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  大津地裁の原発停止仮処分     03.19.2016
          その論理、人格権とは何か        




 このところ、地裁がどのような判決を出しても、全く驚かなくなってしまった自分の変化に驚く。なぜか、と問われれば、世の中がそのような構造になり、地裁もその世の中に含まれてしまったからである(本心としては、詳細を書きたくないぐらい残念な気持ち)、と答える。

 かなり間接的な説明でも良いから、と言われれば、こんなことを指摘したい。最近高校や大学などで、ディベートの授業というものが行われるらしい。それを商売のタネにしているらしき団体のWebサイトによれば、ディベートとは、こんなものらしい。

 「ディベートは、ある特定のテーマについて、「賛成派」と「反対派」の2つのチームが相互に論争を繰り広げ、「審査員」が勝負を判定する、いわば「討論のスポーツ」といったものだ」。

 『双方のチームは、相手を論破するために、自分たちの意見がいかに正しいものであるかを、論理性・実証性を持って主張し、相手チームを納得させるために、さまざまな戦略を図るという、とてもゲーム性の高い手法である』。

 しかし、筆者として、一点、加えておきたい。「難点の一つとして、ときに、屁理屈という本来非論理的な論理が活用されることがある」

 加えて、ディベートが有効な課題というものは、実は、相当に限定されているのだが、そのような理解があるのだろうか。例えば、『「歩きスマホ」を禁止すべきか』、といった題材であれば、禁止派と許容派にランダムに分かれて、議論をすれば良い。

 しかし、今回の大津地裁の判断をどう思うか、といった問題をディベートの題材にするのは、不適切だと思われる。

 今回の判決について、最初に思ったことが、これは、ディベートという授業を安易に行うといった社会的風潮を反映しているのではないか、ということだった。社会的風潮のどこがダメか、と言えば、なんでもディベート風に決めれば良いと誤解をしている人が増えたから、である。すなわち、「まず、スタンスを決めて、それから反対意見、賛成意見を考えれば良い」、という学生などが増えているはずである。

 今回の地裁の判事は、一体、何をどこまで知っていたのだろうか。そこで、決定文(判決文ではない)を読んで見た。ますます、疑問が増えてしまった。これでは、高校生のディベートと変わらないではないか。検討を開始するより前に、自らのスタンスに基づく結論があったのではないか。しかも、その結論はある種のポピュリズムであって、社会の空気によって支配されていたのではないか。そして、その結論のために、屁理屈を作り上げたのではないか。

 以下、決定文などを読んで、若干の考察をしてみようという初めての試みにチャレンジである。

 今回の決定文を読んで初めて分かったことは、なんといっても、最大の判断基準になったことが、「人格権」であったということである。そして、そもそも、名誉毀損のような事案への対応を目的として作られた人格権で、原発停止の仮処分を行ってよいのだろうか。そんな大きな疑問にぶち当たった。


1.民事訴訟の事案は何か 人格権である

 まず、今回の民事訴訟の事案は、以下のようなものである。民事訴訟であるから、債権者と債務者との戦いである。

決定文からの引用

 本件は,滋賀県内に居住する債権者ら(筆者注:29名)が,福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において高浜発電所3号機及び同4号機(以下「本件各原発」という。また,本件各原発のうち,高浜発電所3号機を以下13号機」と,高浜発電所4号機を以下14号機Jという。)を設置している債務者に対し,本件各原発が耐震性能に欠け,津波による電源喪失等を原因として周囲に放射性物質汚染を惹起する危険性を有する旨主張して,人格権に基づく妨害予防請求権に基づき,本件各原発を仮に運転してはならないとの仮処分を申し立てた事案である。

 立証責任論から見れば,単純な構造で訴訟が追行されることになるというのが論理的帰結であり,これによって,立証責任は,原告側から被告側に,事実上転換されたと解さざるを得ない。

 本件仮処分が民事裁判である以上,民事裁判における主張立証責任の一般原則に従い,上記請求が認められるための要件については,債権者らにおいて,その主張立証責任を負担すべきである。
                       引用終り


疑問1: 決定文の大部分は、原子力規制委員会の判定に対して、かなりの注文あるいはイチャモンを付けている。そして、民事訴訟であるために、その説明責任は、行政組織である原子力規制委員会ではなく、債権者である関西電力にあるとしている。しかし、誰に対して、この判事が要求しているような事項を伝達せよ、というのだろう。この決定文でも、非常に簡単な原発の原理などが記述されているが、とても、この判事が深い科学的な情報を持っていたとは思えない記述である。それよりも科学的な知識が少ない債権者に対して行えというのか。

