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    「原発ゼロ、やればできる」   01.13.201
       小泉元首相のエネルギー論の最新本

   



 小泉元首相が原発ゼロを主張しているのは、有名なことであって、池上彰氏が「小泉元首相の『原発ゼロ』宣言」という本を出版したのが、2014年1月20日なので、その考え方は現在まで変わっていないようだ。
 しかし、若干変化が見られるのも事実で、2014年当時には、「再生可能エネルギーだけで行ける」という主張は無かった。これが加わったのが、今回の2018年12月21日初版の太田出版からの著書の主張となっている。
 しかし、再生可能エネルギーで行けるという主張はあるものの、その根拠までしっかりと考えられているという訳では無さそうだ。そこで、キンドル版を入手して読んでみた。そして、今回の読後の感想を記述することにした。
 パリ協定を遵守するためには、CO2を排出しないエネルギー源が不可欠で、最後は、確かに再生可能エネルギーが答になる。CO2ゼロの電源である原発も無しで済ませることができれば、確かに、それに越したことはないのであるが、再生可能エネルギーが非常に頼りないことをご存じないようだ。
 一方、小泉元首相の主な主張である福島事故の評価については、筆者の個人的な見解とも、それほど不一致な点は見つからない
 こんな事実を念頭に起きながら、最新の小泉元首相の著書を解析してみたい。

   
C先生:多くの政治家(知事は除く)が口を閉ざしているのに対して、小泉元首相の原発に関する発言は、非常に目立つ。世界的に見れば、これまで何回かの重大な事故を起こしている原発だが、完璧なシステムではなかったから事故を起こしたということは、誰しも認めざるを得ないことだ。このぐらい複雑、かつ、大量のエネルギーを取り扱うシステムは、どんな条件に直面したとしても、完全にフールプルーフで自動停止する機能を備えることが、ある意味当然だと思うのだ。

A君:しかし、福島第一原発は、日本の原発の第一号機ですからね。そもそも海岸に設置するような設計(設計者はGE)の原発ではなかった。もし津波が防潮堤を乗り越えると、海岸側の地下に置かれた非常用のディーゼルエンジンは確実に浸水するような設計だったのだ。せめて、あと5m敷地全体を嵩上げしておくことが不可欠だったと思う。しかし、そうなっていなかった。同じ東北でも東北電力の女川原発は、敷地を十分な高さにしたために、特に問題なく、冷温停止状態になりました。

B君:電気と水があれば、原発は止まる。福島第一の場合でも、制御棒はしっかり入って、中性子線の連鎖は止まった。しかし、使用直後の核燃料は、核分裂を行っていたので、非常に不安定な原子が含まれたものになっているものなのだ。それが安定な同位体に変化するときに、大量の熱を発生する状態だった。だから、水を循環させて冷やすことが必要だったのに、水も電気もない状況になってしまった。電気は、外部から2系統の電力線が来ていたが、なぜか福島第一の構内で、その2系統が同じ電柱(?)にまとめられていた。この電柱が地震で破壊されたので、電気は一切ない状況だった。

A君:なぜ、外部からの電力線の設計も、地震のリスクを十分に考慮していなかったのか、大変な疑問ですね。そもそも、送電線はいつ作られたものだったのでしょうね。

B君:原発は、止まらないと大変なことになるから、安全設計は一応は出来ている。しかも、もっとも肝心な制御棒は、約2秒で入るとされている。直下に断層が無いことは、かなり慎重に調査されている。したがって、制御棒が入らないということは起きないレベルにはなっている。

A君:そして、電気と水に万一の事態が起きたときを想定して、再稼働する原発には、電源車と給水車が何台も用意されていいます。それ以外にも、水は貯水池が作られているし、多くの原発は海岸にあるので、最悪の状況になりそうだったら、ポンプ車で海水を注入すれば良いのです。

