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     ハーバードでの日本史教育7  09.20.2020
       
築地市場にみる日本の強み弱み&日本は核武装すべきか



 このハーバード大学における日本史の授業、「アジアの中の日本、世界の中の日本」の記事が、すでに6回まで到達しましたが、まだあと2回続けることにしました。どうしても、スキップすることができないのです。流石、ハーバードということで、これほど日本という社会を外部から客観的に評価していると思われる記述は無いといえそうです。しかも、「これほど褒められて良いのか」、と思うのですが、これまで類似の他の記述も見たことがありません。
 
こんなにも日本が良い国だと評価されてしまうと、個人的には日本という国に対する心配事もあります。それは、日本人による自国に対する自己評価がかなり低いということです。もっとも典型的にそれが現れるのは、幸福度調査ではないか、と思うのです。UNDP(国連開発計画)が行っている国民の幸福度評価については、本Webでも取り上げていますが、とにかく、自分の国を低く評価すべきだと考えているとしか思えないのです。統計的なデータ、例えば、GDPや教育レベルなどは、まあまあ普通に評価されているのですが、自分の国に満足していますか、と聞くと、その解答が否定的すぎるのです。そのため、俗に言われるユートピア指数、すなわち、自国がユートピアだと言える人の数が、日本人には本当に少ないのです。まあ、現状の日本を冷静に見れば、確かに、ユートピアだと言うのは難しいことも良く分かるのですが。まあ、ここでは、日本人は、なぜか自国に対する理想が高いということにしておきます。
 ということですが、
たまには、本書のように、日本をベタ褒めしてくれる記述を読んでいただいて、何が本当に不満な点なのか、もっと明確に表現できるような意見を持つべきだと思います。(今回の記事は長いです)


C先生:序文にこんなことを書いたけれど、実は、
今回のコロナ対応で、日本政府の弱みのようなもの、日本の官僚制や地方自治体の能力の限界のようなものが非常に明確にバレてしまったのは、良かったのではないだろうか。特に、「安倍のマスク」の評価が低かったのは良かった。さらに言えば、デジタル化をするといったことに非常に後ろ向きの組織、それが日本政府、地方政府、地方公共団体であるということが明らかになったことも良かった。保守主義というものは、それなりにあり得るのだけれど、これまでの対応方法を永遠に守るといった態度は、保守主義だとは言えない。単なる進化恐怖症に過ぎないし、場合によっては、既得権益を守っているだけだと言われても、反論が難しいだろう。

A君:本日取り上げる話題ですが、まずは、
第8講義である「築地市場から見えてくる日本の強みと弱み」を最初に、そして、次に、第9講義である「日本は核武装すべきか」を取り上げます。

B君:
築地市場の豊洲への移転の話は、このサイトでもかなり取り上げた。しかし、そのときの問題意識としては、汚染土壌などを理由に豊洲移転に反対している人がいたけれど、それは、科学的に根拠がないに等しいことを述べたり、地下室に水が湧き出るといったことで、豊洲は危険だと主張する人々に対する客観的な反論が主たるものだった。

A君:そうでした。
築地市場のように、完全密閉が不可能な市場では、ネズミなどによる感染症原因菌が侵入することも無いとは言えない。食品が引き起こす最大の危機的状況というのは、やはり食中毒なのだ、と思いますね。

B君:まあ、先に進もう。しかし、1点だけ付け加えたい。この章の主人公であるテオドル・ベスター教授についてだ。2015年にホワイトハウスで行われた日米首脳会議の後に行われた、晩餐会において、
オバマ大統領が俳句を詠んだのだそうだ。しかし、実は、その俳句を監修したのは、このベスター教授だったとのこと。
 これが英語の俳句。
Spring, green and friendship United States and Japan nagoyaka-ni.

