-------


    理系と文系の溝 追補  
  12.28.2013
           その1:英米との比較  その2:福島県での甲状腺がん調査




 先週にアップしました、理系と文系の溝について、Facebookの環境学ガイドでかなり多くの方から、ひょっとしたら、過去最高数のコメントをいただきました。ご意見はいろいろでしたが、必ずしも理系と文系の溝ではないにしても、なんらかの溝があるとお考えの方が多いような感触でした。

 今回は、その追補です。ある報告書を見ていたら、なんとも深刻なアンケート結果が出ていたので、ご披露したいと思います。

 報告書は「日・米・英における国民の科学技術に関する意識の比較分析−インターネットを利用した比較調査」2011年3月、文部科学省科学技術政策研究所、
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat196j/pdf/mat196j.pdf
というものでして、2つのデータが気になりました。

 まず、最初のデータですが、科学技術の基礎的概念理解度の平均正答率の比較、というものです。

 質問は以下の通りです。正しい、誤りの二択で答えるものです。

1 植物は、我々が呼吸に使っている酸素を作っている
2 大陸は長い期間をかけて移動しており、これからも移動するだろう
3 地球の中心部は非常に高温である
4 全ての放射性物質は人工的に作られたものである
5 現在の人類は原始的な動物種から進化したものである
6 赤ちゃんの性別を決めるのは父親の染色体(遺伝子)である
7 電子の大きさは原子の大きさより小さい
8 ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた
9 抗菌剤はバクテリア同様ウイルスの増殖も抑える
10 レーザーは音波を集中して得られる


(注):5の問は、図6によれば、5 現在の人類は原始的な動植物から進化したものであるとなっているが、
これは、発行者によるミスプリと思われた。そこで、英語訳がないかと探したところ、
http://ec.europa.eu/public_opinion/archives/ebs/ebs_154_en.pdf
が見つかり、5の英語訳は、Human beings have evolved from older animal species. でしたので、ミスプリが確定できました。


 次の図のような結果です。



図 質問が1〜10と、その正答率の比較 ちなみに、正解は、本記事の最後に掲載してあります。

 全問平均の正解率は、日本がやや低いものの、それほど大きな差があるというようには思えません。いささか気になるのが、日本の女性平均が英米より一段と低いことですが。

 個別の傾向を見てみると、問題1〜4までは、それこそ差がないのです。問題5と6は、米国が特異な国であることを示しています。

 問題5は、キリスト教原理主義者が認めない事実なので、共和党の支持者のかなりの割合が否定的なのだと思います。

 問題6は、米国では、大学の初年度で、バイオテクノロジーの初歩の部分を理系、文系の区別なく教えると聞いているので、そのために米国だけちょっと成績が良いのだと思います。

 そして、日本の特異性は、問題7:電子のサイズ問題8:人類史問題9:細菌とウイルスとの違い問題10:レーザーの4問にあるようです。これらの質問は基礎的概念とされていますが、日本人にとって、これら4問は基礎的ではないということなのでしょう。中学・高校での科学教育の狭さを象徴しているようにも思えます。

 そして、もう一枚の図が、さらに深刻なのです。



図 科学技術に関する情報の入手手段と利用者の満足度

 まず、情報入手手段がテレビのニュースドキュメンタリー番組インターネット新聞の記事が50%を超えているだけで、科学技術情報を得る手段が限定的すぎるということが、大きな問題です。

 もっとも問題なことが、50%以上の利用者が使っていて、満足度が50%を超す手段が、ドキュメンタリー番組とインターネットの2つしかないことです。

 その一つは、ドキュメンタリー番組ですが、当然、数は極めて限られていると思います。たしかにBBSのドキュメンタリーはかなり高度なものがあります。NHKにもっと頑張ってもらわないと。

 もう一つのインターネットは、情報の質がまちまちですから、どれが信用できるかを見抜く力がないと、誤った情報を得ることになります。初級者にはお薦めしにくい情報源です。

 もっとも利用率が高いものがテレビのニュースですが、それほど科学技術情報を出しているとは思えないのに、それが情報入手手段としてもっとも使われているということも、情報の貧困さを反映していると思います。日本では、民放が科学技術情報を伝達するニュース番組を作ることは考えられませんし。

 日本では2つしかない利用者と満足度が共に50%を超す手段ですが、米国と英国ではいずれも7つあります。

 特に驚くべきことが、家族・友人の話が両国とも入っていることです。日本では家族・友人の話は、利用度、満足度ともに30%程度です。英米では、普通の人が科学的な知識があるだけでなく、説明がしっかりできる程度以上の知識を持っていると言えるように思えます。

 満足度に着目してみると、新聞の広告テレビのコマーシャルに対する満足度が大きく違うことが分かります。恐らく、日本のコマーシャル・広告は、事実を伝えるというよりも、むしろ消費者の感性にのみ訴えるものなのでしょう。場合によっては、事実を隠してでも、なんとなく良さそうだと思わせればそれで目的達成という作り方がされているのでしょう。

 これに関して最近気になるのが、大幸薬品のクレベリン(大気拡散型の除菌剤、成分は二酸化塩素)でして、情報をしっかりと提供し、効用と悪影響とのバランスをしっかりと認識してもらってから使うようにアドバイスをすべきだと思うのですが、なんとなく良さそうと思わせるだけの広告になっています。

