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   人体リスクのベースライン 
      
「ゼロリスク社会の罠」書評    04.30.2016
                 




 この原稿は、ニューヨークからの帰りの飛行機(4月23日〜24日)の中で書きました。やはり、ニューヨークは遠いですね。分量としては、充分に書けてしまいました。その後、しばらく寝かして置きましたが、それに多少手をいれて若干の記述も加え、本記事になりました。まあ、この手の記述の集大成として、書いてみようというつもりで書きました。

 二つの話題を混ぜた形で、記事にしております。一つは、「ゼロリスク社会の罠」、佐藤健太郎氏の著書の題名ですが、そのお薦めの文章。

「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる
(光文社新書) 新書 2012/9/14

ISBN-13: 978-4334037062
はじめに
第1章 人はなぜ、リスクを読み間違えるのか
第2章 「天然」大好き、「化学」は大嫌い……の罠
(――真実はグレーの中に)
第3章 ゼロリスク症候群という罠――メタミドホス禍から学ぶ
第4章 「発がん」の恐怖――という罠
第5章 「狂った油」「血液ドロドロ」の罠
――トランス脂肪酸について、ひと言
第6章 善意の砂糖玉・ホメオパシー――代替医療(疑似科学)の罠
第7章 「改めまして、放射能基礎講座」――放射能の恐怖、という罠
おわりに


 もう一つが、「人体リスクのベース・ライン」でして、生理学的な話です。通常のリスコミの手法では、「リスクゼロは無意味といくら説明しても、どうしても通じない」という結論になるのが普通です。これは、ほぼ他の国でも同様のようですが、特に、日本人は特に手強いのです。どうしたらよいのでしょうか。そのための新規手法の提案です。中身は、ヒトという生命体の最大の弱点は精神的なバランスを崩しやすいことで、それ以外のメカニズムは元々かなり頑丈で、その理由は、生体メカニズム上相当に大きなリスクを包含しているため、その対策も同時に考えられているから。

 リスクという言葉が理解できないのは、それが日本の国民性だから。こう言ってしまえば終わりなのだけれども、まあ、佐藤氏の著書も、やはりその手の結論になっています。どうやったら、その国民性が治せるのか、と言えば、小学校あたりから、そのような教育をしなければダメというのが答えだと思うのですが、それは多分実現できないのです。というのも、恐らく、小学校の先生あたりが、リスクを理解できない代表選手なのかもしれないからです。

 メディアによる「脅迫的報道」を批判的に理解できることが、リスクを理解する場合に、最小限必要なことです。しかし、リスクの本質を理解できない人が圧倒的に多いために、そのような人々向けの脅し記事を書けば、新聞なり雑誌、あるいは、番組が売れるので、「商売がすべて」がメディアの行動原理の原点になっているこの国では、当然、「脅迫的報道」が頻繁に起きているのです。

 佐藤氏の著書を読めば、なんとなく、日本人はそういう国民性なのだな、という理解をすることは可能ではあるのですが、また、この本を読んだ直後ぐらいは、あるリスクへの恐怖心が若干改善された心理状況になっているかもしれないのですが、もともと自分の気分とは違った記述を読んでいるので、分かった気分が抜けるのも早いでしょう。

 結局、生まれついての性格が直らないのと同様に、日本人の国民性は、本人がその気にならないと直らないのです。なぜならば、体に染み込んでいるからです。日本という国土ほど、相対的な価値の低い土地は世界にはなく、植民地時代にも、どの国も日本を植民地にしなかったのも、そんな理由からでした。こんな遠くて、当時は多少、金が産出された程度の国を植民地にしても、あまりメリットがない。そのため、列強の略奪の対象にもならなかったというのが実態です。すなわち、外敵に占領され、その外敵の支配下に置かれたという経験がないのです。そのため、自己防衛という概念が極めて希薄なまま、現時点に至ったのが、日本人なのですね。

 そらならどうするのでしょう。「リスクを理解しないと、結果的に自分が損をしている」、ということが分かれば、多少積極的にリスクというものを理解してみよう、ということが行われることでしょうか。

