| 京都議定書いよいよ発効 02.13.2005 ![]() |
| これまで発効しなかったのが日本の不幸なのか、それとも、発効することが日本の不幸なのか。 ロシアの決断が遅れに遅れたために、ここまで遅れて来た京都議定書だが、いよいよ2月16日をもって発効する。 新聞などでも、さまざまな記事がでるようになった。しかし、この問題は、いかに長期的に正しい見通しをもって、対策を考えておくかが重要である。 C先生:ロシアが批准してから90日。いよいよ2月16日に京都議定書が発効する。アメリカは離脱、中国、インドはもともと入っていない枠組みで、「こんなものは効かない枠組みは意味がない」と早々に結論を付ける人もいる。 B君:貧困の克服という問題を解く最良のシナリオは、やはり、地球全体を豊かにすること。それには、地球全体での二酸化炭素排出量は、一時的には増えざるを得ない。 C先生:ただ、そう言うと米国のような国でも、まだまだ二酸化炭素排出量を増やすのが当然のように聞こえる。 A君:要するに、地球とその上における人類の持続型問題という総合的な問題の中で、起きつつある一つの現象に過ぎないのが地球温暖化問題。トータルな解を示しつつ、その枠組みのなかで、温暖化を考えることが重要なのでは。 B君:残念ながら、トータルな解があると思っている人は居ないように思う。 C先生:ということになると、今日の話題は、京都議定書を巡る問題をできるだけ大きなフレームの中で語る。そして、普通は考えないトータルな解を、様々な人々にも考えてもらうにはどうしたらよいか、ということになりそうだ。 A君:やはり未来に関わることですから、どうしたって不確実。しかし、不確実なことを議論すべきでないとは思わないですね。 B君:未来だとはいっても、2008年から2012年という第一約束期間にある種の削減の約束をしてしまったのだ。今後、どんなことがその約束から出てくるか、その整理からやろう。 A君:了解。こんな整理で行きます。(1)約束、(2)現状、(3)さてどうするか。 日本全体として 産業部門として、
B君:いずれにしても、2008年から約束期間が始まる。そして、2012年が第一約束期間の最後の年。本当に時間が無いのに、国全体の方針が決まっていない。 C先生:今必要なのは、やはり世論の形成だろう。経済界が反対論を言うのは分かりきったことであり、むしろ、経済的な利益を追求するのが経済界の義務でもあるのだから、仕方が無い。ただい、長期的に見ても反対なのか、それとも、短期的な反対なのか。また、経済界全体として反対なのか、それとも、特殊な業界内部として反対なのか、そのあたりをくっきりと記述させる必要がある。 A君:経済界を日本経団連が代表しているように言われますが、全体を代表するなどということは有り得ないですよね。業界が違えば、環境対策が違うのがあたり前。自動車などは、むしろ、環境税が合った方が、技術的な競争も進むし、業界としてもメリットがある。 B君:いずれにしても、すべての人間が当事者なのだから、すべての人々が個人の意見を述べること、これがもっとも重要なこと。 C先生:その際に、やはり総合的な視点が必要だろう。 A君:総合的視点としてもっとも重要なことが、温暖化対策とはいうが、その基本は、省エネ・省資源にあるということでしょうね。 B君:二酸化炭素の隔離技術も、開発すること自体には、国際社会での交渉ツールとしての意味が無いとは言えないが、隔離のために、大量のエネルギーが消費されるのであれば、適切とは言えない。 C先生:石油の枯渇などを含めた総合的な視点が必要であること。石油資源の新規発見量は、1980年に、すでに、その年の生産量を下回っている。使った量を新規に見つけることができない、ということは、この年から石油は枯渇モードに入ったことを意味する。 A君:これが原則その1:地球の限界を認め、省資源・省エネが解決への基本的なスタンスであること。 B君:それでは、京都議定書というものに対する理解の仕方。基本的スタンスとしては、これで問題が片付くというものではなく、単に、第一段階の解決を分担しているに過ぎないこと。 A君:貧困の解決などには、まだまだエネルギーの消費量を増やす必要がある。すべての国が、例えば、インドがすぐに二酸化炭素の排出量を削減できる訳が無い。地球全体で見たときに、2050年頃まで、徐々に二酸化炭素排出量が増えること自体は仕方が無いが、2050年以降は、急速に二酸化炭素の排出量を減らすことが地球全体として破滅的にならない条件。 B君:工業先進国は、二酸化炭素排出量を削減しても、それなりの発展はできる。エネルギー消費量や資源の消費量を増やすことが、必ずしも市民の幸福に繋がるとは限らない。 C先生:EU諸国は、すでにその準備ができた。英国の健闘は評価に値する。日本、カナダの準備は遅れているが、なんとかそれに追いつき、そして、その後、米国、ロシアが効率的社会に変貌し、そして、中国、インドが参加。最終的には、2050年までには、全地球上の国々がこの枠組みに参加すること、こんなイメージを持たないと。 A君:原則その2:京都議定書は、国際的な分業の枠組みである。準備ができたところから、率先して参加するような枠組みだと理解すべきである。 B君:京都議定書に参加できることは、国としての一つのプレステージであるという考え方にならないと。 A君:国家的利益という言葉は、京都議定書のような枠組みとは、基本的に逆の方向性を持つのが普通でしょうね。温暖化の次におきるであろう、地球上のエネルギー資源の奪い合い。いやいやもう始まっているとも言えますが。やはり、国家的な利益をある程度抑えるような枠組みが必要不可欠なのではないでしょうか。 C先生:どうやって、国家的な利益を抑えるか、これは、難題中の難題。とりあえず、京都議定書後の次の枠組みに米国が率先して参加するようにならないと。 A君:さて、原則が2つほどまとまったのですが、それで終わりでしょうか。 C先生:大原則は終わったかもしれないが、多少残っているようにも思える。それは、解決の方向性。EUは、各事業者に排出量の上限を設定するというCAP制度を採用した。これは、日本のような自由主義的な市場経済の下では、設定は難しい。となると、自主的な取り組みと、環境税とのコンビで解決することになる。
B君:原則その3:産業界の当事者に、10年後、30年後、100年後といった見通しを語ってもらう。 C先生:その際、水素技術のような目くらましに誤魔化されてはいけない。米国のブッシュ流の考え方は、技術で問題の解決が可能ということだ。確かに、技術がなければ解決はしないのも事実ながら、例えば、再生可能エネルギーと水素エネルギーを組み合わせれば、問題がすべて解決するといったことは決してない。 A君:だとすると、原則その4:技術で解決できる範囲には限界があるということ。 B君:なんだか、現在の経済学の原則をことごとく否定しないと駄目だという結論になるようだ。 C先生:以上まとめるとどうもそうなる。 A君:こんな原則どのように認識しているか、すべての当事者が語る責任があるのでしょう。 C先生:その通り。国の役割がまだ決まらないのが、最大の問題。それができるまで、それを補完する役割が自治体にはあると思う。自治体がリーダーシップを取る必要がある。 B君:例えば、東京都のような大都市には、別の問題があること。 A君:ヒートアイランド現象ですね。大都会を持つ自治体は、解決に向けて、省エネ・省資源的な枠組みを設けることが必要。 C先生:自治体と市民意識に期待するというのが、向こう1年間の対策ということになりそう。しかし、2月13日の新聞報道を見ると、自治体もどうも余り頼りになりそうもないが。。。。 |
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