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  被曝の不安をどう解消するか
   01.22.2012



 1月19日の朝日新聞一面トップが、「福島の食事、1日4ベクレル」というものだった。

 朝日新聞にしては、画期的な記事とも言える情報であるので、やや詳しくご紹介。

 福島、関東、西日本の53家族を対象に、朝日新聞社と京都大学・環境衛生研究室が共同で調査した結果で、福島県では3食で4.01ベクレル、関東地方で0.35ベクレル、西日本ではほとんど検出されなかった。

 4月から適用される国の新基準(注:食品安全委員会によるもので、一生で100mSvという奇妙なリスク超過大評価な基準)と比較しても、その1/40に留まっている。

 福島の家庭でもっとも多かったのは、1日あたり17.30ベクレルで、この水準でも、年間推定被曝は0.1mSvで、新基準の1/10程度になる。

 食品には自然放射能としてカリウム40が含まれており、その自然放射線による年間被曝線量は、0.2mSvで、セシウムによる被曝線量はこれを下回った。

 1963年から2008年まで文部科学省が調べていた同様の調査では、60年代に米国、旧ソ連、中国が大気圏内で核実験を盛んに行なっていたことから、日本の食卓に含まれていたセシウムの中央値は1963年で2.03ベクレルだった。今回の福島の水準は2倍程度と言える。  以上。


 最後の朝日の結論が正しいかどうか。参考のために、付録にデンマークにおける大気圏内核実験によるフォールアウトによる食事中の放射線量、セシウムとストロンチウムを示す。このデータの示す1963〜1965年ごろの食事からの内部被曝量は、福島の現在よりも確実に多い。

 さて、今回の話題は、このような新しい情報が出て、これが広まれば、福島の母親の不安は解消されるのか。

 Facebookで知り合った福島県田村市の半谷氏との会話で福島県の状況を聞けば聞くほど、国が信頼されていない状況では、不安は解消しないのではないか、という感触が消えない。

 厚労省の食品安全委員会と文科省の放射線審議会の態度が全く異なるようでは、いくら食品安全委員会が規制を厳しくしても、国としての信頼を回復することは不可能なのではないか。

 食品安全委員会の結論は、委員会主導というよりも事務局主導になっているようで、言い換えれば、政治的な決定を委員会の結論として国民に押し付けようとしているようである。

 信頼できる国・政府に変わることが大前提なのだが、それが望めない現在、どうやって不安に対応する施策などを考えるのか、ということについて、考えてみたい。



C先生:福島の現状を冷静に解析すれば、今回のこの調査のように、放射線の被曝量は少なく、被害が発生するという予測することが難しい状況だ。むしろ、被曝による直接的被害はでないと推測することが容易である。例外的に、ヨウ素131による影響があるかもしれない。完全に把握する以前に、半減期が短いため、すでに消滅したため推定するのも難しいが、それはそれで、健康診断の強化によって対応が可能だと思う。
 しかし、問題は、このような安全情報が出たとしても、不安が解消されるとは限らないことなのだ。いまさらのごとく、しばらく前までの科学技術基本計画の標語だった、安心・安全な生活ができる国を作ることの難しさを考えざるを得ない状況だ。

A君:「安心・安全」の説明としてはこれが短くて良いですね。文部科学省のページですが。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/06032816/001/001/004.htm
 要するに、第3期の科学技術基本計画は、第2期の基本計画の理念であった「3つの理念」を継承したのですが、その3つとは、

理念1:人類の英知を生む
 −知の創造と活用により世界に貢献できる国の実現に向けて−

理念2:国の源泉を創る
 −国際競争力があり持続的発展ができる国の実現に向けて−

理念3:健康と安全を守る
 −安心・安全で質の高い生活のできる国の実現に向けて−

となっています。

B君:話題は理念3なのだが、理念そのものには安心という言葉がないにも関わらず、その副題には安心が安全の前に入っている。これは、この安心・安全という言葉のもつ意味と、それをいかに達成するかについて本気で検討した訳ではなくて、単なる言葉の遊びであったことを示している。