答:多分、そうである。決定文に、このような記述がある。

引用開始
 このとき,原子力規制委員会が債務者に対して設置変更許可を与えた事実のみによって,債務者が上記要請に応える十分な検討をしたことについて,債務者において一応の主張及び疎明があったとすることはできない。
 当裁判所は,当裁判所において原子力規制委員会での議論を再現することを求めるものではないし,原子力規制委員会に代わって判断すべきであると考えるものでもないが,新規制基準の制定過程における重要な議論や,議論を踏まえた改善点,本件各原発の審査において問題となった点,その考慮結果等について,債務者が道筋や考え方を主張し,重要な事実に関する資料についてその基礎データを提供することは,必要であると考える。そして,これらの作業は,債務者が既に原子力規制委員会において実施したものと考えられるから,その提供が困難であるとはいえないこと,本件が仮処分であることから,これらの主張や疎明資料の提供は,速やかになされなければならず,かつ,およそ1年の審理期間を費やすことで,基本的には提供することが可能なものであると判断する。           引用終り
                         

疑問2: そもそも人格権とは何か。

 決定文の中に説明はない。以下の説明は、したがって、筆者の自作である。そのため、かなり怪しい部分が残るものの、常識レベルであれば、それほど間違っていないと思っている。

 人格権とは、民法の占有訴権の解釈論において、物権的請求権が認められ、差止請求権が解釈上認めれているが、不法行為に基づく差止請求権よりも、人格権の侵害という見地において不法性が大きく、それを放置することが社会的正義に照らして許容されないレベルの場合にしか認められない。そのため、通常の不法行為に基づく差止請求権とは異なり、侵害者の故意又は、過失についての立証責任を要しない。

 この説明のもっとも重要な部分は、人格権の侵害の不法性が非常に大きく、それを放置することが社会的正義に照らして許容されない場合にのみ、適用可能ということである。

 人格権の主たる使用目的は、民法、刑法で、名誉棄損行為が法的責任の対象となる根拠として認められたものだと思われるので、社会的正義が判断基準になることは納得できる。

 しかし逆に言えば、何が社会的正義であるとなると、その定義は多様であり、判事の個人的な判断でなんとでもできるという程度の法的根拠でしかない。どうみても、今回の原発運転差し止め案件のような、何が社会的正義かの判断が極めて難しい問題の場合に、人格権なるもので、判決を下すことが許容されて良いのだろうか。ある意味で、判事の社会的正義に関わる”好み”が反映してしまうとも言える。

 企業が営利活動を行うことは、当然、認められている。その営利活動を止めるには、それなりの根拠が必要である。例えば、自宅の前の狭い道をディーゼルエンジンを搭載した宅配便の小型トラックが通ることを、排出する粒子状物質によって自己の生命の存続に不安を生じさせるということを理由にした人格権によって、通行停止の仮処分を求めた裁判を起こしたとき、果たして、大津地裁はなんという決定を出すのだろう。

 今回の決定の論理が正しいのであれば、債権者に対する説明が不十分、例えば、個別のトラックに対して、すべて粒子状物質の排出量を測定していないので、すべてのディーゼルエンジン搭載の小型トラックは通す必要はない、という仮処分の決定ができることになる。


疑問点3 たった29名の主張を人格権に基いて認めることが果たして社会的正義に照らして、正しいことなのか。

 別の考え方を今回の決定に適用することも可能である。高浜原発を止めれば、必然的に化石燃料を使う量が増えることになるが、その行為は、地球上の人類全体の社会的正義に反するという理解が世界各国で進んでいる状況にあることに配慮すれば、29名の人格権よりも、地球上すべての人類の人格権の毀損量の合計を考慮すべきであると判断し、原発の運転停止の仮処分は出さないという判断もできることになる。

 ところが、この最後の点については、恐らく通用しない論理である。人格権を29名に対するものに限定し、地球上の人類全体の人格権を議論することは、仮処分の対象外だとできるのだろう。

 しかし、この29名の請求によって、関電からの電力を供給を受けている人は、値上げという経済的な不利益が被ることは明らである。そのため、関電から電力を購入する人全員であれば、論理的には、社会的正義という比較が不可能だとは思えない。

 しかし、やはり29名の人格権に対して、答えを出すことが求められているのかもしれない。

 しかし、対抗策としては、高い電気代を自らの意志に反して払わされるという人格権が侵害される事態の発生を理由に、29名の仮処分請求者に対して、値上がり分の経済的な補償を求める訴訟を起こすことは、不可能ではないだろう。

