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  ヨルダン・アンマンへ 04.23.2006
     



 国連大学の研究研修センターの一つ、国際リーダーシップ研究所(ILI)のあるアンマンに来た。これまでの場所からヨルダン大学のキャンパスに移動しての新規オープンのお披露目と、毎年2回やっている研究研修センター、研究プログラム、関連研究機関の長が集まる会議を兼ねた会合があるため。


4月16日&17日: アンマンへ

 アンマンへ行く方法はいくつかあるが、いずれも余り便利ではない。今回選択したものが、日本からであれば、普通かもしれないが、羽田 −−> 関空 −−> ドバイ −−> アンマンである。航空会社はEmiratesである。

 羽田では、こんなサービスが行われていることを知らなかったのだが、JALの66番カウンターに行くと、そこで、荷物のチェックインが可能で、アンマンまで荷物に触らないで済む。ドバイまでは、JALのコードシェア便であった。

 出発時間は、関空23:15であるが、やはり相当な時間的余裕が取ってある。そのため羽田出発は20:40発。国内線に乗るときよりは多少大目に時間をとって家を出たのが、18:30ごろだった。

 関空では、もっと時間があると思ったのだが、驚いたことに出発時間が早くなっていた。羽田発が当然遅れたので、余裕が余りが無い。荷物は載っただろうか。と思いつつ、関空を出発。

 飛行機はAirBusの340−500という新鋭機。4発のエアバス。こんなに新しい飛行機に乗ったことはないかもしれない、というぐらいキレイだった。さすがにEmiratesである。

 今回席はビジネスであるが、当然、最新式の椅子になっている。しかし、思ったよりも背中が倒れない。ANAのビジネスは、170度だったか。Britishのビジネスは非常に幅が狭いが、全く水平になる。180度である。とは言いつつ、今回の最新式のシートも、座り心地はまあ悪くはない。

 実際に出発したのは、最初の予定時間23:15通りであったが、こんな時間なのに軽食ではなくフルの晩飯が出るという。どうしようか、と考えたが、なんとなくお腹がすいたので、明日の朝飯を抜くことにして、半分ほど食べた。海外にでると、これでまた太る。

 フライトアテンダントは、日本人かと思ったが、どうもそうでは無かったようだ。名札の確認ができなかったが、恐らく香港系中国人か。日本語で話しかけられることが一度も無かった。

 最近は、飛行機の中では、東南アジアかオセアニアからの昼間の飛行機を除いて、仕事をしないことにしている。ひたすら寝ることを試みる。例によって、ノイズキャンセラつきのヘッドフォン、今回は、パナソニック製を被って、寝ることにした。

 11時間以上かかって、朝5時40分ごろにドバイに到着。アンマン行きは7時25分発なので、多少の時間的余裕がある。ビジネスラウンジで、何かコーヒーと何かをつまもう。と思ってラウンジに入ったら、なんと実に広大。しかも、普通のホテルの朝食が揃っている。なかなか良くできている。マッシュルーム・ポタージュがおいしかった。

 35分前に搭乗開始だという掲示があるので、本当かなと思いつつ、多少のんびりと朝食をとって、インターネットに接続されているコンピュータで、Webメールを使って、重大な事態が起きていないことだけを確認。6時40分ごろになって、案内用テレビの画面を見たら、アンマン行きのフライトの状況が、なんと「FinalCall」になっている。まだ45分以上あるのに。2番ゲートは、このラウンジから相当遠い。何かの間違いだとは思うが、あせって、行くことにした。10分ぐらいかかって到着。まだ搭乗開始していないではないか。乗客の大部分が居るといった状況ではあるが。ドバイでは、「FinalCall」というものがそんな意味に使われているらしい。

 飛行機は、すかすかだった。いつも席は通路側なのだが、窓側の空いたところに移動して、外を見ることにした。離陸。意外なことに雲がある。ところによっては、上と下の二段の雲がある。余り良く見えない。もっと乾燥しているのかと思ったが。4月は、乾季の始まりだから、まあこんなものなのかもしれない。ときどき見える地面は、茶色一色。道路がときおり見える。まもなくヨルダンの国境というところに来て、灌漑されているのか、丸く緑になっているところが見えたが、目に付くものはそんなものだけで、残りは茶色。

