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    小泉元首相の発言 
   11.16.2013
          政治家が決めればアイディアはでるのか?



 小泉元首相による『原発即時ゼロ』の提案が話題を呼んでいる。安倍首相に対して、「決断すればできる。決めてしまえば、誰かがアイディアを出すから大丈夫」、と決断を催促している。

 純粋な社会的なシステムに関することであれば、確かに、政治家が決断をすべきだし、そのために国民が決定権を委ねている。しかし、「原発即時ゼロ」の話は、単なる社会システムではない。技術的限界、地球的限界、貿易収支の問題、コスト的限界、エネルギー安全保障的限界、完成に要する時間、などなどの要因があって、「決断を行っても、実行案がでない」場合も多い、という種類の問題である。

 すなわち、エネルギー供給のような多面的な問題の場合には、先に政治的決断をしても、実行できるかどうかが担保されない。まずは、アイディアを集め、その実現可能性を検証する。これらをいくつかのジャンルに分け、政治的な決断によってどれかを選択することが一般的な方法であろう。

 その選択の基本となる評価法は、『総合的なリスクの評価』である。このことは至極当然のことであるが、余り理解されていないと思う。

 そこで、この総合的リスク評価とはどのように行えばよいのか、ちょっと考えることにした。

 その前に、『原発即時ゼロ』に変わるなんらかの標語を作ることにする。

 しばらく考えた末に、こんなものにした。

『ほぼ自然エネルギーだけの2100年』
 この「ほぼ」と「2100年」がミソである。



C先生:この手の話題を考えるのは、やはり順番があると思う。政治的な貫通力をもったインパクトのある標語『原発即時ゼロ』に対抗するためには、別のインパクトを持たせる必要がある。そこで、「実現可能で、懐の深い標語」とは何かを考えた。

A君:ミソの一つ「2100年」。これが実現可能な時期だということですか。

C先生:そうだ。2050年というと、新入社員にとって、そのころの定年は、もしそれが有ればという話ではあるが、70歳以上だろうから、十分に在籍している。
 その会社が、2050年には消滅しているという未来像を書くのは難しいかもしれない。しかし、2100年ならいくらなんでも現役の人は居ない。

B君:技術的な観点だけからでも、確かに、2050年というとちょっとつらいかもしれない。WWFの提案、「2050年に100%自然エネルギーのシナリオ」を検討すると、それが無理であることが歴然と分かるものだった。

C先生:それでは、何を考えるべきか、キーワードの選択からやろう。

A君:『ほぼ』は後ほどにして、まず『自然エネルギーだけ』、ですかが、総合的に見れば未完成技術だと思いますので、これには大きなリスクがあります。また、現状の社会体制では不十分なために、多様なリスク対応をする必要があります。
 例えば、
1.各種自然エネルギーの新規開発
 例えば、海洋エネルギー
2.自然エネルギーの不安定さ、例えば、風力、太陽光を補完する方法
3.不安定な電力をそのまま使う方法の開発 例えば、
  ダイナミックプライシング
  不安定電力供給網
  不安定な電力による揚水発電駆動
  大容量キャパシタによる平滑化
  直流・交流変換素子の高効率化
  大容量ダイアモンド半導体素子開発
4,地熱の活用を最大限進める。
5.地中熱の活用などを進めヒートポンプの効率を限界まで向上


B君:『自然エネルギーだけ』に移行するには、社会的な固定観念の破壊も重要。
1.電力は安定していることが不可欠
 ー>電力は量さえあればあとはユーザ側が安定化して使う
2.電力が不足しないことが電力事業者の責務 −> 不足する場合には、事前通達を行えば責務を回避できる。ユーザ側がそれに対応する責務を負う


C先生:これらの実現のために何に対して相当のインフラ投資を行う必要があるのだろうか。

A君:まずは、「電力を長距離輸送」。これを実現するには、伝送損失の低い多端子直流幹線を作ることが効率的だけど、ヨーロッパではすでに確立している技術だが、日本での普及はほとんどない。

