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   生命体の不確実性 その2
    03.10.2013
        細胞と情報=DNAの不確実性




 前回の続きです。生命体のもつ不確実性は相当に高いので、ときに失敗することもあるのですが、それでも、生命体というものは、群としてなら、その継続性は保てるのです。

 群としての継続性は確保されても、個の健全性はすべての個に対して保証される訳ではない、これが生命体というものの特性です。この問題が議論されるようになったのは、日本で言えば、1970年以降のことでしょう。社会に経済的な余裕ができたお陰で、個の健全性に配慮ができるようになったのです。

 世界的な動向も似たような状態でした。拙著「地球の破綻」では次のような記述をしました。



 1972年の6月5日から16日まで、スウェーデンのストックホルムで、国際連合人間環境会議が開催されている。この会議は、環境問題についての、世界で初めての大規模な政府間会合であった。通称、「ストックホルム会議」と呼ばれる。

 キャッチフレーズは「かけがえのない地球(Only One Earth)」であり、世界から113ヶ国が参加した。

 この会議において、「人間環境宣言」、別名「ストックホルム宣言」および「環境国際行動計画」が採択され、これを実行するために、国際連合に環境問題を専門的に扱う国連環境計画United Nations Environmental Planが設立された。

 人間環境宣言の日本語訳は、
http://www.env.go.jp/council/21kankyo-k/y210-02/ref_03.pdf
で読むことができる。

 その概要を短くまとめてみよう。
人間環境宣言
(1)人間は環境の形成者である。科学技術の加速度的進化により、自らの環境を無数の方法と前例の無い規模で改変できるようなった。
(2)人間環境を保護し改善することは、福祉と経済発展に影響を及ぼす主要な課題であり、すべての政府の義務である。
(3)人は、絶えず発見、発明、創造および進歩を続けなければならない。賢明に使えば便利になることも、不注意に用いれば人間と人間環境にはかり知れない害をもたらす。水、大気、地球、生物に危険なレベルに達した汚染などは大きな欠陥である。
(4)途上国の環境問題は、低開発が原因である。先進工業国は、開発途上国との間の格差を縮めるよう努めなければならない。
(5)人口の自然増加は、大きな問題であり、適切な政策と措置が必要。
(6)我々は歴史の転回点に到達した。環境への影響に一層思慮深い注意を払わなければならない。
(7)市民および社会、企業および団体が、すべてのレベルで共通な努力を公平に分担することが必要。


 なぜ、このような文書、特に、(3)、(6)のような記述が行われたのか。その理由は、日本にあった。

 水俣病である。このストックホルム会議には、日本から水俣病患者が参加している。世界に、公害というものの重大性を知らしめた。



 水俣病以前でも、ロンドンのスモッグのような公害事件はあるのですが、個の健全性が大きく損なわれた実例としては、やはり水俣病の衝撃度は大きかった訳です。同時に、水俣病の原因のような環境汚染が、地球全体に広がる可能性に、はじめて警告が出された訳です。

 さて、それでは個というものは、どのぐらい違うのか。それに影響する機構が明らかになったのは、比較的最近のことです。

 以下の文章は、これも拙著「化学で何がわかるか」の一部を引用し、記述を追加したものです。




3.細胞を作るときの情報源 DNA

 ヒトに限らず高等動物では、たった2つの細胞が出会うことから次の世代が作られる。ここで、DNAが果たす役割は重大であり、そのため、DNAは遺伝物質であると呼ばれる。

 低線量放射線の影響は、DNAに傷が付くことである。DNAに傷がついたとして、何が悪いのか。DNAの最大の役割は、その細胞が増殖するときに、今と同じ細胞を作ることである。

 前の細胞と新しい細胞は、どのぐらい同じでなければ行けないか。この答えは、実のところ、かなり難しい。タンパク質を合成するということを行なっている細胞であれば、あるいは、生理活性物質を合成するような細胞であれば、「ほぼ完璧に近いぐらい同じ」で無ければならないだろうと思われる。