 アンマンに到着。何事も無く両替、入国審査が終わって、荷物もすでにターンテーブルで回ってた。

 普通だとこれからタクシーということになるのだが、今回は、ホテルまでの交通機関もアレンジされている。といっても、当然有料で、20JDも払う。¥3500にもなる。普通のタクシーだと10JDぐらいらしいが。実際にサービスしてくれたのは、なんと、ハーツの運転手付きのレンタカーだった。まずまず分かる英語をしゃべる。Mikeという名前だと言う。アラブの名前ではないが、と言うとアルメニア人だという。もともとは、会計士だったのだそうだ。ソ連邦崩壊で、ヨルダンに出稼ぎなのだろうか。

 飛行機の到着が多少遅れたためと、アンマンに街中が交通渋滞が激しいので、なぜか時間が掛かっていて、ホテルに着いたのが朝11時頃だった。時差は6時間。日本だと17時。家を出てから22時間30分。当然、早すぎて部屋の準備は無い、という。しかし、ちょっと待っていろというので、待っていると、「部屋の準備ができた」。これはラッキー。待っている間に、先程の運転手が顔を出して、今日はどこに行くのだ、と聞いてくる。会議は明日からだと説明をしたからだろうか。タクシーを雇って、死海までドライブをする予定だ、というと、ちょっと待て、11時30分ごろまたロビーに来る。そのとき、値段を提示する、という。タクシーの運転手で英語を話すのは、50人に1人ぐらいだという。となると、恐らくかなり高いだろう。しかし、この運転手に行って貰う方が安全かもしれないし、いろいろと情報も入るだろう、と考え、多少の出費は覚悟することにした。

 提示された金額は、予想通り高い。普通のタクシーの4倍ぐらいか。死海まで片道65kmぐらいあって、見物時間を入れて往復3〜4時間。それでも日本国内の1/3程度か。まあ安全のためには仕方のない価格である。もし、バスで行けば、地球の歩き方によれば、100円ぐらいらしいが、これは我々には不可能。大体、バス停まで行くのに、あの交通渋滞では大変なことになる。

 ということで、午後は、死海までのドライブになった。空港から、アンマンまでは、高速道路があった。死海方面はそんなことは無いだろう、と思っていたが、実際には、アンマン郊外から高速に乗ったら、とうとう信号が一つも無しに、死海に到着した。高速道路という訳でもないらしく、人が横断したりするのだが、それでも早い。速度制限は、70〜80km/hだったようだ。

 死海は、見た目には、普通の湖と全く変わらない。塩分濃度が27%という話だが、米国デスバレーのような塩やその他の結晶が出ているような湖では全くなかった。ホテルマリオット入ってみることにした。この国は、ホテルの警備が実に厳重だ。昨年11月だったか、ホテルで爆弾事件があって、それ以来、観光客が減ったためだ、とのこと。そういえば、死海にあるマリオット、ムーベンピックのような高級ホテルの手前二箇所に軍隊による検問所が設けられていた。帰りには無かったから、ホテルのためにあるとしか考えられない。パスポートを見せろと言われるから、と運転手が言ったが、フリーパスだった。ホテルの客だと判断されたようだ。

 ちなみに、爆弾事件は、米国系のホテルであるDay’s Inn、Radisson SAS、Grand Hyattで起きたのだが、うわさでは、Day’s Innは本当はターゲットではなく、当初はHoliday Innがターゲットだったとか。自爆犯人がタクシーにそう言ったのだが、運転手がHoliday Innを知らなかったからだとのこと。それはそれとして、自爆犯人は、タクシーを使うのだということに、なんとなく納得。

 マリオットの中にあるプールはなかなかキレイで、その先に、死海で泳ぐことが可能なようになっている。しかし、この日は、なぜか赤旗が出ていて、遊泳禁止だった。風は強く、多少波があったが、だからといって、なんということは無いように思うのだが。


赤旗で遊泳禁止の死海。有名な死海の泥を体に塗って、それを湖で落としている人が何人も居た。美容上良いとのこと。

 このマリオットは、恐らく1泊$250ぐらいではないだろうか。ヨルダンのGDP perCapitaは、2003年で$2000ぐらい。理由は、輸出品が無いことか。それにしても、途上国のリゾートホテルの価格は、現地の人にとっては、目を剥く価格だ。そんな状況は、GDPがもっとあるタイでも変わらないが。先日、タイで案内をしてくれたAITの学生は、就職すると初任給は$300ぐらいだと言っていた。この運転手の給料もそれほど高くは無いはずだ。この国は、チップがある程度生活給になっているとのことなので、ひょっとしたら、ちょうど、マリオット1泊分ぐらいではないだろうか。