A君:その後、なぜか、
「義理チョコ(バレンタインデー)とホワイトデー」の話になって、日本社会の特異な習慣が取り上げられています。

B君:基本的に
米国でのバレンタインデーでは、男性がチョコレートを女性にプレゼントする。お返しは無し。ホワイトデーなどというものは、完全に日本流。そもそも、誰が作ったのだろうか。

A君:バレンタイン・デーに関する詳しい話は、洋菓子屋の
YOKU MOKUのサイトに詳しく出ているので、ここでは省略。
https://www.yokumoku.jp/pages/145

C先生:本日は、無関係な雑談ばかりになりそうだな。しかし、日本流バレンタイン・デーは、米国の学生にとっては、非常に奇妙な感じを持つと同時に、
日本文化の特異性、特に、海外から導入したものが、すべて日本流にアレンジされてしまうという特性を知って貰うのは、良いことかもしれない。日本という国の文化の特異性の一つだと思うので。

A君:恐らく、
何が、そして、どのように西欧で行われているのか、などには興味はなくて、何がなんでも新しい習慣として普及させてしまえば、勝ったも同然という感じなのでは。特に、バレンタインデーは、それで商業的にプラスの面はあるのですから。

B君:しかし、
ハロウィンなどもいつの間にか渋谷(原宿)での行事の一つになってしまった。しかも、この日は、一部の若者の間では、「コスプレして羽目を外しても良い日」というとんでもない解釈になっている。本来は、「子供達が、各家庭を回って"Trick or Treat"と言って、キャンディーを貰う」、という誠に可愛い習慣。渋谷で騒ぐ連中は、"Trick or (We will)Turn It Over”とか言って(多分、言う能力はないだろうが)軽トラをひっくり返す。この無理解、無教養、& 酔っ払いは許しがたい

A君:
話変わってなぜ、そして、いつからニューヨークで寿司が食べられるようになったのか。これも、重要な、文化の交流の結果ですからね。

B君:
1960年ぐらいまでは、米国で寿司を食べる人などいなかったらしい。なぜなら、魚を生で食べるなどという習慣は無かった。恐らく、野蛮人の習慣だという理解だったに違いない。

A君:それが
1970年代になって、一般人も飛行機を利用できるような状況になって、日本を訪問した人が日本で本物の寿司を食べて、「美味しい」と感激して、それが口コミで広がって行ったとのこと。C先生が米国留学していたのが、1975年から2年間。ニューヨークの寿司の味はどうでしたか。

C先生:留学先も
ニューヨーク州ではあったが、Cityから北へ150マイルぐらいの場所だった。そこに、美味しい寿司屋が有ったという記憶はないなあ。ただ、ニューヨーク・マンハッタンでの寿司屋は、すごく美味しかった。寿司屋の名前も日本流で、日本人のような板前がサービスしていたが、どうも、中国人だったのではないか、と思ったという記憶がある。名前が妙だったからかもしれない。しかし、味は明らかに日本流で、魚の新鮮さはニューヨークの方が上だったかもしれない。

B君:横道にズレたけど、元に戻して、この本だと1970年代になって、ボーイング747が運航されたとあるけれど、米国行きの飛行機は747でしたか。

C先生:
残念ながら実際に搭乗したのは、多分DC8だったと思うよ。まだ、日本航路には、747を運用するほどのニーズは無かったのではないかと思う。

A君:元に戻して、ベスター教授の発言に戻します。インタビューワからの
質問は、2013年に和食はユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、他の登録された料理、フランス、メキシコ、トルコ、地中海料理と和食とのもっとも大きな違いはなんですか

B君:ベスター教授の答だけれど、「それが私の研究テーマ」。

A君:すごいですね。料理の本質的相違とは何か、という哲学的な考察でもするのでしょうかね。

B君:まず、和食について。
和食を特別なものにしているのは、「下ごしらえがすごい」こと。繊細で正確な下ごしらえが、食材の美しさを引き立てているから。さらに、一流の和食料理だと、一皿、一皿構成が全部違っている。例えば、懐石料理であれば、10品以上が出てくることも普通にあるけれど、味、舌触り、香り、見た目、これらが全部違う