 本日は、その損の具体例として次のような説明に集中したいと思います。

 「もともとヒトの生きているメカニズムには、かなり大きなリスクが仕込まれている。そのため、外界の多少の毒物や放射線などに配慮したって、ほとんどの場合、自分の身体の内的な要因から方が悪影響は大きいので、多少の外からの害が、生理的に実害になることは、ほとんどない。むしろ精神的なストレスになるだけだ。精神的ストレスは、普通に理解されているよりも遥かに望ましくない自己反応を引起こすメカニズムの一つなので、リスクを避けようとして、日々ストレスを感じていたら、それはトータルには損だよ。もっと気楽になるために、自分の体の仕組みをよく知ろう」。

 こういうロジックで記述をしてみたいと思います。このロジックの一つの弱点は、いくら内的なリスクが大きいといっても、外界からの小さなリスクを積み上げれば、非常に大きなリスクになりうるのだから、外界からのリスクはゼロにすべきだろう、という反論がありうることかもしれません。しかし、生命体というものは、機械とは違うのです。機械ですと、一度、わずかでもすり減ったら、それが自然に元に戻ることはありません。しかし、健全な生命体は、自己修復能力を備えています。その自己修復能力を下げるような行為をしないかぎり、99.9%ぐらいは自己修復されているのです。場合によっては、やや強めの外力がプラスになります。トレーニングによって、筋肉などは増強されるのです。メンタルなトレーニングによって、精神的安定性を高めることもできます。その極限が、宗教家の行う修行でしょうか。

 それなら、デトックスといった行為は無意味なのでしょうか。多分、生理的な観点からは、無意味な行為に近いでしょう。しかし、佐藤氏の著書にも出てくるホメオパシーもそうですが、自己暗示の一つ、あるいは、五郎丸選手のプロトコルのようなもの、として信じることができれば、それなりに意味があるかもしれません。要するに、ヒトに対する精神的な影響力は大きいのです。ホメオパシーを信じることの最大のリスクは、現代医学を否定することです。佐藤氏の著書にでてくる、新生児へのビタミンK投与回避の話などがなければ、大きな問題はないのですが、現代医学とホメオパシーとの両方を信じることは、ホメオパシーを信じることができる人々にとっては、まあ、あり得ないことなのでしょう。宗教、特に、一神教みたいなものですから。

 まあ、結論としては、リスクを理解し、リスク的な考え方でメリットを得るには、ある種の科学的知識をマスターすること、精神状態のある種の制御法(悟りに近いか)をマスターすること、この2点が必要なのかもしれません。要するに、簡単なことだとは、とても思えないのです。気を長く持ってリスクの話をし続ける以外に、世の中を変える方法はなさそうです。

 一連のリスク話で、有効と考えられる話の一つのジャンルが、「リスクの生理的ベースライン」としてのヒトが元々もっているリスクの話かと思います。この話を、今回は、まとめてしてみたいと思います。

 ということですが、本webサイトの読者諸氏は、まず、佐藤氏の著書を是非、座右の書にして貰いたいと思います。筆者の佐藤氏は、もともと化学屋なので、筆者との感覚はもともと近いものだと感じます。

 そこで、もしも彼が次に同様のリスク本を書くのであれば、今回の記述のように、「ヒトという生物が元々もっている生化学的リスクというものを記述の原点とする」という考え方で、書籍をまとめて貰いたいと思います。その用途として考えていることは次のようなことです。

 リスコミのプログラムとして、こんなものはどうでしょうか。
(1)今回記述しているようなものを講義に仕立てて、導入講義として聴いてもらう、そして、
(2)佐藤氏の本を読んでもらい、与えた課題に対してレポートを書いてもらう、さらに時間があれば、
(3)リスクガバナンス的な議論をするワークショップを設定する、

 こういうプロセスをやってみたらどうなるかを想像しつつ、上記(1)用として、今回の記事を書いた次第です。

 ということで、題して「自己の内部にこそ大きなリスクがある」、です。


リスコミ導入講義

  「『人体とリスク(生理的なベースライン)』:自己の内部にこそ、大きなリスクがひそむ」

主題:「人体に関する様々なリスクに関しては、常時、自己防衛とのバランスを保ちつつ、上手に対応するメカニズムが働いている。もしもこのバランスを崩すことがあれば、それはもっとも危険な行為である。ところが、ヒトは恐怖感から来る精神的なストレスによって、自己防衛のバランスを崩しやすい。リスクがゼロでないことへの無用な恐怖感によってストレスが起き、それが強烈に増大する可能性が高いので、リスクの実態を充分に理解していないと、結果として生じる損失は非常に大きくなる可能性が高い。すなわち、『人体とリスク』を基本から理解することが、幸せな人生を送る条件である」。

