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    ハーバード日本史教室(その3)   08.16.2020
        明治維新をCraig教授はどう見るか



 これまで2回に渡って、ハーバード日本史教室の記事を書いてきました。そして得た最大の感想としては「日本において、ハーバード日本史教室に匹敵するような講義が行われている大学が知りたい」、ということでした。こんな講義なら聞いてみたい、です。
 このハーバードの日本史教室の書籍には、第10講までがありますが、そのうちの
3講の担当が、日本でならば、名誉教授、あるいは、それに相当すると思われる肩書の教授です。
 このような強力なラインアップが組めることの一つの要素は、
米国においては、定年というものが無いことかもしれません。米国は能力主義で、退職時期を年齢によって画一化することは違法とされているからかと思います。退職の時期は、あくまでも本人の意思、あるいは、本人の実力が決めることであって、雇用側が決めるというものではないという理解に基づくものです。米国人の教授に話を聴くと、大学院生を自分の研究室で抱えるためには、その大学院生に奨学金を払う必要があって、そのためには、充分な研究費があることが不可欠。そのため、研究費が獲得できなくなれば、自然と、退職ということになる。さらに細かく言えば、教授室だけは大学から提供されるかもしれないが、学生用の居室や実験室などは、すべて有料で大学から借りる方式だから、研究費がなければ、研究者としての教授職は成立しない(この情報は、やや古いので、現時点でも正しいかどうかは不明です)。
 本書では10名の教授が登場しますが、ちょっと年齢を調べ見ました。しかし、何年生まれといった情報が書かれていません。そこで、学歴をチェックしましたが、年齢との対応は不明です。
◎Andrew Gordon Prof.
  1981 PhD in History and East Asian Languages
◎David L. Howell Prof.
  不明
◎Albert M.Craig Prof.Emeritus
  born 1927 例外的に生年の記述あり
 他の教授でも、特に、
現役教授の情報は年齢を推定できるデータがどこにも書かれていません
 要するに、
日本の大学のように、定年があるという国は、もはや、世界的標準からは遅れているということだと思います。ひょっとすると、通常の企業の定年制に関してもそうかもしれません。ただ、日本人の感覚ですと、「これまでご苦労さまでした。定年です」、と言われる方が、「あなたは高齢化して能力がなくなりました。したがって、解雇します」と言われるより、受け入れやすいのかもしれません。
 そして、やっと今週の本題です。今回の講師は、なんとなんと
1927年生まれであることが分かったアルバート・クレイグ教授の登場です。この年齢ですので、当然、名誉教授ですが、日本だったら、インタビューの対象になることも、ほぼ考えられない年齢ですね。この本が3年前の2017年に発刊されたことを勘定にいれても。ちなみに、奥様のお名前は、”Terukoさん”ですので、日本人のようです。この情報は、”The Samurai Archives:SamuraiWiki”なるサイトで発見。しかし、こんな英語のページがあるなんて!!
https://wiki.samurai-archives.com/index.php?title=Main_Page


C先生:この書籍、『ハーバード日本史教室』では、10名の教授・名誉教授などにインタビューしているが、その
最高齢と思われるアルバート・M・クレイグ名誉教授が、今回の主役。そして、課題は「明治維新」だけれど、その題名がすごい。
 
第3講義 『龍馬、西郷は「脇役」、木戸、大久保こそ「主役」』
 まあ、なぜ、そう思うのか、その理由を聴きたいものだ、と思わせるのに十分のインパクト。

A君:それでは、早速、本文のご紹介から。その最初に、
クレイグ教授の紹介があるが、GHQ占領下の日本に米軍の一員として駐在していた経歴があるとのこと。しかも、これがきっかけとなって、日本研究を始めた。そこで、著者からの質問は、「なぜ敗戦国である日本の歴史について研究しようと思ったでしょうか」。

B君:その答え。「若いころから柔道をやっていたので、その発祥の地である日本にずっっと興味を持っていた。
戦後、米軍の仕事で、宮崎と京都に駐在してからは、そもそも日本はなぜこのような状態に置かれることになったのか」と疑問に感じたからだそうだ。

A君:確かに、
今考えると、不思議ですよね。そもそも日本という国は、冷静に考えれば、勝てる可能性がほぼゼロの戦争を仕掛けたのですから。想定される答は、まあ、「石油が絶対に必要だ!! 大和魂で勝つしかない!」だったのでしょうけど。

