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     ”未来予測を嗤う”を斬る    07.19.2015
             角川よ、もっと真面目に本を作れ        




 先日、分かりやすい世界史(主としてヨーロッパ)に関する本を探しに本屋に立ち寄ったとき、ぱっと目についた本、それがこれであった。

 「未来予測を嗤う」 神永正博、小飼 弾 角川Oneテーマ21 D−53 p197 本体価格800円 2014年12月10日初版 

 本格的著作とは言えないもので、第18講まである対談形式の記録であり、内容も「著者達の専門とする範囲では、未来は予測できない」という主張をしているに過ぎない。ちなみに、神永氏は統計学者、小飼氏はITが専門である。

 これから行う批判は、的外れであるとの批判はありうる。この本は、「未来予測はできる部分とできない部分があって、できない部分はやっぱりできないよ、という主張をしているだけだから、批判の対象にならない」、という反論はありうるということである。しかし、これは百も承知の上で、「この本を無批判に受け入れるな。未来予測のできる部分は、それなりにあるのだ。それは何か確実に知っておこう。なぜなら、日本という国の未来にとって、それが非常に重要だから」、という主張をしてみたい。


C先生:「未来は予測できない」という主張をほぼ全面的にしている本だ。しかし、この話をするときには、いくつかの歴史的な考察から始めるべきだというのが、個人的な直感だ。

A君:それはそれとして、この本の構成を一応ご紹介。
 以下のようなテーマで、第18講まであります。

第1講 未来を予測することは可能か?
第2講 イノベーションを予測することはできない
第3講 人間にはストーリーが必要だ
第4講 権威システムvs.検証システム
第5講 ビッグデータの本当の意味
第6講 人工知能の可能性
第7講 コンピューティングパワーがすべてを制する?
第8講 ネットの巨人たちが国家に取って代わる
第9講 超巨大企業を所有してしまえばよい
第10講 経済発展はこれからも可能なのか?
第11講 比較可能な「差」を見つけよ
第12講 人間は何が欲しいのかを知らない
第13講 欲求こそが希少な資源である
第14講 機械が欲求を持つようになる?
第15講 どうすれば好奇心が伸びるのか
第16講 文系は不要か?
第17講 反知性主義と科学リテラシー
第18講 格差問題をどう乗り越えるか


B君:著者の紹介をしておこう。
神永正博(かみなが・まさひろ) 1967年生まれ(48歳?)、京都大学大学院理学研究科数学専攻、博士課程中退、博士(理学)。近著に、「ウソを見破る統計学」。

小飼弾(こがい・だん) 1969年生まれ(46歳?)、中卒後、大検で高卒資格を取得、カリフォルニア大学バークレー校中退、株式会社オン・ザ・エッジのCTOを務めた。現在、ディーエイエヌ有限会社代表取締役。著書に、「中卒でも分かる科学入門」など多数。


A君:この本をざっと見渡した感じたことでして、敢えて読んだとは言わないのですが、題名の「未来予測を嗤う」という主題にそった内容になっていないことが最大の問題なのでは。
 
B君:本当にその通り。新書あたりにはよくあるが、題名詐欺本の一つかもしれない。これは、著者の責任というよりも、「はじめに」を書いている山路達也という編集者(?)の責任ではないか。

A君:買った人を徹底的に裏切る本ですね。「はじめに」の部分の最後に「二人が語るのは、『未来はこうなる』という予測ではありません。そもそも未来予測など可能なのか、個人や社会が健やかに存在するためには何が必要なのか。科学からコンピュータ、経済、教育まで広範囲にわたる先端の知見から、人と社会の本質に迫ります」、と書いているのです。
 当然、「未来予測など可能なのか」、という記述があるので、最後のまとめとして、その科学的な視点からの整理が行われて結論になっているだろうと思うのが普通の購買者の態度だと思うのですが、それが完全に裏切られる

B君:この本の構成に基づいて言えば、第2講までは、未来予測について語られている。ところが、第3講になって、人間にはストーリーが必要だという話になって、未来予測からはほぼ完全に離れてしまう。