真理:「ヒトの体は、子孫を作り、子孫を教育するために寿命が決められていて、そのため、自分自身の命が短くなることに対して、配慮をするようには作られていない」。

解説:この真理だが、すべて他の動物についても、これが実像である。しかし、ヒトの場合、最近では、衛生状態の改善、充分な食糧の確保、さらに医療の進化によって、がんなどによる死亡も、一部の例外を除いて、高年齢化しつつある。すなわち、死亡のリスクが徐々に低くなっているどころか、むしろ、死ぬ方法論がなくなりつつあり、脳機能が失われた生存者がどんどんと多くなる事態が起きつつある。この先にどのような極限的な世界が来るのだろうか。

 それはとにかく、人体がもともと備えているリスク、すなわち、自分自身のために備えているもののリスク、あるいは、外敵と戦うために備えているものが引き起こす固有のリスクについて、様々な観点から考えてみようと思う。

1.女性ホルモン・男性ホルモンのリスク

 佐藤氏の著書にもでてくるのだけれど、女性ホルモンは、子孫を残すために不可欠の物質であるが、実は、乳がんの発がん物質である。男性ホルモンは、やはり子孫を残すために不可欠の物質であるけれど、やはり、前立腺肥大やがんにとっては、悪い影響を与える物質である。要するに、ヒトの体というものは、子孫を作ることを最優先して作られていて、親の体が寿命があるのは、当然のことだ、とされて設計され、作られている。

2.脳の大きさと出産との関係

 子供の脳に関して、一つ厄介なことがある。それは、ヒトの子供は、生まれた瞬間は、ほとんど自立できないことである。ほんのわずかな能力しか持たない状態で生まれてくる。この事実は、例えば、馬の子供は、生まれた日に立ち上がって、母親の乳を飲むように、他の動物が本能というもので生存できるように作られていることと対象的である。

 それは、ヒトという生命体がもっている脳があまりにも大きくて、もしも馬の子供の段階まで胎内で生育させると、出産ができなくなってしまうからで、言い換えれば、頭のサイズを最大限確保しつつ、他のパーツが十分に小さい状態、すなわち、未熟な子供を産む以外に方法がないからである。

 しかも、ヒトが持って生まれる脳の内容だが、本能が十分に刷り込まれていない。しかも、ヒトの場合に限って、言葉というものを使って教育をしないかぎり、社会を構成する一員にもなれない。そのために、親が子供を教育することは必須であって、そのために、親の寿命が多少長めになるように生命のメカニズムが決まっている。もしもヒトが馬と同様の仔馬を生むような生命であれば、ヒトの平均寿命は30歳ぐらいで十分なはずである。実際には、以前は人生50年、今は、80歳を超える寿命であるが、30歳以後の寿命は、自分の子孫や他人の子供を教育をする役を果たすために与えられた寿命なのである。すなわち、ヒトたるもの、30歳以降の人生は、子供の教育のために、子供がない場合には社会を教育するためにある、と考えるべきである。

 その最大の課題が、実は、「リスクは何かを教育すること」なのかもしれない。

3.ヒトとサルの最大の違いは、火を用いて調理をすることである

 加熱をする調理法には、食物の消化を容易にするというメリットがある。そのために食事に使う時間が短くてすむ。そのため、食事以外のことに脳を働かせる時間ができる。新たな発明、新たな知識、新たな教育方法などを考えるための時間を確保するために、ヒトは、食事時間を短くしたのである。