B君:今年の1月26日の本サイトの記事だが、「日本に明るい未来はあるのか−『何がダメか』を虜人日記にみる」で、小松真一氏の著書をご紹介したけれど、
日本軍は、一度やると決めると、「何が何でもやる。最後には勝てるはずだ」という対応しかできなくなってしまって、知性喪失状態に陥る。となると、戦争でもっとも重要だと思われる、全体的状況の把握・解析ができなくなって、その結果、戦略が何もない状態で戦闘だけが続く。そして、当然のように、敗北する。

A君:という状況だと、人的な被害はどんどんと拡張されていく。
本サイトの1月26日の記事には、日本の敗因21箇条が記述されていますので、是非、ご覧いただければ。

B君:それに続く、2月2日の記事は、『空気をよむこと』−山本七平の正論と誤謬−なるものだった。

A君:山本七平氏に言わせれば、太平洋戦争についても、
日本軍は、実は、開戦後早々に米国に勝てる訳は無いことを知った(やる前からわからなければ、おかしい)。しかし、日本軍を支配していた規範は、『日本は必ず勝てる』だった。そして、山本氏の直感的な発言によれば、『日本社会では、現時点で自分が持っている新たな規範を言葉にすることは禁じられている』。すなわち、『一度、規範を決めると、誰も変えられないのが日本社会の特性』。困った体質の国ですね。

B君:そのときの状況を推測すると、『感覚的にではあるけれど、
「この戦争はもう勝てません」、ということを、日本人の誰もが感じていたが、同時に、それを言うことが不可能だと思っていた。なぜなら、「そういう空気ではなかった」から』。

A君:しかし、「空気を読む」ということは、現時点でも、依然として、ほぼあらゆる組織で行われていると思うのです。

C先生:そういえば、先日(8月13日)の朝8時にNHKのBSプレミアムを見ていたら、
「村木厚子vs.検察」という番組が流れてきた。村木さんは、厚労省の役人で、あらぬ疑いを検察に掛けられて、大変な目にあったけれど、最後には、裁判に勝利しただけでなく、その後、官僚としてトップのポジションである事務次官を務めた人。この番組を見て、色々なことを考えされられたけれど、現時点で検察の持っている空気(≒規範)は、山本氏の言うように、『それを言葉で語ることは禁じられている』のが現状のように思えた。検察の立場から言ってみれば、「我々の常識は、一般社会の常識とは全く違うが、それが当然だ」、「しかし、ということが社会に知られるとまずい」。「.....」。

B君:上層部は、特に、それが当然だ、と考えているのだろうね。あるいは、これが「検察のあるべき姿勢」だと信じているのかもしれないが。

A君:それにしても恐ろしいことですね。
犯罪者とされた人は、検察にとっては、罪『人』ではあるけれど、『人間』ではないのでしょうね。

B君:ちょっと話がずれるけれど、C先生がサマースクールなどで
最近の若者と議論すると、どうみても彼らの規範が完全に違うという感覚だったようですが。

C先生:現時点で思い出してみると、
規範というところまでのレベルではなかったように思う。丁度、就職も決めて、せめてしばらく「ホッと」していたい、という程度だったと思う。ただ、振り返って、企業を見れば、「空気を読む」ことが、今でも、企業内での生存のための条件だと思っている社員が多いような気はする。

A君:本題から全く離れています。ちょっと復習をして、元に戻します。クレイグ教授は、1947年には、米軍の一員として日本に駐在していた。

B君:米軍の一員、いわゆる駐留軍だったのか。またまた関係の無い話になってしまうけれど、
金曜日(8月14日)に、NHKのBSで、ナチスの勃興から、終焉までをかなり丁寧に記述する2時間の番組があって、画面から離れることができなくて、最後まで見てしまった。

A君:Webで紹介記事を見てみると、こんな内容だったらしいですね。
 『
ヒトラーが大衆を熱狂させた最大の武器は「演説」だった。飛行機で全国を飛び回って恐慌に苦しむ国民の心を演説でつかみ、ナチス政権を打ち立てた。特に心酔したのは若者たちである。現在、彼らは90歳を越え、その証言を聞くチャンスは残り少ない。番組ではヒトラーの演説を聞いて熱烈に支持した人々をドイツ各地に訪ねると共に、ヒトラーが行った25年間の演説150万語のデータを分析。謎に包まれた演説の実態を解き明かす』。