 それにしても、今回の判決のタイミングは、ある意味で絶妙である。一つは、高浜4号機が事故でストップしたこと。さらに、4月から電力完全自由化が行われるために、関電の供給範囲であって、他の電力会社から電力を買うことが可能になったからである。


疑問点4 今回の決定文では、社会的正義ということがどのぐらい議論されているのか。

 実は、人格権を用いる場合には、社会的正義に基づいた判断を行うことが必須だと思われるのだが、今回の決定文の中には、社会的正義という言葉は使われていない。それなら、それに相当する記述はどうなっているのか。

決定文からの引用
 本件においても,債務者において,依拠した根拠,資料等を明らかにすべきであり,その主張及び疎明が尽くされない場合には,電力会社の判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである。                   引用終り

 最後の文章のように、「不合理な点があることが事実上推認されるものというべき」という極めて曖昧な根拠で決定が行われている。

 こんな曖昧な根拠で、企業活動に損失を与えるという行為は、企業という法人の人格権を著しく傷つけるものなのではないか。むしろ、賠償責任訴訟を山本判事に対して起こすことが妥当のようにも思える。


2.福島第一事故の後、各国政府は、社会的正義で、自国の原発の再稼働、あるいは、原発からの離脱を決めた。

 世界各国政府が、原発についてどのような判断をしてきたかを復習してみよう。すなわち、世界の他の国々は、福島第一事故をどのように捉え、どのように判断を変えたのか。また、この判断は、何に基いて行われたのだろうか。

 福島第一の事故をつぶさに解析した結果、中国・韓国・ロシアなどは、原発事故の被害の限界(技術的対応によって最小化できること)を見切って、推進側に舵を切った。それは、これらの国は、地震の被害が想定されない地域であるか、あるいは、中国のように、奥地では世界最大の地震の発生が起きる可能性があるものの、沿岸域では、地震の発生はないことがほぼ確実の国だからである。

 イギリスも非地震国であり、原発新設を決断した。イギリスの現状を基準として判断すると、原発の持つ特性のメリットが、事故の発生によるリスクよりも大きいため、推進することが社会的正義であると判定したものと思われる。特に、イギリスが原発事業者に対して、CfDと呼ばれる固定価格買い取り制度に近い制度を導入してサポートしているが、その理由は、北海油田の限界によるエネルギー供給に関わる安全保障(必要最小限のエネルギー供給を行わない政府は人格権の面からも落第!)を重要視したこと、さらには、気候変動を加速することが、地球レベルでの社会的正義のもっとも反する行為であると理解しているからである。

 フランスとアメリカは、逆に、原発の削減を決めた。その理由は、原発の設備コストが、安全に対する高度化が原因となって、安価とは言えなくなったからである。アメリカの場合には、シェールガスにエネルギー供給を依存する政策が、もっともコスト的に有利だからである。すなわち、これらの国では、エネルギー価格は安い方が良いという「社会的正義」にのっとって判断を行った。

 一方、ドイツは、全廃を決めたと言われる。実は、政府による原発の一時的な強制的停止など、様々な経緯を経て、現状では、ドイツ政府は、原発という発電方法を経済的に支援する政策は取らないと決定した、と表現するのが正確だろう。そのため、原発は、高価であり、もはや事業としては成立しないと原発をもっている事業者が判断し、政府に対し金銭面の補償を求めて訴訟を行っている。

 英国のように、社会的正義の一つであるエネルギー供給面の安全保障を重視し、政府が積極的に支援に乗り出すか、ドイツのように、エネルギー供給面の安全保障を重視せず、再生可能エネルギーのみでも、今後の技術的進化によって、十二分にやれるはずであるとして、政府は支援をしないと決める。自前の安定な再生可能エネルギー、具体的には、充分な水力発電ということになるが、それが不十分な国(イギリス、ドイツ、日本)では、政府の態度によって、原発が使われるかどうかが決まる。

 それぞれの国が、実は、その国の状況を考えたとき、社会的正義とは何かを基準として、原発に対する判断をしていたと思っている。要するに、想定される原発事故の被害の程度が、かなり制御可能であること、それを前提として、国民生活をどのような方法で守るべきか、ということ。すなわち、広義の社会正義によって、各国はそれぞれ異なる判断を下したと思っている。要するに、日本の場合には、原子力規制庁という政府組織が、今回の再稼働の判断を下した。それも、原発事故発生によるリスクが、勿論、絶対に安全ということはあり得ないものの、ある程度回避されているこということが分かった、という判断をすることが、原子力規制庁の言う社会的正義であるということなのではないだろうか。