A君:そもそも、10品も料理が出てくる料理は和食以外に無いのでは。まあ、中華ならないとも言えないか。あれっ。
中華はユネスコ無形文化遺産に登録されていないかも。

B君:
最初に登録されたのが、フランス、地中海、メキシコ伝統、トルコ伝統(ケシケキ)の4種。そして、2013年に和食、韓国のキムチ、トルココーヒー、グルジアのクヴェヴり

A君:
中華料理が入っていないんですね。ちょっと調べたら、調理法が不健康なものがある、例えば、「動物の内蔵の調理など他の国では拒否されるものもあるから」、が理由らしいです。

C先生:トルコのケシケキって何か調べたら、おかゆのようなものらしい。トルコに行ったときに食べておけば良かった。

B君:話をちょっと変えて、
ベスター教授の料理に関する知識のすごさをご紹介したい。 和食の由来を遡っていくと、大きく分けて三系統になるとのこと。「大饗料理」、「精進料理」、「懐石料理」

A君:
「大饗料理」って聞いたことが無いので、調べました。平安時代に貴族が宴会で食べていた料理で、生ものや乾物などを切って塩、酢、醤(ひしお)などにつけて食べる

B君:
「精進料理」は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、中国との交易が盛んになって、禅宗の食文化が日本にもたらされたものとのこと。

A君:そして、
三つめが「茶の湯料理」、すなわち、「懐石料理」。千利休が創始者。

B君:
「日本の料理の伝統は、ヨーロッパなどと違うのですか」、という問いに対して、教授の答は、こんなもの、「ヨーロッパの料理」は、大航海時代以降、世界中から様々な素材や料理形式が入って、変化を遂げたけれど、日本の場合には、そのような影響が少なかった。それは鎖国があったからかもしれない。これが違いであるとのこと。

A君:「今後、
日本は和食をソフトパワーとしてどのように生かして行くべきでしょうか?」という問いに対して、「和食についての情報を世界に向けて提供することが必要」。「和食についての本は、すでに世界中で発行されているけれど、その多くはプロの料理人向けの本であって、一般の人が料理を作るには、複雑すぎる。日本人以外の人々でも、簡単に作れるような和食のレシピを公開すれば、和食人気はさらに裾野が広がるに違いない」。

B君:ということで、これから
本題である築地市場の話になる。築地市場は、「日本人の現場力」を象徴している、とのこと。

A君:現場力の説明はこんな文章です。「
築地市場の人々は、専門的な知識を持っていて、なおかつ、勤勉な国民。毎日、一所懸命働いていていると同時に、魚についての知識は驚く程のレベルに到達している」。

B君:『魚のプロ』だということですか、という質問に対しては、
「プロなんていう生半可なものではありません。学者や専門家を超えるほどの知識を持っています」。

A君:まあ、その通りだと思う。

B君:さらに特筆すべきこととして、教授が考えていることは、「築地市場は、そこに集うすべての人々の協力で成り立っています。勿論、
競争相手ではあるのですが、『協力すべきところは協力する』という体制が自然に出来上がっている」。

A君:豊洲市場に対する感想を聞かれて、「
豊洲市場はとても無機的な場所に見えました。人間が生き生きと働くための場所のように思えませんでした」。

B君:恐らく、
オープン構造の築地市場とクローズド構造の豊洲市場の衛生面での違いが移転の大きな要素であったことが、伝わっていない。しかし、築地のやり方で、長年、具体的な問題の発生が無かったのも事実ではあるので、豊洲の衛生面のアドバンテージはアドバンテージだと言えない、という感想なのかもしれない。

