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   ポルトガルとスペインの印象  05.17.2016
               



 5月2日に出発し、5月17日に帰国しました。

 今回、写真の準備が全くできていないので、まずは、全体的な印象を述べるだけで、お茶を濁そうと思います。

 まずは、国境の話とそれぞれの国の実態から。

 結論から言えば、やはりポルトガル、スペイン、この両国は、EUにおけるシリア難民の騒ぎからはかなり遠いところにあるような印象です。しかし、失業率などの統計では、EU内でも最悪の両国ですが、両国間に横たわる国境が、果たしてどんな実態なのかを感じ取りたいと思って、色々と観察をしてみました。

 まずは、ドイツ入国から始まった今回の旅ですが、ドイツはメルケル首相の主張の通り、国境を開放し続けるという方針があるので当たり前だとは思いますが、少なくとも、日本のパスポートを持っている旅行者に対しては、入国審査は1分以内でした。ミュンヘンでの乗り継ぎ時間がちょっときついので心配だったのですが、幸いにして、他の国の旅行者が少なかったこと、さらに、何列かある行列を見極めて、日本人が多いところを選択したことが功をそうして、全く問題なく乗り継ぎができました。

 しかし、それでも、イスラム系の髪を隠した女性の審査は、隣の窓口だったのですが、やはり5分ぐらいは掛かりました。ドイツでも、やや警戒感をもっていることが分かりました。

 今回、車でポルトガルとスペインの国境を越えていますが、ポルトガル側からスペインに入るときには、どこが国境だかよくわからない状況でした。まず、ここが国境であるという大きな看板のようなものが見つかりません。

 以前経験したチェコとスロバキアの国境なども、そんなものだったのですが、ただ、その道は山道で、看板がなくても、もと国境検問所だった建物が残っているので、一目瞭然だったのですが、今回の有料道路では、国境らしさを感じることが非常に難しい状況でした。

 実際通っていたのは、有料道路でした。当然、料金システムは明らかに違うはずなのです。分からない訳はないと思うのですが、理由がないとも言えないのです。

 まず、ポルトガルの料金徴収システムは、ゲートのあまり明確でないETC型でして、なんという名称なのか分かりませんが、車のバックミラーの根元にかなり大きな箱がセットされていて、60km/hぐらいの速度なら、車を認識する仕組みになっています。

 一方、スペインの有料道路は、ところどころに有人の料金所があるタイプですが、入口と出口で徴収するという厳密なタイプではなくて、昔の関所的発想の料金制で、ゲートを通るなら金を払え的なタイプでした。そして、実際に地図上では国境らしきところを通過越してからかなり先に、料金所があったというのが実態です。

 しかも、そんなスペインの料金徴収ゲートも、北部いくつかあっただけで、ポルトガルとの国境が南北に走っている地域以降は、料金所にはとうとう一回も出会わず、すべての高速道路が無料でした。

 一方、スペインからポルトガルに入ると、ETCのためのゲートがすぐにセットされていましたので、国境を越えたことがすぐに分かりました。

 ちなみに、高速料金は、リスボンから真北のスペイン国境までと、リスボンの真東の国境からリスボンまでの間で、11ユーロ程でして、レンタカー会社に支払いました。まあ、日本に比べればタダ同然でした。

 とうことで、スペインとポルトガルについては、いまだにシェンゲン協定がしっかり守られているだけでなく、過去から国境でなんらかの検問ができるようなシステムを、もともと持っていない国同士だったという実情がよく分かりました。通貨も当然ながら両国ともユーロですから、旅行者にとっては、最良の国境でした。

 高速道路の話になったので、その他の印象ですが、スペインの高速道路は、もう新しく作る必要はほとんどない程度に整備されています。今回、カーナビに使っているのは3年ほど前のGPS用の地図でしたが、今回通った道路で、この地図にない高速道路は、たったの1区間だけでした。

 一方、ポルトガルは、まだまだ高速道路の整備が進行中です。特に、コインブラの手前あたりで、地図にない道をかなり走ることになりました。そうなるとGoogleMapだけが頼りで大変です。

 コインブラに泊まった翌日、コア渓谷の絵の世界遺産を見に行きましたが、この地域はほとんど人が住んでいないところです。しかし、そこにも最近整備されたと思われる、やや小規模な高速道路(速度制限が90km/h)があって、誰も走っていません。しかもここは無料でした。このあたりの状況は、日本の道路整備が、地域の労働需要を作っていることと同じ発想でやっているように思えました。