 ということで、昼飯を運転手と一緒に食べた。ヨルダンの通常の人が入る食堂だと、昼飯代は、100円もしないらしいが、マリオットは、しっかり1500円も取られた。国際価格だ。

 途中に民家があるが、比較的立派である。観光ルートの途中だからだろうか。乾燥地域は、desertすなわち砂漠と訳されることが多いが、ここのは、荒地という訳がより適している。若干の木があるだけで、本当に何も無い。

 ということで、約3時間のドライブが無事に終わった。自分で運転すればよいのに、と思われるかもしれないが、この国の運転はとても危ない。間合いがよく分からない。自分の行きたいように走っていて、避けてくれない感じだ。ロータリーがいくつかあるのだが、そこでは、はっきり言って、見てるだけで死ぬ思い。運転手も言っていたが、接触事故はしょっちゅうあるとのこと。言葉の問題もあるし、やはり運転は無理だろう。レンタカーを借りるのは、ヨーロッパ、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そして日本ぐらいにしておく方が良さそう。韓国も無理だし、中国も怖い。


4月18日: UNU/ILIの開所式

 今回目的の一つは、ILI国際リーダーシップ研究所の開所式に出席するため。ヨルダン大学のキャンパスの一部を借りて、大変立派な建物ができていた。UN関係の機関は、建物は、現地政府の支援によって建設されるのだが、このILIの建物もヨルダン政府の援助によるもの。非常に立派。

 アンマンの建築物は、モスクのようなものを除くと、外壁には、すべて石灰岩が使用されている。真っ白ではない。若干、ベージュ色。昨日、死海に行った帰りに、大きな石が2個ほど載せられている巨大な数台のトレーラーにであったが、あれがこのような形で使われるのだろうか。運転手に確認した限りでは、アンマンでは、石灰岩を外壁に使うのが原則になっているという。これは、町を統一的な雰囲気に保つために極めて有効のようだ。日本のように、ばらばらの建造物を作ることは、余りキレイ都市が生まれない。


ホテルの窓からの景色 建物の外壁は、すべて石灰岩。日本だったら、雨で解けてしまうから駄目。

 午前中から午後に掛けて、この研究・研修所のテーマであるリーダーシップをめぐるシンポジウムがあった。リーダーシップをもった人を、教育で本当に作り出すことができるのだろうか。生まれついてリーダーシップのある人というのが存在する気がするのだが。例えば、小泉首相は、首相にはなれるが、副大臣などには不適当な性格のような気がする。もっとも小泉首相にリーダーシップがあるかどうか、それ自身が問題かもしれないが。

 様々な講演があったのだが、やはり文系の講演は英語で理解するのが難しい。パワーポイントなどのファイルを使うことは無いので、注意力を失うと、何も分からなくなる。ある女性の講演だが、「オーケストラの指揮者というものは、リーダーなのか」。10人までであれば、優れた演奏家が集まれば、合奏が可能。しかし、10人を超すと演奏は不可能になるとのこと。これから判断すれば、リーダーシップがあるとも言えるが、普段の練習で形作られるとしたら、指揮者というポジションが、リーダーを作ることにもなりそうである。

 19時から開所式である。国王が来ると言う話しだったのだが、実際には、Queen Noorだけが来ることになった。それでも、王室が来るとなるとセキュリティーがやたらと厳しい。まあ、当然だ。ここは、滞在中のホテルですら、金属探知用のゲートがあるぐらいの国である。

 大分遅れてQueenが到着。特別のイスラム衣装で現れるかと思ったら、普通のグレーのスーツだった。なかなかの美人。英語は完全。これがこのヨルダンという国なのだろう。他のイスラム教の国と違って、かなり妥協が可能な国のように思える。まあ、歴史を考えれば当然かもしれない。ヨルダンは、やはり通商で生きてきた。強い自己主張をしていたら、生存は不可能だったのではないか。
 しかし、Queenの経歴を調べてみたら、米国育ちではないか。このQueenがどんな人かは、ここを見てください。情報を持たないと誤解するという見本みたいなものだった。

 祝辞が続いて、最後に、Inaugural Addressという短い講演があったが、このスピーカーは、コソボの紛争時に難民の救出に関与していた人。コソボから、16歳以下の子どもと、60歳以上の老人が国内にいても役に立たないとして、追放された。追放された人々をキャンプに受け入れ、紛争が終了してから帰国させた。60歳以上の老人だが、役に立たないどころか、それぞれの村で、どんな家族がいて、どこの家に住んでいるか、といった非常によい記憶を持っていた。そのために、コソボ紛争が終わってからの、復興に非常に有効な情報を積み上げることができた。その講演者によれば、重要な情報をもっているということがリーダーシップの一つの条件だという。もしも、それが本当ならば、教育でリーダーシップを付けることが可能になるのかもしれない。

