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   ロハスの誤解とエコプレミアム 11.12.2005
    



 今月の環境で少々取り上げたが、ロハス=LOHAS(Lifestyle of Health and Sustainability)が最近かなり頭をもたげてきた。基本的には歓迎であるが、残念ながら、LOHASの最後のSをどこまで考えているの、という疑問を持たざるを得ないようなことが行われつつある。
 エコプレミアムは、今月の環境にも書いたように、環境面での持続可能性を実現するために、「お先走り」の個人と企業を作ろう、というのがその趣旨であって、単に一般市民の消費行動の類型の一つであるLOHASとは基本的スタンスが違う。エコプレミアムは、本当の意味での持続可能性を追求する人々と企業のためのコンセプト。その意味では、いささか高めの敷居をセットさせて貰った感じである。
 ロハスにもっとも期待しているのは、実は、米国におけるこの考え方の普及である。勿論、カタカナロハスとは違うLOHASを意味する。そして、もしも米国人口の半分が本物のLOHAS的な指向を持つようになれば、地球の持続可能性が高まるかもしれない。


C先生:LOHASも起源は米国のようだ。米国は、本当に広い国だから、考え方も、暮らし方も場所場所でかなり違う。ブッシュ大統領が再選されたとき、ケリー候補に投票した州は、東海岸と西海岸のみ。中間の穀倉地帯は、ブッシュ大統領が選挙人を獲得した。別の言い方もされていて、パスポートを持っている人はケリー候補に入れたけど、もって居ない人は、ブッシュ大統領に入れたとか。真偽のほどは分からない。

A君:LOHASは、どちらかと言えば、ブッシュと大統領選を戦ったゴア(民主党)に投票するような人々の一部がもっているライフスタイル。

B君:いわゆるインテリ層で、現世的・金銭的な成功をもっとも重要なことだとは思わない。

A君:元々は、米国の社会学者ポール・レイ博士が90年代末に提唱した概念でだそうで、「金銭的な豊かさや社会的成功を最優先しない」、「健康的な食生活に関心がある」、といったものだった。ここにLOHASの真髄がある。

B君:ところが、日本に入ってくると、そのようなライフスタイルの哲学面が消えて、表面的なものだけになってしまう。

A君:ソトコトという雑誌によれば、ロハス的発想とは
○質素な生活を目指すのは素晴らしい
○異文化に興味がある
○持続可能な地球環境を支持する
○地域社会を再生したい
○政治にあきらめを感じていない
○創造的時間を大切にしたい
○女性の社会進出は当然
○私は理想主義者だ

といったものになるらしい。

B君:ここでもうすでに、かなり変わってしまっている。LOHASを誤解している。環境ファッション雑誌である「ソトコト」的になっている。ロハスとカタカナで書くと、中身も変わる。カタカナロハスとでも呼ぶか。

A君:先日、朝日新聞のBeでの表現でも、「ところが、カタカナのロハスはもう少々緩い。プリウスにのって、ヨガをたしなみ、オーガニック食品を選ぶのが典型的な「ロハス的生活」だと言う」、となっていて、哲学的な金銭面の豊かさや社会的成功を最優先しないというところがどこかに消えている。

B君:そのうち、三木谷氏とかホリエモン君とか村上氏などが、自分の生活もロハス的なのだ、などと言い出しかねない。

A君:いつだったか、テレビを見ていたら、投資で成功した女社長の生活というものが紹介されていて、なんでもかんでもブランド製品の特注品ばかりだった。これも、持続可能性という観点からみると、地球のすり減らし方は同じようなものを特注することによって、100倍以上の価格になっているのだろうから、資源生産性は非常に高い。ブランドプレミアムも、環境面からはは、一概に否定できない。しかし、ロハスの対極にいるような生活。

B君:ロハスを自認する人は、ブランド品は買うのだろうか。

A君:少なくとも、エコプレミアムを自認する人には、どうも、ブランド品が嫌いな人が多い。

B君:先日のC先生の退官記念会では、ビンゴをやって、そこに商品としてルイビトンの紳士物のお財布があったとか。

C先生:講演会などで、ルイビトンの悪口を何回も言ったものだから、罪滅ぼしにビンゴの商品にした。自分でも名刺入れぐらい買って、それを見せながら講演をするというやり方が良いかもしれないと、思っているが。