C先生:福島第一原発の場合、最大の問題は、この程度の準備をするのに、一体いくら投資が必要だったのかということだ。防潮堤を強化することがもっとも高価だっただろう。それに比べれば、給水車・電源車を必要台数だけ用意するだけだったらなんとでもなったと思う。しかし、それが、福島第一の場合にはできていなかった。要するに、安全意識のレベルが低かったことは明らかで、東電はいくらケチったのだろうか、という話になるぐらいのものだ。

B君:津波については、産総研は、千年前の貞観の津波の高さ相当の津波が来る可能性があり、その場合、1.5mぐらいの浸水はあり得ると警告を発していたのに、東電は、別の調査を土木学会に委嘱して、「そんな浸水はないだろう」、という結論を得ていた?(真実は、進行中の裁判で明らかになるだろう)。土木学会が、どれほど地震発生に詳しい学会なのか知らないけれど、もし、リスク対応を真剣に考えるのであれば、より厳しい指摘を採択すべきであって、より緩い指摘を採択したこと自体、大問題だと言える。そもそもまともに検討したのだろうか。

C先生:要するに、あの福島事故は、東電の完全な判断ミス、というか、むしろ「危険性があるという判断をしない」という決断のためだったというべきか、あるいは、「大々的な現実無視とも言うべき発想法」が原因だったのか。それとも、「あと何年も使わない老齢原発に投資をすることが嫌だった」のか。いずれにしても、そんなことが根本的な原因で起きたと思っている。その責任を誰がどのような形で取るのか、それは、現在、裁判が進行中なので、しばらくすれば、結論がでることだろうと思う。
 なぜ、福島第一の事故が、完全な判断ミスあるいはそれに近いことが原因だったと結論付けることができると言えるのか。その理由は、昨年7月の名古屋高等裁判所の判決は、次のようだったことからも分かる。

A君:そうですね。こんな判決理由でした。 『内藤裁判長は、安全性審査に用いられた新規制基準に違法、不合理な点はないとした上で、「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断にも不合理な点は認められず、発電所の危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理・統制されている」と述べ、住民側の訴えを退けた』(福井新聞)

C先生:再稼働原発の整備の現場などを見て、なんだ、この程度のことが出来なかった東電とは一体どういう組織だったのだ、という感覚を得たというのが実態だ。

B君:整理すれば、再稼働原発で整備していることは、主として、次の3種類。
 その1:津波防止の防潮堤の嵩上げ。
 その2:水源と電源の確保。
 その3:非常事態発生対応としての、給水車、電源車の大量配置。


A君:防潮堤の嵩上げは相当な土木工事なので費用が嵩むけれど、その2、その3はそれほどコストが掛かるというものでもないでは。特に、給水車、電源車が非常に高いとは思えない。それが一台も無かったのが、福島第一原発だった。

C先生:こんなところまでで、小泉首相の今回の出版物の内容を検討する準備は完了したと言えるだろう。それでは、順次、チェックしてみよう。

A君:了解です。それでは、序章から。
序章:あの「災害」を忘れてはいけない。
第一節:騙されていた自分が悔しく、腹立たしい。


B君:この節は、特にコメントなし。

A君:第二節:原発ゼロでも電力が足りることが証明された。

B君:この節の最大の問題点は、現時点でこの課題について議論するとしたら、パリ協定による「CO2大幅削減」が絶対であることに触れないということは有り得ない。「もし電力が足りなくて、停電の恐れがあるとでも言うなら、再稼働もわからなくはありません」と述べているけれど、CO大幅削減とは、2050年には、火力発電所のほぼ全部がアウトということなので、停電の恐れがあるどころの騒ぎではない。

A君:それはそうで、日本でも2050年には80%削減が目標になっています。しかし、セメント産業や鉄鋼産業のように、COの放出をゼロにすることが原理的難しい産業があるために、通常の電力は、COゼロ目指さざるをえないのです。非常用電源のような場合も、化石燃料を備蓄するのがもっとも確実なので、COゼロは難しい。