 式の終了後、当然のことながら、レセプションになる。しかし、この国では、酒はでてこない。他のイスラム圏に比べれば、酒の規制もかなり緩いのだが。

 ホテルに戻るバスの中で、インターンの1人のアメリカ人の若者から、どこかに飲みに行こうという提案があって、オフィサー1名+インターン2名+7名が参加。場所は、そんな区分があるかどうか知れないが、サルサ・バーだった。

 ベネズエラからの参加者が、ドイツ人のオフィサーを誘って、めちゃくちゃなタンゴ風のダンスを踊っていた。それにしても、音量がすごかった。

 このような場所も、飲み物の価格は、実に国際価格である。東京のカラオケボックスの2倍ぐらいの価格か。このような国際価格の場所から出てタクシーに乗ると、これまたボラれる。アメリカ人のインターンは、アラビア語を操るので、交渉して2JD=350円で合意に到達していたはずなのだが、ホテルに着くと、5JD払えという。こちらも3名だったので、突っ張って、2JDを置いて降りてしまった。こんなことは、当然のことだと思わないと、この国には来られない。


4月19日: 会議

 本日は、朝からUNU/ILIで20名程度の内輪の会議。それぞれのユニットの活動報告。
 国籍は、オランダ、インド、アメリカ、マレーシア、アイルランド、イギリス、マカオ、ベネズエラ、南アフリカ、韓国、ベルギー、ドイツ、アイスランド、ブラジル、カナダ、フランス、ハンガリー、不明数名。

 ILIは、ヨルダン大学の敷地にあるのだが、会場の近くにモスクがある。午前と午後の2回、祈りだろうか、相当な音量で聞こえてくる。内部の発表が聞こえないぐらいの音量である。会議には、余り良くないかもしれない。

 新築の建物を見学したが、アラブ流というのだろうか、用途不明のスペースが非常に多い。さらに、この国には、不適切だと思うのだが、屋根のかなりの部分がガラスである。夏のエアコンの消費電力が心配。一時期の日本の建築家が作った建物みたいなものだ。現在の日本だと、ガラス屋根の下には、直射日光は遮るように布を張る。それが、省エネになるかどうか、疑問ではある。


UNU/ILIの新ビルディング。かなり立派。ヨルダン政府にどうしてこんな金があるのか。

 予定を大幅に遅れて、18:00に終了。これで街中を何回もバスで走っているが、どうみても、この国のGDPは、本当はかなり高いに違いない。新型のメルセデスが走っている。2003年の1人当たりのGDPは、統計からは$2000に過ぎないのだが、町の印象は、バンコクよりも上。新しいビルの高さは、バンコクの方が勿論高いが、整然とした町並みは、なかなか印象的である。バンコクのような雑然としたところが無い。もっともこの地域だけかもしれない。また、話を聞くと、アンマンを離れると、アカバを除けば、やはりかなり貧しいとのこと。

 凄く高そうな家もある。それにしても、アンマンにはなんでこんなにも金持ちが居るのだろうか。ヨルダンは産油国ではない。産業は、以前はリン鉱石だったはずだが、現時点では、繊維産業ぐらい。重工業は無い。勿論、商業都市ではある。となると、イラクから金持ちの現金が流入していることも考えられる。ラオスの市場を歩いているときにも、金製品がずらりと並んでいるのを見てそう思ったのだが、経済の実態は統計だけでは良く分からない。

 昨日の開所式で初めてお会いしたのだが、在ヨルダン加藤特命全権大使とご一緒をさせていただく機会があった。どなたか日本人とご一緒らしい。

 場所はアラブ料理のレストラン。3名の日本人は、若き女性で、今、ヨルダンに滞在中でオリーブの有機栽培支援をやっているとのこと。JICAのヨルダンオフィスが連絡先になっていた。

 農業の専門家という訳ではなく、国際支援、特に、地域開発の支援のための活動をしている京都の団体だということだった。

 日本の海外支援は、JICAが大型のインフラ整備を中心におこなっているというイメージであるが、カナダなどの国では、NPOが国際支援の中心的役割を果たしているという。それにしても、日本人では、女性の方が何かとたくましいような気がする。