A君:第4講の「権威システムvs検証システム」あたりになると、「仮説の検証には金がかかる。仮説を言い出すだけならタダだけれど」、という指摘があるだけ。権威システムというものの評価に関しては、「世の中詐欺師だけになりそうなものだが、権威システムは詐欺師を防ぐ上で非常に有効なのですよ」という小飼氏の発言がありますが。

B君:その次の議論が、ちょっとふざけていて、石原慎太郎氏が権威を保てているのに対して、猪瀬直樹氏が権威を失墜したのは、猪瀬氏がツイッターを使っていたため、反権威主義的なネットの民意がそれを叩いたからだ、というような記述がある。

A君:この話は、実は、「未来が予測できるか」に関連して、一つの重要な視点かもしれないですね。特に、「美味しんぼ」の鼻血事件のような急性的症状ではなくて、ある時期での放射線による被曝とかなり時間が経過した将来における健康影響を語る上で、何を信じるべきなのか、ということは、権威主義と反権威主義の対立という構造で理解すると一つの整理になると、我々も考えている訳だから。

B君:残念ながら、この話をもう少々論理的に詰めることによって、「未来予測」の一つである、放射線に被曝した人の将来の健康について議論ができたはずなのに、そのような方向に議論が進まなかった。専門が違うから当然なのだけれど。権威主義というのは一つのキーワードなので、後日、議論をしてみたい。

A君:それ以外にも、この本の編集者の意識が最大の問題で、「売れそうな書名」を後から考えたということなのではないですか。最初から、「未来予測」ともっと真正面から取り組んでください、と二人の対談の場で制限を課するべきだった。

B君:いや、実際には、そうだったのかもしれないよ。ところが、未来予測について、様々な視点を持っている対談者ではなかったので、そうなってしまった。せめて、原因と結果の不確実性あたりに話題を集中するように司会者がもっと注意を払っていれば、こんな散漫な議論にはならかなったはず。

C先生:これまでの議論で、未来予測が可能か、ということに関して、いくつかのポイントについて議論を行うべきだということになってきているようだ。

A君:整理しますと、すでに指摘されているのは、
(1)「未来予測」ということと「科学」の進歩についての整理が必要ということ。
 そして、今議論したことですが、
(2)権威主義と反権威主義が、ある種の未来予測について、重要な話題となりうる。

B君:しかし、この二点は、この本で正面から取り上げられている話題だという訳ではない。

A君:細かい問題点はいくつかあるのですが、この本で取り上げられている「未来予測」は、いずれも、上記2点に含まれるのかもしれません。とりあえず、この二点で議論をスタートしますか、それとも、この本の論点をさらに探りますか。

C先生:今回は、その議論に行けないと思う。ざっくりと最後まで行こう。かなりの文字数になる傾向がすでに見えているので。

A君:第5講はビッグデータなのですが、未来予測に関して議論されているのは、天気予報なんですね。そして、小飼氏の結論は、未来予測をやるのは、「無駄無駄無駄ァッー」。

B君:次の冬は暖冬なのか、それとも厳冬なのか、といったことが、ビッグデータをいくら解析したところで出る訳もない。小飼氏にとっては、未来は数日先ということなのだろうか。

A君:神永氏は、それに対して、当然批判的。ところが、未来というものの定義をしていない悲しさから、議論が深まっていないのです。

B君:となると、我々としては、未来予測が取り扱う未来の時間的な定義が必要だ、といった議論が、前提としてあるべきだということになる。

A君:第6講 人工知能、第7講 コンピュータパワーがすべてを制する?、第8講ネット巨人たちが国家にとって代わる、第9講 超巨大企業を所有してしまえばよい、の4講については、とりあえず予測よりも事実として認める、というスタンスで書かれているということで良いと思いますね。

B君:将来、情報を伝達するコストは無限小になる、といったことは、未来予測とはもう言えないな。事実の延長は予測でなく、事実の一部になった。

A君:今後、自動車が自動運転になるといったことを議論するとなると、第10講の経済発展はこれからも可能か、は議論する必要があるでしょうか。

B君:この本の議論はいささか極端で、経済発展は、単純作業の消滅を意味するので、例えば、「比較不可能で本質的な差」を身に着けておくべき、といった結論になっている。いささか「自己防衛のお勧め」的記述だ。未来社会における「経済」とは、「価値とは何か」を定義しないと、本来成立しないものなので、未来予測をやるには、人々の価値観がどのように変わるか、という予測が必要になる。