 ポルトガルは、やはり公務員が多い国なのではないかと思います。公共投資で、雇用をなんとか確保しているのがこの国の現実のように思えました。

 今回通過したスペイン西部は、ほとんどが牧場のような土地ばかりでして、ほとんど住民がいないようです。高速道路がたまたま無くなったところで、超々ど田舎のカフェに入りましたが、お客は75歳以上の老人ばかりでした。このようなところでは、牧畜業をやる以外に、仕事はなさそうでした。この地域では、畑作は主流ではなさそうです。水が足らないのかもしれません。

 これ以外に、なんらかの裏経済の可能性があるのですが、そこはやはり旅行者には見えませんでした。

 スペインの高速道路は、どこもかしこもガラガラに空いていました。公共投資をやってしまって、もうやることがないぐらいの高速道路が整備されています。しかも、北部以外では無料ですから、これも公共サービスが過剰の国ように思えます。もし有料にすると、そもそも地元にニーズがない道路ですから、使う人が皆無になってしまうのでしょうね。

 などと書きながら、ふと、旭川から北見の方向に走っている片側1車線の70km/hの自動車専用道路が目に浮かんできました。まあ、あえて言えば、まだ日本の方が、分をわきまえています。スペインのガラガラの高速道路も、ポルトガルの誰も走っていない自動車専用道路も、きちんと2車線でしたので。

 公共サービスが過剰な国を税金で作ると、やはり、国家財政は大幅赤字になるのです。日本の現状もまさにその結果ですね。

 この両国、スペインとポルトガルは、似ているのか、と言われると、余り働かないというところは、似ているかもしれません。しかし、やはりちょっと違うという感じがします。少なくとも、ポルトガル人は、日本人に対してもっている親近感を、どことなく感じますが、スペインでは、そのような感触を全く得ることはありませんでした。

 しかし、ポルトガル人は、どうも「整然と」とか、「効率的に」、あるいは、「システム」「きめ細かい配慮」とか言った言葉が比較的苦手なように思えました。まあ、なんとかなるさ的な感覚が強いような印象を受けました。

 小さな例です。最初の日に行ったリスボンのジョロニモス修道院ですが、開館時間の前に行ったので、当然行列に並んだのですが、別々のところにある行列が、それぞれ何を意味するのか、分からないのです。ちょっと先を見に行ったら、一方には、切符売り場が、短かったもう一方の先には、ドアがあるだけでしたので、それを見てから、まあ切符を買うのだろうな、と判断してから列に並ぶということになりました。まだまだ20人ぐらいの列ですから、そんなこともできますが、帰るころには、100人ではとても利かない長い列でしたので、どうやって列の意味を判断するのでしょうか。少なくとも、英語の標識はないので、誰かに聞くのが最善なのでしょう。しかし、ポルトガルもスペインも、英語を話す人の割合は、かなり低いです。他のEU諸国と比べても、ルーマニアの人々はかなり英語を話しましたし、クロアチアなどの方が、ポルトガル、スペインよりは英語が通じたような気がします。

 ポルトガルに比べると、見物客を上手にさばく技術は、スペイン側にあるような気がします。また、観光資源を上手に見せるという技もスペインの方が一枚上手かもしれません。

 ポルトガルの独自性がもっともよく出ていると思ったことが、アズレージョです。要するに、建築の内外装に使われているタイルです。ポルトガルという国の独自性を主張するような形で、どこにでも使われています。色は青がもっとも基本で、加えて、黄色、緑が使われます。このアズレージョは、スペインに入ると、ほぼ皆無でした。ということは、スペインは、敢えてポルトガル風の建築物になることを避けているように見えました。

 いや、逆かもしれません。ポルトガルは、一時期スペイン領になっています。そのときのスペインに対する反抗精神として、アズレージョを使った建物を作り続けたという可能性の方が高いように思います。

 この両国は、二大海洋国家として、世界中から富、といっても、主として金を集めて、莫大な利益を上げました。そして、常に対抗心を持って、隣の国を見てきたのは事実だと思います。しかし、いつも喧嘩をしていても切りがないので、領地の分配などは、ローマ教皇などに仲裁を頼んでいます。すなわち大きな島が見つかったので、両国で半々に分けるといったことを決めていますが、その島が余りに大きいことに後から気づいているのです。それが南米です。結果的に、ポルトガルは、自国民をかなり送ってブラジルを維持しました。それでも労働力が不足していて、日本からなどの移民を受け入れることにしました。