A君:第三節:いまだに原子力を「基幹電力」とする日本政府。

B君:基幹電力だと言いながら、日本政府は、実は、それほど、再稼働に熱心でもない、というのが真実なのでは。政治家にとって、反原発も、親原発も、主張することはリスクなのではないか。

A君:ここから第一章が始まります。
 原発の「安全」「低コスト」「クリーン」とは全部ウソだった。

B君:まあ、「クリーン」だがCOが出ないということは事実なので、まあ、嘘だとはいえないかな。低コストは、福島第一の事故のお陰で、国はいくら出費したのか。もはやはっきり嘘と言っても良いのでは。安全はやり方次第。東電のマインドでは、危険だった。

A君:第一節「このまま騙され続けるわけにはいかない」。

B君:『日本の原発は安全だ』と信じていた、と告白しているけれど、それは「どんなエネルギーも危険がある」、「特に大規模エネルギーには相当な危険がある」、ということは常識として理解していることが不可欠だったのに、ある意味、常識不足と言える。それでも、生活の利便性のために止むを得ず、電力を使っているのだと思う。

A君:第二節「日本の原発は『アメリカやソ連とは違う』といい張った専門家たち」

B君:その嫌いは確かにあったと思う。やはり、電力会社、特に、東電の気分を逆なですることは、電力関係者にとって、資源エネルギー庁などや原子力保安院を含めてタブーだったという歴史だったようには思う。

A君:第三節「人間の『想定』には限界がある」

B君:ここで、貞観の津波の話が出てくる。その可能性をどのぐらい考慮すべきか、という判断基準が日本の原発関係者の間で共有されていなかった。特に、福島第一の場合には、超老齢原発だったので、その傾向が強かったのは事実だ。

A君:第四節「原発事故は交通事故や航空機事故とは違う

B君:小泉元首相も述べているような議論、すなわち、原発を自動車や航空機と同じように扱って良いのか。元首相のその答えは、『ダメ』のようで、事故が起きたときに失われるものが大きいから、とのこと。

C先生:これはリスク論でしばしば議論されることなのだけれど、自動車に乗るか、航空機に乗るかは、市民が個人で判断できることだからで、リスクがあることがある程度共通認識されていれば、それなりに合理性があるということなのだ。それに対して、電力の場合には、市民に選択肢がない。それが問題だ言える。まさに、電力会社に、それだけ重大な責任を背負っているという認識がなければならない。事故のサイズの問題ではないだろう。

A君:第五節「5000万人が避難する可能性もあった福島原発の事故」

B君:可能性で議論するのは、余り有効とは思えない。

A君:第六節「事故の検証もせずに再稼働する非常識」

B君:これは原子力規制委員会の業務を無視した発言。事故の検証をしなくても、安全性のレベルを高くするには何をやればよいかぐらい、科学的に、しかも明白に分かっている。この科学性が無かったのが、東電と原子力保安院だったが、今は、原子力規制委員会の力が十分強くなったので、名古屋高裁の判決ではないけれど、「危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理・統制されている」と述べることができるようになったのだ。

C先生:当時の田中俊一委員長の発言「安全審査ではなくて、基準の適合性を審査したということです」を取り上げているけれど、これは、『基準は、安全性を一定以上の水準で担保しているという条件で作られている』という主張なのだ。なぜ、こんな回答になるか、というと、「安全だ」というと「絶対に安全なんだな」という理不尽な質問が帰ってくるから。何事も、絶対に安全ということなどはないのだけれど、それを説明すると、それなら安全ではないではないか、という面倒な議論になる。それが、日本という国の一般的な傾向だからだ。確率論が通用しない国なのだ。

B君:要するに、「ゼロリスク思想の日本人と安全の議論をするのは、疲れるだけ」、という田中委員長の反応だということだろう。勿論、名古屋高裁の発言が正しいのだけれど、当事者としては、なかなか言えない。