 加藤大使は、どうも国連大学の担当課長であったという経歴のようだ。それで、こんな機会を作ってくださったものと思われる。色々と話をしていると、様々な考え方に類似点が多いような気がしてきた。それは、世代が近いからかもしれないが、日本の現状は、日本を外から見ると、やはりなんとなく変なのだ。特に、これ以上何を求めても仕方が無いぐらいの状況にあるのに、更なる健康を求めるとか、更なるリスク低減を求めるとか、やはり、すべての日本人は、一度は、海外で生活をすべきなのかもしれない。

 この席で、同席してくれた秘書官に、ヨルダンのタクシーの運転手は、英語をしゃべるのか、しゃべらないのか、と聞いたら、彼の経験によれば、2/3は多少しゃべるとのこと。初日の運転手は、英語をしゃべるのは、50人に1人だと言っていた。さて、これは謎だ。(1)自分を雇って欲しかったからのウソ、(2)他の運転手の英語は英語と言えるレベルではない、さて、どちらだったのだろう。

 最後にアラブ料理の感想だが、基本的に何が出てきても食べるという人間にとっては、かなりおいしい。羊が食べられない、これは駄目だという人にはお奨めできない。前菜がそれこそ限りなく出てくる。前菜として魚料理が出てきたのには驚いた。ハゼのような形をした赤い魚が唐揚げにされていたが、味もそっくりだった。


4月20日: 最終日

 本日が会議の最終日である。このアンマンのILIという研究研修所の研究員3名が自分の活動について発表を行った。

 ガーナからの女性研究員は、どうも廃棄物管理やリサイクルに関心があるらしく、盛んにそのような発言をしていたし、また、予防原則といった言葉を何回も言った。しかし、どうみてもまだ若いし、まだまだ勉強が必要。

 廃棄物管理のような問題になると、というよりもどんな分野でもそうだが、どうしても専門知識が必要になる。国連大学の研究研修所でもっとも成功しているのは、実は、アイスランドの地熱研究研修所ではないか、と思われる。それは、地熱の研究者が多数居る研究・研修所で、6ヶ月間もの間、過ごすことが可能だからである。地熱関係の国際会議を行うと、その参加者の1/4は、アイスランドのUNU/GTPと呼ばれる研究・研修所の卒業生のようだ。実際、所長のIngvarは、世界の各地に卒業生の知り合いが居るようで、ここヨルダンは初めて来る国のようだが、会議の数日前に到着していて、卒業生に観光地の案内をしてもらっているようだ。

 廃棄物管理関係・リサイクル関係の研修を行うのであれば、滞在費が掛かりすぎるかもしれないが、日本に総合的な研究・研修所を作って、そこで研修から実習、さらには、理論的な講義を受けるといった方法が良いのかもしれない。場所を新たに作るとしたら、北九州あたりがベストかもしれない。

 というわけで、会議は無事に終わって、もう一人の副学長と一緒に、空港へ。ところが当方にとっては、まだまだ早すぎるのだ。まだ、3時間半も時間がある。これほど早いと、チェックインカウンターも開いていない。

 訳の分からない空港なので、周りを見回してみるが、時間をつぶせるような場所が見つからない。そこで、到着ゲートの方まで歩いてみた。そこに、WorldNewsCafeなるものがあったが、価格は、カプチーノの大が2JD=350円で、全くの国際価格である。味も国際的で、この国で飲んだコーヒーの中ではもっとも口に合ったが。

 暇なので、パソコンを取り出して、この文章を書き始めた。どうも、無線LANがあるみたいだ。繋いで見ると、当然のことだろうが、有料だ。このカフェでカードを売っているらしい。ところが聞いてみると、別の場所にあって、ここには無いという。値段を聞いてみると、2時間で8.5JDというから、かなり高い。止めた。

 とかなんとか言いながら時間をつぶして、いよいよこれから出発ゲートの方に移動する。チェックインカウンターが見つからない。普通の空港とはかなり構造が違うので、どんなものか、経験しての楽しみだ。

 結果的には、余り違いは無いことが分かった。まず、ゲートで出国税を払う。5JDである。しかし、今回は、入国に国連のパスポートを使っているので、無料。国連のパスポートは、日本のパスポートと比べると、メリットはほとんど無いのだが、数少ないメリットだった。荷物のセキュリティーチェックがあって、手荷物までX線検査をして、それから、チェックインカウンターへ、という手はずであった。手荷物は、X線では不合格で、中身の検査。検査官2名にゆっくりと楽しまれてしまった。たまたま持っていた判子を取り出しては、「これは何だ」。セキュリティーとは関係ないので、こちらも、時間が余っているものだから、むしろ時間つぶしのために遊んでいたが、もしも切羽詰っている状況だったら、これはカリカリ来るだろう。