A君:本来であれば、安心と安全とはどのように違うか。安全だけ確保すれば安心が自然に付いてくるのか、こんな検討が不可欠なのですが、それをサボった。

B君:日本全体の方針を決める科学技術基本計画ですらこの始末なので、多くの場合に、安心という言葉が何を意味するのか、どうやって安心というものを感じてもらえるのかどうか、その厳密な検討は行われていないと言える。

A君:安全とは、客観的に評価ができるものですが、安心というものは個人の心情に関わるものなので、客観的な評価は不可能です。個人的な心の中身ですからね。

C先生:その通りなのだが、だからといって、安心を感じてもらう方策を考えないのは怠慢でしかない。国・政府が信頼されることが条件だということは共通理解なのだが、それがもはや無理だとしたら、一体、どうやって不安を解消して貰うのか、その検討をすべきなのだが、一向に、そのような方向での検討が行われない。

A君:それでは、まず、似たような過去の実例を若干検討しますか。

C先生:多分、文字数を考慮するとそんな余裕はなさそうなので、単行書がないか、そこでどのような記述がされているかを探るという方向で行こう。その中で、過去の実例を若干取り上げるという方針。

A君:了解。やはりこの分野は、心理学の世界なので、心理学で不安解消というものがどのように議論されているのか、を探るべく、単行書などを調べて見ました。
 アマゾンで、”不安解消 心理学”と検索してみると、「恋愛セラピー」とか「シンプル思考法」とか、「風水」とか「瞑想法」とかいった本ばかり。香山リカさんの本はあるけどスキップとすると、該当する本が無い。不安を解消することをきっちりと議論されている本は無いのではないか、と不安になりました。

B君:不安解消というキーワードだからダメなのでは。単に”不安 心理学”でやるべし。

A君:了解。結果は、どうも古い本が多いのと、最近の本だとどうも不安障害といったスタンスからの本が多いようで、ちょっと違うか。その中では、加藤諦三氏の本があるのですが、これは読者評からみると、いささか我々の目的とは違うようです。そのうち検討するには良いかもしれない。

B君:それなら、不安の解消は安心するということなのだから、安心をキーワードとするとどうなる。

A君:了解。この方が確かにまともなキーワードのようで。まずは、中谷地一也先生の本、「「安全、でも安心できない」が出てきます。北海道大学の山岸俊男先生の本が2冊。一つは、「安心社会から信頼社会へ」、もう一つが「日本の安心はなぜ、消えたのか」。さらに、海保博之、宮本聡介両氏はやはり心理学者で、「安全・安心の心理学」。でも、こんなもので全部のようです。

C先生:その山岸俊男先生の「安心社会から信頼社会へ」は、そこの本棚にある。なかなか面白いので、ちょっと勉強して、これから紹介したらどうだ。

A君:個人的にまだ読んでいませんので、それではそうしますか。今後、他の本も順次ご紹介ということで。

C先生:安心を得る方法などが、色々と分類されていて、なかなか面白い本ではあるからそうしよう。

.....................

A君:読みました。安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書) 、山岸俊男著、発売日:1999/06 という本で、このところ売れているようです。

B君:はじめにの最初の文章が、こんなものだ。
 人を信じることは、おろかなお人好しのすることでしょうか。それとも逆に、誰も信じないで「人を見たら泥棒と思え」と思っている人こそ、愚かな人間なのでしょうか。この本は、この問を出発点としています。そして、その答えは、我々自身がつくりだしているのだという結論にたどり着きます。

A君:指摘されているように、これまでの言わば伝統的日本社会の中では、信頼という言葉が余り必要でなかった。他人を信頼すべきかどうかを考える必要性が少ない社会だった。しかし、今や欧米並になったというか、場合によっては、国・政治の状況が大きく変わって、ほとんど信頼ができない社会になってしまった。

