筆者が一名増えたことを心から喜びたい。