A君:いやいや、次の文章がこんなもの、「築地市場の設備は古く、安全面、衛生面などの問題を解決するためにも、建て替えは不可欠です」。

B君:建て替えている間に市場が無いと言う状況になることが、最大の問題なんだけどね。それに築地の狭さが問題だった。

A君:そして、そろそろ終わりになるのですが、
豊洲移転についての感想は、「日本の官僚主義が裏目に出た豊洲移転問題」というタイトルの最後の記述で語られます。

B君:
「日本の官僚主義の実態は、現場で働くひとびとの意見を取り入れることなく、現場から離れたところで間違った決断をしてしまう。この日本の官僚主義の悪いところが、全部出てしまったという印象です」

A君:確かに、そうも言えるし、日本の官僚主義が、民意を十分に反映しているか、と言えば、確かに問題。まあ、安全面、衛生面を欠陥を現場の人々も感じていたはずなので、なんとも言い難いところもありますが。

B君:最後の日本の強みは何かという話になる。「それは、『調和のとれた社会』であること。勿論、対立はあるけれど、それほど分断されている訳ではない。
過去の日本では、賢く、勤勉な国民が、現場で優れた社会環境をつくりあげてきました。しかし、その長所が最近、失われつつあるように思います」。
A君:要するに、強みが失われつつある国だという指摘だ。

B君:まあね。最近の若者の話は、C先生のサマースクールの感想からも分かるように、極めて近視眼的で、「しばらくは仲間と楽しめるこの状態を継続したい」、というぐらい。
社会全体を見渡すという大きな視野を持つという『賢さ』が無くなっている。

A君:
コロナの感染拡大に若者達の行動が悪影響を与えたという評価は、ある程度当たっているのでしょうね。いずれにしても、視野が、自己中心型になると同時に狭くなっていることは事実なのでしょう。

B君:古い話になってしまうけれど、
「自分の知性を磨く」ことが「学生時代のノルマ」である、という時代もあったんだけどね。

A君:原因としては、
ネットとスマホの影響がやはり大きいのですよ。知性の獲得は無理にしても、「知識の獲得」だけが目標であれば、ネットとスマホを活用すれば、どのような情報でも探し出せるので。ただ、それが本当の知識になっているかどうかは、別の問題。

C先生:
何か大きな目標を持って、その実現に邁進するという考え方は、現在の若者にとっては、もはや古いのだろうね。その結果かどうか、最近、海外の大学に行きたいと考える学生は確実に減っているようだし。もっとも、海外の大学は授業料が高すぎて行けないという現実もあり、日本は、ある意味で貧乏国になったと言えるのだ。しかし、ネットとスマホがあれば、海外に行かなくても、どのような情報でも得られるということも事実。しかし、若いときに、海外貧乏旅行を実現することは、安全面での相当の注意をすれば、確実に生きる世界が広くなることも、もう一つの事実。これをやれば、確実に『生きる実世界』が広くなると言うべきなのだと思う。ネットとスマホの世界は、誰がなんと言っても、バーチャルな世界。コロナの影響で、最近は講義もリモートがほとんど。このような状況に満足していたら、将来、ロボットのような人間だけが育つことになってしまうような気がするのだ。本物のロボットに比べると、データ処理が遅く、記憶容量の少ない見かけだけのロボット型人間は、使い道がないと思う。コロナが就職戦争に与える影響は、まだ、余りよく見えないけれど、間もなく、すごいことになると思う。なんらかの方法で戦闘能力を高める準備しておくことを、コロナ対策の一つとして、学生諸君には強くお奨めしたい。

A君:それでは、次の
「日本は核武装すべきか」です。教授は、特別功労教授のジョセフ・ナイ先生

B君:核武装をすべきではない、というのが当然のお奨めだけれど、全面的に賛成なので、議論はしないで良いと思う。

A君:実は、それ以外の記述の方が有意義ですね。例えば、
約80年間、日本と米国は敵国同士だったのに、なぜ、太平洋戦争終結後、友好関係を維持できているのか

B君:その質問に対して、ナイ教授の答は、「3つの理由がある」。
 一つ目が、軍事戦略上の必要性。今後中国が台頭すればするほど、日米は結びつきを強める必要がある。
 二つ目は、日本が民主主義国家を作り上げたから。かつ、友好的な国になったから。
 三つ目は、経済的な相互依存があるから。


