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   書評:キレイゴトぬきの農業論 
  11.09.2013
           久松達央氏の挑戦




 久松氏は、慶応経済学部の細田衛士先生の研究室の出身なので、エコプレミアムクラブの講演会などにも参加いただきていた。Facebookで発売を知り、発売前にアマゾンに発注した。しかし、久松氏から著書を贈呈していただいたので、2冊になった。長い正月休みに行う予定の図書大整理の際に、新しい1冊を家内に読ませてから電子化し、本記事を書くためにマーカーだらけになったもう1冊は永久保存の予定である。

 記録のために、一応、本書のデータ・内容紹介をアマゾンからコピーして記録しておきたい。

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)
久松 達央 (著)
新書: 208ページ
出版社: 新潮社 (2013/9/14)
言語 日本語
ISBN-10: 4106105381
ISBN-13: 978-4106105388
発売日: 2013/9/14

内容紹介
誤解1「有機農法なら安全で美味しい」誤解2「農家は清貧な弱者である」誤解3「農業にはガッツが必要だ」――日本の農業に関する議論は、誤解に基づいた神話に満ちている。脱サラで就農した著者は、年間50品目の有機野菜を栽培。セオリーを超えた独自のゲリラ戦略で全国にファンを獲得している。キレイゴトもタブーも一切無し。新参者が畑で徹底的に考え抜いたからこそ書くことが出来た、目からウロコの知的農業論。



以下、独断的書評である

 かなり特殊な農業経営者である。久松農園を称して、巨大な家庭菜園だとしているが、これは特殊な実態を的確に表現しているのだと思う。しかしもっとも重要な新規性は、農協が支配してきた農業の姿を根本から変える提案になっているからである。

 久松流の農業が、今後どこまで日本を支配することになるのか。今回の著書によって、その秘密が明かされてしまったので、非常に楽しみになってきた。農協を中心とする農業は、農協を含めた経済的な効率を高めることが目的の農業であるが、経済性の観点だけで競争をすると、当然のことながら、米国などの大規模農業にかなう訳が無い。

 環境屋の常識として、農業をある程度知っておくことは必須である。どちらかと言えば、投下する労働量当たりの生産量(重量)ではやや非効率だけど、高付加価値の農業製品・酪農製品が作られること。これが日本農業の生き残り策なのではないか、と以前から考えてきた。

 高付加価値農産物=有機農業産物という思い込みは、誤解であると考えてきたので、何か、別の解が必要だと思ってきた。

 今回、久松氏の著書によって、現実的な対応法が「農業解体新書」のような形で提示された。このように評価している。

 なぜ、高付加価値の新型農業が必要なのか。それには、農業というものの過去数十年の状況を知る必要があると思う。

 農業には多面性があるという主張もあり、単なる環境破壊であると見做されることは少ないが、地表を人間生活に適した様式に改変するという面では、あらゆる人間活動のうちで最大のものであったし、現在でもそうである。環境破壊としても過去を見れば最大の原因だったかもしれない。なぜ、過去形になっているのか。現時点では、化石燃料の使用による気候変動が、最大の環境破壊のようだからである。

 天然自然の土地にヒトが手を入れたという意味で、自然破壊が行われたのは事実である。農業の多面性とは、新しい景観を造り、同時に、自然をそれまでと多少違う方法で自然と人間との関係性を保護してきたことだが、これも事実である。

 20世紀後半の農業は、過去のものとも、また現時点のものとも性格が違っていた。例えば、農薬もヒトに対して、特に、使用者である農民にとって相当に有害であった。今後の農業は、それが業として成立するためには、再度変わる必要がある。

 肥料もこの時期に変わった。空気中の窒素を利用することは、豆類に寄生する根粒菌には可能だったが、これを人類が圧倒的な規模で行うようになったのが、丁度1950年頃からである。化学肥料の登場である。最初は硫安が、そして、硝安、尿素などが作られた。大量の化学肥料を投入することで、単位面積あたりの収穫量が増大した。それまで使っていた堆肥などの自然肥料だけの農業とは全く違った農業になった。これは農業が半工業化されからだとも言うことができる。

 農地の生産性、いわゆる単収が数倍も向上すると、世界の農業は大規模化へと向かい、日本では、耕地面積の減少と専業農家の減少という形になって影響が現れた。地球上には32億haの農業適地があるとされるが、現時点での利用率は半分程度でしかない。耕作放棄地が世界中で増えていることになる。

 米国の大規模農業の影響が無視できず、小麦、トウモロコシなどの穀物は、1人の農夫が1000人分の食糧を生産することができると言われるので、一人分の食糧のコストはかなり低下した。