 火を使うことは、多大なメリットがある。病原菌を殺すことが最大のメリットかもしれない。しかし、当然、デメリットもある。それは、木材を燃やして火を使うとき、思い出していただけば当然のことかと思うけれど、ダイオキシンが生成される。あのとき、それは20世紀最後のころであるが、メディアがダイオキシンは猛毒だと大げさに騒いだために、ほとんどすべての自治体で焚火が禁止になってしまったではないか。実際、煙はヒトの健康にとっても、かなり有害である。PM2.5も、煙の一種だと考えればよい。一方、煙中のダイオキシンが毒なら、燻製食品などは食べられない。

 焚火というものは、食事時間を短くして、家族や友と語るための時間を用意する手段であった。それによって、言語が発達し、人間の知性は、他の動物のレベルを遥かに超えた進化をした。火の使用は、恐らく、人類と他の生命の違いを明確に示す最良の説明要因なのである。もし人類が今後とも人類であり続けようとしたら、焚火を復活させ、その伝統だけは残した方がよいように思える。若干妥協をして、せめてキャンプファイヤーを、それも無理なら、年に1回の「大規模などんと焼き」ぐらいは、残すことにすべきではないか。焚火からのダイオキシンが、誰かの命を短くすることはないと断言できる。たばこの煙に比べたら、毒性はゼロに近い。

4.ヒトだけではないが、細菌類との共生が必要不可欠である

 サルやウシの場合であれば、生の植物を食べるので、その消化のためには、細菌類が出す酵素を有効活用することがよい作戦であったろうと思われる。ウシはそのために専用の第1〜3の胃を備えた。

 ヒトという生物種が、腸内細菌と共生することを決めたのは、消化能力を高めるというよりは、むしろ、病原菌対策として、ある種の腸内細菌を共存させることが、悪玉菌の増殖を抑えるために重要な意味があったからなのではないだろうか。その結果として、ヒトは、平均的に60兆個程度の細胞からできているが、腸内には自分の体の細胞数を超す100兆個程度の細菌を所有し、それらと共生するような生命体になった。

 この100兆個がどのような細菌から構成されているか、それはかなり重要である。病原菌のような悪玉菌を育ててしまっては、逆効果である。そして、それを決めているのが、食物繊維である。充分な量の食物繊維を十分な多様性をもって摂取することが、ヒトの健康にとっては、非常に重要なことなのだろう。

 生の野菜から食物繊維を摂るのは、かなり大量の分量を食べる必要があって、効率的ではない。ヒトのみが可能な方法である加熱したできるだけ多種類の野菜料理によって、効率的に食物繊維を摂りたいものである。

 あまりも清潔な生活をしていると、腸内細菌のバランスが崩れ、悪玉菌が増えてしまう。すなわち、細菌を恐れる余り、清潔すぎる生活をしていると、健康状態が却って悪くなることにも十分な配慮をしておきたい。

5.ヒトの細胞の自己防衛戦略

 ヒトのすべての細胞には寿命があって、もっとも寿命が短いものが、腸の上皮(内面の)細胞である。なぜならば、腸内には、食物を消化するために必要な消化酵素が満ちている。豚の腸は、焼肉屋に行けばホルモンと呼ばれ、食材になっている。この「ホルモン」だけを消化できて、食べた人の腸が消化されないのはなぜか。もともと、全く同じものなのに、誠に不思議である。それは、腸の表面の細胞が自己を犠牲にすることが前提となっていて、その後ろ側に次ぎの細胞を用意しているからである。

 戦国時代の足軽が鉄砲隊に対してとる作戦がそれである。相手の陣地に向かって突貫していく最前列が火縄銃で倒れても、その次の列はまだ突貫できる。相手側も火縄銃部隊を複数列で用意しているが、まさに消耗戦の状態になって、足軽の前進が鉄砲隊を倒すことができることもある。

 こんな戦争を腸の表面はやっている。腸の表面の細胞は、その寿命は1日なのである。1日で死んでも、翌日にはその下から次の細胞が表面に出ることによって腸は守られている。もしも、腸の表面の再生速度が遅くなると、表面には腫瘍ができる。これが大腸がんである。

 そのため、焼肉屋にいって「ホルモン」を常食としている人は、大腸がんのリスクが高い。それは、「ホルモン」は油脂によっても保護されていて、本質的に消化酵素によって消化しにくいものだからである。