3.批判側の批判もピンボケ状態

 原発問題だと、web上では、反原発の意見が80%ぐらいになるのが普通である。今回は、20%ぐらいの反地裁の意見があるようだ。

 その一例を示す。
http://www.gepr.org/ja/contents/20160314-02/

引用開始
 大津地裁の判断は不思議で、稚拙な論理展開であろう。原子力発電の危険性を、科学的、確率論的に判断することはせず、「説明は尽くしていない」「判断できない」と、感覚的に指摘する。また判断根拠も原子力関連の諸法規では、原子力規制委員会に判断が委ねられている。ところが、この判決ではその法律の趣旨の検証もしていない。      引用終わり。

 実は、この論説を書いている筆者は、今回の決定が、人格権に基づいた決定であるという意味を理解していないものと思われる。人格権、まあ、名誉棄損のような案件なのだから、危険性を、科学的、確率論的に判断しないのは、当たり前なのである。


4.識者はどのような判断をしているのか

 日経新聞の3月17日朝刊で、4名の方々が意見を書いている。しかし、実は、なんとなく、すっきりしなかった。どこが、すっきりしないのか、それは、上記のような人格権を使った判決の妥当性に真正面から取り組んだ解説が無かったからである。

4.1 長崎大教授 鈴木達次郎氏 「リスクを巡り国民的議論を」

 「本来原発の規制基準を決める歳の「どこまでリスクを下げれば安全なのか」という考え方自体、技術論や法律論だけでは決められない。極めてごもっとも。

 筆者の見解は、「リスク・コミュニケーションの成功事例がないのが日本という国である。すべての日本人が丸3日ほどの時間をリスク・コミュニケーションに割いてくれるのであれば、可能性が無いとは言えないが」

4.2 中央大学法科大学院教授 升田 純氏 「法的・科学的根拠が足りず」

 「司法手続きの『仮処分』とは正式な裁判の判決の確定まで待っていると、回復できない損害や権利侵害などが生じる場合に、裁判所が暫定的な取扱を決めるものでだ。制度上は、稼働中の原子力発電を止めるといった重大な決定も可能である。一方で、裁判と違い、仮処分で証人尋問や鑑定は行われず、証拠は限定される。原発問題のように高度な科学的知見が必要で、影響も大きい事案を仮処分で取り扱うべきなのかどうか、裁判所には慎重な判断が求められる」。

 筆者の見解も近い。しかし、人格権に基づいた判断を行うこと自体が果たして適正だったのかどうかの説明が欲しかった。

4.3 エネルギー総合工学研究所研究顧問 西脇由弘氏「政府・規制委にも説明責任」

 「規制委の田中俊一委員長は、「規制基準に適合していると判断した原発について、100%の安全はない」と話している。審査を通っても安全とはいえないとなると、世の中は疑問に思う。あの発言はさすがに無責任だと感じた。
 政府は、福島第一原発事故後に策定した安全規制を世界最高水準としているが、過去の知見をどう生かし、どんな思想に基づいたのか、根拠が分からない。どの程度安全性を達成しているのか国民に伝わりにくい」。

 筆者の見解。田中委員長の発言も、リスクを専門的に考えている筆者にとっては、当たり前でしかない。どの程度の安全性を達成しているのか、確かに分かりにくいのは事実である。しかし、その表現方法をどうするかとなると、恐らく、確率論的なリスクアセスメントによる解析結果を使うことになるだろうけれど、いくら説明しても、国民からも、判事からも、「分からない」と言われるだろう。

4.4 弁護士、ケムニッツ工科大学で、再生可能エネルギーや環境法を教えた経験あり M.マスラトン氏 「独は憲法裁の役割大きく」

 「三権分立が定められているドイツで裁判所は(原則として)政治的決定はしない。政治の意思決定に影響を与えるような高度な規範が争点となる場合、(独立して高い権威をもつ)連邦憲法裁判所の判断が大きな役割を果たす。
 脱原発政策を巡って、ドイツの電力大手が連邦政府を訴えている」

 筆者の見解。やはり、日本の裁判制度にも、ドイツのような政治的な決定はしないという制度と、憲法裁判所が不可欠なのではないだろうか。このまま行くと、誰も、日本の地裁と司法制度を信用しなくなるだろう。なぜならば、地裁の決定が、上級審で必ず覆されることが正常であるとは思えないからである。