IPCCの信頼性回復をめぐって   09.26.2010  




この一週間ほどでの新体験の報告。

(1)秋田新幹線、盛岡から秋田まで初乗車
 この区間で最高速が出るのは、トンネルの中。理由は、多分、曲がりが少ない。地図で見ると真っ直ぐ。
 もう一つ。珍しくはないが、大曲から秋田まで、進行方向が変わるのだ。

(2)乳頭温泉郷黒湯温泉に宿泊
 時代が40年ほど戻った感覚。朝の気温は7℃と冷え込んだが、部屋に暖房がない。もっと驚いたことには、部屋にコンセントが無い。そのかわり、電球型蛍光灯が使われている。にもかかわらず、結論として、なかなか良い温泉宿だった。お薦め。

(3)木星の衛星を見た
 小型の双眼鏡がなぜかコントラストが下がって、使用不能に。旅行用に何かと思って探した。小型ではなく重いが、Canon 10×30 ISなる機種を選択。手ぶれ防止装置が付いていること、単三型Ni-H電池が使えること、値段が驚くほど高くはないこと、が選択理由。なぜ、すべての双眼鏡に手ぶれ防止が付いていないのか、それが疑問になるほどの出来。木星の衛星がクッキリ見える。これで個人的に、やっと、1610年のレベルに到達したと言えるかも!?!

(4)過去最高の夕焼けに遭遇
 青森県、不老不死温泉で。良い夕焼けに雲が必要なのは常識。しかし、この日は雲が多すぎてダメかと思ったが、水平線に近いところは雲が無かったようだ。写真はそのうち。



 いささか古いことになるが、8月27日に気候変動の予測プログラムであるいわゆる「革新」の平成22年度報告会が、一橋記念講堂であった。
http://www.jamstec.go.jp/kakushin21/jp/symposium2010/program.html

 そのパネルディスカッションに参加したが、そのテーマは、「気候政策の鍵を握る科学的知見」であった。

 そこで述べたことをご紹介するのが、今回のHPの一つの狙いである。

 このパネルディスカッションの背景には、日本国内での報道は余り攻撃的ではなかったが、欧米のメディアでは、IPCCの信頼性が揺らいだ、と厳しい指弾が行われたことがある。

 対象になったのは、いわゆる研究者間のメールが流出したクライメート・ゲート事件であり、ヒマラヤの氷河が2035年には溶けて無くなるというNGOの主張を不十分な検証でIPCCの報告書に盛り込んだ事件であった。

 しかしこれらの攻撃は、中立的な批判と言えるものだったのだろうか。

 気候変動を研究課題とする研究者側にも、問題がないとは言えなかったと思う。これまで注目を余り集めることの無かった領域に、巨額の研究費が投入されると、しばしば起きてしまうことであるが、そうなると、その利権を仲間内で守ろうとする傾向が強く出てくる。

 環境関連では、いわゆる環境ホルモンに関する研究が、まさにそれに類することであった。1997年に突然降って湧いたテーマに、ミレニアム予算が大量に供給された。

 環境ホルモン問題は、幸いにして世間に過剰反応を引き起こすこともなく終焉したが、現時点では、子どもに対する化学物質の影響をさぐる疫学調査、エコチルに姿を変えている。

 環境ホルモン問題は、極めて微妙な変化を検出しなければならない問題であり、それには、過去の歴史的な事実を疫学的に検証することが重要だとこれまで主張してきたが、最終的には、前向きコホート研究として取り扱うことになった。

 しかし、犯人を化学物質の範囲内で探すという態度である限り、なんら結論がでることは無いだろうと推測している。

 それは、細菌やウイルスに対する暴露を嫌がって、ヒトがもともと持っている免疫システムという厄介なものへの配慮を欠いた生活をしているからである。この点での現代人の脆弱性が、何につけても大きな原因になっていると思うからである。

 最近話題になっている多剤耐性菌の出現も、細菌あるいはウイルスというものとの持続的な付き合い方を忘れているために生じている。抗生剤を飼料に混ぜることによって、トリ、ブタなどの生産量を高めるという畜産業のあり方、さらには、ちょっとした病気にも抗生剤を投与するという医療のあり方を変えることなしに、この問題の解決を見ることは無い。

 こう指摘するのは簡単だが、変革を実行するには大変難しい障壁を乗り越える必要がある。一つは、経済活動と持続可能性のコンフリクトをどう考えるか。もう一つは、現世代の命の重要性と、未来世代の命の重みをどのような考え方で対処するか、という問題である。いずれも、環境問題と同じ命題である。