B君:カタカナロハスになると、ブランド品を買う人が出てきそうな感じ。

A君:もう一つのカタカナロハスでの恐ろしい誤解が、ソトコトの定義にも出ているように、「質素な生活を目指すのは素晴らしい」。

B君:米国のLOHASは、社会的・金銭的な成功は目指さないライフスタイルではあるが、これがそのまま質素な生活をすることとは多少違う。LOHASがマーケティングの対象になるぐらいなのだから。これまでの金持ちとはかなり異なったタイプの消費をする人々であって、質素とは違う。

A君:もう一つも気になる。「異文化に興味がある」。これ自体は悪くは無いが、カタカナロハス人間は、ヨガかなにかをちょっとかじって、異文化はすばらしい、と言いそう。

B君:文化とは、ものの考え方だから、ヨガをやったからといって異文化に接したことにはならない。自らの行動を批判的に把握しつつ、日本本来の生き方とどう違うのか、それを充分に考えて初めて、異文化に接したことになる。それには、日本古来の伝統などにも精通している必要がある。

C先生:話を聞いていると、カタカナロハスには、どうやら軽薄の臭いを感じているようだ。やはり緩すぎるのだろうな。アングロサクソン的成功論から離脱して、LOHAS的ライフスタイルをとりはじめた本来の米国の一部のインテリ層のもつ知性が、カタカナロハスには感じられないということなのだろう。

A君:日本だと、なんらかのライフスタイルはあっても、極めて表面的で、それを裏で支えている哲学が無い場合が多い。LOHASは、その哲学が何かが決め手のように思うのですが、カタカナロハスには、それが無さそう。

B君:Hが健康、Sがサステナビリティ。エコプレミアムにも、健康のコンセプトはあるにはあるが、それは、「食事はなにごとにもこだわらない」、というもの。「なぜなら、すべての食材は、他の生き物であり、人のために作られたものではない。そのため多少のリスクがあるから、できるだけ満遍なく食べるのが良い。特に、植物は毒性のあるものが多い」、というものなので、これでマーケティングができるとも思えない。

A君:エコプレミアム流の有機野菜とは、「環境と持続可能性のためには良い耕作法である。場合によっては味も良い」「しかし、健康のために良いかどうかは、別問題」。

B君:このあたりを多少解説してしまうと、有機農法で育った野菜類は、どちらかと言うと、貧栄養状態で作られる。化学肥料のように簡単に吸うことができる栄養分ではないからだ。また、多くの場合、水も少なめで育てられる。すなわち、野菜にとってはストレスの多い状態での生育になる。野菜は、これらのストレスに対して自己防衛的な反応をして、特別な成分を自分の中に作り出す。特に、農薬の使用が不十分であるために、虫の存在が一般的である。となると、野菜は、自分で農薬成分を作り出して、自己防衛をする。これらの自己防衛的な成分が多いために、有機農法の野菜は、味が濃い。

A君:野菜の農薬様成分だって、虫には毒性があるのだから、ヒトにとってもある影響があるものと考えられる。有機農法では、化学肥料や合成農薬は使われないが、分解性の悪い自然農薬と野菜が自分で作る農薬成分のために、必ずしも毒性が低いとは言えない。

B君:ただし、味が良い場合が多く、また、微量金属元素(ミネラル)も多く含まれる場合が多い。微量成分の方は、堆肥などの自然肥料によって、畑地に戻されるから。もしも化学肥料だけを使っていると、亜鉛、銅などの微量成分は、畑地から徐々に失われていく。すなわち、有機農法は、環境のために持続的な農法であるとの評価する。

C先生:エコプレミアムは、マーケティングなるものから程遠い。これは事実だな。ただ、本当のエコプレミアムを目指す人々は、かなりの金銭をある目的には投資する可能性が高い。ただ、まだまだ少数なので、マーケティングの対象にはならない。それに、エコプレミアムの喜びとは、「自然界とヒトを深く理解することによって、一段と高いところが飛べるようにになって、通常では見え難い何かが見えるようになる、ということに悦びを感じる」、ものかもしれない。

A君:Sの持続可能性については、ロハスの場合は、どうもプリウスしか出てこないですね。

B君:このSをどのように理解するか、これがLOHASの奥深さを決めるだろう。

A君:エコプレミアム的なSは、如何にして地球の磨耗量を減らすか。そして、その少ない磨耗量で、いかに経済的に価値の高いものを作るか。この問いに答えることがSだとしている。

B君:国連的な持続可能性だと、初等教育の充実であるとか、女性の解放だとか、乳幼児の死亡率の改善だとかいったことまでSの要素に入るのだが、エコプレミアムでもさすがに、そこまでは入れない。