A君:ところが、人々の価値観ほど、予測ができないものはない。なんらかの緩やかな変化が起きるということは統計的に解析ができるのだけれど、何か、事件がおきると、考え方が極端に変わる。東日本大震災と福島原発事故は、そんな例だった。

B君:環境関係の価値観だと、今後、こんな価値観をもって欲しいという環境倫理を押し付けすぎた、という反省がある。例えば、「足るを知る」的な考え方は、正しいと思うものの、やはり何かを超えた人、すなわち、例えば、ビル・ゲイツのような超越的富豪でないと、なかなかこの境地にはなれないとも思う。もちろん、特殊な人は、「足るを知る」といった哲学を実践できるのだけれど。

A君:これも記述されている訳ではないのですが、最近のミニマリズムが注目されているらしいけれど、もともとは、「機能に無関係な装飾は省く」という1960年代のかなり古い概念でもあったようです。最近、定義が若干違ってきたように思いますので、「アップルは、ミニマリズムを追求した」とか言われると、今の超高級iPhoneがどうなのか、価値観の根本が違うのではないか、などと思ってしまいますね。

B君:ある人によるミニマリズム的生活の定義は、こんなものらしい。
1.お金で幸せは買えない
20代で年間1,000万円以上稼いでいたが、大事なものが何かわからなくなった。その空虚感をもので埋めようとしても、幸せにはなれなかった。お金では、本当の豊かさは手に入らない。
2.持ち物の、80%は不要なものだった
本当に必要なものはなんなのかを知る為にも、まず持ち物を減らして生活してみる。そうして残ったものがあなたにとって本当に大切なものだ。
3.手放すことで人生の目的が見えてくる
生活のためにたくさん働いたり、物に執着するのが悪いわけじゃない。ただ、それが人生の第一目的となってしまっては、なにが本当に大切なのかを見失ってしまう。真の目的を持って、人生を歩んでいこう。

A君:これだと、「足るを知る的なミニマリズム」かもしれない。

B君:しかし、やはり、一度、20代で年収1000万になってみないと、この心境にはなれないのかもしれない。

A君:上述の定義2.を読むと、iPhoneを「本当に大切なものだ」と思う人にとっては、超高級のiPhoneを所有することが、ミニマリズムと矛盾しないのかもしれないですね。

B君:第11講の「比較不能な差を見つけよ」、は無視できる。第12講は、「人は何が欲しいのか知らない」、第13講「欲求こそ貴重な資源である」、は、もともと、「未来予測は、ヒトがどのような思考を持つかについては不可能である」ので、無視しても良い。

A君:第14講「機械が欲求をもつようになる」は、題名は非常に優れていると思うのですが、中の議論が全く面白くない。

B君:第15講「どうすれば好奇心が伸びるのか」。これは、未来予測を可能にするのは「未来に対して好奇心があるかどうか」なので、まじめに議論をすれば、非常に有用なものになった可能性が高いが、残念なことに、この講の結論が次のものなのだ。単なる、教育システム批判で終わっていて、未来予測と全く関係ない。
 「今の学校というのは、『日帰り刑務所』みたいな運営になっていますが、ああいうやり方だと娑婆のことがわかりません」一般受けを狙いすぎている。

A君:第16講「文系は不要か?」。これを未来予測と関連付けと真正面から議論すれば、極めて面白かったと思うのですが、残念ながら、その気もないようです。第17講「反知性主義と科学的リテラシー」は、未来予測と全くもって関係ないけれど、次の言葉にだけは、深く同意しました。
 「今の時代は、調べようと思えば、誰でも簡単にデータを調べるようになっているのですから、やればいいんです」。
 「だれしもごく一部のことしかわっていないのに、全体がわかっているような錯覚をする。それこそが諸悪の根源でしょう」。

B君:その通り。そう。「もっと調べればよいのだ」。さら言えば、「調べないのは単に怠慢なのだ」。そして、最後の文章も重要で、「錯覚してしまったら、元も子もない」のだけれど、できるだけデータを調べまわって、他の人よりも、多少なりとも広く(できたら深く)知ることで、バランスの取れた見解とは何かを探るという人々がもっと居ても良い。