C先生:その通りで、絶対安全というものがあると信じている日本人の伝統を、小泉元首相も持っているようだ。さらに、それでは「安心できない」が出てくるのが一般的なのだけれど、小泉元首相は、さすがにそのような議論にはなっていない。この点は、「まだまし」と評価。

B君:ただ、誤解はしてますね。田中委員長の発言を取り上げて、「再稼働を認めた原発が、『安全とは言えない』とは」と疑問を呈しているのが誤解をしている証拠

A君:第七節「なし崩し的に延びる原発の使用期限」。

B君:その判断にも大きな疑問があると述べているね。40年と決められてきたが、それが60年まで延びるはおかしいという主張。

A君:しかし、20年延長の条件は実はかなり厳しいようで、電源ケーブルなども全部交換しなければならない。絶縁体が塩ビなのだけれど、やはり寿命が来ると考えるべきなので。

B君:それに対して、原発の本体は、鉄とコンクリートで出来ていて。多くのビルの場合と比較しても、寿命的には負けないと推定できる。むしろ、通常のビルよりはるかに長寿命なのではないか、と思われるのだ。そのぐらい頑丈なものだ。

A君:日本最初の超高層ビルである霞が関ビルが完成したのが、1968年4月。となると、この4月で、丸51年になる。当時の建築基準法がどうかは別として、鋼材による柔構造だから、まあ、大丈夫なのだろうと思いますね。

B君:原発の方がはるかに強靭に作られているので、寿命がありそうな部品を交換すれば、本体の寿命は60年でもまだまだOKなのではないだろうか。

A君:そろそろ分量も分量なので、少々飛ばします。
 第X節:一兆円の国費を投入した「もんじゅ」の挫折。これは同意する以外にない

B君:第Y節:「環境を壊す原発のどこが『クリーン』なのか

A君:ここで、COの話がやっと出てきますね。「原発を作るために大量の鉄やコンクリートを使うものだから、その過程ではCOがたくさんでます。」 単純すぎないだろうか。

B君:そうだとすると、第二章で「ダムを新設しなくても水力発電量は増やせる」という記述があって、竹村公太郎氏の「水力発電が日本を救う」の引用だ。そうかもしれないけれど、ダムを作るときのコンクリート製造から発生するCO2量は、本当に相当なものだ。原発の建設時のCO2発生を問題にするのであれば、ダムはさらに大問題。

A君:ということで、第二章に行きます。「原発ゼロでも自然エネルギーでやっていける」でして、この章の最大の問題は、自然エネルギーだけで日本という国が成り立つかどうか、それがまだ分かっていないことなのに、それをいかにもできるかのような記述をしていることですね。より、正確に表現すれば、自然エネルギーだけの日本の姿といっても、一つではない。投資可能な金額など、様々な他の要素が有りすぎる。そのため、まだ、結論らしきものも得られていない。

B君:自然エネルギー100%の日本ということを実現させようとしたら、一体なにが必要になるのか。これはなかなか分かって貰えない可能性が強いけれど、ソーラーだけでは全くダメなんだというところが最初に必要な理解。なんと言っても、夜には発電ゼロだし、雪でも降ればやはり発電量はゼロだから。もしどうしてもやれと言われれば、各家庭に300万円ぐらいの負担を求めて、大量の電池を設置して貰うことになり、電気自動車を買い込むことを強制するかだ。このような実情を説明されたとして、小泉元首相は、自然エネルギー100%を主張されるのだろうか。

A君:風力なら、夜の問題は多少楽になりますが、実は、風力のポテンシャルは、北海道と東北、そして、房総沖ぐらいが良いところで、60Hz域には、余り有望と思える場所がない。

B君:50Hz域でも、北海道から本州に電力を送ろうとすると、90万kWの直流送電が今の所の上限。原発1基分の発電量もない。これを補強しようとすれば、当然できることはできるけれど、最終的にはやはり消費者負担になる。

A君:しかも、不安定性をなんとかするためには、やはり電池に頼ることになりそう。そのための出費も相当になる。

B君:第二章の最後の節は、「自然エネルギーで日本は『資源大国』になれる」ですけど、それには、各家庭の投資金額が莫大なものになるし、電気代は相当に高騰すると考えざるを得ない、と記述すべき。