 大豆も同様で、ブラジルではこれまで70名ほどが必要であった耕地を、今では一人の農夫で世話できるという状況になっている。これは、遺伝子組換え大豆のためである。豆類は根粒菌によって空中の窒素を植物が吸収できる形に変えるので、他の植物にとって、豆畑は栄養に富んだところである。当然、雑草が増える。この雑草を抜くために、多数の農夫が必要だったのだが、遺伝子組換え大豆ならば、ラウンドアップなどのグリホサート系の除草剤を散布すれば、遺伝子組換え大豆以外の植物は生育に必要なアミノ酸を作ることができなくなって、枯死してしまう。

 このような世界的な動向からか、普通の作物は高く売ることができなくなった。そこで、無農薬、無肥料、自然栽培という価値を付加することによって、高く売れる農作物が作られるようになった。

 すなわち、無農薬、無肥料、自然栽培という栽培法の付加価値を説明する必要があったのだが、そこで使われた方法が、農薬は有害、化学肥料は環境破壊、自然栽培である有機農業で作った野菜は美味しいという神話であった。

 これの有機神話は、現在の健康食品の場合に似た状況だったとも言える。先週の記事に書いたように、コンドロイチン硫酸を摂取したところで、高齢者の膝関節の軟骨が再生されることにはならないのだが、それを誤解させることで、価値を高めようとしている。

 有機農業の野菜は、健康に良い。農薬を使うと奇形の野菜ができる。自然農法だからこそ美味しいものができる。このような主張が誤解に基づくものである可能性が高い、と考える人間は、『有機』=価値とする人々にとって迷惑な存在であり、奇人・変人扱いされることが普通であった。

 すなわち、有機農業を否定することは、ある種の人々にとって、タブーであった。原子力村の安全神話みたいものであった。

 ここから、やっと書評に取り掛かる。

 この有機神話を久松氏は、第1章で木っ端微塵に粉砕してみせる。しして、「有機だから安全」、「有機だから美味しい」、「有機だから環境にいい」からなる「有機農業三つの神話」が飛び散ってしまった。

 しかし、ここまでの記述であれば、実は、誰にでも書けることである。なぜならば、有機農業が神話であることは、事実だからである。

 この本の価値は、したがって、有機神話粉砕にある訳ではない。とは言え、「有機だから美味しい」をどう粉砕するか、これは現実に美味しい野菜を提供している人だけに説得力をもって語ることができることである。久松説、すなわち、「野菜の美味しさの三要素」を満たした野菜が美味しい、ことを実証しなければならないからである。

 この三要素は、旬、品種、そして、鮮度。こう言われれば、極めて常識的な答えだから、誰も反論できない。

 しかも、さらに圧倒的な説得力を持つことが、「有機農業三つの神話」を正真正銘の神話だとしながらも、実は、久松農園では、有機農業を行っていることである。これが、さらに高度な説得力をもつ。

 しばしば有機野菜に関して言われている「虫が喰っているくらいの野菜の方が健全で美味しい」のは、全くの嘘だと断定している。その理由も明確で、経験上、「野菜は弱い個体から病害虫にやられる」が、「弱い野菜は健康だとは言えない」。「健康でない野菜が美味しいことは考えにくい」。「有機栽培をすれば、健康な野菜が選別される可能性が高い」。

 このような第1章に続いて、なぜ今の野菜はそれほど美味しくないのか。それが第2章の話題である。

 個人的には、第1章の話は、これまでもっていた知識に近かったので、同意しつつ「これが本当だよ」、と思って読んだ。しかし、第2章は、かなり衝撃的であった。p38に出てくる、ホウレンソウの東京都中央卸売市場の月別入荷量のグラフが、まず大衝撃であった。1968年頃、ホウレンソウの7月、8月入荷量はゼロだった。それが、今や、年中入荷している。

 やはり夏場のホウレンソウは美味しくない。これが、久松氏の判定。

 なぜ、ホウレンソウが年中売れるのか。それは、皆が栄養バランスを考えるようになってから。すなわち、緑黄色野菜には年間を通じてニーズがあるから。

 これでは、消費者がまずい野菜をわざわざ作らせているようなものではないか。

 しかし、やはり季節外れの野菜を作るには、技術が必要。「やや乱暴に言えば、上手な農家ほど美味しくないものを作っている」という構造なのだそうだ。これは衝撃的だ。

 商業主義も味をダメにしているようだ。コンビニのおでんに使われる大根は、確かに煮崩れしたら売り物にならない。だから、味は二の次で、煮崩れしない大根が普通になってしまった。

 「トロっと煮崩れる大根のあの食感と甘さ」を本当の美味しさだと言う。これを読んで、突然、おでんが食べたくなってきた。

 もう一つ。売り場で長持ちさせる技術が開発された。それがコールドチェーンと呼ばれる冷蔵輸送技術。しかし、これが見た目の新鮮さは保つものの、美味しさは落としてしまう。

 野菜は生き物である。収穫後も生きている。それにはエネルギー源が必要で、野菜が体内に蓄えた糖分を消費して生きている。いくら、温度を下げて、仮死状態にしても、生きている限り、どうしても糖分を消費する。これが薄味になる原因だという。これも考えてみれば、「真実そのもの」である。衝撃!!