B君:しかし、もっとも印象深いことは、やはり、
ナチスがその最終段階になって、その実態にドイツ人が疑問を持ち始めると、『国民の関心を逸らす目的で、ユダヤ人の迫害を始めた』、ということか。どの国でも、人間の考えることは、同じようなものだ、ということが分かった。

A君:ドイツ人も、一旦強い思いを持つと、それを消すのが難しい民族の一つでしょうね。個人的には、日本人よりもそんな思い、あるいは、哲学が強いような気がします。

B君:またまた、大きく脱線してしまった。クレイグ教授の話に戻るけど、
1951年から2年間、京都大学に留学し、帰国後、ハーバード大学で、「明治維新における長州」という論文で博士号を獲得。

A君:なぜ明治維新に関心を持ったのか、というと、それも偶然だそうだ。留学した当時は、「日本の通商政策」をテーマにするつもりだった。しかし、
たまたま遠山茂樹教授の書いた、「明治維新」なる本を読んで、強い関心を持ち、より深く知りたいと思うようになった、とのこと。この本をAmazonで調べてみましたが、評価はバラバラの本でした。感触としては、ほぼ研究書としての体裁になっているようで、360ページの半分が、文献の解説になっているらしい。

B君:クレイグ教授も、やはり、学者になるための基本的要素である、「特定のことに、普通の人よりも強い関心を持つ」という特性は強そう。それに比べ、我々二名は、「環境学の対象は、地球全体と人類のすべて」だ、というC先生の「目くらまし」を食らったので、特定のことには集中できない妙な人間になってしまった。

A君:「地球全体」≒「無限大」ですからね。いつまでたっても、マスターできる訳のないものが対象として設定されてしまった。

B君:クレイグ教授に戻るけれど、
彼は、明治維新を専門にして、日本の歴史学者が書いた関係する書物を読んでいた。そして、非常に驚いたことがあったが、それは、ほとんどが、マルクス主義の視点から書かれていることを発見したことだった。

A君:そして、なぜ、日本の歴史学者連が、「これからはマルクス主義だ」と思ったか、というと、彼らは、
明治維新は「絶対王政の確立」であった、という見解の持ち主だったから、という説明。現実の世界史を見れば、「絶対王政の後にはいずれマルクス主義」だ、と思うのも自然かもしれない。

B君:より具体的な表現もあって、
「封建制から資本主義に移行する過程の妥協的な制度として絶対王政があらわれた」「倒幕運動は、天保の改革(1841〜1843)を端緒とした階級闘争であった」。これらが歴史学者らの一般的理解でしたが、クレイグ教授は、「これは間違っている」と思って、「アメリカ人の視点から新たな史観を示すために、明治維新に取り組んだ」、とのこと。

A君:1950から1960年当時、日本の歴史研究をしている外国人学者は少なかった。特に、
幕末から明治にかけての日本を専門にしている外国人学者はクレイグ教授ただ一人だった。

B君:一人での研究が続けられた理由だけれど、指導教官であったライシャワー教授は明治維新の専門家ではなかったので、
もっぱら、日本の学者から多くを学んだとのこと。まあ、個人の、特に、日本語能力向上に関する経験と努力が、二大要因だろう。第二の要素では、奥様の貢献が多分大きい。

A君:
東大の岡義武教授については、「当時の日本の歴史学者としては、珍しくマルクス主義者ではありませんでした」、とのこと。この記述は多分、相当の思い入れで書いているような気がします。

B君:このあたりに、日本の歴史学の不可思議さが記述されているようだ。歴史的事実を重視するのではなく、とにかく、
「解析のスタンスが最重要」

A君:そして、明治維新に関する結論ですが
 (1)「その
本質は、幕府を中心とする封建制度を転覆させるために下級武士と農民が起こした反乱ではなかった
 (2)むしろ、
長州の藩政改革は、幕府による天保の改革よりも前の1838年にすでに始まっていた
 (3)長州藩内で起きた
百姓一揆の要求は、多種多様であったが、決して、新しい政治体制を求めるものではなかった

B君:となると、長州と薩摩がどうして明治維新の原動力になったのか、それが疑問になってくる。

A君:クレイグ教授のその解釈は簡単。
両藩は、徳川幕府体制に対して、長年、恨みを持っていた。関ケ原の戦い以来、外様藩は領土を削られるなど、幕府から冷遇されてきた。そのため、多くの外様藩は力を失ったけれど、例外的に長州藩と薩摩藩は経済的に繁栄していた。簡単に言えば、恐らく、藩のサイズが大きかったことがその理由。