B君:しかし、戦後の日本という国は、リスクという概念の無い国であったと言っても過言ではないほど平和な国であり、ときに、台風とか地震とか津波といった自然災害は確実にある。しかし、自然の脅威というものには、最初からある種の諦めというか悟りがあるのが特徴の国だった。

A君:自然災害は受け入れる。それは自然というものの脅威だから。逆に、食品でも自然食であれば、それが安全でないことを知ってか知らずか、受け入れる傾向が強い。自然農薬についても、木酢液のように、科学的な知見で判断すれば、決して安全でないことがわかっているものでも、安全だと判定しがち。こんな特徴のある国でもある。

B君:一方で、農薬のような人工物については、リスク管理が相当のレベルでなされているにも関わらず、危険だと思う人が多い。

C先生:そこには、かつて水俣病などの公害問題があったため、政府・産業界は信頼できないという報道や運動が多く行われ、教科書までそのようなスタンス書かれていた。

A君:一つは、教育も悪いですね。2004年の話ですが、それまで高校の教科書で「ダイオキシン汚染」、「環境ホルモン」が取り上げられていたのですが、文部科学省の教科書検討で「高校生には難解」「不必要」という意見が付いたために、取り扱わないという決定をした。

B君:この決定に対して相当の反対をした人たちがいた。いまでもWebを探すと、そんな記述が見つかる。例えばだが、
http://www.natureinterface.com/j/ni09/P88_89/
 どうも、乳がんもダイオキシンが原因だと思っているような記述だ。

A君:当時から、ダイオキシン汚染は、メディアが恐怖感をばらまいていて、真実のリスクを相当に過大評価するバイアスが掛かっていると、このWebPageでは主張してきたのですが、やっと最近になって、社会でもダイオキシンが怖いとは思わなくなったのではないでしょうか。なんといっても、量が少ないので。

C先生:このような科学的事実をきちんと理解すれば、本当に怖がるべき対象と、そうでもない対象との区別は付くのだが、それを社会全体に広めるということは不可能に近い。なぜならば、科学的な知識をもって、かなり深いレベルから理解する必要があるからだと思う。

A君:これに類似した例として、山形先生の本では、こんな記述があります。
 原始人は、日蝕が起きると、「これは大変だ、太陽よ復活してくれ」、といって大騒ぎをし、神に祈った。しかし、現代人で日蝕が大変だといって騒ぐ人はいない。

B君:確かに面白い例だ。しかし、さらに細かい分析が必要なのではないだろうか。それは日蝕という現象が科学的に分かったから、ということで、多くの人々が大変だと思わなくなったのか、それとも、誰も騒がないので、怖いと思わないようになったのか。

A君:まあさすがに日蝕がなんで起きるかについては、ほとんどすべての人が知っているのではないでしょうか。
 しかし、もしもメディアが嘘を付いて、この次に日本で起きる金環日蝕、それが今年の5月21日で、東京では7:34:33ですが、このとき太陽は特別の状態になるから、日蝕から復帰するのに丸1日掛かると報道したらどうなりますかね。

B君:2012年終末予言だけで、結構あるから、信じる人も出るのでは。

A君:かつてのノストラダムスの予言は忘れられている。

B君:まあ正直な話、日蝕程度の簡単な機構であれば、流石に騙される人はいないだろう。それに、過去何遍も日蝕があって、そんな妙なことになったという例はないという歴史的検証も済んでいる。この歴史的検証ということが非常に重要だと思うのだ。