 同じような機能をうたうシャープのプラズマクラスターイオンは、効果はほぼないので、健康上の問題も当然無いと思うのですが(全く別の重大問題はありますが)、クレベリンは効果をもっている可能性があるので、人体への悪影響もしっかりと認識すべきだと思います。

 雑誌等の記事の満足度が下がっているのは、なぜなのでしょうか。読者がいなくなって、適切なレベルの雑誌が消滅したのか、適切なレベルの雑誌が消滅して、読者がいなくなったのか、どちらなのでしょうか。

 大学や研究機関の公開も、英米に比べると、利用度で1/3、満足度で1/2といったところでしょうか。

 単行本、書籍に関しては、日本の利用度は英米の1/3以下なのですが、もっと理解しやすい単行本なら売れるということなのでしょうか。個人的な感覚では、そう楽観的ではなくて、日本人は本を読まない民族のような気がしています。

 欧米に行くとき、飛行機の中でやたら分厚い小説を広げている欧米人が多いですが、日本人は小さな本(新書・文庫)を読んでいるケースが普通のようです。平均的に欧米の小説の方が厚いと思います。(本は重いので、単に体力の違いという解釈もありえます)

 以上をまとめますと、日本人は科学技術に関する情報を得ることができず、得たとしても、当然ながら満足度が低い。これが文系と理系の溝と関係があるのかないのか、どう考えるべきなのでしょうか。

 このような状態になった理由を考えてみますと、その根底には、受験重視社会(あるいは受験のみ重視社会)があるように思います。高校教育が大学受験のためにあって、大学は大学受験の勉強疲れを癒やすところ、という理解を許容している社会的な構造が問題なのではないか、と考える次第です。

 さすがに、受験重視社会も近々終わりを迎えることと思いますが、それに変わる社会において、どうやって英米程度の文理近接型の社会を作るか、これは、日本という国の未来を決めかねない重大な問題だと思います。


正解
 1-正、2-正、3-正、4-誤、5-正、 6-正、7-正、8-誤、9-誤、10-誤





もう一つ追補です。最初に記述しましたように、Facebookの「環境学ガイド」のページで様々な議論をいただきました。その一つのコメントを返答をしましたが、それは、物事の認識に関する分類です。こんな風に考えているということです。

 題して「認識と事実について」

 事実というものがアプリオリに存在しているという前提で話をすることは『”真”の文系』はしないのでは。「事実とは何か」、「事実とは本当に事実なのか」、「事実は個人によって違うのではないか」、といった議論になって、『事実』それ自体も認識の対象とされていると思います。

 認識に対する態度として、少なくとも、次の三種類があるように思います。

タイプ1.なんらかの現象を人が体験あるいは観察したとき、ある仮説を立て、その現象をどこまで説明できるか検証し、そしてこれが自分の感覚に合う主張すべき意見だと認識する。これは広義の科学的認識法に分類されると思うのですが、この場合に、仮説を作る際に何を根拠とするか、という前段階の認識に個人差があって、結論が違うということになります。しかし、前段階の認識になると、科学的説明が可能なことが多くなります。

タイプ2.あるいは、色々な人々の意見を受け身で聞いて、なんとなく納得できるという理由で、自分の意見はこれなのだと認識する。
 これが、半谷さん(実名を出してしまいました!)が分類している「決めて欲しい人」の定義の記述でもあります。

タイプ3.先に結論があって、それ以外の結論に至る認識法を採用しない。
 この最後のタイプ3は、人文科学、社会科学の分野でも、『科学』と名乗る以上、やってはならないことです。

 半谷さんの分類している「決めたい人」(決めつけたい人を含む)は、タイプ1の人とタイプ3の人から構成されていると考えられます。

 23日の朝日新聞社会面(22面)に、福島の子どもの甲状腺がんと被爆との関係の記事が載っています。

 観察されたことは、「甲状腺検査は事故当時18歳以下を対象に行われ、9月30日現在で、約23万9千人のうち、59人ががんやがんの疑いと診断され、1人は良性だった」。

 県立医大の鈴木真一教授は、これまで見つかったがんやがんの疑いのある例について、「被爆の影響とは考えられない」。

 岡山大学の津田敏秀教授は、国内のがん登録の結果から、10代後半から20代前半の甲状腺がんの年間推定発生率は、「平均(1975年〜08年)は100万人あたり5〜11人」と指摘し、「福島の子どもの甲状腺がんの発生は数倍〜数十倍高く、多発と言える。今後さらに増える可能性もあり、今のうちに対策をとるべきだ」。

 津田さんの指摘に対し、県立大学の大平哲也教授らから、福島の検査と「がん登録」と比較するのは科学的に不適切などと批判がでた。

 さて、この調査結果と3つの異なる意見(認識)をどのように評価したら良いのでしょうか。

 ところで、「がん登録」は、病院を受診した人を対象とする統計で、同一人物の同一腫瘍が複数の病院を受診したことによって重複登録されることを避ける仕組み。要するに、なんらかの自覚症状があって、病院を受診した人が対象。一方、福島の検査は、全員が検査対象になっている。すなわち、統計の母集団が全く違う。

 ということで、以下、個人的見解です。

 津田教授は、疫学者としては考えられないほどの超々基本的な過ちを犯していることになります。それでも教授というポジションがあることは、恐らく、上記の認識の態度の分類では、タイプ3の人だろうという推測が成り立つように思います。このタイプ3の人には科学者は無理で、本来、政治家が適しているのでは。