A君:未来予測の方法は、大体二種類あって、一つは、現時点までの様々な事象の傾向を見出して、それを未来に延長するフォーキャスト的アプローチ。そして、もう一つが、未来の状況を仮定し、その未来がさらに延長できるような条件とは何かを議論し、それに基づいて、将来の仮想的なゴールを定め、そのゴールへの現時点からの道筋を考えるバックキャスト的アプローチ。
 このバックキャスト的アプローチを教条的にやりすぎると、誤った新興宗教みたないものになりますが。

B君:ゴールを理念的に決めすぎると、まさに教条主義的になる。この失敗を、環境系の学者は何回もやってきている。

A君:未来は本来予測すべきものではなく、ありうる道筋を複数示すことなのでしょうね。

B君:そして、最後の第18講が、「格差問題をどう乗り越えるか」。そこでの議論は未来予測でもなんでもない。

C先生:さて、未来予測とはありうる道筋を複数示すということだ、という定義は、正しいだろう。この本は、残念ながら、そのような結論になっていない。これが結論。となると、この本の推薦度は何点?

A君:5点満点で1.5点ぐらい。

B君:まあ、そんなところだろう。

A君:それでは、まとめに行きますか。

B君:C先生の最初の発言で、未来予測の歴史的な考察が必要という言葉があったけれど、そのとき、例のラプラスの悪魔の話が頭に浮かんだけれど。

A君:確かに。あの話は、必要不可欠だと思う。

B君:ラプラスの悪魔とは、ニュートン力学が席巻した近世科学発展の時代に、持たれていた世界観。ニュートン方程式は確定論的な方程式なので、人間の未来を実は、ニュートン方程式で解けてしまうのではないか、という発想。すなわち、この世界に存在する原子の位置と運動量を知ることができるような「知性」、別の言葉で言えばスーパー・ハイパー・コンピュータが存在すれば、将来の時間的な発展を推論できる。「知性」という表現は、ラプラス自身が使っていたという。

A君:そのため、当時は何か異常に暗い世界だったと言われていますね。当然、20世紀になって、量子力学ができて、ラプラスの悪魔はどこかに退散してしまった。

C先生:さて、それはそれとして、未来予測ができるものとして何があるか、という本来行うべき議論が残ってしまった。ここでは、結論を先に述べることにしようか。
 現時点のIT技術の一つの成果として、気候変動というものの未来像がかなり計算できるようになった。これは、大きな進歩だと思うが、これを著者の小飼氏が指摘しないのはおかしいように思う。多分だが、この未来予測がかなり正しいとは思わないように自らの頭脳活動を縛っている人々が多いのが一つの現実なのだ。ある企業経営者のように、気候変動を抑制しようとすると、日本の産業界がつぶれると思い込んでいる人も多いし。確かに、2050年には温度上昇はどうなっているか極めて正確に予測して、と言われても、難しい部分は残っている。それは、地球システムがかなり複雑で、まだまだ予測不可能な部分が残るからだ。しかし、極々マクロに考えれば、この予測は大勢として正しいと判断するのが妥当だと思う。

A君:もっともマクロ的解釈が、これですね。恐竜時代の大気組成が、現在の大気組成になり、現在の温度になったのは、樹木や他の植物や藻類などが、太陽エネルギーを使って光合成を行うことで、大気中の二酸化炭素を吸収し、有機物に変換し、大気中の二酸化炭素が減少したからである。その有機物が変質して、地下資源として、石炭、石油、天然ガスができた。それに要した時間は、数1000万年から数億年。そのほとんどすべてを使い切るのに要する時間は、大量に使い始めた時期を1850年とし、また、すべての化石燃料を今のペースで使えば2150年ぐらいまでには枯渇するだろうから、まあ300年間ぐらい。数億年かかって光合成で地下に貯めた二酸化炭素を、数100年間にわたる単純燃焼という行為によって大気に戻してしまえば、それは妙なことが起きても当然。
 せめて、使用する化石燃料の消費速度を現在の1/10程度以下に押さえれば、妙なことのレベルを多少下げることができる(かもしれない)。