A君:キーワードとして記録しますか。科学的理解、歴史的検証。現時点で2つ。

B君:放射線被曝についても、我々は、すでに歴史的検証が済んでいると思っている。チェルノブイリでの影響は、残念ながらデータにならないが、広島・長崎のデータは、調査対象とした人数が8万2千人という大規模調査が行われた。そのため、統計的な処理が可能になった。
 白血病が1950年から1975年までに70例、1985年までに80例。そして、その他のがんが、1950年から1975年の間で、放射線のために過剰に発生したと考えられる数が135例、1950年から1985年だと260例。統計の母数が8万人以上と多いから、かなり少ない過剰発症数であるにも関わらず、解析がなんとか可能だった。

A君:しかも、ICRPという組織は、自ら過小評価を決してしないことを方針としていて、実際、勧告をどんどんと強化している。現時点の規制値が、決して広島・長崎のデータを過小に評価したものではなくて、かなり過大なものになっているのも事実だと思います。

B君:この間のNHKの番組では、ICRPは、政府など原発推進団体の代表から構成されているので、信頼できない、という報道だったが、原発の従事者がもし被曝で死亡したら、それこそ原発を維持できなくなることをもっともよく知っている人達から構成されていると言うべきだ。だから、リスクを過大に評価するのだとも言える。

C先生:そうなのだ。その組織がどのような意図をもっているのか、それをきちんと理解しなければならない。これも山形先生の本にも書かれてることなのだが、ある組織を信頼できるかどうかは、その組織の能力と、その組織の意図の2面で評価すべきだと指摘されている。

A君:能力と意図ですね。これは極めて重要なことだと思います。ICRPの意図がもしも原発の持続的維持だとしたら、より高いレベルで安全性を確保しない限り、その意図を実現できない。

B君:もし非常識に安全を追求すれば、原発従事者の被曝限界を相当低めに設定することになる。ところがそうはなっていない。それは、それこそ、これまでの歴史的な検証によって、年に2回程度の精密な健康診断を行うことによって、被曝量が多い原発従事者でも、その寿命を一般人よりも長くすることができることが分かっているからなのだ。
 現時点での通常時における原発従事者の被曝許容限界は、一般人よりもかなり高く設定されているが、この数値でも、決して致死的発がんは増えないという数値だと理解すべきな値なのだ。
 具体的には、男性だと、100mSv/5年以下、かつ、50mSv/1年以下。女性だと5mSv/3ヶ月以下。

A君:ただし、今回の福島事故に関しては、他の人では代わりが務まらないような高度な知識や経験を持っている人がいるからという理由があるからなのですが、緊急災害復旧作業として、累計で250mSvを上限とする設定になっていますね。もしも250mSvを一気に浴びたら、致死的ながんは統計的には有意で増えるでしょう。累計ということは、ここまで被曝したら、その人はもはや現場には出られないという数値ですから、業務上必須の人がそのような状況になることを許容することは考えられない。相当、慎重に累積値をモニターしていることでしょう。

B君:ちなみに、一般人の場合には、よく知られているように、1mSv/年。

A君:キーワードとして記録しますか。ここで、組織の能力・意図、という言葉を追加。科学的理解、歴史的検証に加えて、ここまでで3つ。

C先生:安心を得る次の方法に行くか。山形先生の例だと、「マフィアの親分は、部下が裏切らないと、なぜ安心していられるのか」。

A君:マフィアなどという組織であれば、裏切りは日常茶飯事に起きても不思議ではない。しかし、マフィアの親分は、部下が裏切らないと信じていられる。それはなぜか、という話しです。

B君:これはなかなか面白い。答えは簡単で、「死の掟」があるから。

A君:確かにそうも言えるのですが、ボスが裏切り者に殺されてしまえば、ボスが交代して新体制になるので、死の掟も機能しない、という場合があると思うのですが。

B君:まあその通りだが、そこまで厳密に議論しなくても良いのではないか。

C先生:死の掟があるのがマフィアの世界だから、ボスは部下を信頼している。だから安心していられるというのは、なかなか皮肉も利いている。

A君:これをマフィアの世界以外に適用するとどうなるか。途端に、「難しいなあ」、ということになる。

B君:刑法では死の掟に相当する部分があるから安心しているというものでもなくて、多くの人は、誰も自分にそれほど強い恨みをもっていないから、自分を殺しに来る人はいないと思っているだけ。