A君:次の疑問点が、
こんなにも文化の違う国が、なぜ、友好関係を維持できているのか。例えば、日本は2000年の歴史を持つ国家。アメリカは建国250年。日本はほぼ日本人の国、アメリカは多民族国家。

B君:その答えは、
戦後、70年以上を掛けて、人間同士の交流、異文化交流を行ってきたから。ナイ教授の息子さんは、1年間東京で勤務していがときに、日本で現在の妻(日本人ではない)に出会い、結婚した。二人とも、二匹の柴犬を飼っているぐらい、すっかり日本ファンになった。それに、日本のソフトカルチャーの魅力は凄いものがある。

A君:そして、最後に、「日本は核武装をすべきか?」の議論になる。
ナイ教授の見解は、「核武装しても、北朝鮮に対する抑止力にはならない(理由は書いてない)一方で、中国を脅かすことになって、日本の安全度は低下する」

B君:核武装関係以外の方針については、
「大問題である人口減少を解決するために、もっと多くの移民の受け入れを行うべきである」

A君:
二つ目として、「テクノロジー(ロボティックス・人工知能)の推進」、三つ目として「女性を戦力化すること」日本の男女格差指数ランキングは、なんと144ヶ国中、111位。これは、いくらなんでも、これではダメ。

B君:「
移民の受け入れは我慢して、清貧ながらも品格のある国を維持すべきだとう考え方もあるけれど」、に対する教授の答は、それはダメ。国の経済成長が止まると、国と個人の活力の両方が下がることがその理由。なぜなら、限られたパイの奪い合いが、良い結果になる訳がないから。

A君:ただし、日本に対する推奨としては、
GDPの大小だけで、自国の評価をすべきではない。現時点での「生活の質」で評価すれば、日本は世界でもトップクラス。しかし、GDPが継続的に成長していることは、良い国かどうかの、最低限の必須条件である。

B君:さらに、
日本は、世界に対してどのような貢献をすべきか、という問いに対しては、「日本は、すでに文化、社会、経済を通じて、世界に大きく貢献をしている。さらに、戦後の日本は、平和で安定した民主国家を続けてきた。過去75年間、戦争を経験していない国でもある。しかも、日本は国連やPKO活動を通じて、他国を経済的にも、人道的にも支援してきた」

A君:それなら日本は何を新たにやれば良いのか、という問いに対して、ナイ教授の答は、「
すでに、米国も日本から多くの恩恵を受けている今後必要なことは、人の交流がさらに大切な要素になるだろう」。

C先生:それでは、
個人的な感想で、締め括ろう。「どう見ても褒められすぎている」と思うのだけれど、「人の交流が重要だ」という最後の結論が非常に正しい主張であることは確実だ。このところ、日本では、自国に篭る若者が多くなってしまった。これは日本なる国がダメになる前兆だと思う。もっと積極的に若いうちに外国語を多少で良いからマスターし、そして、海外での冒険旅行を体験すべきだ日本に篭り、いつもの仲間とだけ交流をしているといった暮らし方を続けると、結果として、日本という国の価値が下がる一方になって、再び世界から孤立し、戦争を仕掛けるような国になってしまう危険性が高い、ということを認識べきだ。
 世界全体を知ることは確かに不可能に近い。しかし、
「世界を体験して知ろう」と思わない人間は、「発想が貧困だ」としか言いようがない。日本では、国際派がまだまだ増える必要があるのだ。世界を体験すれば、その人の活躍の場が、日本国内でも増えるのだ。コロナ後、就職状況は恐らく極めて厳しい状況が続くだろう。それに勝つ一つの鍵は、「自分は国際派だ」と言えることのように思える