B君:多端子というのは、複数の入力端、出力端があるという意味。日本の直流幹線の代表例は、津軽海峡の海底を通っている30万kWx2の直流送電線だが、これは多端子とは言えない。

A君:日本では、ニーズの無い技術、というか現在の九電力体制の中では不必要な技術とされて、開発がされて来なかった。

B君:ヨーロッパでは、いくつかの企業が、現実のシステムとして提供している。

A君:実現には、相当なお金と期間を要する。

B君:これらが合理的なコストで実施されるためには、やはり準備が必要。

C先生:『原発即時廃止』のように、急ぎすぎるとロクなことはない。急ぎすぎのリスクというものは、通常大きい。しかし、原発にリスクがあるということは絶対的な事実なので、それもリスト化してみよう。

A君:
原発のリスク


1.福島第一の事故のように、放射性物質をまき散らす可能性 原因は様々
1’.隣国からの放射性物質の侵入
2.使用済み核燃料の処理・最終処分
3.ウラン燃料の枯渇による高騰


B君:1.の放射性物質を放出するような事故がどのぐらいのリスクか、ということは、PRA確率的リスク分析=Probabilistic Risk Analysisと呼ばれる手法で行われるのが普通。

A君:次回以降にでも、この手法について、記述をしてみたいと思います。

B君:どのぐらいにリスクを下げることができるか。その基準点として、福島第一原発の事故前の状況を採用するとどうなるだろうか。

A君:福島第一原発事故は、最弱の原発に最強の天災が襲い掛かったから起きた。最弱の原因は、最悪の事業者が十分な想定をもとに準備をしなかったからで、また、事故後の十分な対応ができなかったのは最低の政府だったから。

B君:最弱・最強・最悪・最低の4つが共存していたということか?

A君:それに比べれば、今後再稼働される原発でも、リスクは1/1000ぐらいにはなるし、さらに、追加的な措置、例えば、フィルター付きのベントや水素検出・燃焼装置などが整備されれば、1/10000にはなるでしょう。

B君:しかし、小泉さんの言う「使用済み核燃料の問題」は、なかなかの難問だ。

A君:その通りですが、すでに相当大量の使用済み核燃料を抱えているので、これから多少増えたところで、本質的な差がでるとは思えないですね。

B君:再処理と高速増殖炉のシナリオで、やはり有限なウラン資源を30倍も延命できるということだった。これが実現できなくなれば、むしろ、現在持っている使用済み核燃料中のプルトニウムがテロ集団によって略奪されて、原爆が作られることを防止するためにも、プルトニウムを減らすという目的だけで、それ専用の原発を動かすということも必要になるのではないだろうか。

A君:最終処分の究極的な方法が国際的に合意されるのには、やはり100年ぐらいかかると思います。

B君:究極的ということは、「例の方法」を意味しているのかな。

A君:まあそう言うことです。この方法を今の時点で主張するのはちょっと抵抗感がありますね。

B君:でも100年後には、恐らくそんな方向で、国際的な合意ができているような気がする。

A君:最後は地球に処分を任せるしかないのです。

B君:それにしても100年間掛かるということは、使えそうなウラン資源が枯渇するまでは、人類は原発を使い続けるということか。

A君:多くの国がそうなるでしょうね。しかし、日本の場合には、このような状況が起きてしまったのだから、原発は自然エネルギーへのツナギ技術という理解で発想するのが普通ではないですか。

B君:さらに、高速増殖炉シナリオがなければ、ウラン資源も有限ということをそろそろ意識しないと。

A君:トリウム炉の開発をするという国も増えるでしょうね。米国や日本は取り上げないような気がするのですが、本当に安全性が確保できるのでしょうか。

B君:最初にトリウム炉を動かす国は、インドのような気がする。

A君:溶融塩を使うタイプだと、反応容器の材料が最大の問題ではないでしょうか。もっとも耐久性がありそうなのは、黒鉛ですが、これは衝撃でヒビが入るので、安全性が本当に確保できるのか。