A君:突然、街中で殴り倒されることに不安を抱いている人もいない。今の世の中だと、誰も助けてくれるということも無いと思うのですが。それほど悪い社会ではないと信頼しているのでしょうか。

B君:無差別な攻撃をする人がときどきいるが、確率的に出会うことは無いと思っているのではないだろうか。それに、多くの場合、刃物による殺傷なので、すなわち、目で見える方法なので、逃げられると思っているのかもしれない。

A君:オウム事件のときのように、サリンやVXなどの物質で、殺人が試みられていたのですが、刃物ではなく、見ない方法での殺人が頻発すれば、どうなるでしょうね。

B君:米国では、炭疽菌テロ事件というものがあって、2001年のことだが、テレビ局、出版社、上院議員に対して、炭疽菌が封入された封筒が送りつけられ、5名が死亡、17名が被害を受けた。これは、同時多発テロ事件の7日後に発生したもので、全米を震撼させた。

A君:アメリカでは、銃での殺人が相当の件数あるのだけど、だからといって「震撼」という言葉が使われる状態になるには、大量の殺人が行われた場合のみ。やはり、原因が見えないという方法での殺人に対しては不安が増大するようですね。

B君:放射線も見えないし、ダイオキシンも見えない。

A君:被害を与える存在が見えるか見えないか、これも不安を与える原因ですか。ダイオキシンよりも、放射線の方が簡単に見えますね。だから、放射線を見えるような機器を貸与するといった方法は有効かもしれない。
 これもキーワードに入れますか。これで、見えない危険を可視化を入れて、科学的理解、歴史的検証、組織の能力・意図、ここまでで4つ。

C先生:山形先生が挙げいるもう一つの不安解消の方法が、担保あるい保険は。担保は、今回の放射線のケースで言えば、健康診断に相当するのではないか。

A君:健康診断をしっかりやることは、がんへの対応策として、極めて有効なので、この効果をもっと説明することが必要なのでは。

B君:それに、最近では、がんの治癒がかなり可能になっているので、治療費の負担をする保険をつくることを表明すべきではないか。

A君:生命保険は、命を金に変換してしまう方法なので、適用するかすべきでないかをしっかりと考えないと、非難の対象になりかねないですね。

B君:しかし、それはそれとして、最後に頼りになる方法ではある。

A君:保険・担保的な補償も加えて、これで、科学的理解、歴史的検証、組織の能力・意図、危険を可視化、保険・担保的な補償と5つになりました。

C先生:すでに若干述べたように、BSEのときの全頭検査は、ゼロリスクに近い状況を実現するという方法論で、その効果はあったと言えるが、同時に、国産の牛肉を守るという効果があった。いや、むしろ、それが目的だったのではないか、と解釈している。無駄に税金を使ったという副作用以外には、悪影響を与えたのは、対米国の畜産業者だけだった。
 今回の場合には、何をどう操作して規準を作っても、決してゼロリスクにならないだけでなく、福島の農業・漁業を破壊し、福島というコミュニティーも破壊するという決して起こしてはいけない副作用がある。これが個人的に食品安全委員会の新規準に賛成できない理由だ。
 このあたりの議論は、松永和紀さんのこの文を読んでいただきたい。
http://www.foocom.net/column/editor/5500/

A君:ということは、ゼロリスク策は、今回不安を解消する策としては対象にすべきではないということですか。

B君:ゼロになる訳が無いのが放射線リスクなので、当然ということだろう。

A君:ということになると、今後、考えるべき不安解消策としては、次の5つ。
◆科学的理解の増進
◆歴史的検証の理解
◆ICRPという組織の能力・意図の伝達
◆危険を自ら数値として理解できる対応
◆保険・担保的な補償