 しかし、心筋のように、電気信号でピクピク収縮をするだけであれば、ほぼ同じ性能が出せるということで良いのかもしれない。

 いずれにしても、DNAは「同じ」情報の担い手である。そもそも、DNAはどうやって発見されたのか。どうやって情報を持っているのか、どうやって情報をコピーするのか、などの最小限の知識がないと、低線量放射線によって、DNAに傷が付くことがどのような意味を持つのか理解できないだろう。

 そのため、DNAに関する研究史を振り返って、基礎的な知識とは何か、を検討してみたい。


3−1.DNAの発見と遺伝物質であることの証明

 DNAは、細胞核の中に存在している化学物質である。糖質ともタンパク質とも脂質とも全く違うかなり特殊な組成をもっている。 化学的な性質も特殊である。

 DNAは核酸と呼ばれる物質である。スイス人のフリードリッヒ・ミーシャー(1844〜1895)は、ドイツに留学し、生理化学を専門としていた。細胞のタンパク質を分析しようと考え、患者の包帯に付着した膿を試料に選んだ。そのうち、酸にも溶けない安定な物質が見つかった。この物質が細胞の核に存在していることを見出し、核の成分であるため、ヌクレインと命名した。元素分析をしてみると、リンを大量に含んでいることが分かった。発見後、上司の教授は慎重に確認すべきと判断したため、2年後の1871年に発表された。

 アルブレヒト・コッセル(Albrecht Kossel 1853〜1927、1910:ノーベル賞)は、ヌクレインに4種類の塩基、アデニン、グアニン、チミン、シトシンが含まれていることを発見した。

 DNA、正式には2−デオキシ−D−リボースの化学構造を明らかにしたのは、フェバス・レーベン(フィーバス・レヴィーンPhoebus Levene 1869〜1940 ロシア生まれの米国人)であり、1929年のことであった。フィーバス・レベーンは、RNAの発見者でもあるが、ほとんと無名である。

 それは、レーベンの弟子であり、核酸という名前の命名者であるとされるリヒアルト・アルトマン(Richard Altmann 1852〜1900)を含めて、やや誤った理解をしていたからかもしれない。彼らは、DNAには、アデニン、グアニン、チミン、シトシンの4種類の塩基がほぼ同量含まれている単一の物質である、と考えていたからかもしれない。

 オスワルド・エイブリー(Oswald T. Avery (1877-1955) )は、今でこそDNA生物学の開祖と言われているが、病原性をもつS型肺炎菌と持たないR型肺炎菌を用い、S型の菌体を壊して得た抽出液を、R型肺炎菌に加えると、R型がS型に変わるという結果を確認した。用いた抽出液にアルコールを加えると、糸状の沈殿が生じ、ミーシャーの実験と同様であった。

 生命ではない何らかの物質が細胞の性質を変えた。このような現象を形質転換と呼ぶが、その正体は、どうやらDNAだと確信できる結果であった。1944年に形質変換を起こす物質の発見に関する論文を発表した。

 しかし、レーベン説にしたがえば、DNAは、単一の物質であって、遺伝に関するような、多様な情報をもつことは有り得ない。これが当時の学界の常識であったため、エイブリーの研究の重要性は理解されなかった。

 DNAが遺伝物質であることを証明したとされるているのは、アルフレッド・マーシーとマーサ・チェイスである。細菌に寄生するウイルスの一種、バクテリオファージを用いて、鮮やかな実験を行なった。ファージのDNAのリンを放射性のリンに置き換え、ファージのタンパク質には、放射性のイオウを加えた。ファージは、細菌に自らのDNAを送り込む。しばらくしてファージを細菌から引き離すと、細菌には、DNAだけが移動したと考えられる結果になった。すなわち、DNAの構成物である放射性のリンのほとんどが細菌に移動したが、タンパク質に含まれるイオウはファージに残ったままであった。

 これによって、ウイルスの遺伝物質がDNAであることが実証された。1952年のことであった。


3−2.DNAの組成と二重らせん構造

 骨格は、糖をリン酸が繋いだ形である。糖には、4種類の塩基が付いている。

 1950年、アーウィン・シャルガフ(Erwin Chargaff 1905〜2002)が重要な論文を発表した。DNAには、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の四種類の塩基が含まれているが、その量は、生物の種類によって違う。しかし、AとTの量は等しく、また、GとCの量も等しい。