B君:原理的に可能であることがわかっていても、実際にできるかどうか。それはしっかりした材料が入手できるかにかかっている。

A君:それがいつでも現実で、トリウム炉は試験炉すらできていないですからね。自然エネルギーだって、やはり材料の問題がかなり解決して、風車とか太陽電池ができるようになった。

B君:その通り。海洋エネルギー開発などの現状を考えると、急激に自然エネルギーへの移行はできない。しかし、原発を即時廃止となると、原理的に化石燃料に依存しなければならない。

A君:そのリスクは、未来世代に気候変動のリスクを押し付けることだ、と思っていたのですが、最近の大島の24時間降雨量824mmとか、フィリピンの台風30号による90mもの風速と高潮で、死者3631人、行方不明1179人(11月16日12時)をつきつけられると、未来世代がリスクを背負うのではなく、現世代から相当なリスクと向き合う必要があるのだろうと思うようになりました。

B君:そうなると、化石燃料への全面的な依存は、相当なリスクだということになる。

A君:表を作りましょうか。

化石燃料への全面依存のリスク

1.排出する温室効果ガスが引き起こす気候変動
(1)短期的には異常気象の多発。
(2)長期的な海面上昇
(3)いわゆるティッピングエレメントのスイッチON
(4)以上を十分考慮した政策を作らないことによる国際的な信頼性の喪失
2.化石燃料を大量輸入することによる定常的な貿易収支の赤字
(1)それが誘導する円安。一時的には輸出が増えて経済的にはプラスだが、その先が怖い。ある一線を超すと、国家の借金によって、円が紙切れになって、国家破綻。
(2)当然のことながら、年金などはゼロ。
3.電力会社の経営が破綻状態になれば、火力発電などでの排ガス処理などが経済的に不可能になって、今の中国の環境の状況に逆戻り
4.停電が当たり前のように起きる状態になり、病院などの自家発電も燃料不足になって、間接的人命被害が多発。


B君:化石燃料への全面的な依存は、相当リスクが大きいと思う。回避すべきだろう。100年後のターゲットを『ほぼ自然エネルギーだけの2100年』とすること。その時点まで原発を大量に使うのではなく、ツナギの技術として考える。こういうシナリオは、実現可能のように思うし、リスク面でも妥当ではないだろうか。

C先生:小泉元首相のインパクトの高い発言に対抗するには、インパクトの高さで勝負するのは得策ではない。『ほぼ自然エネルギーだけの2100年』ような「実現可能で、懐の深い標語」で勝負するのが良いように思う。実現可能ということには、当然、かなり広範囲なリスク対応が可能であるというこを意味する。
 さて、残された課題として、2つ検討をしてほしい。
 その1:この標語に反対する人は、どの部分にもっとも反対するだろうか。
 その2:これが最後だが、『ほぼ』とは何か。

A君:では、その1から。まあ、固定観念的な反対は何か、でしょうか。次の2種類を考慮しますか。
 1.主義的な反対
 2.利権的な反対
でも、この2種類の反対は、仕方がないというか、反論しても無意味ですね。

B君:むしろ、一般市民が何をどう考えているか。どう反応するかが大切ということではないか。

A君:となると、一般市民のリスク認識と、現実との乖離がもっとも大きいところが何かでしょうか。

B君:『気候変動の重大さと化石燃料消費』の関係は、かなり理解されたかもしれない。利権的な反対者には、相変わらず温暖化懐疑論を支持する人がいるが。それに対して、福島の汚染水の処理でモタモタしていることが、一般の人々にとって、色々なリスクが大きいという意識に囚われる原因かもしれない。