 今回、ヨルダンのお土産を何も買っていない。アンマン空港の免税店には、ヨルダン製品は余り置いてない。焼き物があったので買おうかと思ったのだが、割ってしまいそうだったので止めた。代わりに、テーブルセンターのようなものを買う。絶対に使えない色の組み合わせとデザインだが。

 実は、今回も、もしもチャンスがあれば星の写真でも撮ってやろうと思って、カメラは、EOSKissDigitalNを持ってきた。ところが、アンマンの夜は、非常に明るくて、星などは見えない。自宅付近の東京の夜よりも明るいように思える。まるで青山並みだ。それは、多くのビルの外壁が照明されているからだ。エネルギー価格が安いのだろう。後で調べてみよう(ガソリンの価格は、2004年からそれまでの50円/Lから急激に上昇して70円/Lぐらいになったようだ。現在の価格は分からなかった)。このアンマンで暗いところに行こうと思ったら、やはり、車が必要だ。しかし、タクシーで行く気はしない。それに、昼間は雲一つ無い晴天なのだが、夕方からは、うす曇になってくる。早朝は、やはり雲が多少ある。どうも数日前に大雨が降ったようだ。まだまだ雨季の終わりということなのだろうか。レンズ1本と簡易型の三脚は、結局のところ役に立たず。持ってこないときに、空が晴れていたら、それもまた後悔するだろうから、まあ仕方ないか。

 さて、結論的に、アンマンというところは、こんな感じのところではないか。
「日本人にとって、中東の都市としては、もっともすごしやすい都市らしい。理由は、英語が比較的通じる。例外はあるが大部分の人は親切である。また人々はもともと商人だからか、融通が利くタイプが多い」。
「比較的アラブ色が薄いし、女性も普通の格好の人も居るので、女性にとっては、特に、好ましい国だろう」。
「外国資本のホテルに泊まって、それなりのレストランで食事をしている限りにおいて、その価格は、国際価格である(これは世界中どこでも同じだが)」。
「しかし、自分で街のアラブ食堂に入る能力があれば、生活費用は非常に安いとのこと」。
「それには、アラビア語をメニューが自分で読める程度に勉強してからだろう」(日本に来る外国人は、そば屋や飲み屋に入れないから、食事が高いと思うのと同じことだ)。

 また来る機会があれば、今度は、ぺトラを見に行きたい。しかし、ぺトラ観光だけのために、もう一度来るべきところか、となると、いささか疑問。世界には、優先順位が高いまだ行ったことのない場所が多い。

4月21日: ドバイ そして 帰国

 今回の飛行機は、乗り継ぎが悪くて、ドバイで5時間の待ち時間がある。出発便は、現地時間で、午前2時50分の予定である。こんな出発時間の飛行機など、日本ではまず有りえない。夜間は発着をしないのが成田の原則。関空は、日本発の24時間空港ではあるが、滑走路一本という、今程度の規模ではハブ空港になるのは無理なので、余り意味は無さそう。あるとしたら貨物機ぐらいか。

 ドバイは、24時間空港ではあるが、最終の出発便が一応あって、午前3時30分。それから、3時間は休みになり、6時30分初が最初のようだ。午前1時を過ぎたころから、また客が増えてきた。

 ドバイは、本当にハブ空港になっているようだ。しかし、余りにも大きくて、端から端まで歩くと本当に遠い。

 帰りの空路は、行きとは全く違った。パキスタンから中国に入って、ゴビ砂漠の上を飛んで、中国とモンゴルの国境に沿って南に下り、また北に上がってソウルの上空を通って関空を目指した。行きは、中国に入って、南に下りて、ミヤンマー付近からインドに入り、そしてドバイを目指したように思う。なぜ航路が違うのだろうか?? ジェットストリームのためか??

 関空に無事到着。アンマンでチェックインした荷物を受け取って、税関を通り、再度チェックイン。もっとも、アンマンでは、羽田まで荷物はスルーで行くと言われ、タグもそうなっていたのだが、日本の税関のシステムから言って、そんなことは有りえない。面倒だからアンマンでは訂正を求めなかったので、無事荷物が来るかどうか若干心配だったのだ。

 自宅に到着したら、UNU/ILIを出てから、26時間30分経っていた。南米ほど遠くない割りには、時間がかかるものだ。