 これが本当であれば、AとT、GとCが必ず結合していると仮定すれば、説明可能である。

 ジェームズ・ワトソン(James Dewey Watson 1928〜 1962ノーベル賞)、フランシス・クリック(Francis Crick 1916〜2004 1962ノーベル賞)は、モーリス・ウィルキンス(Maurice Wilkins 1916〜2004:1962ノーベル賞)とその弟子の若い女性物理学者ロザリンド・フランクリン(1920〜1958 Rosalind Franklin)からの情報、すなわち、DNAはらせん構造をもっていて、リン酸は外側にあるという構造情報に、新たな発想を加えた二重らせん構造を1953年に発表した。フランクリンは、1958年に亡くなったが、他の3名は、1962年にノーベル賞を受賞した。

 この二重らせん構造へのノーベル賞の授与は、様々な不協和音を引き起こした。例えば、ワトソンらに重要なヒントを与えたシャルガフは、ノーベル賞を貰えなかったことに対して抗議する文書を世界中の研究者に送りつけた。確かに、20名を超す多数の研究者が、二重らせん構造の発見には寄与していたが、ノーベル賞を受賞したのは、そのトップだけであった。もっとも不幸だったのは、寸前に死亡したロザリンド・フランクリンであったかもしれない。そして、もっともラッキーだったのは、その変わりに受賞したとも言えるモーリス・ウィルキンスであったかもしれない。


4.DNAと情報

4−1.DNAがもつ情報は暗号化されている

 ワトソン達によって二重らせん構造が分かったからといって、遺伝物質であるという証拠は、この段階では、まだどこにもない。

 そもそも、遺伝物質であるということは何を意味するのだろうか。生体内で様々な機能を果たしている物質は、タンパク質である。糖質、脂質は、どちらかと言えばエネルギーを供給したり、蓄積したりする役割に過ぎない。

 となれば、多種多様なタンパク質をある仕様書の通りに作り上げる情報を持っている物質が遺伝物質だと考えるのが妥当だと思われる。

 このような考え方を発展させ、新しい発想に繋げたのが、なんと物理学者であるジョージ・ガモフ(George Gamow 1904〜1968)である。彼は宇宙の始まりはビッグバンであるという説を提唱したことで有名であるが、遺伝物質の機能についても、新しい発想を行なった。

 この時点で、タンパク質を構成しているアミノ酸が20種類であることはすでに知られていた。DNAの塩基は4種類、A、T、G、Cであるので、2個の塩基を並べる方法は、4×4の16種類である。これでは20種類の情報を表すことはできない。ガモフは、塩基3つが一組になって、20種類のアミノ酸のどれかを意味しているのではないか、と考えた。

 二重らせん構造の提案者の一人であるクリックは、1958年、セントラルドグマと呼ばれる考え方、すなわち、DNAが情報をRNAに与え、タンパク質合成につながるという情報伝達ルートを提案した。

 マーシャル・ニレンバーグ(1927〜2010、Marshall Warren Nirenberg 1968年ノーベル賞)は、1961年に塩基U(DNAならTに相当)が3つ並んだ人口RNAがフェニルアラニンというアミノ酸に対応することを示した。

 この研究がDNAの暗号解明の第一歩であった。その後、1966年までに、DNAが持っている情報は、ガモフが予想した形で、そのすべてが明らかになった。


4−2.情報は何に使われるのか

 DNAの持っている情報とは何か。どのようなアミノ酸をどのような順番で結合させて、特定の機能をもったタンパク質を作るかを決めるという情報を持っている。

 動物細胞はタンパク質でできている。成人になっても、血球、皮膚、肝臓、脳などのように、次々と細胞を作る必要がある組織もあり、そうではない細胞でもやはり徐々に置き換わるので、必ず、新しい細胞を作る必要がある。