A君:処理をしている事業者側は、逆に、なんでこんなことに文句を言われるのか、と思っているのかもしれないですが、それがリスク・コミュニケーションの失敗につながっていて、大変に良くない。汚染水というものが、どのようなものを含んだ水であるのか。それをどうやれば処理できるのか。そして、どうしても処理できないものが何か。このあたりの情報をもっと明らかにしつつ、対策を確実に進めているという姿勢を明確に示すことが必須ですね。

B君:汚染水でどうしても処理できないことがトリチウムの放出の回避。これだけは、どんなに巨額のお金を掛けても実現不可能。

A君:ベクレルという単位に馴染んだ人に、100Bq/Lの水を飲みますかと聞いたら、絶対にイエスとは言わないでしょうね。

B君:実は、六ケ所村の再処理工場がもし稼働すると、通常の状態で、こんなことだったらしい。出典は、原子力資料室の放射線ミニ知識。
http://www.cnic.jp/knowledge/2116
再処理工場からの放出
 六ヶ所村では、年間800tの使用済核燃料を処理する予定で、排水中に1.8京ベクレル(1.8×1016Bq)、排気中に1,900兆ベクレル(1.9×1015Bq)が放出されるとしている。放出される水を摂取しても大きな被曝線量にはならないとしても、このような放出はよいことではない」。

A君:反原発の市民運動家だった高木仁三郎氏は立派な原発反対論者でしたね。福島事故以来、ネット上で匿名で跋扈している反対派や山本太郎のような『一見科学的な大嘘』を、彼は決して言わなかった。

B君:セシウムの100Bqとトリチウムの100Bqの差が分からないと、このような情報を理解するという点からみて、絶望的なのだ。今からでは遅いけれど、単位をすべてシーベルトSvに揃えて色々な情報伝達をやるべきだったのだ。

A君:Svであれば、その数値がリスクに比例すると言えますからね。しかし、Bqはそういう単位ではないので。

B君:それでは、次へ。『ほぼ自然エネルギーだけ』の『ほぼ』とは何か

A君:2100年における温室効果ガス排出量の許容値は、1人あたりの量にすれば、現在の日本人の排出量の約10%にする必要がある。すなわち90%削減が目標値

B君:10%という数値の解釈には二通りあって、一つは、「10%などはゼロと同じだ」。もう一つは、「10%も排出できると考えることもえきる」。

A君:多くの日本人だと前者。すなわち、10%の排出ならゼロと同じだ。

B君:この10%を少ないけどゼロではないと考えることが、どれほど自由度を高めるか、これが重要だということ。

A君:政治的なインパクトを狙って、ゼロを言うのは、止めた方が良いですね。

B君:10%の排出が可能なら、化石燃料も上手に使うことができる。例えば、そのころ天然ガスは大量に余っているに違いないので、それを上手に使って、自然エネルギーによる電力の不安定さを補完する分散型の燃料電池用に使い、その高効率・電圧変動対応力を利用する。しかし、二酸化炭素放出量を10%以内に抑えるとかいった有効な用途が考えられる。

A君:あるいは移動体用。すなわち電気自動車のレンジエクステンダー用には、水素などを考えず、天然ガスでやる方が、実は合理的。なんといっても、水素は700気圧に圧縮することが必要だけれど、天然ガスなら圧力が相当に低くてもOKなので。

B君:それに、すでに述べたけれど、プルトニウム処理専用の原発が動いているだろうけれど、そこからでも電気は出るので、これを10%の一部と考えることも含まれる。

C先生:大体、最後まで来たようだ。もう一度標語を繰り返す。『ほぼ自然エネルギーだけの2100年』を小泉元首相の『政治的決断をすれば原発即時ゼロ』の対抗馬として掲げたい。
 『ぼんやりした感じ』が、最大の狙い。このぐらいのスタンスで行かないと、なかなか最適の解がでない。急ぎすぎると良いことはないのだ。0か100かを選択せよと言うことは、賢明な解を拒否することにつながる。リスクベースの議論を進めて、どの経路がもっともリスクが低いか、これを議論する。これが真の経路に近い道を歩むコツなのではないだろうか。