B君:要するに、気候変動は、人間活動というものを定量化し、それと植物による大気組成の変化に要した時間の長さを比較することによって、その量的な関係がよくわかり、そのために、未来が予測できる。

A君:もう一つ未来予測が比較的簡単なものが、実は、人口変化ですね。産業革命以前まで、人口は、地球の気象条件によって決まりました。それは、気候が不順になると、食糧生産が抑えられて人口減少が起き、また、栄養条件が悪くなって、疫病も流行るなどして、人口減少が起きたからです。この気象条件の人口に対する縛りを消すことができたのは、化学肥料というものでした。化学肥料は、大気中の窒素と石油化学などの副生物の水素を結合させたアンモニアが原料ですが、その生産コストが下がって、たかが肥料程度の値段で製造が可能になったのです。その時期とは、1950年。

B君:現時点で、気候によって食糧生産が完全に支配されることは無くなったものの、まだ、旱魃や気象災害による穀物の減収は起きる。しかし、世界的に耕地が余るようになってきた現状から、食糧の生産量が大幅に減るという可能性はかなり下がった。そのため、現時点では、飢饉による人口減少は起きにくくなった。それでも飢餓が存在するのは、食糧の配分がまだまだ悪いからだ。途上国の政治状況が飢餓を作っている、と結論しても良いだろう。

A君:先進国においては、むしろ食糧が余って、肥満が問題になっていますね。すべての動物で、飽食などという状況になっているのは、ヒトだけですからね。

B君:人口を決める大きな要素である子供の数は、ほぼ教育コストと子供に対する考え方で決まる。考え方とは、子供を作ることがその人の人生の目標足りうるかどうか、ということだ。

A君:それは時代的な背景によっても変わります。しかし、この時代的な背景の変化は、時に大きく変わるような事件が発生することはあるのですが、まあ、緩やかに動いているので、出生率の予測は、かなり当たるのです。人口の増減は、出生率と死亡率によって決まりますから、実は、人口がどうなるかは、かなり正確に読める未来予測の項目なのです。

B君:しかも、かなり地域的にも読める。もちろん、人口の移動はあるので、正確ではないし、また、なんらかのイベント、例えば、東日本大震災のようなことがおきると、人口の移動を加速するので、地域における人口変動の予測はやや難しい。しかし、日本でも都市集中の傾向は継続することになるだろう。
 そして、日本の最大の問題点である少子化を根本的に解決するには、やはり、思い切った移民政策ぐらいしかないのだが、それを日本国民は望んでいないようだ。

C先生:いずれにしても、人口と温暖化は、それなりの努力で、かつまあまあの精度で行うことができる未来予測の対象なのだ。この重大な問題を議論しないで、「未来予測を嗤う」ようでは、その視野の狭さを斬られても仕方がないと言えるだろう。
 さらに言えば、地球という惑星の未来も、かなり正確に分かっている。以前は赤色巨星になって巨大化する太陽に飲み込まれると考えられていたが、最近の見解では、123億年後に太陽が静かに一生を終えるので、地球もそれで終わる。しかし、単位が億年レベルの未来予測は、予測でもなんでもないのだろうか。
 むしろ、6550万年前に直径10kmの小惑星が落下して起きた地球上の生物の5回目の大量絶滅が再現されることの方を心配しなければならない(?)。しかし、この問題への答えは、現人類の歴史を20万年とするなら、これを心配しても仕方がない。
 色々とこの本の悪口を書いてきた。しかし、この著者たちだけが悪いのではないことは、すでに述べた通りで、恐らく、角川Oneテーマ21の編集者の見識が、余りにも偏っていたと結論すべきなのだと思う。
 今後、本書にも記述されているように、単純な仕事は機械に取られ、書籍の編集のような仕事も、単純な校正作業などは、機械化が進むのは確実であろう。この本の示唆に従えば、そのために浮いた時間を使って、もっと表題をきちんと反映した図書を発行して貰いたい。編集者の知性がどれほど高度になるかと同時に、「売れれば良い」という商業主義からどれほど離脱できるかに掛かっている。