 この後者については、未だに割引率が無限大である。未来世代は、使える抗生剤はなくなっているかもしれないのに、単に、未来は読めないが、まあ、なんとかなるだろう、という未知への期待で対処しているのが現実である。

 抗生剤に未来が無いことなど、進化の速度を考えて見れば、一目瞭然なのである。新しい抗生剤を作り出すのに、10年掛かかるとしよう。ところが細菌であれば、分裂するのに要する時間は、例えばサルモネラ属菌だと20分程度とか。ある条件下で、新しい耐性遺伝子を他の細菌から貰うのは簡単である。10回の分裂で耐性を獲得するとしたら、200分。100回の分裂なら2000分である。2000分は1日半程度だから、速度として細菌側の圧勝である。

 話を気候研究が環境研究の中で突発的に予算の獲得ができたところまで戻す。一旦研究費が獲得できると、そこに研究者が集まる。研究者が集まれば、研究の申請数は増える。となると、研究費の予算配分には民主主義的なところ、すなわち選挙民の数に比例するという原則もあるので、それも増える。そして、国からの予算獲得があれば、その内輪で分配を決める。

 このような構図ができれば、気候研究に限らないが、やはり世間により強く訴える形にしたいと思うようになるのは当然である。英国で起きたクライメート・ゲート事件の裏には、こんな動機があったように思える。

 そこで、考えなおさなければならないことがある。それは、現時点で、「革新」などのプログラムは、環境研究として遂行されていることである。もともと環境研究は、理学的な研究とは違って、ニーズドリブン、要するに、外的な要求に応じて答を返すことで成立する研究だということである。

 自らの好奇心の赴くままに研究を走らせることが、理学研究の最大の特徴である。環境ホルモンの研究を遂行したのは、生理学という理学の一部の領域に属する研究者集団であった。環境研究というものがどのようなものであるのか、その認識は薄かった。

 ところが、その中に、古いタイプの環境告発型の研究者が紛れ込んだ。これが世の中を脅迫して研究費の継続的な供給を企んだ。これが環境ホルモン研究の実態であった。

 環境ホルモンで、人類の未来は無いといった感触を社会に埋め込むことが、その戦略として有効であったのだ。

 そのため、一般市民が人質に捕られてしまった。

 気候研究は、もともとは、気象学の延長線として取り組まれてきた。気象学は、天気予報の精度の向上というニーズが厳然として存在しているので、生理学よりは環境研究との整合性は良さそうである。

 しかし、ニーズドリブンであるということが、個々の研究者の心にどれほど深く刻まれているか。これは検証を要することである。

 IPCCのメッセージは、かなり政治的に使われる運命がある。それは、もともと環境問題というものが持つ宿命でもある。加えて、地球環境問題になって、その意味は若干変わってきた。

 環境問題の研究は、最初は告発型で開始された。環境問題を専門とする学者など居なかった。1970年頃、そのような学部学科が大学に無かったから当然でもある。

 このころ政治家は、少なくとも与党側であれば、産業保護としてのスタンスを取っていたと思う。政治的な責任は、現在、国が対象にされているが、それは、当時の政治家が責任をとる仕組みは構築不能であるだめだとも言える。

 地球環境問題が一般的な認識になったのは、1992年に行われたリオの地球サミットの開催が大きな契機となった。しかし、もう少々国際情勢を広く分析すれば、地球環境問題が国際的な問題としてクローズアップされた原因は、冷戦構造の終結と関連が深いのではないかと想像される。

 1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年のソ連邦崩壊によって、図らずも米国の一極構造ができてしまったが、このような傾向をヨーロッパ諸国がどのように考えたのか。

 1970年代から検討されてきた欧州共同体が正式に発足するのが1993年11月である。

 米国の一極構造に対抗するには、地球環境問題を武器の一つとして使う、という発想が頭に浮かぶことは、当時の情勢から、当然の帰結であった。

 となれば、地球環境問題で先進性を示すことができれば、国際政治のリーダーシップを獲得することに繋がる。ヨーロッパ各国の政治家は、地球環境問題の一歩先を行くことで、先進的な政治家であるとの評価を得ることを目指した。

 このように、地球環境問題は、公害型の環境問題とは全く違ったスコープを持っていたために、ヨーロッパの政治家は、先へ先へ歩くという習性を身につけてしまった。

 米国が最終的に京都議定書を批准しなかったことは、米国では、無限の経済発展を目指すことがもっとも先進的な政治家であり、地球環境問題などは、ヨーロッパの策略であると考えたからだと思われる。