C先生:エコプレミアムとは、「地球の磨耗量を減らしつつ価値の高いもの」、これが定義でよい。国連的な定義は、余りにも概念が広すぎて、無理だ。

A君:しかし、何がどのぐらいの磨耗量になるか、ということは、LCA的なセンスがないと、分からない。

B君:となると、LCA的にみても間違っていないであろう中間的な指標を提供することが良いのかもしれない。

C先生:グリーンケミストリーというものを取り扱っているときにも、実は、同じようなことが起きた。すなわち、環境屋の言葉と化学屋の言葉は違うのだ。そこで、化学屋にも分かる言葉でグリーンケミストリーを再定義する必要があることになった。

A君:となると、LOHAS用にもLCA的センスで何か指標を与えるのが良いかもしれない。例えば、(1)省エネ家電、(2)ハイブリッド車、(3)太陽電池、(4)廃棄物を極力出さない生活、(5)自然通風の生活、ぐらいは、一応、OKとして、これらで持続可能性というものを代表してくれれば良いことにしますか。

B君:先ほどできた朝日新聞のBeによれば、カタカナのロハスには、5つの要素があるという。その5つとは、(1)自然エネルギーなどの「持続可能な経済」、(2)有機野菜などの「健康的な生活」、(3)ヨガや瞑想などの「自己開発」、(4)漢方や整体などの「代替医療」、(5)エコツーリズムのような「環境に配慮した生活」。

A君:どうやら、自然エネルギーが「持続可能な経済」だとしているだけか。後は、本当の意味でのSが無い。

B君:「ヨガや瞑想」がLOHASと言われてもね。漢方や整体などの「代替医療」はさらに問題だ。

A君:「ヨガや瞑想」をしても、地球とヒトとの関係が分かることは無いでしょう。余程勉強してから瞑想すれば別ですが。

B君:「代替医療」は、米国では、健康保険がバカ高いから代替医療に走る人々が増えた。日本の現状だったら、「日頃からの不規則な生活を止めて、医療に頼らない生活」、を目指すのがLOHASだろう。どうしても調子が悪いということになったら、やはり、普通の医療が良いだろう。

C先生:以前、「持続可能な消費」という研究プロジェクトのアドバイザーを務めたことがある。これもライフスタイルの検討を行うものだったのだが、意地悪な研究者が居て、エコ型のライフスタイルを取ると、どうもリバウンド効果というものがあると主張する。エコエコといって生活していると、どうもどこかで突然浪費に走るということだ。そして、リバウンド量がもっとも多いのが、インターネットを使った分散型の勤務形態。確かに、自宅に居ることが多くて、出歩くことは無いので、環境負荷は低いが、突然、どこかに行きたくなるという。

A君:そうでしたね。ロハスの最後のエコツーリズムですが、それ自身は良いのですが、朝日新聞のBeで対談をしていた高木沙耶さんと九里徳泰さんは、いずれも相当な飛行機代を使っているに違いない。

B君:飛行機に乗ってどこかに行くと、二酸化炭素の排出量はべらぼうに多くて、もしも年間6万キロも飛行機に乗れば、二酸化炭素にして6660kgぐらいの排出量になって、これは、紙で言えば、雑誌を毎日20冊買い続けるか、ダンボール箱を毎日20個使ったことになる。お風呂なら1万回入れる。冷暖房なら2万時間使える。2万時間と言えば、1日10時間つけたとして、2000日。冷暖房が必要なのを200日とすれば、10年分に相当する。飛行機に乗ることを許容してしまったら、多少、冷暖房を節約しても全く駄目なのだ。

C先生:飛行機の搭乗距離を言われると、「持続可能性」に顔向けできない。今の商売はその意味で良くない。
 さてさて、LOHASは、もともとがマーケティングの中で生まれた概念だけに、その根幹が個人(消費者)の感性の中にあるようだ。一方、エコプレミアムは、非常に単純な定義である、「地球の磨耗量を減らしつつ価値の高いモノ」、を目指す。ただし、これはいささか敷居が高いと思われるかもしれない。この社会が本当の持続可能性を目指すには、1%程度の個人が、「先走り」役を務める必要がある。その1%の「先走り」のためと、その「先走り」のために先端性の高い商品を提供する企業のためのコンセプト、それがエコプレミアムだ。LOHASとカタカナロハスが出現したお陰で、エコプレミアムの役割がより明確になったようだ。