B君:サイズか。より正確に表現すれば、両藩の禄高か。
公式には、薩摩は77万石、長州は37万石だったけれど、実高は、薩摩87万石、長州71万石と言われていて、長州は100万石近かったという説もあるそうだ。ということで、経済的に余裕があった。そのために、強大な軍事力も確保されていた。

A君:
藩の財政に余裕があれば、当然、抱えている武士の数も多いはず。しかし、その当時の制度では、正式に雇用された「藩士」の他に、郷士(農村に土着した武士)が存在していて、本来あるべき武士の数は、薩摩1万4千、長州6千なのに、実際には、薩摩2万8千、長州1万1千だったと言われている。両藩とも、実態はほぼ2倍。

B君:それには、すでに述べたように、それだけの経済力が必要。どうして経済力があったのか。それは、藩政改革に成功していたから。
長州藩のキーパースンは村田清風。米、紙、塩、蝋の生産強化を行い、また、関門海峡を通過する船の積み荷の委託販売なども行って、それまであった負債を3年で解消した上に、非常時のための蓄財にも成功していた。そして、これが倒幕用の武器購入資金になった。

A君:長州と薩摩の話は、司馬遼太郎の著作のためか、いくらでもドラマにはなるけれど、このような藩の状況、特に、財政に関する話ははじめて知りました。

B君:日本人の書いた本で、このあたりの状況を説明しているのは、どれなのだろう。全く知らないね。むしろ、このクレイグ教授の記述を勉強するのが最良かもしれない。日本人のもっている固定観念は皆無だろうから。

A君:そうですね。実際、
クレイグ教授のよる人物評価は大変に面白い。『龍馬、西郷は脇役』、『木戸、大久保こそ主役』ですからね。

B君:クレイグ教授の解析によれば、
大久保利通、木戸孝允の両氏が重要なのは、この二人がいなければ、すなわち、急激な西欧化を主張した大隈重信、伊藤博文、井上馨、渋沢栄一だけでは薩摩反動派と上手くやれたとは思えないから、とのこと。

A君:明治維新の話も、日本国内では、どうしても「物語として面白い」ように脚色がなされて、誰がどのような役割を果たしたのか、など、政治学的なことが書かれた本を読む機会はほとんどないですね。

B君:逆に、政治学的な本では、個人の個性まで記述しないのが、普通だろうし。

A君:クレイグ教授による評価ですが、
龍馬については、「土佐藩は小さな藩」であって、軍事力、経済力が不足していた。そのため、明治維新に与えた影響は限定的だった、とのこと。

B君:なんとなく、それが現実であろうと思う。

C先生:まだまだ、説明が必要なページは残っている。しかし、すでに長くなりすぎだ。クレイグ教授の特徴は、最低限かもしれないけれど、記述できたように思うので、そろそろ終わりにするか。
 最後の話題、
龍馬のことだけれど、高知市の桂浜に行けば、その銅像はあるけれど、その印象は、と言えば、クレイグ教授の「土佐藩が小さな藩であった」、という表現が余りにもぴったりくる、なんとなく寂しさを感じる景色なのだ。見物客が少ないということもあるけれど、ひょっとすると、龍馬像の立つ石台の高さが高すぎて、むしろ龍馬が天空にいるように見えるためかもしれない。これは、確かに、龍馬の何かを象徴しているのような気もする。
 それはそれとして、ハーバード大学の日本学の教授達は、まず、
知識が非常に豊富であることに感心するしかない。さらに、世界の全体を見た上で、加えて日本を見ているので、非常にバランスが取れた見方をしている。流石、ハーバード流だと言える。
 今回ご紹介したのが第3講だ。実は、本書は、第10講まである。日本と言う国を日本に住んでいながら正しく理解するためには、ハーバード大学の日本学のように、日本国内の状況や利害から完全に離れて、
極めて客観的な学術的な目で外から日本という国を分析している人が存在していることは、極めてありがたいことだ、と思う。ちょっと日本を褒めすぎだと思う記述もあるけれど、この本は、最後まで、なんとかご紹介したいと思う。それより、是非、日本の政治家にこの本を読んで貰いたいと思うのが本音ではある。
 取りあえず、著者の佐藤智恵さんの努力には大いに感謝したい。