 その際、古い細胞と同じものができないと、これは機能として困ったことになる。それだけでなく、がん抑制遺伝子が不出来な細胞を作ってしまうと、発がんする可能性が大きくなる。

 すなわち、もしもある細胞のDNAに含まれている情報が壊れていると、新しい細胞を作るときに大変に困ることになる。できた新しい細胞ががん化することが最大のリスクではあるが、それ以外にも、本来の機能を果たすことができない可能性がありうるからである。

 しかし、新しい細胞を作る以外の場合であれば、たとえDNAが傷だらけで遺伝情報が壊れていて、その細胞自体の機能に影響がでたとしても、その数次第である。すなわち、正常な細胞よりも数が少なければ、余り困ることもない。

 例えば、骨髄には造血機能をもつ細胞が存在するが、1000mSvといった放射線の被曝を受けて、骨髄細胞のDNAが破壊され、機能に影響がでたとしても、困るかどうか、それは数次第である。正常な機能を続けている細胞の数が多ければ、多少、仕事ができない細胞がいたとしても、大きな問題にはならない。

 あらゆる人間組織に成立する2−6−2の法則、すなわち、組織を本当に支える人の数が2割、そして、役に立たない人が2割、6割はその中間、といった状況が細胞についても成立していると考えて良いのではないだろうか。

 しかし、役に立たない人とは言え、2割存在していることが、組織の存続にとってある意味で必須であることから考えると、役に立たない細胞というものも、実は、なんらかの意味で役に立っているという可能性が強いように思う。

 さて、放射線の影響のうち、確定的影響と呼ばれている悪影響がでるには、数Svという猛烈な放射線強度が必要である。

 これは、例えば、組織を支える20%の細胞が悪影響を受けて、機能が破壊されたとすると、2−6−2の分布が、1.6−4.8−4.2という分布に変化し、これではさすがに生命機能を維持することに悪影響がでるだろう。

 次に述べるように、100mSvといったレベルの放射線が問題になるのは、発がんの原因となるからである。発がんは、確率的影響と呼ばれ、困るとき場合もあるが、困らない場合が多い。それは確率的に決まる。


5.DNAの情報エラーと修復機能

 情報にはエラーがつきものである。間違わない情報など、情報ではない、とすら言えるぐらいである。

 パソコンなどに使われるメモリーも、サーバやワークステーションでは、例えば宇宙線がメモリー素子に衝突して生じるビットエラーを自動で修正したり、修正不能な場合でもビットエラーが起こったことを、検出することができるECCメモリが使われている。

 それならDNAに含まれる情報は、どのぐらいの確実性があるのだろうか。

 実は、かなり心もとないのである。DNAの情報は、ATGCという塩基の配列の順番である。細胞が分裂して新しい細胞を作るときには、それまで使っていたDNAを読み取って、元と同じ情報がコピーされて作られるはずではあるが、大体10万塩基に1つぐらいの確率で、コピーミスをしてしまう。

 ヒトのDNAは、30億塩基ぐらいの情報を持っているので、DNAを2セット持っているヒトの場合には、新しい細胞を作るとき、6万塩基ぐらいの情報をコピーしそこなってしまう。

 これは膨大な数のように思えるが、実は、もっと大変な事態が起きている。それは、活性酸素の存在である。基本的には、哺乳類は呼吸をすることによって、活性酸素源である酸素を取り込んでいるので、これは宿命的なことでもある。

 どの細胞でも、1日で、5万から50万個ほどの情報が破壊されてしまう。

 これでもなんとか生命が維持できているが、それは、ヒトの場合は他の生物に比べても格段に精度の高い二段階からなるエラー対応メカニズムが用意されているからである。

 第一段は、情報エラーを修復する機能であり、第二段は、万一、修復が不可能な場合には、細胞が自殺をするような仕組みである。

 試験用動物として用いられるマウスだが、情報エラーへの対応機能が不十分なためか、そのサイズに似合わず、ほとんどのマウスは2年程度で発がんして死亡する。

 ヒトという生命ほど、がんにならない生命もない。



 次回は、DNAの情報にエラーがあると、それが原因となって、どのような順番でがんになるのか、検討してみたい。