 夏の小松菜は生育がとても早く、収穫適期は3〜5日しかない。しかし、スーパーなどに収めるには、これでは不可能。それならどうしているのか。その答えは、「ちょうどいい大きさでまとめて収穫してしまって、大きな冷蔵庫でごく低温で管理する。すると、2週間以上にわたって出荷できる」。

 トマトには「完熟トマト」という言葉あることの裏返しで、普通のトマトは、未熟なときに収穫して、「追熟」を行う。バナナ、みかん、洋梨などの果物では、追熟をコントロールする技術が発達しているため、随分と早い段階で収穫してしまう。

 これでは、野菜・果物に味を求めるのは無理だ。

 ということで、個人的には第1章は、まあまあフォローできるだけの知識があったのだが、第2章は、新規知識の連発銃を食らって、衝撃の連続だった。

 第3章から第5章は、久松農園の状況などを語っている部分で、これから農業をやろうと思っている人には必須の情報が詰まっていると思う。しっかりと学んで、高付加価値農業を目指して貰いたいと思う。

 第6章は「ホーシャノー」がやってきた。
 これは福島第一原発事故の影響で、風評被害を受けた久松氏の記録。

 しかし、消費者に対して、すごく優しい。第6章の後半部で、「食べたくない消費者が存在することは、消費者の権利であり、当然のことだ」、という聖人君子としての見解を述べているのは、果たして最初から本音だったのだろうか。

 実は、腹わたが煮えくり返っていた時期があったのではないか、と思いつつ再度読みなおした。

 そして、ちょっと戻ったところに、次のような文章があったことを発見した。どうも、きちんと全部の文章を読んでいなかったようだ。

 「冷静で科学的な議論を放棄し、根拠のない誹謗中傷をばら撒く人が多いのは嘆かわしいことです」。「ただの無知による意見はまだしも、危険を煽ることで利を得ている確信犯の「専門家」や「関係者」の存在は、絶対に見過ごせません」。「このような状況が改善され、多くの人が科学的な知見をもとに議論をして、冷静は判断をするようになるのが望ましいのは、言うまでもありません」。

 正にその通りだ。メディアはさらにずるい。自分の記事を新聞、雑誌に乗せるためなら、信頼性が皆無だが、世の中にインパクトがある発言する人を探し出し、その人へのインタビューを記事にすることで、一発衝撃のある記事で稼ごうという記者が余りにも目につく。あの朝日の週刊誌が最悪の実例であった。

 第7章は、「新参者の農業論」で、最終章である。農協に支配され、商業主義のスーパーなどによってコントロールされている日本の農業がもっている「常識」が破壊される記述は、今後、日本が目指すべき高付加価値農業にとって、極めて重要な貢献になっていると感じた。

 さて、まとめをしてみたい。

 現在の日本の農業に必要なこと、それは「勝てる農業」である。

 日本の農業に対してTPPは逆風となるだろう。もっとも影響が大きいものが、サトウキビやサトウダイコンのような糖作物で、これらはダメだろう。なぜならば、砂糖は成分が純粋すぎて、誰が作っても同じである。すなわち、差別化が難しい。一般に、差別化は、微量成分の違いで行うのが普通だからである。生乳を除く乳業もむずかしい。

 日本のバター・チーズは、欧米の本物の真似でしかないから。これが理由である。やはり、ほぼゼロになるだろう。岡山県の吉田牧場のような完全手作りチーズは、当然、生き残るが、これまた農協方式とは全く逆方向の経営である。量産品では、カルピスの無塩バターあたりがギリギリのところなのではないか。先日、青山のマノワール・ディノで食事をしたが、出てきたバターが輸入モノの岩塩を混合したバターと、カルピスの無塩バターだった。レストラン業界でも恐らく高評価なのだろう。

 野菜は、鮮度が命なので、中国産はハンディがある。しかし、冷凍技術で誤魔化す手法がさらに進化すれば、輸入モノも一見すれば、新鮮な野菜に見えるだろうから、野菜の自給率も下がってしまう。

 これを防ぐには、一般市民が、野菜の正しい味を認識しなおす必要がある。それには、久松氏の言う「野菜の美味しさの三要素」=「旬、品種、そして、鮮度」が真実であり、これが商品価値であることと同義であることを再認識する必要があるだろう。

 となると、TPPでも勝てる農業を実現するためには、農協の存在は却って邪魔だという結論になる。これが、全農がTPPに反対している最大の理由だと、個人的には解釈してきたが、「キレイゴトぬきの農業論」を読んで、ますます確信を深めた。

 是非、一読されたい。この書評は、最初に述べたように独断的である。どのような読者でも、必ず、衝撃を受ける部分があるに違いない。それを実体験していただきたい。