 特に、ブッシュ政権時代の共和党の議員の大部分は、地球温暖化問題は、民主党の謀略だと考えていたようだ。

 IPCCは、したがって、EUの政治家にとって重要な味方である。そのため、IPCCによる政治的な発言も、多少なりとも容認されていたとも考えられる。

 この傾向は、IPCCの議長が、米国人のロバート・ワトソン博士から、インド人のラベンドラ・パチャウリ博士に変わってから、その傾向は強くなったのではないだろうか。

 パチャウリ氏は、しばしば個人的見解とIPCCの見解とを明快に区別することなく、温暖化に対して積極的な対応を取るべきことを説く。これは、IPCCからの勧告であると受け取られることもある。

 ワトソン氏からパチャウリ氏への議長の交代劇の内幕は、このような文書をお読みいただきたい。
http://www.gef.or.jp/ipcc/AR4/meetings_paper/IPCC19_02Apr_Geneva/harasawa19soukai_CGER.pdf

 ポイントは、米国人ワトソン氏をブッシュ政権は支持しなかった。すなわち、パチャウリ氏はインド人だがインド政府が強力にサポートした。一方、ワトソン氏を押す政府がいなくなってしまった。それは、エクソン・モービルの圧力であったとも言われている。

 また、途上国がIPCCをアメリカから奪いたかったという動機もあるようだ。

 ワトソン氏は、「IPCCの仕事は、政策に関連するが、政策そのものではない」、という定義で対処していたと言われている。

 パチャウリ氏の態度、特に、IPCCがノーベル平和賞をゴア元副大統領とともに受賞して以来の態度は、いささか政治的になりすぎたのかもしれないと思わせる。

 IPCCの信頼性の回復は重要な課題ではあるが、考えようによっては、科学的事実としてのクライメートゲート事件、あるいは、科学的事実としての氷河消滅疑惑事件、そのいずれもが、大した話ではないとも言える。

 なぜなら、もともと極めて大量の論文を査読し、科学的な妥当性を検証することがIPCCの任務であるが、その中に出来の悪い論文が何報か紛れ込んでいたとしても、大勢に影響は無いからである。

 科学論文には出来の悪いものがある割合で存在していることが、どのような研究分野においても事実だからである。

 もっとも大勢に影響が無いと言えるかどうかは、氷河の状況に関する論文のように、もともと数が少ない分野では、なんともいえないかもしれないのも事実である。

 ある種のメディアは、そのような問題意識ではなく、地球温暖化そのものの信頼性が落ちたという論調で、今回の問題を追求したがるものなのである。後ほど、ご紹介する新書がその典型例である。

 9月19日の日経新聞朝刊に、「日本の研究者がIPCC信頼性回復のためにメッセージを出す」という記事が掲載された。

 その論旨として報告されているものが、「IPCC報告が不当に信頼性を疑われている」というものになるようだ。

 参加する研究者は、RITE副理事長の茅陽一氏、JAMSTECの松野太郎氏など10名とのこと。

 どのようなものになるか、大変興味はあるが、IPCCの第四次報告書が述べている「20世紀後半の気温上昇は、人間社会が出す温暖化ガスによる可能性が高いなどとしたIPCCの主要な指摘は揺らいでいない」、といったもののようだ。これが本当なら、「いまさら」、という感がある。

 同時に、IPCC報告は、「科学的な知見であり、政治的な主張をするものではない」ことも強調するとのこと。

 IPCCそのものが不要だという議論が現時点でそれほど強いとは思わないし、今後のリスク対応として、できるだけ正確な未来予測が可能になるような気候科学の進歩を期待したいが、同時に、IPCCに参画する科学者の意識の改善を求めたい気持ちは強い。

 その点について、この声明がどのようなトーンになるものか、注目したい。

 さて、冒頭に予告したように、「革新」プログラムのシンポジウムで、一体何を述べたのか。その内容を公開したいと思う。

 今回のターゲットは、この本であった。

二酸化炭素温暖化説の崩壊
広瀬 隆著、集英社新書0552A、¥700+税、2010年7月21日初版

 この本の主張は、単純である。昨年の2月2日の日本経済新聞に出た、「このところ気候が寒冷化している」、とする愚かな記事と同じである。
http://www.yasuienv.net/WthClimate.htm
このところ気温が上がらないで、温暖化を主張している研究者などは困っているというものである。

 10年間程度の気温は、「気象」現象に関することであり、本来、我々が議論すべきは「気候」変動である。この区別が分かっていない。

 そしてあろうことか、この著者は、すべての関係者に、「気温を調べたことがありますか」と問いたいのだそうだ。

 さらに言えば、この著者は、赤祖父理論だけで、すなわち、「地球の気候の自然の変化」だけで、これまでの気候変動の説明ができるという主張をしている。赤祖父氏ご本人も、温室効果ガスの影響は30%ぐらいはあると説明しているのに。