B君:科学的理解の増進の中身をブレークダウンすると、恐らく、こんな風になるか。
◆科学的理解の増進
 ・放射線そのものの科学的理解の増進
  −半減期
  −ベクレルとシーベルトの区別
  −セシウムというもの
  −自然放射線
   *カリウム40
   *ラドン
   *トリウム
   *その他
 ・その影響と防御
  −白血病(血液のがん)と普通のがん
  −次世代に影響が伝達する心配はない

A君:具体的に一つだけ取り上げて、本日は、半減期。
 これが分かりにくいのではないか、と思うところは、物理的半減期と生体の生理的半減期があって、同じ言葉なのに、全く意味が違う。
 内部被曝のときには、セシウムが体内から排泄されるので、大人で大体100日。しかし、もっとも誤解されているのではないか、と予想しているのが、内部被曝の場合に、半減期がいくら100日と短いとはいっても、毎日摂取していると、どんどんと蓄積量が増えていくのではないか、ということ。

C先生:思い出せば、ダイオキシンの体内濃度の半減期が7.5年程度。毎日摂っても一方的に増えるのではなく、どこかで飽和するのだが、これを理解してもらうのが大変だった。

A君:それを放射線についてやると、特殊なケースだと思われてしまって直感が利かないでしょうから、銀行でやりますか。
 問題設定:変な銀行があって、預金をすると手数料が掛かり、100日たつと半額になってしまう。すなわち、半減期100日銀行というものがあるとする。この銀行に毎日1000円預金をすると、1年後、2年後、3年後、10年後の預金残高はいくらになるか。

B君:一年間の預金総額は、35万6千円。これが10年後にいくらになるか、か。

A君:そのグラフを作りました。図1のようです。こんな銀行だと、10年預金しても、100年預金しても、預金残高は14万5千円を超さない。


  円
 日
  図1:半減期100日の銀行に、毎日1000円預金したときの預金残高


B君:もしも1年後に、ちょっと本日だけ1万円の貯金をしよう、というと、どうなるか。

A君:それを先ほどのグラフと比較したものが図2。やはり、最終的には、同じ預金残高に収束してしまう。

  円

  図2:預金を開始して1年後に、記念日だからということで1万円預金した場合の預金残高


B君:ということは、1回や2回、かなりの高線量の食料を食べたところで、それがそのまま蓄積されないのが、半減期の効果なのだということが分かる。

C先生:残りの対策について簡単に説明して終わろう。
◆歴史的検証の理解
この意味は多様だが、放射線リスクについては、ICRPの勧告がどのように変わってきたか、その当時の科学的知識がどうであったかを絡めて説明するといったことで、これは済んでいる。
 ダイオキシンなどのような例もすでに歴史的検証をすることが必要なのかもしれない。
◆ICRPという組織の能力・意図の伝達
 これは今述べたこと。
◆危険を自ら数値として理解できる対応
 これについては、高性能の放射線測定器を一家に一台貸与したらどうだろう。食品の測定は非常に難しいが、それでもなんらかの目安として得る目的ぐらいなら、何か測れるのではないか。
◆保険・担保的な補償
 ここは、すでに実施されることになっている定期的な健康診断に加えて、白血病や甲状腺がんの場合の医療費は無料にすること。これらに罹病したら見舞金を出すこと、万一の場合には、高額の保険金を受け取れる保険を作り、保険金は国が払うこと。
 その他のがんの場合には、対応が難しいが、50歳以前に発病した場合には、なんらかの補償金を払うといったことが可能ならば良いのだが。
 保険金の話をすると、欧米ではすんなりと認められるのだが、日本だと命を金で補償することはできない、といったWetな反応が来る。しかし現実社会では、これが唯一の方法であるのも事実なのだ。



付録:大気圏内核実験にデンマークでの食品中の放射線量。