 スペインは、植民地と余り融合的な政策を取らず、どちらかというと略奪的な対応が中心になったと思われます。南米は余りにも遠くて、個人的経験として行ったことがあるのはブラジルだけでして、余り確実なことは言い難いのですが、ポルトガルとブラジルのような関係が、スペイン領だった国とスペインの間に、現時点で成立しているケースはあるのでしょうか。

 植民地を宗主国がどのように見ていたか、これは、その後、その植民地が独立した後でも、影響が大きいと思っています。

 その意味で、プラスになったのは、英国領ぐらいなものではないですか。英国人は、自国の制度をそのまま植民地に作ろうとう意図を持っていたとしか思えないのです。そして、それなりのしっかりした国を作っています。もっともインドだけは大きすぎて諦めたようですが。

 ポルトガル領の植民地は、例えば、アフリカのモザンビークの例のように、途中で管理しきれなくなって撤退をしてしまったりするのが、ポルトガル流でした。まあ、国というシステムをしっかり作って、それを相手に押し付けるという英国流の国ではないし、もともと自国の人口が少ないですから、ブラジルを維持するのが精一杯となれば、必然的にそうなるのです。

 色々と書いてきましたが、こんなことを考えながら、それぞれの国の自慢の世界遺産を眺めてきました。もちろん、スペインは、ほんのちょっと眺めただけ、という印象ですし、産業がほとんどない地域を通っただけです。やはり、首都マドリッドとバルセロナ、そして、南部コルドバ、セビリアぐらいは行かないと、「実情は分からない」のが当然です。

 話がますます雑談になりますが、多数行ったレストランで、ベストだったのが、なんとリスボン最後の夜に選択したロシア料理屋でした。ここの従業員の国籍は不明ですが、料理の質としては、もっとも高いものでした。日曜日には、ほとんどのポルトガル料理屋は休業なのです。どこのレストランが開いているのかも分からないので、TripAdvisorで近所にあるレストランを探し、料理の種類は問わず予約の取れるところに電話をして確保した結果です。なんと満員でした。

 たまたま隣の席に座っていた夫婦が、どう聞いても純粋の米語をしゃべっているし、年齢も大体同じぐらいなので、ちょっと雑談をしました。奥さんは、先日日本に来たというような話でしたし、ポルトガルを楽しんだようでした。しかし、このロシア料理屋の質に勝てるポルトガル料理屋はないのかもしれない、といった感触もどうやら共通していたのではないか、と感じました。最近、東京にも良いロシア料理屋がないのですが、こんな店が東京に欲しいと思った次第でした。

 レストランを出る前に、その夫婦に「米国の50州をすべて自分でドライブした」、と自慢しましたら、一言「クレイジー。そんなことをした米国人に合ったことがない。日本人ぐらいしか、そんなことはやらないのではないか」という評価をいただきました。

 まあ、結論とも言えない結論です。やはり、ポルトガル人、スペイン人は、日本人とは大分違うように思います。この二つの国の世界遺産の教会の装飾の品質などを見ていると、「モノの本質は細部に宿る」という細工ができているのですが、現在は、ちょっと違う国になってしまったのか、という感想でした。

 ただ、最後の最後に、例外を見出しました。このロシア料理屋に行った夜、ベンフィカがポルトガルリーグ(サッカー)の優勝を決めたのですが、マーキエス・ド・ポンバル駅の近くの広場がパブリックビューイングの場所になったのです。19時キックオフでしたが、大観衆が大音響の中で観戦する場所でしたので、かなり厳重な警備体制が敷かれていました。そのため、近くにホテルを取っていたのですが、地下鉄に乗れないので、歩いてそのロシア料理屋には行きました。丁度一駅分歩きました。

 帰りには、もう試合は決まっていたのですが、大騒ぎ続いていました。ホテルに戻ってからも、大音響が続き、さらには、打ち上げ花火も部屋の窓から見物できてしまうような状況でした。これが何時まで続くのか、と思ったのですが、11時30分頃には、続々と人々は帰宅の途に付き、12時にはほぼ無音になって、そして、翌朝見ましたら、大規模な映像・音響システムを始めとする大騒ぎが跡形もなく片付いていて、全く元の姿に戻っていました。どうやら、サッカーというイベントになると、きちんと細部に心が届く国のようでした。そうでなければ、これほどの世界トップクラスのリーグの維持はできないのかもしれません。

 右側通行の国でのドライブを自分でやるのは、もう一回だけにする予定で、その対象国はバルト三国+フィンランドでして、この夏の終わりから9月に掛けて実施予定です。そろそろ、航空券を手配しないと。