 曰く、「人間の出す二酸化炭素によって地球が温暖化している、という途方も無い仮説が出てから、人類の大半がそれを科学の結論だと信じて議論をスタートし、、、、、」というのが基本的スタンスである。

 そこで、広瀬氏の「気温を調べ見ましたか」ということに答えるために、以下のような検討結果を示すことにした。これがシンポジウムの最初のスライドである。

 東京などの気温を使うと、ヒートアイランド現象による影響を含んでいるとの反論が来るのは明らかなので、関東地方では比較的気温変動の幅が少ない銚子の気温を選択した。

 気象庁のデータベースに、戦後の気温データがある。それを活用することにする。

 次の図が、その平均気温の推移である。


図1 銚子の平均気温の推移。赤祖父理論によれば、中世小氷河期からの気温の回復が続いていることによって、現在の気温変化が説明できるとのことなので、その変化を赤線で書き込んだ。100年間で0.6〜0.7℃程度の変化である。


 しかし、よくよく傾向を見ると、この期間の最低気温が1985年に出ているので、この赤い点線ではすべてが説明できないようにも思える。

 そこで、緑の線を引いてみた。


図2 1985年に最低気温が出ていることを考慮すると、1960年ごろから、気温の低下が進んでいるようにも見える。そこで、緑の点線を追加。

 しかし、最近の温度変化を全く説明できない。やはり、このところの温度変化は上昇傾向である。そこで、1972年ぐらいから温度が上昇傾向になったと仮定してみた。


図3 1972年から温度が上昇したという仮定で薄茶の線を加えた。


図4 それぞれの温度変化の100年率を書き込むとこんな結果になる。

 これを解釈すると、次のようになる。赤祖父氏の主張する中世小氷河期からの回復は、この銚子の温度を見ると、実は、1960年ごろに終わっていたように見える。ところが、温室効果ガスの大量排出を原因とする人為起源による地球温暖化が1970年代にはスタートした。その昇温速度は、2.7度/100年と、自然のゆらぎに基づく小氷河期からの回復の温度変化の3〜4倍の速度である。

 当然のことながら、これらはまったくの仮説である。しかし、赤祖父理論も同じような仮説である。どちらが正しいのか、それは、歴史が決める。

 ここで提案した仮説の正当性は、こんな言葉で表現することになるだろう。「気候変動が始まってから、まだ40年ほどしか経過していないので、まだよく分からないが、これから10年、20年、30年と経過するのにしたがって、傾向はより鮮明になるだろう」。

 さてさて、ご推察の通り、こんな仮説も本気で主張するつもりはサラサラない。あくまでも戯れて楽しんでいるに過ぎない。赤祖父仮説も、恐らく1950年頃までは歴史的な検証から正しいものと思われるのだが、それが現時点まで継続しているという主張は仮説に過ぎない。その意味では全く同じレベルである。

 結論的には、シミュレーション技術を使って解析する以外に方法はなくて、結果は、コンピュータの中にしかないのも事実である。赤祖父氏のように、すべてのコンピュータシミュレーションは、温暖化を主張する学者に都合のよいようにシツケられているという主張は、自然科学に対する研究者の態度を余りにもバカにしすぎている。本人がそのようなことをした事実がなければ、他人にそれを言うことは憚られるのが普通である。

 最近、世間の流れに逆らう説を主張する本を出版することが流行している。それは、環境問題の常として、自らの利益に反する一群のビジネスが存在するから、逆らう説が受け入れられる素地がある。しかも、常時ある規模で存在するからである。そして本が売れるからである。

 何が正しくて、何が正しくないのか。確定的な結論は、歴史が証明する以外にない。環境ホルモンの話を持ち出したのも、そろそろ歴史的な事実として認識されるようになったのではないか、と思うからである。

 現時点での絶対的と言えそうな「真理に近い仮説」は、毎回主張しているように、以下のようなことだと思う。

(1)大量の温室効果ガスを大気中に放出すれば、地球の温暖化傾向は強くなる。

(2)何度ぐらい温暖化するか、それは、温暖化傾向の増大と、地球あるいは太陽の揺らぎ、他の気候要素の変動などによって、総合的に決まる。

 上記の2点の「真理に近い仮説」が否定されれば、それは物理学にとって、相当大きな新発見となる。古典物理学に属する気候変動に関する物理学が、量子力学の発見に匹敵するような進化を果たすことになる。しかし、非常に残念ながら、この2点が否定される可能性は極めて低いと考える。