A君:小泉元首相の主張を信じてやってみたら、後日、別途紹介する予定の「エネルギー産業の2050年 Utility3.0へのゲーム・チェンジ」(竹内純子編著)の最初の記述にある、「Y家の残念な朝」になってしまって、決して「X家の幸福な朝」の実現はできないでしょう。

B君:この二つの朝の話はなかなか意味深長なので、この本、最大の読みどころだと思う。そのうち、ご紹介予定。

C先生:そろそろまとめに入ろう。

A君:了解です。第三章は、特に、説明を要するところはないです。

B君:まず指摘したいのは、なんといっても、再生可能エネルギーというものの本性が分かっていない。それを上手く活用するには、どこかに需要者がいなければならないということが基本中の基本で、ヨーロッパ全域の電力網ぐらいの面積があれば、自然エネルギーによる電力を無駄なく配分して使うということも現実性が無いとは言えない。しかし、日本は狭いだけでなくて、国土の形状から言って、魚の骨のような電力網しか作れないので、どこかで自然エネルギーが大量に余ったとしても、有効活用が非常に難しい。電力網があったとしても、ちょっと横に送るという訳にも行かないので、長距離送電になって、託送料が馬鹿に出来ない状況にしかなりようがない。

A君:送電網を経済性を全く無視して作るという決断をしないかぎり、そうでしょうね。もしそうしないなら、各家庭に相当額の投資を求めて、電池を設置することになる。それでも、「X家の幸福な朝」が実現できるかどうか、保証の限りではないと思いますね。

B君:小泉元首相の反原発までは、かなり妥当な部分があると思うのだけれど、その代替策になると、そもそも「パリ協定」という言葉が一度も見つからないことを含めて、どのような条件を満足する代替策を考えなければならないのか、という基本的な理解がないように思う。

C先生:そろそろ結論にしよう。電力の問題は、実際、非常に複雑で、そう簡単に結論が出せるようなものではない。これは、市民にもっとも知っていいただきたいことだ。我々三名にしても、将来の美しい電力システムのイメージを書くためには、電力の知識が十分だとはとても思えないのだ。そのぐらい難しいものだと考えなければならない。しかも、日本という独立島国状の国家は、非常に不利だ。しかも、歴史的に仕方がないとも言えるのだけれど、50Hzと60Hzが共存していて、その間での電力の共用をするには、直流変換が不可欠なのだ。まあ、最近になって、直流送電も技術的な進化があるようなので、直流幹線を整備すれば、かなり楽にはなるかもしれない。しかし、やはり、なんといっても、火力発電のような柔軟でかつ安定な発電装置が使えないパリ協定時代に、原子力のような柔軟性は乏しいものの、一定の電力を粛々と出してくれる設備が若干でも存在するか、あるいは、全く無いかで、非常に大きな違いがあることは確実に言える。原子力は、再生可能エネルギーのパートナーの役割を果たすのだ。
 しかし、個人的な考えを聞かれたとしても、現行と同じ原発を新規に作ることには賛成しがたい。それは、使用済み核燃料の処理が難しい種類の設備だからだ。やはり、全く新しい原理による原発、すなわち、大量に存在する使用済み核燃料の処理を兼ねた原発で、加えて、何かあったとしても、非常ボタンを押すだけで後は自動的に停止する小型原発(SMR=Small Modular Reactor)が、日本が処理する責任のあるプルトニウムが存在する、今世紀一杯は必要なのではないだろうか。それから先には、太陽のエネルギーと同じ原理の核融合を実現しないと、人類に長期的な未来は無いと信じている。核融合は、外部から燃料を供給する形なので、いざとなったら、燃料バルブを閉じることで確実に止まる。しかし、核融合が今世紀中に完成するかどうか、それは、かなりの困難を克服しなければならないのではないかと思う。