6.活性酸素は、発がん物質である。同時に、ヒトにとって必要不可欠な物質

 そもそも活性酸素のお世話にならない限り、ヒトは正常な姿で生まれ出ることができない。なんといっても、受精卵がすべての元なので、ヒトの命も、細胞は2つから始まる。それが60兆個になって、正常な機能を果たすようになる。2つの細胞が増殖していって、なんとなく形ができてくる。しかし、単に増殖するだけでは、球体状にはなるものの、例えば、腕や足、首のような突出した構造にはならない。このような形を作るには、ある細胞に死を宣告し、そして、ある部分を二つに分けるという手段が必要不可欠である。細胞に死を宣告することをアポトーシスと呼ぶ。その死亡宣告が、活性酸素によって行われる。

 ヒトの体で、いやサルでもあまり変わらないが、指は細かい作業をするために有用な機関である。この指を分けるためにも、活性酸素を使って、細胞に死を宣告している。

 しかし、この使用例のように、活性酸素は、細胞にとっては危険物でなければならない。DNAを攻撃するので、当然、発がん性がある。

 放射線によってがんになる機構も、実は、この活性酸素の発生がその第一段階である。放射線は、高いエネルギーをもった電磁波であって、水を分解して、活性酸素を作り出す。これが細胞に作用すれば、その細胞のもつDNAを切断することによって、元の細胞の構造が記録されている部分が一部破壊されてしまう。すなわち情報エラーが発生する。そのため、元の細胞とは違う細胞ができてしまう。これが成長したものをがんと呼ぶ。

 しかし、DNAの再生プロセスは、もともと間違うことが前提として構成されているので、高度な修復機能がある。特に、ヒトのような高等生物は、非常に高度な修復機能を備えている。そのため、DNAが切断されても、多くの場合、元に戻る。万一、修理が不完全になったときでも、そのような細胞が生き残るケースは少なく、多くは自殺する。しかし、希に、成長の制御が効かなくなって、がん細胞になってしまう。そのため、がん細胞を攻撃するナチュラルキラー(NK)細胞などが準備されているのが、ヒトが備える多重な免疫システムの優れたところで、他の生命体よりも、活性酸素に対する防衛システムが圧倒的にしっかりしている。ナチュラルキラー細胞は、がん細胞やウイルスに感染した細胞に自殺(アポトーシス)を命じるが、そのシグナルとして、活性酸素の一種が使われているらしい。活性酸素が武器になったり、シグナルに使われたり、複雑怪奇である。

 いずれにしても、精神的ストレスは、複雑な免疫システムに悪影響を与える大きな原因である。もし精神的なストレスを完全に自己制御できていたら、発がんなどは起きないのかもしれない

7.自己免疫病の厄介なこと

 免疫システムというものは、非常に上手くできている。しかし、まず、敵というものを識別できないと、攻撃ができない。これが原理原則である。しかし、間違って、自分の有用な細胞を攻撃してしまうこともある。これがなんらかのきっかけで病気レベルまで拡大すると、その状態を自己免疫疾患と呼ぶ。この手の病気は極めて厄介である。それは、敵と味方の区別がつかない状態で、殺し合いをすることになるからである。深刻な病状になる病気も多い。もっとも目立つ自己免疫症が、円形脱毛症である。毛根を敵だと思って白血球が攻撃してしまうのである。その攻撃のために毛根が休止期に入り、数ヶ月後、一晩でごっそり毛が抜ける。

 自己免疫障害の原因としては、ストレスや過労によることも多い。ストレスを避けることが推奨されるのだが、実は、ストレスを避けることは、リスクを避けることと同義ではないのである。

 無用にリスクを恐れすぎて避ける行動をとると、実は、次に述べる精神的なバランスの維持が難しくなり、結果的にストレスが多くなる。リスクには立ち向かうという姿勢と、避けるという姿勢のバランスが不可欠である。

8.精神的バランスを崩すことがもっとも危険 逃げる姿勢はバランスが悪い

 リスクに立ち向かう(必ずしも戦うことと同義ではない)と決めたとき、体は、というよりも脳は、それなりの覚悟を決めているので、アドレナリンもきちんと分泌されて、戦闘態勢に入っている。ところが、「今の事態からは、リスクの実体とか大きさが分からない、だから、逃げた方が良いかもしれない」、という迷いの中で、「リスクから逃げる」という決断をすることが、もっとも精神的なストレスが多いことである。

 それも当然で、立ち向かうときには、その前向きの力とリスクとは平衡状態にある。しかし逃げるときには、リスクが後から追いかけてくると思えてしまうという状況である。これは、悪夢の中でも最悪のパターン、「いくら逃げても、敵に追いつかれる悪夢」を自ら選択しているのだから、まあ、当然なのである。腸の上皮細胞だって、内部からの攻撃には強いのだけれど、横方向や後ろからの攻撃を受けると、一瞬にして負け戦になってしまう。同様に、追いつかれる悪夢では、後ろを振り返れば、バランスを崩して、本当に転ぶことが多いだろう。

 精神的ストレスをバカにしてはならない。それはやはりヒトという生命体が、脳支配の構造体だからである。ストレスは脳の中で、体全体に悪い影響を与える行動を起こす。例えば、ホルモン分泌に影響を与える。自律神経に影響を与える。そのため、不眠症になったり、ノイローゼ状態に、あるいは、うつ状態になったりする。

 この状況は、一部の反社会的な人々や特異なメディアなどの心ない脅しによって、福島第一原発事故の後、夫を福島県に残して、他の地域に避難した妻と子供という状況になった人々に多く発症してしまった。もちろん、一部の地域では避難しないことは不可能だったので、強制的に避難をさせられたのだが、それ以外の地域では、あの程度の放射線量であれば、放射線とうまく付き合うという考え方をもつことが、ストレスから逃れるもっとも上手い方法だったのだ。例えば、福島市、郡山市などの状況は、そうだった。

 ストレスは明らかに寿命を縮める力をもっている。このようなグラフがあって、中程度までのストレスであれば、それに立ち向かうことで、なんとか寿命を短くしない対応ができるのだけれど、特に、強いストレスを感じてリスクに背を向けて、後ろ向きになって逃げだすと、ストレスはさらに確実に増大するものなのである。


図1 ストレスによる寿命の短縮 中程度のストレスまでなら、それほど寿命に影響はないが、強いストレスは、寿命を縮める。強いストレスを感じている人は、18年間程度で、死亡率が10%であるが、感じるストレスが弱いか中程度の人は、死亡率は5%に到達しない。

 ちなみに、佐藤氏の著書にも、放射線のリスクの話が出ている。欲を言えば、もう少々突っ込みたいところだが、まあまあ無難な記述になっているので、お薦めできる。ただ、一ヶ所気になるところがある。100mSvで発がんリスクが0.5%上昇するということはよいのだが、この100mSvは、短期間に被曝する量であって、累積量ではないので、修正をお願いしたい。

9.結論.

 いずれにしても、ヒトという生命体の本質は脳が大きいこと。そのために、このような直立する体形になったのである。要するに、この体型故に持つことができる知能レベルによって、ほぼ本能のみの他の動物達とは違った自己防衛手法を理解し、装備しなければならない。そのために理解すべきことの一つがリスクであり、この概念を理解するためにも、この程度の脳の大きさが必要なのだと考えられる。

 もし脳そのもののサイズ、あるいは、そこに収まっている知識の内容が不十分なために、リスク対応の方法が理解できない人は、結果的に、自己を非常に大きなリスクに晒すことになる。

 繰り返すが、リスクはなんでも避ければ良いのではない。大きなリスクは避けるのが当然だが、小さなリスクに対しては、チャレンジして立ち向かうことが必要不可欠なのである。すなわち、不必要にリスクを避ける行動をとることは、その行為が作り出す精神的な影響によって、非常に大きな別のリスクを呼び込む可能性が高いことを理解する能力を備えることが不可欠な生命体、それがヒトの本質なのである。

 是非とも、リスクを理解できるような質の良い脳を持とうではないか。それが幸福に繋がる唯一の方法だからである。

 佐藤氏のこの著書は適当なレベルにある。まず第一歩として、これを読んで、信じることができるようになれば、ストレスによって精神的バランスが崩れる可能性はかなり少なくなることだろう。